妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第十三話:シンジの従妹
 
 
 
 
 
 店を出た四人は、しばらく無言で歩いていた。
 と言うよりも、シンジに三人が話しかけられなかった、と言った方が正解だろう。
 何となく見当は付いていたが、確証がないから迂闊に口が開けない。
 と、ふとかすみが、
「あ、あの碇さん」
「ん?」
「あの、さっきの女の方はやっぱり変身能力の?」
 やっといないのに気が付いたらしい。
「神話には、そんな記述はなかったけどね。俺には一番頼りになる家来だよ。そんな事より藤井」
「え…あ、はいっ」
「さっきは済まなかった。馬鹿が権力持つとろくな事にならない」
 フユノの事を言っているのだとすぐに気付き、かすみは勢いよく首を振った。
「碇さん、あれは私が悪いのです。御前様のお怒りも当然ですから…」
「んなわけないじゃん」
「『え…?』」
「あの妖怪婆さんの頭に掛けたならともかく、こぼされたのは俺だぞ。それに第一、劇場を空にさせたのは俺だ」
「はあ」
「じゃ、俺の面子はどこ行った?」
 そう言う問題らしい。
「で、でも碇さん」
「あ?」
「私達は、御前様を本当に尊敬もしておりますし、お慕いしています。だから、ここの劇場で働いているんです」
 必死の面もちのかすみに、ふうとシンジはため息を一つ、
「分かった、分かった」
 かすみの頭を軽く撫でた。
「あ、あう」
「それと売店にね」
「は、はい?」
 子供みたいになでられて赤くなったかすみに、他の二人がじっと視線を向けた。
「次の三人の写真も入れておいて」
「三人、ですか?」
「藤井かすみ、榊原由里、高村椿、この三人だ」
「『い、い、碇さんっ!?』」
 三人が真っ赤になったが、本人は至って真面目である。
「別に冗談は言っていない」
「で、ですが、わ、私達はそのっ」
「帝劇のメンバーじゃない、って言うんでしょ?」
「え、ええ」
 分かってるのにどうして、と言った顔でシンジを見た三人に、
「だったらメンバーの横にでも置いておけばいい。当たらないと思ったら俺は言わないよ。いいね、必ずやること」
 本来なら越権だが、シンジにこう言われては、彼らに返す言葉はない。
 内心で首を傾げながらも、
「『わ、分かりました』」
 と揃って頭を下げた。
「赤木の御大に会いに行くから、赤木ゼミに連れてってくれる?最近行ってないから場所忘れた」
 はい、と頷いたが、
「由里、椿」
「『え?』」
「あなた達がご案内して」
「かすみさんは?」
「これ以上、劇場を空に出来ないでしょう。私は一足先に戻るから」
 同い年の筈だが、有無を言わせぬ口調で命じると、
「碇さん、今日は本当にご迷惑をお掛けしました」
 シンジに深々と頭を下げた。
「いや、俺の方こそ失礼したね」
 真顔に戻ったが、その口調はどこか硬い。
「では、私はこれで」
 歩き出した後ろ姿を、シンジは黙って見送った。
 
 
 
 
 
「はい、あたしだよ」
 最上階のオーナー室で、机の上に脚を乗せたまま受話器を取ったのは、赤木ナオコその人である。
 娘のリツコは現在三十。
 普通なら人間五十年のその年に突入している筈だが、実はそこまで行ってない。
 リツコが生まれたのは、ナオコが15歳の時だったのだ。
 そんなに化粧もしていないが、年齢より十歳以上若く見られるのは、持って生まれた肌のせいかもしれない。
 今も、渋谷で手に入れたネイルアートを試している最中である。
 器用に書き込んでいるのは、黒アゲハらしい。
「え?シンジちゃんが来てるのかい!?」
 一転して上機嫌になったが、
「いや、まだ来てないよ。何?マヤをこっちに付けなかったのかい、まったく幾つになっても使えない娘だね。もっと人生の機微を知らないと、処女のまま人生終わっちまうよ」
 相手はリツコらしいが、言いたい放題言うとさっさと電話を切った。
 受話器を置いてから、
「まったく、あたしは娘の育て方間違えたかね」
 ぶつぶつ言いながらも、
「そうかい…戻ってきてたのかい」
 妖艶な顔で、にへーっと笑った。
 
 
 
 
 
「碇さん、こっちです」
 先に立って歩き出した椿と由里だったが、
「高村」
「はい?」
「藤井は、お婆によほど縁でもあるの?」
 かすみの反応が、何となく服従のそれとは違うような気がして、シンジは椿に訊いてみた。
「あの…」
 ちょっと言いよどんだが、
「高校の時、ご両親が事故で亡くなったんです。保険金が全然出なくて、授業料も払えなくて退学のところを御前様が…」
 そうか、と言っただけでシンジは、それ以上言及しなかった。
 乗り物系の事故で乗客だった場合、ほぼ100%保険金は出る。
 それが出なかったというのは、正当な乗客でなかったか、或いは自爆系の事故だった場合だ。
 登山で遭難しても、保険に入っていなければ保険金は下りないのだ。
 要が無ければ、シンジが知りたがる所ではない。
「だとすると、劇場への配備はお婆の指図だな。で、お前さん達は?」
「私はその…何となく…」
「私は、椿が世話を焼かせるからと御前様が」
「ちょっと由里!それは言わないって言ったでしょ」
「何よ、本当の事じゃない」
「ふ、ふーんそう言うこと言うんだ。碇さんあのね、由里は前に…もごっ」
 言いかけた口を由里が押さえ、
「ちょっと椿、何口走ってるのよ」
「ふん、由里だってばらしたじゃない。碇さん、由里が最後におね…もごー!」
「それ以上言ったら殺すからね」
「仲のいいことだ」
 薄く笑ったシンジだが、椿の台詞の続きにもさして興味を示した様子はなかった。
「そう言えば俺の知り合いに」
「『え?』」
 お互いの顔をつねりあっていた二人が、顔を引っ張りあったままシンジを見た。
「最後におねしょしたのは中二、ってのがいたな。そこまで遅くないでしょ?」
「あ、あ、当たり前ですっ!!」
 真っ赤な顔になった由里に、
「じゃ、大した事はないさ。それより高村」
「へっ?」
「お前さん、そんなに手がかかるの?」
 由里がここぞとばかりに、
「そうなんですよ碇さん。いっつもドジを踏むのは椿だ…むごっ」
 今度は椿が由里の口封じに掛かっている。
 じゃれ合いにも似たそれを見ながら、
「分かった、分かった。仲がいいのは分かったから、その辺でいいでしょ」
 往来の真ん中で頬を引っ張り合っている二人を、片手ですっと分けた。
「『ぷいっ!』」
 ふん、とそっぽを向いた二人に、ふとシンジはこんな風に誰かと、けんかした事がないのを思い出した。
「良きことかな、か」
「え?」
「仲が良くてうらやましいって言ったんだよ」
「『誰がこんなのと!』」
 びしっと指差したタイミングも、ぴったり合っている。
 それに気がついて、お互いにくすくす笑い出したのは数秒後の事であった。
「そ、それより碇さん」
「あ?」
「レニと従妹だって言われましたけど、よくご存じなんですか?」
「だからよく遊んだって」
「いえ、そうではなくて」
 反対から椿が口を挟んだ。
「ん?」
「レニって、どんな子だったんですか?」
 それを聞いて、一瞬シンジの表情が動いたが、それには二人とも気付かなかった。
「ちょっと待て」
「『はい?』」
「もう数年会ってないが、今のレニってどんな性格なんだ?」
「どんなって言われても…」
 二人で顔を見合わせて、
「一言で言えばお姫様です」
「姫?」
「殆ど人前に姿を見せませんし、お芝居にもあまり参加しなくなって…」
「いつも護衛付きで動いていて、でも殆ど口は利かなくなりました」
「前は結構賑やかだったのにね」
「いつ頃?」
「もう…三年くらいになります。確か、誰かのお嫁さんになるんだって言っていたのが、急に人前に姿を見せなくなって…」
「こもり症でもなったの?」
「それが…外へ出してもらえなくなったみたいで…」
「俺の知ってるレニは、もっと活発な娘(こ)だったがなあ」
「『そ、そうなんですか?』」
 びっくりしたような二人だが、
「何をしやがった」
 凄絶な声で、シンジが呟いたのは聞こえなかったらしい。幸いだったろう。
「ところであの…」
「え?」
「レニがお嫁さんって言ってたの、もしかしたら…」
「さーて」
「あ、ずるーい、ちゃんと教えて下さいよう」
 何がずるいのか、由里まで一緒になって、
「碇さん、隠し事はなしですよー」
 理不尽な追求にふと辺りを見回した時、
「あれじゃないの?」
 シンジの視界に、回りからは圧巻の高さを誇るビルが映った。
 ちょうど、古代中東の地に建設されたバベルの塔のように。
「相変わらず派手なおばさんだ。じゃ、俺はこれで…OUCH!」
 ぎゅっと両側から引っ張られ、
「『ちゃんと白状してもらいますからね!』」
 迫ってくるのをかわして、早々にシンジは逃げ出した。
 
 
 
 
 
「御前様…」
 劇場の入り口を車が固めているのを見た時、何となくかすみには予感があった。
 元より、ただで済むとは思っていないし、覚悟は出来ていた。
 シンジにだけは、絶対に無礼はないようにと念を押されていたばかりなのに。
 ただ、なぜか普段の口調を引き出させるシンジに、ついうっかりしていたのは、かすみばかりではない。
 フユノの周囲を、五人の黒服達が固めている。
 諦観の表情で歩み寄ると、
「御前様、申し訳ございません」
 軽く頭を下げた。
 覚悟は出来ていたが、
「かすみよ、後は任せる」
 フユノの口から出たのは、思いもかけない言葉であった。
「ごっ、御前様っ!?」
「レニがこと、シンジの耳に入るが早過ぎたわ。おそらく儂を、いや間違いなく許さぬであろうからの」
「レニの事?そ、それはどういう…」
「愚かな婆の所行じゃ、報いは受けねばならぬ」
 かすかに笑ったかに見えた表情に、死の匂いが漂った気がして、慌てて駆け寄ろうとした瞬間、
「ううっ」
 黒服の一人が、かすみの脇腹に軽く拳を当て、そのままかすみは昏倒した。
「カウンターの裏に寝かせておおき」
 フユノの命令に、たちまちかすみの体は担ぎ上げられた。
 そっと横たえられるのを確認してから、
「それでよい、行くぞ」
 歩き出したフユノとは違い、黒服達はいずれも俯き気味に見える。
「ご、御前様…」
 一人が絞り出すように呼んだのは、扉の手前であった。
「なんだい?」
 フユノの声は、むしろ穏やかであった。
「若の…せめて…」
「よい」
 言葉の続きを読んだのか、フユノは軽く首を振った。
「御前様は何もしておられません、レニがこれ以外に言うと思うてか?いいや、それはあってはならぬのじゃ」
 あっさりと告げた言葉は、歴戦の黒服達から、一切の言葉を喪わせるだけの物を十分に含んでいた。
 我が身を守れる主、そうと知りつつも彼らは絶対忠誠を崩さず、フユノの手を煩わせぬ事こそ、自らの使命と誇りにしてきたのだ。
 今ここにいるのは、フユノの護衛の中でもトップレベルの者達であり、その辺の者などフユノに近づくことも出来ない。
 その彼らがフユノの言葉に、この老婆の言葉に、返す術もなく俯いているのだ。
 死を漂わせるのは、むしろ彼等の方にさえ見える。
 すっと歩き出したフユノを、慌てて黒服達が追った。
 
 
 
 
 
「ちょ、ちょっと苦しいってば…あう」
 一階から十六階までは、各教室となっており、最上階は、
「ここへ上がる者希望を捨てよ」
 と、玄関の案内板に書いてあった。
 これでよく子供を預ける気になると思うが、すでに各教室はかなり人が入っていた。
「大変だな」
 呟いた途端、自分も同類だと思い出した。
「これで俺も受験戦争か」
 はーあ、とため息をついて最上階に上がり、どこかの組長室みたいな部屋を、ノックもせずに開けた途端、きゅっと首を絞められたのだ。
「小娘を優先するとはいい度胸だねえ、シンジちゃん」
 自分の娘に嫉妬する年でもなさそうだが、声はマジである。
「ほ、本命は後回しに…」
「本当だろうね」
 こくこくと頷くと、やっと手が離れた。
「そろそろ恋人とか作らないの?」
「あんたが頷いてくれればそれで済む話だよ」
 びしっと指さしたが、その目にはちっとも冗談が入っていない。
「絶対やだ」
 はっきり断った…が。
「ではこちら」
 軽く朱を掃いた唇が、にゅっと迫ってくるのを横に避けた瞬間、がしっと捕まった。
 ちうう
 と吸われたが、別に拭おうとしなかったのは、口紅を付けるような真似はしないと知っているからだ。
 実際、シンジの頬に朱の色は微塵も残っていなかった。
 と言うのも以前、
「口紅の痕つけたら五体ばらばらにするぞ」
 そう言って脅したら、この色の付かない代物を、早速手に入れてきた。
 が、実際に口づけされたのは過去に一度、それも左の頬にされたのみである。
 娘より度胸はあるが、自分の年は分かってるらしい。
「気が済んだ?」
「少し肌が荒れてるね」
「ぎっくう」
 と顔に手を当てる。
 そう言えば女神館に来てからこっち、肌にいいことは殆どなかったような気がする。
「微妙なお年頃だから」
 とごまかして、
「降魔大戦の事、教えてくれる?」
「降魔大戦?あんたが防いだ方の話かい?」
「俺の事はどうでもいいってば。じゃなくて、その前のやつだよまったく」
「分からないね」
 ほほほほ、と口に手を当てた和服姿が、妙に艶っぽく見えるナオコに、
「誰かが喚んだんじゃないのか?」
「多分ね」
 真顔になると、
「でもそれは小さなやつだよ。それが、帝都の妄念で急速に成長しただけの事よ」
 こともなげに言ったが、
「一馬は、いわば身代わりになったようなものよ。シンジちゃん、そう言うのは嫌いだったね?」
「周りが無力な証拠だからな。ところで、あの棺桶に片足突っ込んでる婆さんがさくらを呼んだのは、血筋のせいか?」
 平素の口調だが、そこに危険な物が含まれているのをナオコは見抜いた。
 だいたい、シンジがフユノの事を、棺桶に片足などと尋常ではない。
(呼んでおいて良かったよ)
「いいや、違うよ。さくらが来たのは、約束したからさ」
「約束?」
「そう、約束よ」
「なんの?」
「それはね…」
 言いかけた時、ドアがノックされた。
「客か?」
「あんたに会いたがってる子がいてね」
「俺に?」
「いいから出てごらん」
 誰だと首を傾げながら、シンジがドアを開ける。
 その途端、その目が大きく見開かれた。
「レ、レニ…」
 背広姿の男二人に挟まれるようにして、シンジの従妹が立っていた。
 だが。
「お久しぶりです、シンジ様」
 何という声。
 抑揚もなく、まるで人形のような声に、シンジの顔から表情が消えた。
 無表情なまま、
「教育はよく出来ているようだな」
 背後の男に向けた言葉の真意を、ナオコだけは察していた。
 それを賞賛と取ったのか、
「ええ、もうたっぷりと調教をほどこ…」
 男は最後まで、言葉を続ける事は出来なかった。
 左手でレニを引き寄せたシンジが、もう片方の手で男の首に手を当てたのだ。
 死の風がそこから放たれ、男の首が宙に舞う。
 首を喪った胴が、ゆっくりと崩れ落ちていくのを、もう一人の男は呆然と眺めた。
「お前もすぐに追うがいい」
 抑揚のない宣告が、男の五体を呪縛した。
 
 
 
 
 
(つづく)

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