妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第五十七話:DD11−FINAL:デートの収支は黒字ですか?
 
 
 
 
 
「す、すまねえ水狐…」
 女性型の魔装機兵に、何とか担がれて退却した大日剣と金剛。
 だが片腕を喪った代償は、そのまま搭乗者にもダメージを伝えており、その顔は蒼白になっていた。
「無茶をするからよ。あんたが単体で行って、敵う相手では無いわ」
 機体越しの声は冷たいが、どこかに温度は感じられる。
「お前、あいつの事知ってるのか?」
 ふ、と水狐は嗤った。
「そんな事言ってるから、ミロク如きに侮られるのよ。全員が集結していなかったとは言え、銀角の大群を創って陣揃えされた葵叉丹様に、大ダメージを与えてうち破った男よ。それも、従魔とのたった二騎だけで。それを、あんたがのこのこ勝てるわけ無いでしょうが」
「……ん?」
「どうしたのよ」
「じゃ、何で葵叉丹様は俺を行かせたんだ?」
「決まってるじゃない、様子見よ。第一、行くなと言われてはいそうですか、と従うあんたじゃないでしょうが」
「俺は猪か…くうっ…」
 痛みが走ったのかうめき声を上げた金剛に、
「今行くから、ちょっと待ってなさい」
 口調は冷たいが、ミロクよりは女性らしい所を持っているらしい。
 機体から軽やかに降りたのは、細身のすらりとした美女であった。
 顔はともかく肢体だけ取れば、女神館の姫達は間違いなく凌駕している。
 無論普通の人間ではあるまいが、やはり人外となるとそのまま肢体も人外のレベルに達するのだろうか。
 だが。
 ミロク如き、と水狐は言った。
 葵叉丹への忠誠は持っているらしいが、手下同士の仲は良くないと見える。
 あるいは、豊かな肢体の持ち主同士は、相容れないと言う法則でもあるのかもしれない−そして、それが女同士なら尚更の事。
 
 
 
 
 
「フェンリルさんはご存じでしたか?」
 紅茶のカップを持ち上げて、一口含んだ夜香が訊いた。
 院長室に、シンジ以外の全員が集まっているところだ。
「私は見た事がないが、姉から聞いたことがある。月の欠片−物事の流れを変えるだけの代物だが、よく手に入ったな」
「時が良かったのですよ」
 夜の貴公子は、口許に秀麗な笑みを乗せた。
「今でなかったら、おそらくは私でも入手は無理だったでしょう。もっとも、対象は予想外でしたが」
 一瞬向けた視線の先にはカルテがある。
 院長が自ら診察した結果だ。
 何やら書き込んでいたシビウが、手を止めて顔を上げた。
「よほどの霊力、或いは魔力が無ければ当分昏睡状態が続く代物−ただし、余計な付添人がいなければ、の話ね」
「余計な付き添い人?」
「見なさい」
 手首のブレスレットが一閃し、モニターにある光景を映し出す。
 そこには…すみれの首を絞めているシンジの姿が映っていた。
「い、碇様?」
 室内を沈黙が支配した後、麗香のやや間の抜けたような声がした。
 
 
 
 
 
「そうか…碇シンジ、これが貴様の答えなのだな」
 ぎりり、と室内に歯を噛みならす音がした。
 ここ神崎邸に、つい先ほど荷物が届いたのだ。
 中身は人間であった。
 それも包装もしておらず、つまり箱に入れた人物が自分で運んできた、と言うことになるのだが、中身は執事の宮田であり、左右の肋骨を砕かれるおまけ付きであった。
 ただし何故かそれ以外に外傷はなく、直ぐさま病院に運んだものの、下手人は碇シンジに間違いないと確信していた忠義が激昂したのだ。
 何よりも、孫娘の姿が消えた事も大きかった。
 すみれは見失うわ、執事は重傷を負って帰って来るわで、既に老人の血圧は危険域まで達しかけている。
 それを何とか抑えたのは、ある種の感情であった。
 すみれの運転手もしていた宮田は、そのまますみれの護衛も兼ねており、武道の腕もまた半端ではない。
 その宮田の服は破れておらず−つまり、抵抗した痕が全く見られないのだ。
 と言うことは不意打ちか…或いは。
 前者なら単なる卑怯者で片が付くが、もしも後者であったなら…。
 一代で企業を興し、ここまで立ち上げた忠義は、これもまた凡人ではない。
 少なくとも、ここで激情に身を任せぬだけの分別は持ち合わせていた。
 無論すっきりなどしておらず、
「すみれの捜索、急げ」
 溢れ出す激情を、寸前で押し殺した声で命じた。
 
 
 
 
 
「そ、それどういう事よっ!!」
 やむなく、シンジとすみれのデートを白状させられたマユミだが、どすんと地に落ちていた。
 正確には、ショックでアイリスの力が抜けたのだ。
「おにいちゃんが…うそ…嘘だよね…」
 アイリスが放心状態で呟いた途端、ぐいとマユミは胸ぐらを掴まれた。
「マユミ…どういう事よ」
 目が殺気立っているアスカに、マユミは背筋がすっと寒くなるのを感じた。
 だが、その場を抑えたのはレイであった。
「よしなよアスカも」
 すっとアスカの腕を抑えると、
「もう少し冷静になりなって。ほらアイリスもぼーっとしてないで」
「だ、だってレイ…」
「だって、じゃないわよ。何でシンちゃ…じゃなかった碇君がすみれちゃん誘ったと思ってるのよ」
「…え?」
 アイリス、アスカ、それにさくらがぽかんと口を開けたのを見て、レイがくすくすと笑う。
 しかしすぐ真顔に戻ると、
「この中で一番まともなのはアイリス、次がマユちゃんでしょ」
 訳の分からない事を言いだした。
「は?何言ってるのよレイ」
「だから〜、マユちゃんが最初に胸触られたんでしょ」
「え、ええ、でもあれは勘違いで…」
「マユちゃんの胸が揉みがいあるから、なんて誰も言ってないよ」
 かーっと赤くなるマユミを無視して、
「で、その時に斬りかかったのがさくら。追っかけたのがボクとかアスカ。何もしてないのがアイリス、そうでしょ?」
「だ、だから何よ」
「分からないかな〜」
 やれやれと肩をすくめると、
「さくらは違うけど、アスカが碇君認めたのは一番最後だし、すみれちゃんはブービーじゃない。それで、どうして碇君がそのすみれちゃんを誘うわけ?」
「『あ…』」
 ここまで言われて、やっと妙だと気付いたらしい二人が顔を見合わせる。
 そこへアイリスが、
「で、でもだから仲良くしようとか…お、思ったかもしれないよ」
「それはないね」
 レイは即座に首を振った。
「普通に考えれば、誘うのはアイリスだから」
 にっこり笑って見せると、アイリスの顔がぱっと輝いた。
「ほ、ほんとうに?」
「きっとそうだよ」
「待ってよレイ」
 五馬身くらい離されたアスカが口を挟んだ。
「じゃ、何でシンジはすみれを誘ったのよ」
「それは−」
 ちらりとマユミを見て、
「マユちゃんに聞いた方が早いんじゃないの」
「マユミ、どう言うこと?」
「わ、私は何も聞いていないわ…」
 否定したものの、デートの一件自体も最初は知らないと言ったから、すっかり信用度が下がっている。
「マユミ、本当のことを言って。碇さんはどうしてすみれさんを?」
 さくらの真剣な顔に、
「わ、私は本当に聞いていないわ。だいたい、私が訊いたって教える碇さんじゃないでしょう」
 詰め寄られたが取りあえずかわした。
 もっとも、それ位は考えればすぐ分かるし、別に嘘を言っている訳ではない。
 マユミ自身、漠然とした不安感はあったものの、シンジがすみれにどうこうすると決まっては居ないし、嬉々として応じたすみれを知っているだけに、ここでそれを口にする事は出来なかった。
「じゃ何でシンジはすみれを…っていうか、今あの二人何処で何してるのよ」
 アスカがぼやいた時、急ブレーキの音がした。
「え?」
 全員が玄関に出ると、血相を変えたミサトが走ってきた。
「ミ、ミサト?」
「あんた達全員無事っ!?」
「え、ええ、問題ありませんが…」
「すみれは何処行ったのっ」
「それがさあ、シンジと一緒にどこかに出かけたらしいのよ。ミサト聞いてない?」
 明らかに緊急時、と言った表情のミサトは、アスカの言葉など聞いた様子もなく、
「シンジと一緒?ならいいわ、瞳、御前様の所まで飛ばしてっ」
 それだけ告げると、ドアを開けるのももどかしく車に乗り込む。
 ジャガーがけたたましい音を立てて走り去っていくのを、彼女達は呆然と眺めた。
「あれって瞳さん…でも何でここにいるの?」
 さっぱり掴めない事態に、もはや状況の把握は不可能になっている。
 唖然としていた娘達は、一人がすっと抜け出した事に気が付いていなかった。
 
 
「『ふんだ!』」
 いい年して、お互いにぷいっとそっぽを向き合っていた瞳とミサトだが、劇場の状況がそれを一転させた。
 失神する寸前、かすみが緊急連絡のボタンを辛うじて押していたのだ。
 暴行の痕はなく、大人しく失神しているだけとは言え、二人を緊急体勢に入らせるには十分であった。
 見交わした視線は秒の仲直り−車を飛ばして女神館へ駆けつけたのだ。
「ん…ちょっと待ってっ」
 ミサトの言葉に、瞳が急ブレーキを踏んだ。
 華麗なハンドルさばきで車体が横を向いた時、
「あの子はいないって言ってたわよね」
「ええ」
「だとしたら…もしかしてそっちの関係者?」
「そっちの関係者って…シンジ様の?」
 碇家関係者、それもフユノの前でシンジ君、などと言ってのけるのは愛位のものであり、上の二人はさすがにそこは分かっているらしい。
 ただし、言われた本人にはどうでもいいことなのだが。
 シンジの関係者、と来れば心当たりは幾つもある。
 何よりも、選ばれた娘達をいとも簡単に眠らせる実力の持ち主が。
 いくつかの名前が二人の脳裏に浮かんだが、
「病院へやって」
「そうね」
 期せずして、その本拠地には同じ場所が浮かんだらしかった。
 
 
 
 
 
「…な、何をなさってますの」
 妙に息苦しくすみれが目を開けた時、そこには自分の首を絞めてる物騒な野郎の姿があった。
「あ、起きた起きた」
「起きた起きた…じゃありません!わたくしを殺すおつもりですのっ」
「いやそうじゃないんだけど」
 首を振って、
「ちょっと効果が物騒だったんだけど、人工呼吸するものでもないし。でも、取りあえず起きて良かった」
 シンジの言葉に、急激に記憶が戻ってきた。
 すなわち−惨敗。
 急に俯いたすみれに、
「どうしたの?」
「わたくし…大きな事を言って置いて、少しも役に立ちませんでした…口先だけと、お笑いになったでしょうね…」
「誰が?」
「え…い、碇さんが…」
「誰を」
「だ、誰ってわたくしを…いたっ」
 てい、と頬を弾いてから、
「元からそんなもんだと思ってたし、別にずば抜けてるなんて思ってなかったよ。だから別に、笑う事もな…ひたたた」
「碇さん、では最初からわたくしには無理だと思っていらしたの?」
 落ち込んだり怒ったりと忙しいすみれに、シンジは顔を引っ張られている。
 自分で言うのはいいが、人に言われるのは気に入らないようだ。
 体重みたいなものだろう。
「無理じゃなかったの?」
 逆に訊かれて、すみれの手が力無く離れる。
 住人達の初戦を知らない代わりに、自分の力量にはすみれも自信があった筈だ。
 しかしそれを、あっさりとうち砕かれたのはショックだったに違いない。
 また俯き気味に下を見たが、その視線がふとある物を捉えた。
「あれは?」
「さっき買ったやつ。持って帰るの面倒だから、こっちに運んだの」
 そこには、すみれが買わせた品物が山と積まれている。
「……」
 何を思ったか、それを見ているうちにすみれの表情が変わった。
 そう、何やら企んでいる表情へと変化したのだ。
 そして。
「ねえ、碇さん」
「はい?」
「次は…次こそは…いえ…」
 次、と言いかけて、
「いえ、いずれはわたくしもきっと、碇さんが見物するだけになって見せますわ」
「あ、それは楽しみで」
 本音はよく分からない。
 ぴっとすみれの眉があがりかけたが意志で抑え、
「ちょっとお願いがありますの。お耳をよろしいかしら」
「耳?えーとこれ?」
「ええ」
 全病室は完全な管理下にあり、聞かれたくない事でもあるのだろうと、シンジがすっと身を寄せたその途端。
 がしっ。
「え?…なっ!?」
 ちゅ。
 頬で小さな音がした。
「きょ、今日は碇さんのせいでひどい目に遭いましたわ。でも、これで収支はちょうど合いまして…よ!?」
 ヒトの形をした悪魔がそこにいた、後にすみれはそう告げた。
「何すんだおのれはー!!」
 両頬がぎにゅーと引っ張られ、
「ちょ、ちょっと私はけが人で…あうっ」
 最後の声は、伸ばした腕がどこかに触れた物らしい。
「うるさい、問答無用!」
 取りあえず、収支は黒字になったらしいすみれだが、その頬は現在限界近くまで引っ張られており、ここまで引っ張られたのは初めてである。
 それにしても、現在シンジはのしかかるような格好になっており、対象が寝ているせだいとは言え、ほとんど押し倒しているようにしか見えない。
「ほっぺたが落ちるってのを、すみれで実験してや…どしたの?」
 ふとシンジが気付いた。
 急に硬直したすみれの表情に。
 そして、その双眸に誰かが映っている事にも。
「や、山岸!?」
「病室のベッドでくっついているとは思いませんでした。お二人とも楽しそうですね」
 にこりと笑った表情は珍しいが、二人にはそれが尻尾を生やした生き物に見えた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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