妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第十二話:「決まってるじゃない。彼の方が綺麗だもの」
 
 
 
 
 
「あれ、トウジとケンスケ。こんな所で何してる」
「い、いやあそのちょっと」
 別にナンパに罪の意識ではないが、シンジを認めた途端に、壮絶な迄に嫌な予感が全身を襲ったのだ。
 天は二物を与えず、この言葉が嘘だと言うことを、今までのシンジとの付き合いでケンスケはいやと言うほど知っている。
「お前ってSだよな〜」
 一度、嘆息混じりにシンジに言った事がある。
「S?俺がサド…ほーう」
「な?ち、ちがっ」
 訂正しようとした時にはもう、ミディアムに焼けていたケンスケだが、
「…磁石のS極だよ、S極」
「磁石?」
「で、女がN極さ」
「はあ?」
「いや、なんでもない」
 SとNで、全部持っていくと言いたかったのだが、シンジには通じなかった。
 もっともシンジが意味を理解していれば、ウェルダンにされた可能性が高いのだが。
 そんな過去を持つケンスケに取って、やっと“同伴喫茶”まで成功したのだ、これ以上は浚われたくない。
 だがしかし。
「その二人、友達?」
 屈託無く訊いたシンジに、
「そ、そうそう、友人なんだよ。な、トウジ」
「お、おうさっき知りあ…ぐあっ!」
「ん?」
 どうやら、ケンスケが足を思い切り踏んだらしい。
 それを知ってか知らずか、
「碇シンジです、よろしく」
 長髪を妖しく揺らして一礼したが、その時にはもう織姫も紅蘭も、顔を赤くしてシンジに見とれている。
「あの〜、もしもし?」
 返事をしない二人に、どうかしたのかとその顔を覗き込んだ途端、
「はうっ!」
 背中に強烈な痛みが走った。
「ウ、ウチは李紅蘭や。よ、よろしゅう」
「ワタシは織姫、ソレッタ・織姫デース。よ、よろしく」
「は、はい…」
 仮借のない一撃に、シンジの秀麗な顔がわずかに歪む。
 それがまた何とも艶めいて見え、二人はおろか店内の視線まで集まった瞬間、
 “あなた達邪魔よ”
 “私達の連れなんですからね”
 “あなた達にはその二人がお似合いよ”
 シンジを囲んでいた三人−勿論痛みの元凶−が、灼熱の視線で二人を射抜く。
 が、これも彼女ではないと直感で見抜き、二人の視線が迎撃した。
 バチバチバチ。
(あーあ、又かよまったく…)
 目の前で急遽展開した展開に、傍迷惑な友人を呪いたくなったケンスケだが、シンジは知らぬげに、
「二人とも、試験どうだった?」
「俺?全然駄目。ま、最初から分かっていたけどな」
「トウジは?」
「ワシがそう簡単に受かる訳ないやろが」
「あ、開き直ってやがる」
「あのなあ、シンジとは違うんだよ。圧勝なんて、俺達の人生には無縁なの」
「ははは」
 と、なぜか乾いた声で笑ったシンジだが、
「圧勝?相田はん、この方どなたなんや?」
 もう駄目だ、とあきらめて、
「碇シンジ、俺の友人だよ。今年のネルフ学院入試に、一番人気で臨んだの」
「一番人気?」
「実技、筆記とも満点間違いなしって言われたのさ」
「『うそ…』」
 これを聞いて、一発かましたくなったのはシンジだが、ここは我慢する所だ。
「い、碇はんすごいやないの。ウチも来年、学院受けるんやで」
 完全に一目惚れモード…に見えたが、
「じゃ、ご同輩だな」
「へっ?」
「今年落ちたから」
「『う、嘘?』」
 これには、ケンスケ達も仰天したらしい。
 もっとも、知らされていなかったら当然と言えば言えるのだが。
「な、な、なんでっ?」
「名前書き忘れた」
 唖然としている中、最初に口火を切ったのは織姫であった。
 それも、
「天は一物を与えず。いいじゃアーリマセンカ」
「『……』」
(一物ってこの女…やっぱりいらんわ)
 店中の視線を一カ所に受けてしまい、慌てて他人の振りをしようとするがもう遅い。
「昼間っから一物と叫ぶ女とそのツレ」
 このレッテルがしっかりと貼られている。
 さすがに織姫も気付いて、
「ワ、ワタシ変なコト言いました…?」
 泣きそうになったのを、
「帰国子女の方?」
「え…は、はい、ワタシイタリア帰りデス」
「じゃ、しようがないか。あまり気にしないで」
 大丈夫だからと笑ってみせたから、目に涙を浮かべたまま織姫の顔が染まった。
「あ、ありがとう…」
 ハンカチで目を拭った時、ふと連れの三人が立ったままなのに気付いた。
「ごめん、忘れてた。その辺から椅子持ってきて座って。それから、好きな物頼んでいいよ」
「ほ、本当に?」
「許可。ただし、太ってもそこま…いでっ」
 口走ったせいで、またつねられた。
 ただし、何でもいいと言われていそいそと椅子を持ってきた三人娘。
 ウェイトレスにメニューを持って来させると、あれこれと選んでいる様子は、ごく普通の女の子の物であった。
 それを見ながら、
「ケンスケとは何時からの知り合いに?」
 ふと紅蘭に訊いた。
 ケンスケが制止しようとしたときにはもう、
「知り合いやないよ。さっき、喫茶店でおごるわ言うから、それならって一緒にきただけやし」
「ふーん」
 ちらりとケンスケを見たが、すぐに視線を戻し、
「あ、良かったら好きな物取って?」
「え?ホンマに?ホンマにいいの?」
「どうぞ、そっちの方も」
 軽く頷いて、二人がメニューからあれこれ選び出すのを見てから小声で、
「こらケンスケ」
「な、何だよ」
「彼女じゃなかったのか?」
「だ、だからこれからするんだよっ。た、頼むから邪魔するなよ」
「どうしよっかなあ〜」
 ダークモードでにっと笑うと、紙縒を作っているトウジを見た。
「で、お前はどうするの?」
「ワシか?そりゃワシかて…」
 どうも歯切れが悪い。
「どした?」
「この二人、顔はいいけどなんか変わっとるで。見てみい、普通こんな格好昼間からするか?」
「お前なあ、そんな事言ってるから何時までも彼女が…は?」
 “シンジのせいだろ!” 
 そんな強烈な視線に、はてと首を傾げたシンジ。
 心当たりは全くないらしい。
「何で俺が?」
 更に小声で訊いた時、
「お待たせしました」
「!?」
 三人娘もパフェだったが、紅蘭達の前に来たのは一際大きなパフェ。
「あ、あのそれを食べるの?」
 怒られたと思ったか、
「あ、あの何でもいい言われたんでつい…」
「値段はいいんだけど大きさが…そ、それを一人で?」
「勿論ですわ、碇はん」
 自分だったら胸焼けしそうなそれを、嬉々として見ている紅蘭。
 その体はどう見ても細いのだが、それに気付いて、
「そ、そんなに見んといてください」
 顔を赤くして、
「そ、そや碇はんも手伝ってや」
「絶対や…もごっ」
 絶対嫌だ、と言おうとしたときには、大きなチェリーが口の中に侵入してくる。
 種なしだったもので、ついごくっと飲んでしまったが、
「どないです?」
「ま、まあまあかな」
 ふふっと笑って、
「ウチもいただきますわ。おおきに」
 言いかけた所へ、
「碇サン、ワタシのもあげマース」
 今度は織姫が、口の中にウェハースを押し込んできた。
「あ、あのちょっと…」
「イヤデスカ?」
 発音はどうも妙だが、こんな事を言われると首は振りにくい。
「そんな事はないけど…」
 が、これを他の三人が黙ってみている筈もなく、
「碇さんこれっ」
「わ、私のもどうぞっ」
「た、食べて下さいっ」 
 そして十分経過。
「も、もう甘い物は一年位いらない…」
 ぐったりとダウン状態のシンジがいた。
 さすがに口元を汚すような事はしないが、シンジの前のテーブルだけはカラフルに汚れている。
 何せ五人の娘達に、片っ端から自分の分を食べさせられたのである。
 なお、回りの客は殆ど唖然として眺めている。
「シンジも付き合いいいよなあ」
 ご愁傷様、と言った感じのケンスケだが、目には歓喜の光がある。
「お前な…うぷっ」
 完全に胸焼けしているシンジに、さすがに気が咎めて、
「あ、あの碇さんごめんなさ…」
 かすみが言いかけた時、
「随分と、楽しそうじゃの」
 氷のような声に、娘達の顔から血の気が引いた。
「ご、御前様っ」
 慌てて立ち上がった彼女たちに、塵芥でも見るような視線を向けてから、
「劇場が空になっておる、どういう事かの」
 老婆の一言に、みるみる店内の温度が下がっていく。
「も、申し訳あ…」
「申し訳ある、呼んだのは俺だ。だいたい、こんな店に老婆など似合わない筈だが?」
 すっと手を、それも幾分不機嫌気味に挙げたのは無論シンジである。
「呼んだのは俺だし、引っ張って来たのも俺。個人のプライバシーをいちいち詮索しないでもらおう。そんな事よりお茶ちょうだい」
 かすみにコップを差し出した。
 だが、フユノがいるもので硬くなっているかすみは、
「あ、あの…」
 動けないのを見て、
「早くおし」
 フユノの声に危険な物が入る。
「は、は、はいっ」
 慌ててポットを取ったが、案の定と言うか予想通りと言うか…こぼした。
 次の瞬間、フユノの手が動くのよりシンジの手が、ほんの少しだけ早かった。
 いや、シンジが動かなければ、かすみは壁に叩き付けられていただろう。
 殺気など微塵も見せぬ動きに、他の者達は呆気に取られたままであった。
「大した事ないよ」
 凄まじい気を叩き付けようとした寸前、シンジは祖母の手をすっと押さえた。
「店の中で何をする気だ−それも俺の前で」
「…シンジ」
 室内が硬直する中、いち早く動いたのは紅蘭、すっとハンカチを取り出すと、
「碇はん、これ使ってな」
 別に落ち着いているのではなく、フユノの事を知らないからだ。
 知っていたら、微動だに出来なかったろう。
「ありがとう」
 にこりと笑って受け取ると、胸元に押し当てた。
 この辺り、妖しくフェロモンをばらまいており、圧倒的な能力の妖狼さえ、従魔としてなさしめた部分なのだが、本人は知っているのかどうか。
 軽く水分をふき取ってから、
「で、何しに来た」
「え?」
 その途端、フユノの顔が奇妙な程にうろたえた。
「あ?」
 どうやら、連れ戻しに来たわけではないらしい。
「椿」
「え?は、はいっ」
 椿を引っ張ると、何事か囁いた。
「ん?」
 首を傾げたが、ふとかすみに気が付いた。
 俯いて泣いているのを知り、その眉が僅かに寄る。
「おい」
 椿に何事か耳打ちしているフユノに、
「回れ右だ。いますぐに、だ」
「は?」
「そのまま出口から出てもらおう。これ以上いるなら、俺が送るぞ。何なら終の住処でも構わないが」
 一瞬フユノの表情が動いたが、孫の顔にあぶない物を認めて、さっさと退散する事にした。
「分かった、邪魔したの」
 身を翻すと、無論店外には黒服が整列している。
 が。
「ちょい待ち」
「は?」
「こっちだ」
 視線を向けた先には、無論かすみがいる。
「…分かった」
 これも仕方なしと見たか、
「かすみ、済まなかったの」
 その途端、かすみの体が椅子から跳ね上がった。
「と、と、とんでもございませんっ」
 本来なら、決してあってはならぬ現象に、むしろその顔は青ざめている。
「よいのじゃ」
「は、はい?」
「この孫にだけは、儂も逆らえぬ。分かっておるな」
 最後の部分だけ、無論シンジには聞こえぬ声量にしてある。
「こ、心得ております」
「シンジ、これで良いかの?」
「次はない。まったくお茶の時間を醜い老人が邪魔してくれて、いい迷惑だ。それと」
 その言葉に三人娘が青くなったが、フユノの表情を見て、シンジへの評価を再度知った。
「ほ?」
「俺の従妹の事、帰ったら色々と聞かせてもらうからな」
 それを聞いた時、フユノが苦虫を噛み潰したような表情になったのを、シンジは見逃さなかった。
 だがそれも一瞬の事で、
「…分かった、早う帰ってくるがいい」
 知られたくなかった、と言うのがありありだが、出ていく姿はもう御前のそれに戻っている。
 店員達が整列して見送るのを見て、
「碇はん、随分有名人と知り合いなんやなあ」
「あー、一応俺の祖母の人」
「『嘘っ!?』」
 紅蘭と織姫の頭にアンテナが立ったような気がした。
 顔…上玉。
 能力…優秀(らしい)
 実家…大富豪。
 つまり玉の輿。
 と思ったかどうかは知らないが、
「い、碇はん、今…か、彼女とかその…いてはるんですか?」
「愛人なら」
「あ、あいじーん?」
「私だが」
 ぬっと現れたのは無論フェンリルだが、いきなりシンジの影から出たもので、周囲は呆気にとられている。
 いや、その美貌に気を取られていた、と言った方が正しいかも知れない。
 (敵わない)
 これも瞬時に悟り、店内にいくつかのため息が木霊した。
「お前な、誰も呼んでないぞ。それに吸いすぎだっての」
「そんな固い事言うなってば、マスター」
 白蛇のような艶めかしい腕を、シンジの首にきゅっと巻き付けた光景に、
「あーあ…」
 絶対彼女だと思ったらしい。
「そんな事よりおい」
「ん?」
「レニの事、あの妖怪にとっちめてやる」
「白状するか?」
「じゃ、拷問だ」
「楽しそうだな」
 ふと、あっけに取られている者達に気づき、
「マスター、もう行くぞ。赤木ナオコのとこ行くんだろ?」
「ああ、そうだった思い出した」
 と、フェンリルを巻き付けたまますっと立ち上がった。
「さて、もう行こうか?」
 椿達に声をかけた。
「『は、はい』」
 揃って立ち上がると、かすみが伝票に手を伸ばしたが、
「こら」
 その寸前でシンジがさらった。
「子供は気を遣わないの」
「で、ですがさっき…」
「いいから」
 有無を言わせぬ口調に、
「『お世話になります』」
 三人が一斉に頭を下げる。
 目の前で、鳶にさらわれたような顔をしている紅蘭と織姫に、
「この二人、それなりにいい奴だからよろしく」
 変な単語をくっつけたが、
「碇はんが言われるなら、そうしますわ」
 何を考えたか、紅蘭は素直に頷いた。
「仕方アーリマセーン、ま、使い道はあるのデース」
 とこれは織姫。
「じゃ、ごゆっくり」
 先に歩き出してレジに向かう。
 三人娘を先に出し、支払いを済ませてから出口に向かったシンジを、紅蘭と織姫はずっと見つめていた。
 だが。
 店を出た時の人数が、四人になっている事に気が付いた者は誰もいなかった。
 そう、人数が一人減っていたのである。
「それにしても、随分格好いい人やったなあ」
 ふう、とため息をついた紅蘭に、
「この人達とは月と亀の差デース」
 織姫が追い打ちを掛けたから、
「あのなあ、愛人がいるっていったじゃないか。何でみんなシンジなんだよ、もう」 
 
「決まってるやないの。碇はんの方がよっぽどええ男なんやから」
「月と亀なら月に決まってマース」
 
 揃っての声に、
「まーたシンジかい!」
「シンジのやつ…またも俺達の妨げとなるか…」
 呪いの台詞が吐かれていた事を、無論シンジは知らない。
 
 
 
 
 
(つづく)

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