妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第七話:深夜の訪問者
 
 
 
 
 
「本当にさせたい事…一体何を企んでるんだまったく」
 だだっ広い部屋の中を眺めながら、シンジが呟いた。
 十五プラス十五、計三十畳もあるこの部屋は、既にシンジの家具一式が運び込まれている。どちらかと言えば、好みが少し古風なシンジに合わせて、室内は少し時代を遡ったような印象を受ける。
 ただ、管理人室ながらに、ここは最上階にあり、ここからの帝都の眺めはなかなかである。
 そう、この西新宿からは。
 火のような夕焼けに、少し視線を上に向けると東京タワーがあり、視線を横へ動かすと新宿御苑が見える。
 帝國歌劇団−花組。
 そのもう一つの顔が妖撃にある事を、シンジは知らなかった。
 だが。
 その戦う相手に関してシンジがよく知っている事を、花組の面々もまた知らない。
 いや、それよりも。
 最初にフユノがシンジに告げた言葉を、覚えているだろうか。
 フユノはこう言ったのだ。
「今は六人だ」
 と。
 聞き返しもしなかった事を、シンジが後悔するのはもう少し後の事になる。
 とまれ、今の段階ではまだ、この帝都に起きている事をシンジは聞いていない。
 何せ、中国から戻ってきたのが二週間前だったのだ。
 ほとんど、受験の為に戻ってきたような物である。
 それも中国は四川省、成都で麺を探している時に、いきなり連絡が入って呼ばれたのだから。
 早い話が食い道楽だが、直前まで放っておくフユノもフユノである。
 無論、シンジの能力に絶対の確信があったのは言うまでもないが。
 ただし、さすがのフユノと言えども、まさか名無しで孫が完璧な答案を提出するなどとは、思いも寄らなかっただろう。
 町中をぶらりと歩いて、夕食は既に済ませてきた。
 で、後は寝るだけだが、シンジはここ女神館の資料に目を通していた。
 東京学園まで、目と鼻の先にあるこの場所は、四方が完全な結界に守られている事をシンジは見抜いてた。
 一般人の侵入を拒む、とまでは行かないにしても、邪気には間違いなく反応してくれる筈だ。この広い敷地に、あっさりと結界を張ってのけるのは、やはりフユノであり、孫と比しても何ら遜色は無い。
 ただし、それをあっさりと破壊したのも、またシンジだが。
 水槍を地下から放った時、これも地の結界は幾分壊されたのだ。自衛結界を施された建物なら、その敷地に傷を付ける事もまた、容易ではない。
 覆水盆に返らず、とは少し違うが、壊すのは容易く元に戻すのは簡単ではない。
 まして、他人が張った結界とあっては。
 いかなシンジと言えども、全員が去った後で元に戻すのは結構難儀したのだ。
「疲れたな」
 ふう、と伸びをした時、部屋のドアが控えめにノックされた。
「誰?」
「夜分遅く、ごめんなさい」
 ん、と内心で首を傾げたのは、会ったメンバーではないと知ったからだ。
 ついでに女である。
 はいはい、と立っていってドアを開けると、軍服姿の女性が立っていた。
「あなたは?」
「初めまして、藤枝あやめです」
「ここの住人にしては…」
「いきなりですのね、碇さん」
 住人にしては、の後の意志を読み取ったらしい。
「それは置いといて」
 誤魔化すことにして、
「何の用です?」
「御前様から言われて参りました。碇さんにお会いして来るようにと」
「帝撃関係の人?」
「ええ、そのことで」
「お腹空いたけど、食べながらで済む話?」
「それがその…」
 ちょっと申し訳なさそうに、
「実際に見て頂きたいものなので」
「分かった、お色直しするからちょっと待ってて」
 さっさと閉められたドアを見ながら、
「本当にこの人が切り札、と?」
 あやめは内心で首を傾げた。
「お待たせ」
 数分もしない内に、なぜか漆黒に全身を包んで現れたシンジに、あやめは一瞬視線を奪われた。
「何?」
「い、いえっ何でもっ」
 慌てて首を振りながら、
(あやめ、しっかりしなさいっ)
 内心で自分を叱りつけていたが、その顔が微妙ながら赤くなったのにシンジは気が付いていた。
 ただし。
(俺の顔に変な物付いてたかな?)
 これも内心で首を傾げただけだが、それもその筈でこの漆黒はネズミ小僧のイメージなのだから。
 シンジの場合、往々にしてそんな所を性格に含んでいる。
 しんと静まりかえった館内を、てくてく歩いていく二人。帝国劇場は、東京学園の敷地内にあってここにはない。
 だが、小劇場の一つや二つ入っていそうな広さである。
 夏になれば、肝試しも出来そうだ。
 ほかの住人達に会う事なく館の外に出た時、
「あれ?あれ?」
 シンジは前後を見た。
「幽霊(ゴースト)?」
 首をひねった途端、
 ぽかっ。
「いたっ」
「誰が幽霊ですって?」
「え?」
「私の妹よ」
「い、妹?」
 思わずシンジが聞き返したほど、目の前の女性はあやめに似ていた。
「藤枝かえでです」
 髪型以外、ほとんど瓜二つの女性はそう名乗った。
「碇シンジです」
 軽く一礼しながらも、シンジは二人の全身から漂う物に気づいていた。
 それは、鍛錬の生み出す結果であった。
「それで、何か?」
 こちらです、先に立ってあやめが歩き出し、その後にかえでが続いた。
 もう一度館内に入り直し、階段を下りていく。
 確かエレベーターもあった筈だ、とシンジが思った時、
「今年はあの…残念でしたね」
 後ろからかえでが話しかけた。
「何が?」
「あ、あの受験の…」
「全然」
「え?」
「落ちたのはあのばーさんのせいだし。ろくな往生しないのは目に見えている」
 からからと笑ったシンジだが、碇フユノと言う女性をこんな呼称で呼べるのは、世界中を探しても一人しかいない。
 前後の二人が、わずかに表情を険しくして、
「御前様の事をそのように…」
 あやめが言いかけたが、
「言うなって言われたか?」
「それは…」
「ばあさんは用済み、とまでは言ってないぞ」
 シンジの言葉に、二人とも言葉を断った。
 階段を下りた彼らが着いたのは、格納庫の前である。
「ここに例のブツが?」
 それに答えはなく、かえでが黙って壁に手を当てる。
「!?」
 何も反応がない。
「何をしているの、かえで」
 シンジの態度に少し気を悪くしたのか、幾分強い口調であやめが言うと、今度は自分が手を当てた。
 だがやっぱり開かない。
「何してるんだ?」
 シンジならずとも首を傾げるところだが、
「ちょっと待っていて」
 妙に低い声であやめが言った時、
「無駄じゃよ」
 後ろからの声に、
「ご、御前様っ!?」
 慌てて居住まいを正し、深々と腰を折った。
「こらばーさん何しに来た」
 フユノの姿を見た時、何となくシンジには想像がついたのだ。
 どうして、フユノがわざわざ来たのかを。
 で、案の定、
「シンジ、手をここにお置き」
「やっぱりかい」
 すっと手を置いた途端、左右に壁が分かれた。
「ご、御前様これは!?」
 愕然と呟いたかえでに、
「ここは、今日からシンジの色に全部変えた」
 とんでもない事を言いだした。
「『ど、どうして…』」
 それには答えず、
「迷惑、であろうな」
「大迷惑。やっぱしろくな事しない」
 ばっさりとシンジは切り捨てた。
「言っとくが、これ以上関わるのはやだぞ」
 だが、シンジの言葉は予想済みだったのか、
「わかっておる、お前なら言うと思っておったわ」
 ほんの少しだけ寂しげに言うと、
「まだ、シンジは受けはすまい。その前に、エヴァの事だけは話しておおき」
 あやめに命じると、くるりと身を翻した。
「あ、御前様っ」
 慌ててかえでが送ろうと後を追いかえたのへ、
「儂の事はよい」
 視線だけで止めると、
「管理には、強い周波の方が良かろうからの」
 シンジに、奇妙な事を言って歩き出した。
 その後ろ姿を見ながら、
「そうか、波動を変えたのか」
 ふんふんと、妙な感心をしているシンジに、
「あなた、どういうつもりなの」
「は?」
「御前様が言われたのに…」
「さっさと諦めたろ?」
 その瞬間、かえでの眉がきっとつり上がったのをあやめが制した。
 どうやらあやめの方が、フユノの事を絶対視しているらしい。
「止めなさいあやめ、御前様のお身内よ。ごめんなさいね」
 軽く頭を下げたが、これも結構来ているのは隠しようもない。
「一体俺に、何をさせたかったのやら」
 ちらりと奥のエヴァを見たシンジに、
「その前に」
「ん?」
「あなたの力、見せてもらいたいの」
「なんで?」
「御前様は、あそこに並んでいるエヴァを操る花組、その隊長にあなたをご指定になったのよ。あなたに本当に力があるのか、見ておきたいの」
「傍迷惑だなあ」
 とは言ったが、断っただろ、とは言わなかった。
 こんな時は、逆に乗ってやらないといつまでも絡まれる可能性がある。
「で、何のテストを?」
「これよ」
 あやめが指を鳴らした途端、その背後に奇妙なロボットがわき出た。
「脇侍だな」
「あら、知っていたの」
「無知の聞きかじり」
「ま、そうでしょうね」
 とはかえで。
 どうやら、すっかりシンジが気に入らないらしい。
「これを倒せばいいの?」
「そう簡単にい…!?」
 簡単に行くかしら、そう言おうとした瞬間、
「劫火」
 アスカ達に見せたのとは、文字通り雲泥の差があるそれが、脇侍に構える暇も与えずに、その頭を吹き飛ばしていた。
「…う、嘘」
「多少は改造したみたいだな。ま、やり方としては悪くない」
 シンジはそう言ったが、実は多少どころではなかったのだ。
 とっ捕まえた脇侍を改造したのは、早い話が仲間をおびき寄せて自爆させるためであり、あるいは仲間の所に送り込んで同士打ちさせるためだ。
 そのためには当然、大幅なパワーアップは必要であり、少なく見積もっても二倍くらいにはしてある。
「くっ…」
 一瞬詰まったあやめが、すぐに次を召還しようとした時、かえでがすっとその手を抑えた。
「な、何を」
(同じよ、姉さん)
 かえでは無言で首を振って見せた。
 だが。
「やってみなけりゃ分からないぞ。それに、今のも偶然かもしれないし」
 まるで読まれていたような言葉に、二人が今度こそ愕然となった。
 それを見ながら、
「ついでだ」
 向けた手のひらから、今度は刃と化した風が飛び、脇侍の両手足を切断し、胴体だけどなったそれが地面に崩れ落ちた。
「これでいいのか、お二人さん?」
 まだ呆然と脇侍の残骸を眺めている二人に、唇の端に少し苦笑を乗せて、
「俺はもう行くぞ」
 さっさと歩き出したシンジの背に、ようやくあやめが声を掛けた。
「ま、待って…」
「あん?」
 ちょっと籠もった声に、シンジが振り返る。
 その目に映ったのは、深々と頭を下げているあやめの姿であった。
「どした?」
「ごめんなさい」
 あやめは頭を下げたままで謝した。
「あなたのこと、見くびっていたわ。まさか、ここまでとは思わなかったの」
「謝るなら、お婆の方がいいんじゃなーい?」
「え?」
「俺に脇侍を向けた、なんて知られたらお宅ら二人、間違いなく明日の太陽の姿は見られないと思うが」
 ちょっと脅してみたが、かえでの顔からすっと血の気が引いたのを見て、
「冗談だよ、冗談。別に言いつけてやるーなんて騒ぎはしないから」
「あ、あのっ」
「何?あやめ」
 呼び捨てにされて、あやめの眉が一瞬ぴくりと動いたが、シンジにしてみればダブル藤枝だから、そう呼んだにすぎない。
 が、ここは抑えて、
「ど、どうしてこれが脇侍って知ってるの?」
「知りたい?」
「え?ええ」
「それはね」
 シンジはにゃっと笑った。
 あやめの問いも当然で、この敵体が脇侍だとは、関係者以外は知らない。
 この帝都に時折出現するし、一般住民の中にもその姿を見た者はいるが、名前を知っているのとは別である。
 第一、この碇シンジがつい最近まで中国にいたのは、フユノから聞いて知っている二人なのだから。
「内緒です」
「『なっ!?』」
「そうだな、俺から一本取れる脇侍を作れたら教えてやる」
 それだけ言うと、さっさと歩き出したシンジ。
「きい!くやしい!!」
 かえでが地団駄踏んだが、いかんせん力の差がはっきりしすぎている。
 ぶるぶると、拳を震わせているのへ。
「仕方ないわ」
「ね、姉さんは悔しくないのっ!?」
「そんな訳ないでしょう」
 額に危険な筋が動いている姉に、一瞬かえでが引いた。
「でも、どうせ隊長になんかなったって、隊員達が納得しないわよ。それにまず」
「まず?」
「すみれが絶対に納得しないわ」
「それもそうね」
 と言ったものの、果たしてそうなるかどうか。
 
 
 
 
 
「ふわー、疲れた」
 ベッドの上で、うーんと伸びをしているシンジは、もうパジャマに着替えている。
 顔を動かして時計を見ると、すでに十二時近い。
「部屋の整理は明日…もう寝る」
 ごろんと横になった時、その表情が動いた。
 刹那鋭い目になると、部屋の入り口へ視線を向けた。
 その感覚が、部屋の前に立った者の存在を捉えていたのだ。
 そして。
「あの…」
 小さな声と共に、躊躇いがちにノックされたがシンジは放っておいた。
 声で分かったし、それに何よりも、
 ねてるといいな。
 と、そんな感じの声だったから。
 で、やっぱりそっとドアが開いて、誰かが室内に侵入してきた。
 するすると歩み寄ってきたそれは、シンジのベッドのすぐ横に立つと、月光を受けたシンジの顔を見下ろした。
 何を思ったか、穴のあくほど見つめているが、赤いのは見つめている方の顔である。
 そして。
「シ、シンジおにいちゃん…さ、さっきはつねったりしてごめんねっ」
 ノックする位だから、シンジが出てきてもそう言っただろう。
 ただし、これはなかったはずだ、これは。
 ちゅっ。
 すっとかがんだかと思うと、シンジの頬で小さな音がしたのだ。
 たちまち真っ赤になって走り出していく。
 扉を開けっ放しで出ていってから数分後、むくっとシンジが起きあがった。
「さすが外人…なんて積極的な」
 それはいいとして、器用な事に口づけされた側の頬だけ赤くなってるのは、一体どういう現象なのか。
「ん?」
 ドアを見ると、開けっ放しになっている。
「やれやれ」
 と起きあがって歩いていき、ドアを閉めようとした時、
「大変、閉め忘れちゃった」
 運悪く戻ってきた侵入者と、シンジがぱったり会ってしまった。
 お互いの表情が固まり、それと同時に時間が奇妙な形で止まった。
 
 
 
 
  
(つづく)

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