妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六話:I am not too young to fall in love
 
 
 
 
 
「『ど、どうしてっ!?』」
「え?」
「だ、だってさっきレイちゃんが、実技・筆記共に満点だったって」
「誰が受かったって言った?」
「『はあ?』」
 さっぱり訳が分からない。
 その顔にある種の表情が浮かんでくる前に、
「カンニングじゃないわよ」
 横からミサトが口を出した。
「『そそ、そんな事はちっともっ』」
 どうやら、一瞬思ったらしい。
「名前書き忘れた」
「『嘘っ!』」
「それと、そこのばーさんのせいだ」
「御前様の?」
「内調からも、特例で入れろと要請はあったのよ。なれど、儂が断ったのじゃ」
「『な、内調!?』」
 無論二人にも、フユノの言葉の意味は分かっている。
 つまり、魔道省のトップクラスになれるエリートだ、と言う事だ。
 国の運営とて、きれい事ばかりではない。
 国を司る各建物もまた、運気を徹底的に見てあるし、帝都であるこの東京は霊的結界はほぼ完璧である。
 そして、それらの頂点にあるのが魔道省なのだから。
 しかも、全員登録制とは言え、そのへんの術師では立ち入る事すら出来ない。
 いや、入ろうと思えば入れない事はない。
 莫大な代償を要求されるが。
 数値にして特一級以上の魔力を持っていないと、施された結界に耐えられないのだ。
 無理に入ったら?
 ほぼ間違いなく、四肢がばらばらになる。
「あ、あの、どうしてなんですか?」
 訊ねたさくらに、
「天才にも時には挫折が必要じゃ、そうは思わぬか?」
 逆に聞き返すと、にんまりと笑った。
 無論、シンジから総攻撃されないのは知っての上だ。
 何しろ、膝の上にはアイリス嬢がいるのだから。
「そ、それはその…」
 さくらが言いよどんだ時、
「アイリス」
 みょーに優しい声でシンジが呼んだ。
「えっ?」
 名前を呼ばれてうっすらと赤くなったアイリスに、
「ここにおいで」
 木に寄り掛かっていたシンジが、すっと地面に腰を下ろすと自分の膝を指した。
「いいの?」
「いいよ、おいで」
「うんっ」
 と、とことこ歩き出した途端、フユノの顔色が一瞬変わる。
 今度はシンジがにっと笑ったのだ。
「面白い物を見せてあげる」
 誰にとも無く言うと、すっと地面に手を当てた。
「水鎗爆裂」
 次の瞬間、フユノが凄まじい早さで飛び退いていた。吹き上げた水が、たった今までフユノのいた場所を襲ったのは次の瞬間であった。
「『す、すごい…』」
 三人が唖然と見つめる中で、次々に吹き上げた水がフユノを襲い、瞬時の退却をやむなくさせた。
「ふん、追放」
 フユノの姿が見えなくなってから、シンジが軽く指を鳴らすと、ようやく怪水は止まった。
「さっすがシンちゃん、全然衰えてないわねえ」
 ミサトが嬉しそうに言うと、
「あたし、ちょっと見てくるわ」
 フユノを後を追って立ち上がった。
 残った四人の間に、少し沈黙が流れたが、最初に破ったのはシンジであった。
「ところで真宮寺」
「え…え?あ、はいっ」
「そんなに固くならないでもいいから…いってー!」
 さくらが赤くなるのと、シンジが足に痛みを感じるのとが同時であった。
 つねられた、と知るには数秒を要した。
「ど、ど、どうしたんですかっ?」
「ぢ、地面に人食いアリが…」
「え゛!?」
「いや、何でもない」
 そっと足を見ると、きっちりアイリスの指が伸びている。
 それを見たシンジは、ちょっとだけアイリスを載せた事を後悔した。
(ところで、何でつねられたんだろ?)
 首を傾げたが、酔っぱらいと美幼女のする事に理屈はないと、太古の昔から決まっている。
 深く考えるのは止めて、
「それで、管理人て何の仕事してたの?」
「えーと…」
 首をひねっているさくら。
「どしたの?」
「別にしていなかったような…」
「は?」
「だって、ここのお掃除は当番でしていましたし…食事も当番制で」
「じゃ、お婆は何もしていなかったの?」
 今度はアイリスに訊いた。
 やっと回ってきたアイリスが、
「うんとね…やっぱり、何もしていなかったよう」
「じゃ、俺は暇だな」
「え?」
「別にいなくても」
「駄目っ!」
 いきなりの大声に、一瞬シンジの上体が後ろに揺れた。
「あ、あのもしもし?」
「だ、だってその…せ、せっかく来たのに…ね、ねえさくら?」
 真っ赤になったアイリスに、
「そ、そ、そうですよ。それにほら…こ、今年は受験が四人もいますから、ちょっと教えてもらえればその…」
「四人て誰?」
「わたしとマユミと、アスカさんとすみれさんです」
「綾波は?」
「あの子はまだ一年生ですから」
「そうなの?」
 妙にこまっしゃくれたレイの顔が、一瞬頭に浮かんだ。
「そ、それにあの…」
 口を挟んだマユミに、
「何?」
「ご、ご飯とかお掃除とか、人が増えるとその分回る回数が遅くなりますから」
「そ、そうだよ、おにいちゃん。だって、ご飯とか作れるんでしょう?」
「んー、一応は」
「じゃあ、いいじゃないですか。碇さんにだって、してもらう事はいっぱいあるんですから。ね、アイリス」
「ちょっと待った」
「はい?」
「管理人て、そーゆー事するの?」
「え?」
「普通は家賃の集金とか、建物の修繕とかするんでしょ。ここはお婆が結界張ってる霊的構造だから、建物のガタなんて…え?」
「『あれは?』」
 三人の手が揃って指した先には、大穴の開いた地面がある。
 無論、シンジが水槍で開けたものだ。
「あ、あの…俺が開けました。でも」
「でも?」
「地面は弱かったかな?」
「シンちゃんの能力が高すぎるのよ」
 戻ってきたミサトに、
「お婆はどうした?」
「二発食らって、今休んでる最中よ。老人は大事にしなきゃ…う、ううん、何でもないわっ」
 途中で止めたのはシンジの目が、
「姉さん、代わりに受けてみる?」
 紛れもなくそう言っていたからだ。
「ねえ、ミサトお姉ちゃん」
「何?アイリス」
「お、おにいちゃんここにいてくれるよね?どっか行ったりしないよね?」
 うーん、と少し考えてから、
「さくらとマユミはどうなの?いてもいいって言うレベル?」
「ここは女ばかりだから、強い男の人がいてくれた方が安心ですし」
「そ、それに碇さんなら、優秀だから色々教えてもらえそうだから」
「冗談よ」
「『え?』」
「お婆さまがシンちゃんをここに来させた理由、いずれ分かるわよ」
「本当の理由?」
「そ、本当の理由。だから、シンちゃんはどこにも行ったりしないわよ。良かったわねアイリス」
「う、うん」
 ぽーっと頬を赤くしているその顔を、ミサトはちょんとつついた。
「シンちゃんも、すっかり気に入られたものねえ」
 シンジの手が上がる前に、
「さってと、邪魔者は退散、退散」
 さっさと踵を返して去っていった。
「今度会ったら、ミディアムにして食ってやる…ん?」
 シンジの目前に、ちっちゃな手が差し出された。
「よ、よろしくね、おにいちゃん」
「あ、はいはい」
 小さな手を握り返した時、
「あ、あの、よろしく…」
 差し出された手がもう一つ。
「よろしく、真宮寺」
「あ、あのう」
「え?」
「さ、さくらでいいです」
「偽名があるの?」
「じゃ、じゃなくてそのっ、み、みんながさくらって呼んでますから」
「あ、なるほど」
 妙に納得して、
「よろしく−さくら」
「は、はいっ」
 目許を赤く染めて頷いたが、膝元で少しご機嫌が斜めになった姫がいることに、シンジは気が付いていない。
「碇さん、よろしくお願いしますね」
 とマユミが、これはすっと背筋を伸ばして一礼した。
「あ、はいはい」
 頷き返すと、
「では、私はこれで」
 マユミが歩き出すと、
「じゃ、じゃあ碇さんまた」
 さくらも後を追って、踵を返した。
 二人の背を見送りながら、
「取りあえず剣豪はよし、と」
 呟いた時、目の前に誰かが立った。
「あれ、アイリス?」
 膝からぴょんと降りたアイリスが、
「シンジおにいちゃん」
 なんか奇妙な声で呼んだ。
「え…ひたたた」
 アイリスの両手が、シンジの顔を両側からむぎゅーっと引っ張ったのだ。
「すぐデレデレしちゃってもー!」
(でろでろ?お化け?)
 見当違いな事を考えた時、すっと手が離れた。
「こら、何をする」
「あ、あのっ」
 急に不安になったのか、
「だ、だっておにいちゃんが…」
「俺が?」
「ご、ごめんなさいっ」
 スカートの裾を翻して、アイリスはたたっと走り出した。
 シンジは頬を抑えながら、
「さすが外人…なんて凶悪な」
 呟いてから、ふと腕の時計を見た。
「もう、いい頃か」
  
 
「お婆様、具合はどう?」
「まったく、シンジのやつまともに撃ってきおった。儂を殺す気じゃ」
「あら、いいんじゃない?」
「何じゃと?」
「お婆様が死んだら、後は全部シンジの物だし、それが望みでしょ」
「ふむ、それもいいかもしれんの」
 遺言の話が出ているなどと、シンジは知りもしない。
 だが、ミサトの口調に少しく棘があるのは、全部シンジに譲ると言う遺言を知っているからだ。
 別に財産など欲しくもないが、駄目の烙印を押されれば、やっぱり嫌にもなる。
「ミサト」
「え?」
「お前、ひがんでおるの」
「はあ?」
「持っていきたくば、好きにするがよい。どのみち、シンジは財になど興味のない男じゃ」
「べ、別にそんなんじゃないわよ。ただあれだけ差が付くと、ちょっと…」
「では訊くが、魔道省に入るのと日々ぐうたらで過ごすのと、どっちが好みじゃ?」
 身も蓋もない質問だが、
「そりゃ、勿論ぐうたらに決まって…あら?」
 こっちもこっちだ。
「それみよ」
「あ、あははは」
 取りあえず、笑ってごまかした。
 
 
 
 
  
「ねえアスカ〜」
「何よ!」
 人工の浴槽の中で、背中を付けて座っている二人。
 既に、二人とも茹で上がり状態になっており、顔どころか全身が赤い。
「ボク達…やっぱり食べられちゃうのかなあ」
「じょっ、冗談じゃないわよっ、な、何でこのあたしがあんなやつにっ」
「アスカが余計な事言うから」
「そっ、それは…」
 一瞬詰まったアスカだが、
「とっ、とにかく…ん?」
 結界に穴が開き、人の顔が出てきた。
「おいしく茹で上がった?」
「なっ、何よ優等生っ、は、入ったら殺すわよ!」
「そんだけ元気なら、もっと茹でても大丈夫だな」
 引っ込みかかった顔に慌てて、
「ちょっ、ちょっと待ってっ」
「何?綾波レイ」
「ア、アスカもさ…そ、その反省してるから、ねっ?お願い出して」
「そんな風にはぜんっぜん見えないんだが…惣流、本当に反省してる?」
「…し、し、してるわよっ」
「じゃ、出ておいで」
「『え?…あっ』」
 次の瞬間、水が急速に減り始めた。
 みるみる地面に吸い込まれていき、十秒もしないうちに完全に無くなっていた。
 少しふらつきながら出てきた二人に、
「さて、約束は守ってもらうぞ」
「や、約束…ッ!?」
 自分が何を口走ったか、思いだしたらしい。
 たちまちかーっと赤くなり、
「あっ、あれは…じょ、冗談よっ、ほ、本気な訳…」
 シンジの視線に遭い、途中で止まった所で、
「じゃ、今度は串焼きだ。今度こそウェルダンでこんがりにしてやる」
 一瞬青ざめたが、
「や、や、やってもらおうじゃないのよっ」
 あくまで強気である。
「それとついでに墓標作ってやる」
「墓標?」
「こう書いてやるぞ−惣流・アスカ・ラングレー、約束を破ってここに死すって。末代までの恥だよ」
「く…くっ」
 唇を噛んだアスカだが、
「わ、分かったわよもう、好きにしなさいよ、好きに!」
 地面に大の字になると、観念したように目を閉じた。
「ちょ、ちょっと…」
 シンジが怪しく笑ったものだから、レイもすっと青くなった。
「ど、ど、どうするの」
「頂く」
 びくっとアスカの身体が震えたが、唇をぎゅっと噛んで必死に我慢している。
「さてと…じゃ」 
 ぴしっ
「痛っ」
 ふう、と大きく安堵したのはレイである。
 シンジの指は、アスカの額を弾いただけで離れたのだから。
「ちょ、ちょっと何するのよっ」
「何でも良いって言わなかった?それとも違うことして欲しかった?」
「くっ!」
 アスカの顔が赤くなったが、いかんせん力はもう残っていない。
「ちょ、ちょっと優秀だからっていい気にならないでよっ!ぜーったいに仕返ししてやるんだからね」
「やっぱり食っとこうかな」
「じょ、冗談よ冗談」
「ふーん」
 じっと見られて、
「な、何よう」
「いや、何でもない」
 すっと立ち上がると、
「起きる」
 アスカに手を差し出した。
「ひ、一人で起きられるわよっ」
「綾波レイ、手を出すなよ」
「え…う、うん」
 レイに釘を刺してから、
「じゃ、起きてみ」
「いっ、言われなくても…あ、あれ?」
 起きられない。
「い、今起きて…あんっ」
 じたばたもがくだけで、やっぱり起きられない。
「どした?」
「うっ、うるさいわねっ、今起きるわよっ」
「なまあし」
 言われて気が付いたが、アスカは現在脚が殆ど見えている状況である。
 たちまち真っ赤になったが、
「み、見ないでよう…」
 語尾がかなり弱気になっている。
 ここまでの目に遭わされたのは、今までの生涯で初めての経験だったのだから。
「なまあし見られるのと、さっさと起きるのとどっちがいい?」
「…わ、分かったわよもうっ、ほら、さっさと起こしなさいよっ」
 何処までも強気なアスカに、
「こんなのも珍しいな」
 手を貸して引っ張ろうとした瞬間、
「なっ!?」
 逆に引っ張られて、地面に倒された。
 それと同時に、にゅっと脚が伸びて太股がシンジの頭を挟み込んだ。
「ふ、ふん、やられっぱなしじゃ無いんだからねっ」
 が。
「ふともも」
「なっ!?」
 ぼっと赤くなった途端、
「い、いやっ、ちょ、ちょっと止めなさいよこの変た…だっ、だめ、そこだめえっ」
 シンジの指が、こともあろうに内股をこちょこちょくすぐったのだ。
 たちまち悶えたアスカから、シンジは簡単に抜け出した。
「惣流…いい根性だ」
「あっ、こら待ちなさ…え?」
 すっとシンジの指が伸びて、
「爆風」
 ふわっと走った風が、アスカのなまあしに取り憑き…
「ふ、ふあうっ、ちょ、ちょっとくすぐった…いやっ、ちょっとはなしてえっ!」
「ア、アスカっ」
 慌てて助けようとしたが、
「迂闊に近寄らない方がいいぞ」
 ぴくっとその足が止まる。
「くすぐられる女子高生って、確かビデオになかったか?」
 首を傾げると、さっさと歩き出す。
 幸い風は三十秒ほどで止まったが、さっきのすみれ同様、アスカの身体は少し痙攣している。
 シンジの消えた方に向かって、
「ぜーったいに許さないからねっ、覚えてなさいよっ!!」 
 アスカの叫びが木霊した。
 
 
 
 
 
(つづく)

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