前のページに戻る


二つの倫理の「解題」
two ethics follow



 さて、以上のジェイコブズからの思考の先を少々展開してみます。


 「Take」の倫理をジェイコブスが抽出してくれたのは、大変私にとって参考になりました。
 いわばこれは、動物が環境からなにかを取り出して生活する「あたりまえの原理」から出発して、知性の持った人間が、完全自然状態から社会を形成して維持していくために調整された基本原則なのです。(ものすごい発見です。)
 実に複雑で相互関連をもった倫理体系です。

 環境から食糧(獲物・やがては資源)を「取り出し」、その環境を「確保」して、自己の物として「所有」します。
 そして個人で管理できる以上の領土・富の維持管理・経営が必要になり、そのために「部下・奴隷・官僚」システムを作り上げるのです。

 いわば、自己保身のための、閉鎖的倫理体系です。
 これで、なぜ王侯貴族が歴史上、めだって貪欲で差別的でカーストや奴隷や搾取を肯定できるかの根拠になるのです。
 なにかを「所有して、他にわたさないため」です。いわば「自己保存」の本能の、当然の帰結といえましょう。

 おそらく、原始狩猟採集生活のときは、この「Take」の倫理はさほど弊害がなかったでしょうが、農耕文明になってから猛烈に拡大して、恐るべき姿・圧制者となって、人間自身に、やがて自然・地球環境全体にまで、襲いかかってきたのでしょう。


 「Trade」の倫理は、「Take」を補完するものです。
 最初に「Take」があり、次にそれを柔軟に機能させるために「Trade」が形成されたと考えるべきでしょうか。

 一人で永久に生きていけるのなら「Trade」は必要ありませんが、生物として「夫・妻・子供」から始まる家族がどうしても存在します。その家族に「Take」したものを分け与えなければなりません。
 そのさいに、「家族(ファミリー)」内部での相互平等が根底に存在します。

 そのため、平等に分配する同族があることで、その外部の環境からは個人で消費できる以上の「富」を「Take」しなければならなくなります。
 これは、暴走の原動力です。 → 「ファミリーが暴走の原動力!

 「Trade」には、他者の存在が必要です。
 余剰となった物資を交換という手間をかけて、それ以外の物資とおきかえる(経費をはらって変換)ことで、それ以上の効果・利益を出すのです。

 生命の存続のために、子孫を残さねばならず、そのために同等の配偶者と対等に遺伝子を出し合って(協力して)成果を出すという、有性生物にどうしても必要である根本的な社会性(平和と平等と自由)が、「Trade」の最原型でしょう。(子孫存続のため)

 「Trade」(交換)は相互利益がなければ存続できません。暴力による「Take」略奪では、交易が長続きできるわけがないです。

 そして、「Trade」が大規模に成立するのは、人間ぐらいでしょうね。知的生物らしい行為といえましょう。
 でも、本当に「人間らしい」行為かどうかは、別の話になります。

 なにしろ、「Take」も「Trade」も、しょせん原初的な倫理です。
 これを表裏一体でセットになった、「人間の桎梏」と表現したら、どう思われるでしょう・・・。


2016/03/07 T.Sakurai


作動できる思想・変化する使える機能



 「Take」は自己肉体の延長といえます。
 部下や奴隷は、自分の手足です。
 下位カーストは統治者の「所有物体・所有財産」です。
 「そういうもんだ」という思想が、上から下まで浸透して、共通認識・共通思想になっていれば、このシステムは安定して続いていきます。

 王は、だからこそ平気で奴隷を搾取できるし、奴隷はいまにみていろと屈服しつつ機会をうかがい、チャンスがきたら自分が王になり、その繰り返しが「安定」して続くのです。

 思想は、その世界の持つ「知識・技術レベル」によって、結果が大きく違います。
 「時代の進歩」によって、思想から予想もつかない新たな世界が生み出されていきます。

 逆に、「知識・技術レベル」によって「動かせる思想」・・有効に作動する「思想」が変わってきます。
 民主主義は、高度な技術水準がなければ、機能し得ないものではないでしょうか。

 しかしながら、知識は結局は枝葉末節です。
 本質的な存在ではないはずです。
 これをひっくり返した「知識に左右される思想」も、結局は、枝葉末節で、二流の思想ではないでしょうか。

 本当の人間らしい思想、人間が受け入れるにふさわしい思想はどれなのでしょうか。

 それを見極めるのに、外部環境の変化で作動効果・機能が違うかどうかを見極めるのは重要かもしれません。

 また、外部エネルギーの利用特性(効率・手間・手法)によりシステム化方法(生活様式)が左右されます。
 ・・その結果、生活形態のさまざまな展開がありました。ノマド、農耕生活、王制、奴隷制度、男尊女卑・・まだまだ続きます。


2015/11/30 T.Sakurai

  蛇足・・思想、エトスは人間の精神のOS(オペレーティング・システム)と考えたほうが良いのであろうか・・そもそもできの悪いOSがあったり、バージョンが順々にあがっていったり、フリーズしたり、新OSが登場して上書きインストールされたり、バージョンあがったら周辺機器が使えなかったり・・笑ってください。


交易が経済の原型



 交易・交換は経済の原型です。
 金銭はそれを円滑化する手段で、コストがかかり・信用保証も必要なため、治安が維持されなければ金銭は価値を失います。

 交換は、自ら生産手段を所有していないか、所有していても自己で作るより有利であれば、発生します。
 つまり生産のノウハウと設備により、労力ダウンに成功すれば、「商品」が生産できますが、それには投資(エネルギー・資材(資源)・時間)が必要です。

 また販売のための宣伝(情報公知)、運送、アフターサービス、資金回収なども必要で、総合的な経営が必要です。

 交易で豊かになるか、あるいは硬直的な生産体制となって赤字をたれながすか、さらには交易にすべて頼ることで、実質交易による支配奴隷となるかは、バランスの問題でケースバイケースです。

 原価+交易経費+ロス<利益 でなければ、「Trade」は有効ではないので、より有利になるため、生産性・量産効果・設備効果・ブランド効果などで、付加価値を高めて、差別化して、独占をはかって、競争に打ち勝たねばなりません。

 その前提として、治安・信用が安定していなければ、交易は意味がなくなり、自給自足にどんどんと追いやられてしまうでしょう。いいかえれば交易は、治安・信用に依存する一時的行為であり、本質的に危険であるといえます。

 どんなに交易を使って資本を積み上げても、それは治安を解決する決定打となりえません。(別の作動原理に頼るのだから)
 また、人道上の問題により、どんなに価値があっても交易の対象としてはならないものがあります。

 しかしまた、交易は、個人個人の競争・平等・改革を指向して、社会階層打破の突破口にもなってきました。
 先進国だけとはいえ、市民が不満をガマンできる政府が作れる「民主主義」は「Trade」倫理から生まれたのですから。

 「Trade」の功罪は、「Take」よりも、さらに複雑です。


2016/12 メモより T.Sakurai


コストの正体



 「Take」の原価はなんでしょう。ただです。もともと、どこかにあるものを拾うのですから。

 「Trade」の原価はなんでしょう。ただです。拾ったなにかを、別の拾ったなにかと交換するのですから。

 最終的に、利益を最大にしても、所有に意味がなくなれば、流動金融資産になんの意味があるでしょう。すると、交易の目的は、公益(ゴロあわせ)となります。
 (経済学のテストで上記のような回答をすると、赤点になりますが)

 「Trade」にロスや輸送経費がかかるので、減価交換になりますので、損失補てんの保険として利益が必要ですが、利益目的で「Trade」していると、袋小路にやがて入ります。


2016/11 メモより T.Sakurai


サラリーマンの大変




 捕るものは(略奪者)は、自然動物です。根本的に創造性は必要ありません。

 農業は(トレード)生産交換行為です。
 もともと土地は人間のものではありません。農業は生産であり商業なのです。

 自然と人間の知性と収穫のトレードです。
 人間による土地所有とは、結果としての、マススペースの貸与にすぎません。

 略奪者は、行為の後では保有者なのですが、本質的には「だれか」から保障されて土地を借りてすらいない無一物の存在で、侵入者にすぎません。

 財産というべきいかなるものも、人間は手にできません。(だから没落は徹底的に悲惨である)
 王族とは畑に侵入するイノシシみたいなもんですね。

 サラリーマンは本質的に「奴隷」であり、略奪者の絶対意思の元での機械です。
 自由を奪われた 奴隷は略奪者のための、生産の変換装置です。
 (現代においては、報酬との対等労使契約により、一時的に時間を交換する仮想奴隷として尊厳が守られている・・形式です。)

 サラリーマンが既得権益を私用するのは、奴隷としての権限逸脱・不正であるのは間違いありません。
 けっきょくのところ給与生活は、「Take」という動物的行動の補助作業であり、創造性は二次的なものです。
 だから職務上で創造性を発揮して自己追求するといつのまにか腐敗にさらされて悩むことになります。

 ジェイコブスは、つくづく、すごいことを発見したものです。

 倫理観を最優先にして、常に辞職を可能にして、尊厳をもって行動しなければならないわけで、サラリーマンはなかなかに大変な「仮想奴隷」なのである。

 なおかつ、命令をだしている統治者はもともと侵入者でしかないので、二重に道徳的に抑圧をうけています。

 そして企業の管理職は"統治の倫理"準拠で、企業の現場は"市場の倫理"準拠
 だからそれを対比すると、「市場の倫理」/「統治の倫理」で常に混ざってしまいます。

 腐敗の回避は人間性の回復の動機です。
 倫理によって選択して解決したいのです。

 でも、もともとが原初的二つの倫理の混合の結果ですから、構造的に発生します。
 だから倫理による選択は長続きしません。
 小手先では同じことのくりかえしです。

 経営者は統治者です。しかし、現代の経済において、「王」にはならず、カーストも作らないですませるために存在するのが、選択倫理 です。

 これは個人に大きな道徳的判断力が必要(モーセクラス)なため、長続きしません。だから世襲制は否定され、投票による任期制が必要となります。

 しかし、平和に「Take」の帝国が運営され、帝国都市が形成されたとしても、それにかかるコストはどこで負担するかという問題が残ります。
 余剰の生産性による利益が、それに投入されたエネルギーを常に上回らなければ帝国都市は崩壊するでしょう。


 それから、自営業者は、本質的に生産者です。
 そして生産者は、創造性と、行動の自由と、人間としての尊厳をもった、「仮の全権者(統治者を上回る)」である資格をもっています。

 真の「自然と契約を結んだ貸借人」でありえます。

 人間は「自然と交易」することで、自然から収穫を作り出していくしかありません。

 それを楽しんでいければいいのですが・・。


2015/12/21 2016/03/03改稿 T.Sakurai



 主戒律
(モーセ十戒 イエス2戒)個人(=家庭)倫理が中心にあり、そこから生存の倫理が派生する

 自由とは
自由 思想の自由 言論の自由 行動の自由 婚姻の自由 

 基本的人権
大きく分類して5つ、平等権、自由権、社会権、請求権、参政権

・ 平等権・・・差別されない権利

・ 自由権・・・自由に生きる権利

・ 社会権・・・人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利

・ 請求権・・・きちんと基本的人権が守られるように国にお願いする権利

・ 参政権・・・政治に参加する権利



 基本戒律

 協力 勇気 節度 慈悲 常識 先見 判断 能力 根気 信念 精力 忍耐 知恵 を尊ぶ
(市場の倫理・統治の倫理 p35)より



 副次戒律

 交易倫理「Trade」

自由 平等 友好  基本的人権  民主主義     市場経済     言論の自由

 統治倫理「Take」  帝国(都市)倫理

抑圧 差別 無慈悲 奴隷制肯定 イデオロギー独裁 統制経済・ギルド 思想統制



以下アマゾン書評より引用(参考のため)

・非暴力で、契約を守り、工夫して、win-winで取引をする"市場の倫理"

 (科学、技術、商売は、改竄しては意味が無いので"市場の倫理")

・縄張り/伝統/上下関係を重視し、手段を選ばす、ゼロサムで奪取する"統治の倫理"

・動物は、"統治の倫理"しか持っていない。人間だけが"市場の倫理"を持つ。

・勤勉だと狩り(搾取)の獲物が枯渇するので、"統治の倫理"では余暇が重要。

・市場でのルール違反を取り締まるのに"統治の倫理"は必要

両者とも自己組織化で(自然に)できた

・税金を取るのに"市場の倫理"は必要

・両者は正反対の倫理体系。"金銭"を"統治の倫理"に足すと賄賂になって腐敗。

政府意向で、銀行が融資したり、不経済な原発推進したりすれば"市場"が腐敗(例:旧ソ連、世界銀行)

国立研究所も、上/補助金に逆らえない"統治の倫理"で御用研究となる。腐敗

軍産連携は、コスト/法律無視の腐敗となる。(ロッキード事件等)

・環境活動は、政府と対抗した段階で"統治の倫理"管轄となる。

・大企業は社員が独立すれば自由に商売できる点で、軍と異なる。(軍がそうしたらクーデターになる)

・英国は、商人が、貴族のまねをして勤勉ではなくなり、「英国病」になった。腐敗

・「〜だけの利益を上げよ。方法は任せる」等というのが、"統治の倫理"が"市場の倫理"に介入しない強制の仕方。

カースト/身分制は、"統治の倫理"と"市場の倫理"の混合を防止する方法として有効だったが、融通が利かないので長期的には存続できない

・市民がどちらかを自由に選択する方法も、両者が混じって腐敗するのでやはり長期的には存続できない。一旦混じると、それまで良いことだったことが悪行化する。

・"市場の倫理"準拠の商人も、ヴォランティアの理事等になれば"統治の倫理"に準拠しなくてはならない。

・Social Business(マイクロ・クレジット等)は、"市場の倫理"がうまく機能した例。

・芸術/愛は、別の次元のこと。






自発的に合意せよ/取引を避けよ

暴力を締め出せ/勇敢であれ

正直たれ/目的のためには欺け

他人や外国人とも気やすく協力せよ/排他的であれ

競争せよ/位階尊重

契約尊重/規律遵守

創意工夫の発揮/運命甘受

新奇・発明を取り入れよ/伝統堅持

効率を高めよ/見栄を張れ

快適と便利さの向上/剛毅たれ

目的のために異説を唱えよ/忠実たれ

生産的目的に投資せよ/気前よく施せ

勤勉なれ/余暇を豊かに使え

節倹たれ/名誉を尊べ

楽観せよ/復讐せよ