妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第四十二話:決闘への道標
 
 
 
 
 
「どうしてって、見た通りだけど」
「だ、だって碇さん私には…む、無理って…」
「言った」
「じゃ、じゃあどうして…」
「さくら、止めなよ」
 横から口を挟んだのはアスカであった。
「あんたに持たせると、危険だって言われたんでしょ。それに、マユミ見れば分かるじゃないの」
「え?」
「あたしも着けたから分かるけど、あんな平静じゃ居られなかったわよ」
 アスカの言葉にマユミを見ると、確かにシンジのブレスレットにしては様子がおかしい。
 と言うよりも、変わった様子が無いのだ。
 むしろ、それを着けて元に戻った感すらある。
「ど、どういうこと?」
 さくらが首を傾げたが、
「さくら、いい加減にしろ」
 シンジの冷ややかな声に、その肩がびくっと揺れた。
「い、碇さん?」
「子供の駄々に付き合っている暇はない。わざわざ、さくらに嫌がらせするために山岸に渡した訳じゃない」
「は、はい…」
 俯いたさくらには目をくれず、
「さて、とりあえず訓練で呼び出した訳だけど、その前に言っておく事がある」
 珍しく真顔で言い出すと、
「全員、そこ座って」
 言われるまま全員が思い思いに座ると、
「エヴァが造られたのは無論、対降魔用の切り札だ。通常兵器が通じないそれに、すなわち霊力を持って対抗しようとする為に。ただし、先だっての君らの初陣である事が分かった。まず一つは、アイリスが使い物にならない事」
「っ!?」
 その瞬間、アイリスの顔色が変わった。
 みるみる血の気が引いていき、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
 さすがに他の住人達も、表情が変わりかけたが、何も言えない。
 とりあえず、嫌がらせで言ったのではない…と思うより他になかったのだ。
 それを知ってか知らずか、
「元々アイリスは特殊だから、汎用のそれには向いていない。従って…アイリス聞いてる?」
「う、うん…き、きいてるよ…」
 早くも目に涙が浮かんでいるが、ぎりぎりで自分をおさえているらしい。
「と、言うわけで改造する」
「改造?外見ですの?」
 訊ねたすみれに、
「違う。もっと根本から変える。つまり、汎用性を無くすって事」
「『?』」
 各人の顔に?マークが浮かぶ中、
「アイリスが使えない、となると道は二つになる。すなわち、一つはエヴァから降ろす事。そしてもう一つは使えるように、機体の方を変える事」
「じゃ、じゃあアイリスの為に?」
「無論各機とも、個人のそれに合わせる事で特性を引き出すことに目的はある。ま、アイリスの件も入ってはいるけどね」
「おにいちゃん…」
 アイリスの表情が、泣き顔から笑顔のそれに変わったのを見て、一同はほっと安堵した。
 以前、この娘の暴走には全員が被害を被ったのだ。
「それとさくらだが」
「は、はい」
 まださっきの事が残っているのか、声にはどこか張りがない。
「エヴァから降りてみる?」
 今度はさくらの顔色が変わる。
 どうも今日のシンジは、各人の度肝を抜く発言を選んでいるらしい。
「わ、私じゃ…や、役不足ですか…」
「じゃなくて機体がだ」
「え?」
「山岸プラスさくら、これに霊刀を二本付けると、生身で降魔に対抗できる数少ない人材になる。さくらならそれだけの剣伎はあると見たんだけど、アスカどう?」
 いきなり振られてアスカが慌てる。
「あ、あ、あたし?」
「他にいないだろ。前回の時、山岸の剣はどうだったの?」
「キレてたわよ」
 即答が返ってきた。
「今マユミが着けてるあれ、あの時はすごい影響あったんだから。殆ど手足の付いた日本刀って感じだったし。ね、レイ?」
「何かトランス状態って感じだったし、あの状態のマユちゃんだけは敵にしちゃ駄目って感じだったね」
「そんなに効果が出るとは思わなかったな。でも、それならなおの事二人で組んだ方が効率いいかもしれないね」
「あの、碇さん」
 黙って見ていたマユミが、やっと口を開いた。
「何?」
「効率だけでは、全ては推し量れないでしょう?さくらの事は?」
 一瞬シンジの表情が動いたが、
「それもそうか。で、さくらはどう?」
「…私は…碇さんにお任せします。どっちが役に立つのかは、きっと碇さんの判断の方が…」
「ちょっとさくら、あんた自分の意志は…」
 言葉が途中で途切れたのは、
「碇さん、私は後衛でしょう?」
 マユミの言葉を聞いたからだ。
「マユミ、後衛って何?」
「碇さんが言われた役割分担の事よ」
「ふーん?」
「どしたの?」
「随分と、マユミには色々話してるのねえ〜、仲良いじゃない」
 が、
「そんな事はない」
 あっさりと否定して、
「山岸がそう言うなら、そうしよう。さくらは取りあえず現状維持ね。さて話を戻す。今回の降魔に付いてだけど」
 シンジは一旦言葉を切ってから、
「敵の親玉の事、俺はよく知ってる」
 短く告げた。
 え?今何て!?
 全員の表情が、一瞬固まった…マユミを除いて。
「ど、どういう事ですの…?」
 やっと言葉を発したのはすみれだが、それも十秒近くかかってからであった。
「知っている、と言った。すなわち、敵のボスの正体を」
「ど、どうして?何でシンジが知ってるのっ?」
「前に一発かましてるから」 
 ちょっと待って。
 じゃあ、私たちが全然知らない敵の正体を知っていて、しかも前に勝った事があるって言うの?
 座がざわめき出すのを、シンジは黙って見ていた。
 一分ほど経って、幾分収まってから、
「降魔を使って、連中が何かを企んだのはこれが初めてじゃない。以前にも、予備演習もどきを企てた事があるが、その時に一度壊滅させ…いや、やっつけたことがある」
「あの連中を?」
「そう、あの連中を」
 頷いて、
「ただし、俺は一人であいつらを片づけるから、なんて事は全く思っていない。俺は基本的に、指揮に徹する方針だ。ただその前に一つ、全員に聞いておきたい事がある」
「何?」
「簡単な事。例えばさくら」
「はい」
「アスカを操って、逆立ちさせる事は出来る?」
「は?で、出来ませんよそんな事っ」
「じゃ、アスカは?」
「出来るわけ無いじゃない」
「その通りだ。ただし敵のボスなら出来るだろう、おそらくは。そこで、もし俺が操られたらどうする?つまり、俺が操られて悪の手先に回ったら。そして、どう考えても俺を斬らざるを得ないとしたら?」
「『な!?』」
 これにはさすがに、全員の表情が変わった。
 ここにいる者はどれも、シンジの実力は知っている。
 少なくとも、一対一で敵う者は一人もいない。
 それが、そのシンジが敵に回ったら?
 心情的にと言うより、絶望的な状況と言った方が間違いないだろう。
 それを見て取ったシンジが、
「いや、俺じゃなくてもいいんだけど。例えばアスカ、綾波がそうなったとしたら、その時はどうする?」
「ど、どうってそれは…」
 さすがに軽々しく、あたしが送ってあげるわよとも言えず、アスカも言いよどむ。
 更にすみれを見て、
「もし、山岸がそうなったとしたら、すみれはどうする?」
「そ、それは…その時は…」
「い、碇さんでもどうしてそんな事を…」
 わざわざ言わなくても、と言う口調のさくらだったが、
「連中の狙いは単純だ、つまりこの帝都を、いやこの新宿を手に入れる事で、ほぼ無尽蔵とも言えるエネルギーの源を手に入れ、そこから日本を征服下に置くことだ。あるいは、世界征服かもしれないが。少なくとも、降魔が形態を変えた異星人であり、地球人が狭量な為に生きる戦いをしている、のとは訳が違う。それ自体はろくなものじゃないが、問題は持っている力にある。その中に、人の心を操る物があれば、今言った事は決して空想では無くなってくるんだ」
「『……』」
「一応これは、対降魔戦と言う事にもなっているが、実際はもっと多くの物が絡んでいる。例えば十年前の降魔戦争−そう、さくらの父上が命と引き替えに降魔を封じたあの時の事だ」
 びくっとさくらの肩が震えた所を見ると、本人は知っていたらしい。
 そして、シンジもまたその事を。
「あの時、いわば人柱にも似た物を生み出したのは、はっきり言えば周りが無力だからだが、加えて援護が無かった事もある。この新宿は日本で、いや世界でもトップレベルの霊能力を持った者が集まる街だが、それは降魔大戦時に発生した魔気のような物のためだ。裏を返せば、大戦当時はまだまだ霊能力は一般的では無かったと言う事だ。その中での、対降魔防衛戦へは、決していい援護があったとは言えない。要するに、敵は降魔だけでは無かったと言うことだな。ただそれは、また今回の事にも当てはまる。罪もない一般人とは言え、降魔に操られたとしたらそれは、滅ぼすべき敵と成り下がる。対降魔、のそれを背負う以上、そんな事も十分にあり得る、と俺は言ってるのさ。別に脅したい訳でもなんでもないよ」
 淡々としているだけに、言葉の内容が逆に重くのしかかってくる。
 特にさくらに取っては、母や祖母が決して口にはしなかったものの、援護の面でも決して楽な戦いでなかった事を感じ取っていただけに、じっと俯いて唇を噛んでいた。
「……」
 重苦しい空気が流れる中、意外というか当然なのか、最初にそれを破ったのはレイであった。
「あのさ、ちょっといい?」
「何か」
「ボク達の経歴の事は、もう手に入ってるんでしょ。どこまで読んだの?」
「さくらとすみれしかまだ見てませんが」
「じゃ、いいや。どうせ分かる事だし、みんなはもう知ってる事だから言うけど、ボクは元々親の顔なんか知らない。生まれてすぐに、研究所に売り渡されたからね。この髪と眼は、黒髪と黒い目の両親にとっては、気持ちの悪いものでしか無かったんだ。しかも、両親にはなかった霊力が、ボクには突発で備わっちゃったし。実験材料で、従順なモルモットでいる事でしか、自分の居場所が無かったボクに、それを与えてくれたのは御前様だった」
「ちょ、ちょっとレイ何を…」
 アスカが遮るも、
「アスカは黙ってて」
 いつになく、強い口調ではねつけると、
「だからボクは、この事に命を懸けている。たとえそれが赤ちゃんであっても、降魔のそれになってしまったのなら、手を汚す覚悟は出来てるよ」
 言い切った、普段は脳天気な娘の顔を、シンジは黙って眺めた。
 と、
「ボ、ボクの顔に何か付いてるの…」
 赤くなったあたりは、やっぱり変わらない。
「いや、食っちゃ寝の妖怪じゃなかったんだと思って」
「あー、ひっどーい」
 ぷーっと頬を膨らませたが、これで場が和んだのは事実である。
 つられるようにすみれが、
「まあ、わたくしは火を出すような、野蛮で危険な霊力はありませんけれど、それでもあの異形の物体を倒すだけで済むとは、思っていませっ」
 最後まで言えなかったのは、いきなり炎が襲ったからだ。
 なお、シンジのそれではない。
 第一、すみれの嫌味な口調は、最初からアスカを捉えていたのだ。
「誰が野蛮で危険な山猿よ。良い機会だわ、この際決着つけてあげるわよ」
 誰もそこまでは言ってないのだが、
「望むところですわ。徹底的に教えて差し上げます」
「あ、こら…」
 話が妙な方向へ行ってしまい、さすがにシンジが止めようとしたが、
「シンジ、あたしはね、一般人だからって立ちふさがるなら容赦しない。特に、こんな高慢ちきな奴が降魔に取り憑かれたらどうするか、見せてあげるわ」
「ふん、神崎風塵流の悪を塵と帰す奥義、身体で思い知りなさい」
「方向が違う…」
 シンジの眉が寄ったが、
「おにいちゃん、いいじゃないの」
「あ?」
 いつの間にか寄ってきたアイリスが、ぴったりとくっつている。
「すぱありんぐ、って言うんでしょ?ああいうの」
「いやあれは単なる喧嘩だからさっさと止め…」
「無理ですよ、碇さん」
 はい、と差し出されたのはシンジのブレスレットであった。
「もういいのか?」
「はい、お陰様ですっかり楽になりました。それよりあの二人、この際やらせて置いた方がいいと思いますが」
「今まではどうしてた?」
「今までは、いつもミサトさんが止めておられましたが」
 と、シンジの左側にさくらがやってきた。
 両側の状況、と言うよりも住人達の観戦モードに、シンジももはやこれまでと諦め、はーあと溜息を付いた。
「大丈夫だよ、シンちゃん」
「む?」
「霊力ってそんなに一般的じゃないし、東京学園以外ではまだまだ異端視する人も多いんだから。みんな、それぐらいの覚悟は出来てるよ」
「ま、そんなもんかな」
 ふむ、と頷いたが、
「あ、思い出した」
「何?」
「俺の事、ちゃん付けで呼ぶのは止せって、もう何度も言ってるでしょ」
 ぐりぐり。
「ひたたた…あーん、シンちゃんがいじめるー!」
「……」
「わ、分かったよもう。そこまで嫌ならもう言わない。でも交換条件だよ」
「…は?」
「ボクもシンちゃんって呼ばない、碇君って呼ぶから、ボクのこともレイって呼んでよね」
「どうしてそうなる」
「だって、みんな名前で呼ばれてるのに、ボクだけ名字なんだもん」
「山岸もだよ」
「とっ、とにかくっ、シンちゃ…じゃなかった碇君の言うとおりにするから、ボクの言うことも聞いてよ」
 すみれはともかく、アスカの件にしてもレイにしても、まんまとペースに持って行かれている気がする。
 とは言え、ちゃんづけよりはましな状況だと、
「分かった。その代わり、今度ちゃんで呼んだらミディアムにするからな」
「はーい」
 と、レイがきゅっとシンジの首に抱き付き、反射的に、
「くっつかないでっ」
 アイリスが引き離しにかかる。
「こらっ、人の身体で遊ぶな」
 二人を放り出して立ち上がり、
「アスカ、すみれ」
 殺気立って睨み合っている二人を呼んだ。
「…何」「何ですの」
「もーいいです。止めないから、決着でも何でもつけるといい。ただし、そこではするな」
「『え?』」
 声が重なり、一瞬顔を見合わせたが、すぐにぷいっとそっぽを向いた。
「二十メートル四方、上は無制限の空間張っておくから、二人とも服着替えてラッシャイ」
 最後の語尾は、プログラムを勝手に改変されたせいかもしれない。
 シンジの言葉に、言われるまま歩き出した二人だが、すぐにだっと走り出した。
 どうやら、どっちが先に玄関に入るかで競っているらしい。
 ほぼ同時に着いた。
「ちょっとお退きなさいっ」
「そっちこそどきなさいよっ」
 ふーう、と溜息一つ、
「さくら」
 妙に低い声で呼んだ。
「はい?」
「桜花放神。あの二人吹っ飛ばして」
「はいっ」
 と何故か、妙に生き生きと刀を構えたものだから、即座に一瞬だけの休戦条約を結ぶと、慌てて中へ走っていった。
「あーあ、残念」
 物騒な事を呟いたのは、シンジの影響でも受けたのだろうか。
「山岸手伝って」
 マユミを呼ぶと、
「この分なら、結界解いたのは失敗だったぞ」
「大丈夫です」
「何が?」
「あの二人、実力はほぼ互角ですから。大差で負けると遺恨が残りますが、まずそうはならないでしょう」
「?」
 何故か断言したマユミにシンジは首を傾げたが、
「さ、リングをさっさと作ってしまいましょう」
 と、これまた妙に乗り気なマユミに、
 (何なんだここの住人は)
 認識を変えた方がいいかもしれないと、シンジは妙な強迫概念に囚われていた。 
 で、十分後。
 二人が着替えて出てきたが、揃って胴着であった。
「何あれ?」
「学園では、格闘技も一応教えますから。破れてもいいような格好なのは、二人ともお互いの実力は知っているのでしょう」
 冷静に分析するマユミに、
「だったら仲良くしてもいいだろうに」
 思ったが口にはしない。
 そこへ、ピリピリと殺気を漂わせた二人がやって来た。
 並んで歩いているのは、横目で睨み合っているせいだ。
「準備は出来たようだな。じゃ、この中に入って」
 シンジが作ったのは、先だってアスカ達を相手にした時、ミサトが張ったのと同義だが、強さはそれと比較にならない。
 文字通り完璧と言えるだけに、鉄壁の檻に雌豹を二頭入れて、闘わせるのにも似ているかもしれない。
 入った二人が左右に分かれてから、シンジが指を鳴らすと、透明だがはっきりとした力場のような物が出来上がった。
「怪我するとあれなので、一応…」
 言いかけた所へ、
「時間無制限、完全ギプアップか、KO制とします。それでよろしいですね」
「は…はあ」
 先手を取られ、つい頷いてしまったが、
「上等よ」「望むところですわ」
 マユミの方が、余程同居人達の事は分かっているらしい。
「じゃ…始め」
 すっと手を挙げたシンジだが、半ば自棄になっているように見える。
 シンジのそれを合図に、二人の間で激しく火花が散った。 
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT