妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十六話:木っ端微塵と破談の関係
 
 
 
 
 
「あの、ごめんなさい…」
 浮かれた様子など微塵もなくうなだれている悠里を、シンジは冷たく眺めていた。
「大体デートなんて話は初耳なんだけど。一体全体どう言うこと?」
「そ、それは…」
 話だけ聞くと浮気な恋人の不貞に怒っている図だが、実態は全然違う。
「い、碇さんがいけないんです」
「…あ?」
「も、元々お見合いに出て下さるって言われたのに、一向にお返事は下さらないし、男女問わず好かれる碇さんをあんな双子の所に放り込むわけにはいきません」
「余計なお世話だ」
「本当に…そう思っておられるんですか」
「……ま、まあそれはその…」
 偉そうなシンジだが、実のところはそんなにえらくない。と言うより、はっきり言ってシンジが悪い。
 母親の除霊の時に会った、と言ったがそれは嘘ではない。
 悠里の母恵が低級の地縛霊に取り憑かれた時、何を間違ったかシンジに回ってきた。本来は魔道省から一人行く筈だったのが、シンジの乱取りに付き合わされて全員ダウンしたのだ。
 乱取りと言っても相手はシンジであり、自然と形式も決まってくる。
 いやそれは分かっているのだが、戸山町の当主の妹に絡み魔力が暴走気味のシンジから、それこそ場所を問わず火と水と風が襲ってくるのだ。
 とは言え、実際は半数が結界を必死で維持するのに追われており、シンジの玩具と化したのは数十名のみである。角を生やした生き物にすら抗しうる強さのそれが、力を余し気味の青年に簡単に壊されかけたのだ。
 で、一通りすっきりしたシンジの前に差し出されたのは依頼状であった。
「困ったものねえ?」
 部下達の惨状に、魔道省長官南郷さつきはうっすらと笑った。
 どう見ても縁側とみかんが似合う老婆だが、剣を取らせれば大の男でもまず近づけない。抜群相性の愛剣とは数十年来の付き合いであり、今や彼女の一部と化している。
 で、長官室にシンジを呼びつけては、
「最近は剣を振る時間もなくなったのよ、どうしてくれるの」
 と絡むのが趣味だ。
 ひっそりと隠居を望んでいた彼女を引っ張り出したシンジも悪いが、元より状況は楽しんでいる。
 そんな性格だからシンジの前に出来上がった山にも、少しも眉をひそめる事はなく、
「帝都光菱銀行の会長から依頼が来ていたの。さ、行ってらっしゃい」
 紙を突きつけてそれだけ命じた。
「はーい」
 と飄々と向かったシンジだが、とんでもない豪邸でシンジを迎えたのは神酒であり、運悪く相棒は留守であった。
 確かに効能は十分あるが、シンジに取ってはまったく不要な代物であり、シンジがあたるのに数分と要さなかった。
 普通に呑める人間なら別だが、呑めぬ人間があたるとどうしようもない。
 まして、匂いだけでもダウンする人間とあれば。
 勿論シンジも例外ではなく、いつもなら寝ぼけていてもやってのける動作を誤った。
 妻が心配で見守っていた魁偉と母が気がかりで付きっきりの悠里がおり、その悠里が結界を破って飛び出した霊の直撃を食らったのだ。
 ぎゅっと握りしめていた両腕の感覚を失った悠里が見ると、自分の両手首はきれいに喪われていた。
 幸い往診に近くを訪れていた美貌の女医が、秒と掛からずに接合してのけたのだが本来なら許されないミスである。
「ふにゅー!」
 赤い顔をして…ちょっとだけ照れたかのようなシンジに、悠里は怒らなかった。
 怒る気を奪われたと言うのが正解だが、シンジの表情のそれは、照れではなく酔いなのは言う迄もない。
 一方魁偉もまた、目の前で起きた怪現象にはさすがに度肝を抜かれていた。何しろ、妻の周りに張った結界が破れ、なにやら目に見えぬ物が飛び出したと思ったらあっという間に娘は両手首を喪っていた。
 血相を変えて立ち上がろうとしたら、既にミスをしでかしたシンジが立ち上がっていた。すすっとすり足で近寄ると悠里の手首に手を当てる。そこがみるみる出血を静めるのを魁偉は呆然と見ていた。
 更に奇異な事に、懐からごそごそと携帯を取り出すと、シンジは何処かへ電話を掛けた。
「今どこ?」
 これが第一声であり、
「悪いけど来てね」
 これがその次、そして最後であった。自分の居場所など一言も言わない。
 数分後にやってきた魔貌の女医−ドクトルシビウが一撫ですると手首は簡単に元の鞘へと収まっていた。
「本来なら断る手当よ」
 シビウは冷たい声で言った。冷たく、そして艶やかな声で。
「やむを得ない怪我ならともかく、こんなミスで私を引き出すのはこれで最後にしてもらうわ」
「あ、気をつけます」
 まだどこか赤い顔で頭を下げたシンジを、シビウは捕獲された宇宙人でも見るような視線で見た。
 相次ぐ怪奇現象と二人の美貌に、茫然自失の態となっていた悠里をこっちへ引き戻したのは、
「すいません、私のミスです」
 なんとなく舌足らずに聞こえるシンジの言葉であった。
「あの、お詫びはなんでも−」
「は、はあ」
 ぼんやりと頷いた悠里だが脳がよく回転しない。魁偉は既に我を取り戻していたが、こっちはわずかに目を開けた愛妻の方に全意識が行っており、五体完全となった娘どころではない。
 少し考えてから−実際にはぼんやりしていただけだったのだが、
「気乗りしない相手と、お見合いしなくちゃいけないんです」
「はい」
「でもこんな格好いい人がいればさっさと尻尾巻いて諦めます。だから…私とお見合いしてください。も、勿論その…演技でいいですから」
「…はあ」
 是非喜んでとも、その位なら勿論ともシンジは言わなかった。
 妙に偉そうな反応だったと思うが、あの時の悠里はそんな事を考えるほど自我は回復していなかったのである。
「本当なら手首に醜い傷痕が残って一生傷物です」
 ずい、とシンジの前に差し出した手首は健康そのものであり、傷のきの字も見あたらない。
「きれいにくっつきはしましたが、事実は消えません。碇さん、本当に反省しておられます?」
「別に」
「…え?」
「一応結界外だが、同室に素人を置かないのは鉄則だ。あそこにいなければ、せいぜい部屋の一つを壊して終わりだったんだよ」
「あ、言い訳してる、ずるいです…も、もしかして、最初からそんな気なかったんですか?」
「そ、そんな事はないってば、ほら」
 何がほら、なのかは分からないが、
(あれ?)
 シンジは内心でちょっと首を傾げていた。
 女性を手玉に取りたい、なんて事は微塵も思ってないシンジだが、逆さ吊りの刑と言い悠里の事と言い、何となく歯車に異物が入って回ってるような気がする。
 気のせいかなと首を振って、
「代役前提だからそれでいいなら出るよ。日時は悠里が指定しといて」
「本当ですか?」
「嘘は言わない。それはそうと」
「はい?」
「渚の兄妹の事は調べていた筈だ。あの兄妹が俺に魅入られるかもなんて言ったのは嘘だね?」
「そっ、その…」
 ちょっと言いよどんだが、
「ごめんなさい、一回言ってみたかったんです」
「最初で最後だ」
 くいとカップを傾けたシンジに、
「ところで渚製薬の件ですが驚きました。もう買収の準備をしておられたとは」
「抜けてるんだよ」
「え?」
「悠里も知ってると思うけど、あそこが双子だとは知らなかった。ましてインセストのヒト達だなんて思いもしなかったぞ」
 悠里はくすっと笑い、
「ではどうして買収の準備を?」
「何となく。だって、娘が嫌がる縁談を進める父親なんてのは、基本的にろくなのいないし。そうなると、すんなり渚カヲルを手放すとは思えなかったし」
「でも結果的には渚兵部が片づきました、後は渚カオルが継げばよろしいではありませんか」
「…俺が何しに行ったか分かってる?」
「渚カヲルのスカウトでしょう?」
「渚カオルが跡を継ぐ、それは別段問題ないんだけど何せあの二人デキてる。それに渚カヲルを女神館に引き取るとインセスト肯定派がもう一人増える。近親相姦にエクスタシーを感じるのは一人で十分だ」
「住人の方におられるのですか?」
「いたら放り出してるってば」
 はあ、と悠里が頷いただけだったのは、全員がそうだったら良かったのにと思わず口走りかけたからだ。
 住人達との関係はすでに調査は済んでおり、無論現在の状況も分かっている。
 シンジと一つ屋根の下、それだけでも贅沢すぎる環境に思えるのに、そのシンジを攻撃する小娘達など悠里には到底度し難い連中に見えるのだ。 
 自分なんか…ほんの少し憧れてるだけでもこんなに距離が遠いと言うのに。 
 一瞬翳りが見えた悠里の表情をどう見たのか、
「女の子ってこう、いや女と言う種族全体で血って平気だよねえ」
 全然関係ないことを言い出した。
「さっきの事ですか?人間なら見たいものではありませんが、それ以外の生き物なら大した事はありません」
「言うねえ」
 冷ややかに言ってのけた悠里に、シンジは少し笑った。
 さっきの事を思いだしたのである。
 
 
 
 
 
「さっき、自分だから昏倒で済んだと言ったな」
 むくっと起きあがる兵部を見ながらシンジが魁偉に言った。
「ええ、その通りです」
「まあいいや。でも俺も興味があるな、外見の変わった子供二人の養育論は、とくと聞かせてもらいたいもんだ」
 ぎょろりと周囲を見回した視線は、環境汚染が生み出した怪物のそれを思わせ、でっぷりと突き出した腹は手足を持つまでに進化した豚が起きあがる姿に見える。
「…誰だお前は」
 腐った汚水みたいな声に、居合わせた皆の顔に嫌悪の色が浮かんだが、シンジの表情は変わらない。
「碇シンジと言います」
「碇シンジ…」
 噛みしめるように呟いてから、
「そうか…お前が極悪誘拐人の碇シンジだな…娘は…絶対にお前なんかに渡さないぞ…」
(トリップか?)
 一代で起こした立志伝中の人物でないとは言え、五代前からの資産を守りこそすれ減らしはしていない男である。それが到底似合わぬ口調で単語を呟くのを見て、兵部が昂揚状態−ある種のトリップ状態になっていると見たのだ。
「あの子の幸せはどこにあります?」
 穏やかな口調で訊ねたシンジに非難の視線が向いたが、よく知る者なら違う答えを出していただろう。
「そんな物が要るか」
 シンジにとってはある意味予想通りの答えだったが、悠里のきれいな眉がすっと上がり、子供達はと言うと嫌悪の色がそのままだ。
 もっとも、これが既に最大値なのかも知れないが。
「幸せだのなんだのと、そんなのは普通に生まれた子供が口に出来る事だ。こんな気持ち悪い奴らなど、殺されなかっただけましと思うんだな」
 シンジは眉一筋動かさず、
「でも、別に子供が親を選んだ訳でも、自らの容姿を選んだ訳でもありませんが」
 その言葉が終わらぬ内に、魁偉の手がすっと動いた。前に出ようとした娘を制したのである。
「動くな愚か者」
 シンジに対するのとは打って変わった巌のような声に、悠里の全身は微動だに出来なかった。
 そんな親娘の様子など気にも留めず、
「何を寝ぼけた事をぬかすか。男に股を開けるやつはさっさと男の所に行って媚びを売り、それが出来ない奴はさっさと消えれば良いのだ」
「そうすると、息子さんに後を継がせる気はないと?」
「当たり前だ、何のために交互に引っ張り出したと思ってお…る?」
 不意に兵部の双眸に光が戻った。
 まともな顔できょろきょろしている兵部に、
「やや早い目覚めだが、本音を知るには十分な時間だったな」
 シンジの言葉にその顔が発言元を捉える。
「お前は…その顔…確か碇シンジだな。こんな所で何をしている」
「娘さんのスカウトに。出来れば穏便に済ませたかったが、そうもいかなくなった。それにしても気持ちは分かるが、なぜここまで子供を忌み嫌う?」
 その前の言葉を聞いていれば到底出ないはずだが、シンジが自分に同調していると知って兵部はふんと嗤った。
「こんな化け物みたいなのが、それも二人もいてどうして連れ回せる。生まれた時点で殺されなかっただけでもありがたいと思う…!?」
 言葉が途中で止まったのは、刹那シンジの雰囲気がすっと変わったような気がしたのだ。急速に危険な物が立ち上ったように思えたが、シンジには別段変わったところは見られない。
「自分の黒目でも移植するべきだったな。まったく、こんなのでよく会社が保ったものだ。いいや、子供に殺されなかったものだ」
「殺す価値もないと思ったのよ」
 なるほどね、と頷いたシンジに、
「お、お前も今分かると言ったではないか」
「誘導尋問って知ってるか?最初から締め上げるのも手だが、仲間意識を見せた方が楽だからな。もっとも、既に深層にある本音は聞かせてもらってある。とは言え手を尽くすのも面倒だ、すぐに逝かせてやる」
「逝かせ…わ、私を殺す気かっ」
「お前を生かしておいても邪魔にしかならない。カヲルを引き抜いてもカオルに累を及ぼし、スカウトを諦めれば二人に累を及ぼす。それに何よりも−コウノトリに品物の指定交渉も出来ない分際で、子供を忌み嫌うような親など到底放ってはおけない」
「…ぎぃ」
 シンジの言葉が終わった途端兵部が短く呻いた。
 いや、正確にはそれしか出来なかったのだ−根元からぶつりと断たれた両腕に。
「子供を抱きしめる事も出来ぬ腕など要らないな。それともう一つ、子供と同じ空気を吸うのもお嫌のようだから、望みを叶えて差し上げる」
 離れて、とすっと双子を下がらせたシンジの腕が奇妙な動きを見せた。
 何やら片手で印を結ぶような仕種を見せた直後、けぇ、と兵部が洩らしたのだ。
「人間が空気と血液を喪ってどれほど生きられるか、後でシビウ病院のスタッフにレポートを提出してもらおう」
 陸に上がった魚のごとく、口をぱくぱくさせている兵部だが暴れることも出来ない。両腕を既に喪った上に、全身を凄まじい気が呪縛していたのである。
「『い、碇さん…』」
 悠里とカヲルの声が期せずして重なったそこへ、
「カヲルの顔に、面皰が一つ出来ている。俗説によれば思われ面皰ってやつだな」
「え?や、やだっ」
 慌てて顔を押さえたカヲルに、
「この年だとちょっと困るけど、本来なら潰しちゃうのが一番だ。今から実例をお見せしよう」
 次の瞬間、誰もが呆然と目を奪われた。
 今までに見たこともない、そしてこれからも見ないであろうその光景に。
 シンジの手が上がると、重さ数十キロはある黒檀製の机がゆっくりと宙に上がっていったのだ。そしてそれはそのまま兵部の頭上へ行って止まった。
「さてどうする」
 一応訊ねたのは、やはり子供の意志を尊重したものだったろうか。
「用はないよ」
 短いが、そこにすべてが凝縮されたようなカオルの声に、シンジは結構だと頷いた。
「落下時間を約三分後に設定してある。醜いショーに付き合う必要もあるまい、も一度紅茶でもいれて」
 さっさと出口に向かったシンジに、
「わ、分かりました」
 とカヲルが慌てて後を追った。
 
 
「でも、部屋を爆破されたのはどうしてです?」
「悠里と違ってあの二人は神経図太くないから」
「……」
「どんなに忌み嫌っていても、父親の潰れた残骸などわざわざ見せる事もあるまい。分かり切った事を訊くものではない」
「ごめんなさい」
「ただこれで渚カオルが正式に後継になって、でもってカヲルを補佐に付けざるを得なくなった。あの二人は一緒にしておくと、二人分以上の力が出る事は分かったからね。それに、カオル一人ではやや不安が残る事だし」
「で、でもそれでは…」
「そう、断念。ま、近親相姦教を説かれるよりましと思えば、ね」
 とは言ったものの、ちょっと計算外と言う表情は悠里にも見て取れた。
「それで、どうされますか」
「何とかしなきゃならないでしょ…ま、なんとかなるなる」
 本当になるんですか、と言いかけて悠里は止めた。その質問は、シンジに対しては愚問過ぎると気が付いたのだ。
「困ったモンだねえ」
 実感の足りない口調でシンジが呟いた時、携帯が鳴った。
「はい碇で…渚カヲルか?どうしたの…え、今から?そう、分かった」
 電話を切ってから、
「あの二人が今から来るらしい。やっぱり父恋しくなったかな」
「でっ、では私もっ」
 シンジの言葉に思わず身を乗り出したのだが、
「いいよ」
 あっさりと却下された。
「ご迷惑掛けますとかどうせそんな用件だろうし、別に同席は要らない。ま、爆弾魔の仕業になってるから、あの二人には保険金が億単位で下りる事になる。今までの事を考えればはした金だが、少しは慰謝料になるはずだ」
 億をはしたと言ってのけたシンジだが、その口調には金では購えぬものとの考えがはっきりと表れていた。
 普段のシンジなら、こんな事は言わない。
「分かりました…では私はこれで」
 じゃあね、と至極あっさり見送ったシンジに寂寥を感じながらも、表情に出すことはなく悠里は帰っていった。
 実際の所、シンジが兵部を片づけたのは用がないと見たからである。無論教育の事もあったが、シンジはもう計画の立て直しを決定していたのだ。
 すなわち、渚カオルに後を継がせる事を。カヲルを補佐に付ければ十分だし、そうなればもう兵部の用はない。
 あるとすればすなわち、保険金を残す事位だが、殺人が対象になるとは言えシンジが犯人では意味がない。
 だからこそデスクの下敷きにした上で部屋を吹っ飛ばし、小規模な爆弾テロの仕業に見せたのだ。その辺の細工をしでかす位は、シンジに取っては造作もない事であった。
 時間的に見て、もう警察の事情聴取も終わっているはずだし、爆弾をかまされたとあっては、親族からも責任追及の手は伸びるまい。
 もし万が一捜査の手が伸びたとしても、シンジは二人への累は何としても断ち切るつもりでいた−たとえ、いかなる手段を使ったとしても。
 折角腐塊が頭上から消えた二人には、これからは普通の道を進んでもらいたかったシンジなのだ。
 そう、代々の中で突出した力の持ち主でありながら祖父母に、そして両親から愛されてきたシンジに取っては。
 ただし、両親はシンジ同様出歩く事が多く、直に可愛がってもらった記憶はさして残っていない。それでもアイリスの両親やカオルの父親のように、力を忌まれた事は一度もなかったシンジであり、思考の根幹は常にそこにある。
「さて何しに来るのやら」
 かと言ってすぐに出てくる余裕も無いはずだけどと呟いた時、その視界に渚兄妹の姿が映った。
「あ、来た来た…あれ?」
 シンジの視線は二人が伴っている少女を捉えた。もっとも、少女と言ってもシンジ達とあまり年齢は変わらない筈だ。
 見知らぬ顔にシンジが内心で首を傾げた時、三人がシンジのいるテーブルへやって来た。
「先ほどはありがとうございました」
 二人揃って優雅に一礼した姿は、やはり大企業総帥の子息子女としては相応しい物が備わっている。
「私は別に何もしてない。進む道に手を触れたのは二人だよ。渚カヲルのスカウトは断念したんだから、今後は二人仲良く会社を作っていくといいさ。失敗なんかしたら許さないよ」
「林原氏にもそう言われたよ。シンジさんにそうまでして頂いた以上、ミスは決して許されないってね」
「結構だ。で、そちらの方は?」
「カヲルを連れて行かないにしても、まだ代わりが決まった訳じゃないと思ってね。カヲルの知り合いで機械系に強い娘さんがいたので、取りあえず紹介しておこうと思ったのさ。さ、挨拶して」
「藤宮紅葉と申します、よろしくお願いします」
 なかなか可愛い娘ではあるが、その表情に笑顔の欠片も見られない。
 取りあえず、はあと頷いたシンジに、
「彼女は元々機械を触るのが好きで、既にその系統の専門学校も出ている。早くにお父さんを亡くし、つい先だってお母さんの四十九日が終わったばかりなのさ」
 カオルが告げた。
 そして、すっとシンジの耳元に口を近づけると、
「気を晴らすには好きな物に没頭するに限る−もし良かったら、一度使ってみてくれないかな」
 紅葉に聞こえぬように囁いた。
(両親が、か)
 女神館に来てからこっち、普通に両親が揃っている知り合いは殆ど出来ていない。やはり類は友を呼ぶのかとぼんやり考えてから、
「分かりました。じゃ、取りあえず少し機械の方をいじってもらっていいですか」
「はい…」
 紹介されたはいいが、表情を全く変えぬままの紅葉を見て、これで大丈夫かとシンジは内心でもう一度首を傾げた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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