妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第四十三話:女の闘い−踊る駒
 
 
 
 
 
「……」
「碇さん、ご機嫌斜めですか?」
 無言のシンジを、マユミがひょいと覗き込んだ。
 この娘にしては珍しいのだが、シンジの反応を楽しんでいるような節すらある。
「何で楽しいのさ」
 どこか憮然としているシンジは、過激に火花を散らす二人を、違う世界の景色でも見るように眺めていた。
 確かに見てはいる、だがその視線はより遠くを見ているのだ。
 
 
 手を上げたシンジがさっさと下がった後、対峙する二人の娘の間に強烈な火花のたまり場が出来る。
 先に口を開いたのはアスカであった。
「神崎、あんたを地面に這い蹲らせてやるからね。もっともその前に、二度と生意気な口利かないように、たっぷりと調教してやるわ」
「生憎、わたくしの家には使用人が余ってますの。それにわたくし、使うことしか慣れていなくてよ。あなたこそ、台所の隅っこの方でこき使って差し上げますわ」
 に、とアスカが笑い、すみれの口許にもそれが浮かんだが、それがすっと消えた。
 真顔で、と言うより殺気を抑え込んで対峙する二人の間を、怜悧な何かが繋ぐ。
 殺気とは、どこか異なるそれが。
 気がぶつかり合う、と言うよりも、二人の共同作業に見える――動く刹那のそれを、ぶつかる気の呼吸で図っているかのように。
 
 
「ん?」
 眺めていたシンジの顔に、色が戻ってきた。
 目の前の光景を、やっと認識する気になったらしい。
 何故かまともな顔で二人を見ていたが、その口許が僅かに動く。
「なんですか?」
「来る」
「え?」
「二…一…動いた」
 シンジの呟きが聞こえでもしたかのように、すみれが地を蹴った。
 薙刀を上段に構えて、真っ向から振り下ろす。
「破っ!」
 やる、とシンジが呟いたのは、その威力を知ったからだ。
 敷地内の結界は外されており、二人が対峙する周辺を囲む結界のそれは、周囲に累が及ぶのを避けはしても、二人には影響が無い。
 つまり、今二人の力は額面通りのそれなのだ。
 だとすれば、シンジの反応も頷けるかも知れない。
 そう、振り下ろすのと同時に霊力が白い光を帯び、引き裂かれた空気が震えたのを見れば。
「ふんっ」
 とっ、とアスカが後ろに跳んで避けたが、地に触れていないにも関わらず、一メートル程の長さで地に亀裂が出来た。
 無論、地が裂けると言うほどではないが、それにしたって大したものである。
 だが、すみれがシンジを驚かせるのは、それだけには留まらなかった。
 地に着く寸前でそれを止めると、ぐいと持ち上げてそのまま横に薙いだのだ。
 これもアスカは避けたが、シンジの表情が動いたのはその反応速度ではない。
「さくら」
「はい?」
「あの薙刀、携帯用じゃないな」
 構成は不明だが、携帯可能な小型の薙刀もどきも持っているとあったが、今すみれが軽々と振り回しているそれは、明らかに柄の部分に重量感を伴った物であった。
「すみれさん、本気ですから」
 言葉の割に緊張感がないのは、シンジが妖狼をクッションにしていないのをいいことに、ちゃっかりその右肩に寄りかかっているからだ。
 なお、左側はアイリスが、これも占領している。
 シンジがなぜか、ふっと笑った次の瞬間、すみれの動きが変わった。身体が暖まったと言わんばかりに、薙刀を構えると一気に畳みかけたのだ。
 動作自体は多くないが、それにしても動きに無駄がない。
 アスカも避けてはいるが、楽な避け方でないのは一目で分かる。
「ふん、逃げてばかりでは勝てなくてよ。それとも、もう首を差し出す気になったのかしら」
「誰がっ」
 斬り込んできたそれを、半身を捻ってかわすと同時に掌を向ける。
「業火連弾っ」
「!」
 体勢を崩しながらのそれも、的確にすみれを狙っており、咄嗟に薙刀を杖代わりにして横へ跳ぶ。
「ここで火葬にしてやるわっ」
 一気にアスカが攻めに転じ、間断ない炎球の来襲に、今度はすみれが回避に追われる事になった。
 
 
「…妙、ね。レイちゃん、そう思わない?」
「んー何?」
 寝転がっているレイに声を掛けたが、
「別に妙でもないと思うよ。どこが変なの?」
「どこがって言う訳じゃないけど、ねえさくらは…!?」
 マユミの眉が一瞬にして上がったのは、シンジの左右ですやすやと寝息を立てている二人を見たせいだ。
「ちょ、ちょっと何をっ」
「お昼寝を。良い夢見てるらしい」
 シンジが言う通り二人とも寝顔は妙に緩んでいるのだが、その原因はすぐに知れた。
 二人の手が、シンジの袖をきゅっと掴んでいるのだ。
 これなら、極楽浄土の夢でも見られるかも知れない。
「で、変がどうしたって?」
「だ、だから二人とも全力を出してないような…」
「そんな事はないよ」
「そう…ですか」
 腑に落ちない様子だったが、それ以上聞く相手もおらず、マユミは諦めた。
 だがシンジには分かっていた。
 そう、マユミの言葉が正しい事を。
 ただし、マユミもまた分かってはいない事を。
 二十分近くが経過し、何カ所か既に胴着が裂けているアスカと、所々が焦げているすみれ。
 無論遊んでいる訳ではないが、全力を出しきれていない。
 理由は簡単で、シンジが張った結界のせいだ。
 先だってミサトは吸収型にしたが、シンジのそれは反射型になっている。
 つまり、結界の壁に当たったそれは、そのまま跳ね返って来るのである。
 すみれの背中に焦げがあるのと、アスカのお尻の部分が少し裂けているのはそのせいだ。
 ただし。
(分かったのなら、それが解けるのも間近。さて、どっちが先に手にするか)
 鏡面加工にも似た造りのそれは、自分の設定した通りに跳ね返す事が出来る。単にぶつければそのまま返ってくるが、上手く使えば強力な武器にも成り得るのだ。
 すみれの斬撃をアスカがかわし、アスカの炎球をすみれが避ける。
 すみれのは距離を詰めてしまえば、一気に畳みかけられるが、アスカが煙幕もどきのように炎球を繰り出して来るから、どうしても詰められない。
 一方のアスカも薙刀相手では勝負にならず、懐に飛び込みたい所だが、その前に薙刀が襲ってくるから近づけない。
 千日手にも似たような展開は、もう一つの理由がある。
 霊力だ。
 霊刀−さくらやマユミのそれと同様に、すみれの薙刀もまた実力を発揮するには霊力が要る。
 無論、アスカの炎球も同様である。
 だがシンジと違って、この二人は底なしではない。
 使い果たせば終わりであり、その時が自動的に敗北を意味する。
 休息を取れば回復するが、それとて次の攻撃を放てるだけの量が数秒で回復する訳もなく、何よりも相手がそんなに甘くないことを、二人とも分かり切っている。
 ただ、外で見ているマユミにはそこまで分からず、恐らくは武道から来る勘なのか、どこか妙だと首を傾げている。
 反射で、自分の攻撃にダメージを受けたのは、お互い激しく動いていた時のため、マユミには分からなかったのかも知れない。
 だが、
(外から見て分析出来なければ…状況に首を突っ込むのもまた無理だな)
 シンジがマユミを見ながら内心で呟いた時、両者が同時に動いた。
「鳳凰…炎舞…」
 ぼそりと呟いたすみれの薙刀から、ゆっくりと炎のような物が立ち上っていく。
 それが刃に帯びさせるものなのか、或いは飛び道具となるのかは、シンジにも見当が付かない。
 と、
「奥義…烈火乱舞…」
 対するようにアスカが呟くと、これも両手の先に炎が集まっていく。
 アスカのは、おそらく放つタイプだろう。
 炎を手にして攻撃出来るのは、シンジのように特殊な例なのだ。
 ところがここで、再度シンジは驚かされる事になった。
 鳳凰、と言うより不死鳥にも見えたが、すみれの薙刀が鳥の形を取った炎を帯び、すみれが一気に間合いを詰める。
 殆ど同時にアスカの両手にも炎が完成したのだが、これも炎を手にしたまま走り出したのだ。
「なっ!?」
 マユミが愕然と声を上げ、シンジも理解するのに一秒ほど要した。
 そう、アスカがその手に結界を生じさせていると知ったのだ。
 でなければ、もうアスカの身体は着火していてもおかしくない。
 いや、していなければならないのだ。
「『いやああっ!!』」
 重なった声と同時に、二人の身体はぴたりと停止していた。
 すみれが振り下ろし、アスカが受け止める。
 腕が、と言うより霊力がほぼ互角なのだろう、視線は相手を射抜いたまま、微動だにしない。
「くっ…」
「ううっ…」
 シンジが見る限り、この二人は霊力の量は変わらない。
 そしてここまで、ほぼ同じ量のそれを使って攻撃し合って来ている。
 ここへ来て、奥義に掛けたすみれの方が不利に見えるが、アスカの方も手に生じさせた結界にかなりの量を使っている筈だ。
 となると…。
「な、なかなかの腕前ね…ほ、褒めて差し上げますわ」
「あ、あんたこそ、タカビーなくせに…や、やるじゃない」
 ギリギリと、鍔迫り合いのような状況で互いを認め合ったか、と思われた途端、二人が同時にぱっと解いて後ろに跳んだ。
 先にアスカが踏み込んだ。
 二撃、三撃と繰り出す攻撃に、
「…出来るねえ?」
 シンジが首を捻ったのは、別に侮った訳ではない。
 アスカのそれが、対シンジの時よりも、いや対降魔の時よりも、キレが良いのを知ったのだ。
(どして?)
 首を傾げるのも、当然かも知れない。
 と、
「もらったっ」
 薙刀の間合いで振り回せず、柄で防戦に回っていたすみれが、一瞬バランスを崩したのだ。
 それを逃さず、手刀に変えた一撃がすみれを襲う。
「ちっ」
 寸での所でどうにかかわしたが、炎のせいで数本の髪が焦げた。
 チリ、と嫌な音にすみれの顔色が変わる。
「よくも…よくもこの…」
 明らかに血が上ったと知れる表情で、一直線に薙刀をつきだす。
「ふん、そんな物が…なっ!?」
「長い方が悪い」
 シンジが洩らした通り、避けたものの長い髪は付いて行かなかったのだ。
 避ける時、一番いいのは丸刈りだが、当然の事としてそんな訳にはいかない。そうなると髪が短いほどいいのだが、生憎アスカはロングである。
 無論、シンジにはだいぶ及ばないが。
 シンジも多少髪は気にするし、女の髪に対する想いは知っている。
 はらはらと落ちた数本の髪を見ながら、アスカがこれも顔色を変えた。
「あたしの…自慢の髪…よくも…」
 ぎりり、と歯を噛み鳴らしたアスカだが、自分が先にすみれのを焦がした事は、忘れているらしい。
 何よりも、すみれがシンジの髪を数本切った時、それが因でシンジのやる気を数パーセント引き起こした事も。
「ふん」
 と、今度はすみれが嘲笑った。
「わたくしはお返しをしただけ。先にやったのはあなたでしょう」
 しかし瞬間的に切れたものか、
「うるさいっ」
 形相を変えて飛びかかったが、こんどはすみれも冷静であった。
 すっと後ろに下がり、間合いを取った位置から薙刀を一閃させると、
「つうっ!」
 アスカの左手が強烈に弾かれた。
 正確には、そこに帯びた炎が。
 一度消えたそれが、元に戻る気配の無い所を見ると、補うだけの霊力は残っていないらしい。
 痛烈な打撃が、左手から力を奪う。
 だがこれで消えるほど、アスカの気力は微量でもなければ、あっさりとしてもいなかった。
 すぐに、右腕に全神経を集中させると、伸びきった刃の横を抜けるようにして、すみれの懐へ飛び込んだ。
「決まった?」
 思わずマユミが叫んだ刹那、
「いや」
 シンジが否定した。
 いずれも、すみれが一瞬虚を突かれた表情になった瞬間の会話である。
「負けられないのよっ!」
「くっ!」
 咄嗟に引き寄せるも間に合わない。
 数分前なら間に合った筈だが、急速な霊力の消耗が体力も奪っていたのだ。
 霊力が皆無、或いは殆どない一般人とは違うのはそこである。
 それでもなんとか引き寄せたものの、迫るアスカの一撃をそれで防ぐのが精一杯であった。
 さっきとは異なり、炎を帯びた拳自体を防ごうとするすみれ。
 しかしアスカの一撃がそれを上回った。
 正確に言うなら、怒りの感情が上回ったと言うべきかも知れない。
「あっ!」
 今度はレイが叫んだのだが、その声に、
「『むにゃ…?』」
 やっとアイリスとさくらが起きた。
 と、次の瞬間刃の付け根から、下に十センチばかり行った所で、薙刀はあっさりと折れた。
 しかも、そのままくるくると回転して飛んでいったのだ。
 本能的な物かも知れないが、すみれが咄嗟にずらしていなかったら、折れたそれはそのまま主を襲ったかも知れない。
 ただそれを折ったのが最後だったのか、アスカの手からも炎はすっと消えた。
 ここへ来て、両者とも霊力は使い果たしたらしく、視線だけは睨み合ったまま、肩で息をついている。
「あの、勝負あったんですか?」
「えーと、痛み分け?」
 さっきまでなら聞こえていなかったかも知れない。
 だが今は辺りを静寂が支配しており、聞こえるのはアスカとすみれの荒い息づかいのみである。
 従って結界の中にいる二人にも、この声ははっきりと聞こえた。
「『誰がこんなのと!』」
 びしっと相手を指差したが、何を思ったかアスカが手を差し出した。
「…握手?」
 間抜けな事を言いだしたさくらに、
「そんな訳無いじゃん」
 レイが冷静な声で突っ込むのと、すみれがその手を取るのとが同時であった。
 がしっ。
「ふっぬー!」「くふー!」 
「あー、力比べだあ」
 これも呑気なアイリスの指摘通り、両手をがっしりと組み合わせて、力比べを始めた二人。
 どうやら、霊力が尽きたのでセカンドステージに、つまり肉弾戦に移行するらしい。
 膝立ち状態から、じりじりと立ち上がっていく。
 ただし、立ち上がる状態までは行かなかった。
 完全に立ち姿勢になる寸前、すっとすみれが手を解いたのだ。
 アスカが不意を突かれた瞬間、すみれの手がアスカの奥襟を取っていた。
 背負う、と見えたがシンジには不完全に映った。
 だいたい、払った足にキレが足りないのだ。
 案の定、アスカが逆に足を蹴り返し、組み付いて自分の方に引っ張った。ほぼ重なった状態で、組み合った二人がどっと地に落ちる。
 相撲なら、
「同体!」
 と物言いが付いたかも知れない。
 互いに相手を蹴るようにして離れたが、二人とも服はあちこち破れたり焦げたりしてるし、何よりも見るからにふらふらである。
 今の二人なら、銀角どころか脇侍一体でもやられるかも知れない。
 それでも漂う気は衰えず、さすがにマユミ達も口出しが出来ないでいる。
 何とも凄まじい光景に、アイリスとさくらも意識が瞬時に覚醒したらしい。
 その中で唯一見物モードのシンジが、
「さて、そろそろ止め…え?」
 やる、と思わなかった訳ではない。
 三パーセント位は思っていたような気がする。
 が、予感して実現したのはシンジ一人だったはずだ。
 パン! 
 甲高い音が二つ、それも同時に鳴ったのだ。
 一つはアスカの頬で、そしてもう一つはすみれの頬で。
 一瞬だけ打たれた頬を押さえたが、次の瞬間たちまち平手の応酬が展開した。
 無言のまま、相手からの平手を避けようともせず、自らはそれを上回る平手を繰り出していく。
 これでも歌劇団の女優だとか、既に年頃の娘だとか言う事は、もう頭から消失しているに違いない。
 それでも、拳で殴り合うまでに発展しないのは、それが意地の張り合いだからかも知れない。
 見る見る頬が赤くなっていき、お互いの頬をたっぷり染めてから、やっと動きが止まった。
 それも計ったように。
 そして次の瞬間、今のは前哨戦だと言うかのように、猛然と相手に飛びかかる。
(やはり、最後は取っ組み合いになったか)
 上になり下になり、服と髪を掴み合って転がり回る二人に、住人達はおろおろしていたが、シンジには想定内の事態であった。
 霊力が同じなら、一瞬のミスが勝敗を分ける。
 しかし、決定打を与えられないなら、後は霊力の消耗戦である。使えるだけの霊力が無ければ、いかな彼らでも普通の人間なのだ。
 武器が無ければ、最後は自分の身体しかない。
 順調に移行すれば、こうなることはシンジには見えてあった。
 それに、自分が煽ったのではないと言う意識があるし、別に自分が原因でもないと、住人達とは反応がまるっきり異なっていた。
「い、い、碇さんっ」
「何?」
「あ、あの、二人止めないと危ないようっ」
 アスカが馬乗りになったのをすみれが跳ね返し、すみれが上になるとアスカが髪を引っ張って引きずり降ろす。
 服を引っ張った弾みだろうが、破れかけた服ごと胸を掴んでしまい、二人とも幾度か顔をゆがめている。乳房の掴み合いになったら止めようかな、とおっとり考えていたシンジだが、掴み、ひっかき、引っ張り合う対象はそれ以外の部位と知り、また見物モードに落ち着いた。
 やはり自分が煽り、あるいは自分に原因があると言うのは困るが、そうでなければ気楽である。
 爪を立てながら取っ組み合う二人を、住人達と管理人はだいぶ違う視線で見ている。
 それにしても見た目は壮絶だが、どこか小学生の喧嘩にも見える。
 とは言え、二人とも女性ながら年相応に腕力はあるだろうし、確かにアイリスの言うとおり止めた方がいいかも知れない。
 ところがシンジは、
「山岸、もう堪能した?」
 どこか、冷やかすような口調でマユミに言った。
 無論、マユミの雨降って地固まる論に対する皮肉であり、
「わ、分かっています。だ、だから止めて下さい…」
「やだね」
「『え!?』」
「山岸が煽ったのに、何で俺が止めるのさ。取りあえず山岸、止めてみて。無理だったら俺が行く−かも知れないな」
「なっ、何を悠長なっ」
 殴り合ってはいないから出血もないし、女同士の派手なビンタ合戦でも、唇が切れたりはしていない。
 なかなか器用である。
 しかしそうは言っても、二人とも頬は真っ赤になっているし、このままでは流血のそれも十分にあり得る。だいたい双方の肩口は破れているし、上下になって転げ回った時相手を地面に押しつけるから、そこはもう擦りむいていると分かっているのだ。
 マユミが、さすがに顔色を幾分変えてたっと駆け出した。
 がしかし。 
 バタッ。
 鈍い音と共にばったりと倒れ込んだのは、無論結界に激突したからだ。
 色無し結界なのと、展開する光景に動転していたらしい。
「マ、マユミっ!?」
 さくらが立ち上がったのは、単にマユミが倒れたからではない。
 マユミが弾き飛ばされたのは、何もない筈の所だったのだ。
 さくらが駆け出そうとするのを、シンジがすっと押しとどめた。
「い、碇さん?」
「結界は一枚。だが大枠の中で可動式になっている。今行けば二の舞の可能性もある」
「だ、だけどマユミが…」
「もう終わる筈だ。それに、山岸のはあれくらいで丁度いい」
 女同士の決闘を仕切られて、しかも自分が審判にされたせいなのか、シンジの口調はちょっと冷たい。
 それに今、シンジは奇妙な事を言わなかったか?
「もう終わるって…あっ」
 まだ続いているのに、そう言いかけたさくらの目に、離れた二人の姿が飛び込んできた。
 しかも、その目からはさっきまでのような、危険な気は消えているではないか。
「や、やるじゃない、あんた…」 
「あ、あなたこそ…な、なかなかですわ」
 くすっ、と顔を見合わせたまま同時に笑う。
 それを見たさくらが、
「じゃ碇さん、今度こそほんとに…」
「終わる」
 シンジは短く言ったが、それが自分とはまるっきり意味が違う事を、さくらは三秒後に知る事になった。
 あちこち赤くなり、傷も出来てはいるが、それでもその顔を見合わせて笑い合ったかに見える二人は、マユミの言うとおりすっきりしたかのような感じはある。
 そう、一応は。
 だがその手がぴくりと動いたのには、シンジだけが気付いている。
 そして。
 ゴスッ
 掬い上げるような、綺麗な一撃が互いの頬を直撃する。絵に描いたようなクロスカウンターの直後、二人は揃ってばったりと倒れ込んだ。
 女同士の意地とプライドのぶつかり合いは、相打ちに終わった。
「さて終わった」
 シンジが呟いた二秒後、
「マユミっ!」
 さくらが血相を変えて走り出す。
 それを見ながらシンジが小さく指を鳴らし、
「アイリス、レイ、ちょっと」
「『なあに?』」
 ふっと結界が消滅したのを確認して、
「満足したような顔かもしれ…」
 それも、ちょっと引っ掛かったような言い方だったが、
「いや、なんでもない。それよりあの二人、協力して中へ運んで置いて」
「どうするの?」
「突発性凶暴症と言っても、女と名の付く種族だ。外傷も、あのままにはしておけないでしょ」
 シンジの言葉に一瞬首を傾げ、
「おにいちゃんって、やっぱり優しいんだよねえ」
 意味を勝手に察してアイリスがふふっと笑ったが、
「子供…さっさと行く」
「『は、は、はいっ』」
 なんか機嫌が悪そうだと、レイまでつられて勢いよく走り出して行った。
 子供、の呼称はシンジ以外なら絶対許していない。
 が、アイリスがそれを思い出すのは、気絶してもなお、ぐりぐりと手を押し込んでいる二人を引き離してからだ。
 その後ろ姿を見送って、
「こんな事なら、闘争心だけ残す薬でもシビウに作らせるべきだったか」
 妙に冷え冷えとした声で呟いてから、
「でもって女の闘い−で映像化したら儲かったかも知れないぞ」
 何処までが本気なのかは不明だが、口許に危険な物を載せてにやっと笑った。 
 
  
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT