ジェイコブズの二つの倫理 展開
行動による結果は、望むにせよ望まないにせよ、 「発生しまう」のです。脳内に生じた命令が体に伝わることで、具体的な何かが起こるのです。 情報の共有・集団の基準化の主体は「情報」です。 そして、この情報は、一人だけのものではなく、だれかが考え、感じ、自分以外の誰かに伝えたものからはじまります。 だれかに伝えられた情報は、検討され、実証され、整理・洗練され、さらに多くの人に伝わって、共通の基準となります。 共有情報となれば、個人の行動は規制され、方向付けられて、結果として「個人の行動」ではなく、「集団の行動」になります。 やがて情報は、体系づけられて、「戒律」「世界観」となり、特定の集団のみならアイデンティティの源泉になって、他集団との分離の契機になるでしょう。 これが「広告」 「布教」されれば、血縁以外の方法で価値観の共生相手を拡大することになるでしょう。 生物としての最初の情報は 「存在すること」の無限ループです。 単細胞生物としてループを繰り返すうちに、それは 「自己が存続すること」「子孫を残すこと」 の二つの情報に分かれます。 そして、知性をもった人間の段階において、言葉でコミュニュケーションして「社会」を作るうえで、基本戒律が成立します。(戒律・倫理も情報です) ちなみに、キリスト教の中心戒律としては、 モーセ十戒 と イエスの2戒(神を愛せよ 隣人を愛せよ) の二つが抽出できることでしょう。 「文学的」ですね。 十戒は、絶対者から、特定個人(二人称単数)に対する、禁止項目であって、なんらかの道筋を示して、奨励するものではなく、守るか守らないかの内容変更不可能な(遺言的な性格をもった)契約です。(否定的戒命) イエスの二戒はこれと方向が違って、奨励による行動コントロールです。(肯定的戒命) でも、どちらも絶対者と、個人が個別に契約し、各個人がそれぞれ同じ内容の契約をしているがゆえに、平等と相互信頼が成立する構造になります。 ここまでは、一般に良く知られているもので、賛否もありますが、違和感は少ないのではないかと思えます。 しかし、上記の二つの「倫理規範」は、作動するまでに、紆余曲折をたどらなければなりません。 そこに行き着くまでの、宗教・思想以前の段階の倫理としてあげられるものがあります。生き物を生きさせ、人間社会を作動させる源・倫理です。 アメリカの市井の思想家ジェイン・ジェイコブスのあげる例をふまえれば、下記となると思います。 基本戒律 協力 勇気 節度 慈悲 常識 先見 判断 能力 根気 信念 精力 忍耐 知恵 を尊ぶ
「市場の倫理・統治の倫理」より 上記の表のインパクト、衝撃度はかなりのものです。それぞれに優れた考察と説明がありますので、詳しいことは、ぜひとも引用しているジェイコブズの著作をお読みいただきたいです。 市場の倫理(trading 商売 取引するための仕組み) (市場の道徳 活発な商業活動の実践をささえる) 暴力を締め出せ(治安が安定した場所で取引せよ。自己は治安維持行為(暴力行使)にかかわるな。暴力をもつな) 自発的に合意せよ(双方で合意して双方に利益のある取り引きせよ。 正直たれ(自発的合意の中身。長い商売(trade)を続けるには不正直・不正・詐欺は深刻な不利になる) 他人や外国人とも気安く協力せよ(正直と密接に結びつく。正直であれば誰とも信頼・尊敬関係を結べ。そして市場原理にまかせよ。そのため信頼を作り出す方法が必要・貨幣・銀行など。ただし利害を共にしなければ関係はすぐに終わる(実利的)) 競争せよ(交渉して選択するには自由な競争が前提。競争は正直と暴力廃絶がなければ機能しない。治安が悪ければ競争も働かない) 契約尊重(自発的合意に実体を与える。商業活動には契約が必要。契約は統治者の治安能力に担保されて公正でなければならない。契約は公序良俗に従わねばならない。契約は暴力で契約内容を変更できない。契約を守らせるための法律がなければ、商人が商慣行、情報機関を自ら積み上げて、秩序を作り出した。それを統治機構が後から自ら取り入れた) 創意工夫の発揮 新奇・発明を取り入れよ 効率を高めよ。 生産的目的に投資せよ(余剰を投資せよ) 勤勉なれ(剰余を生み出せ) 節倹たれ(投資資本を蓄積せよ) (交易は、絶えず自ら努力する場合にのみ、発展可能) 楽観せよ(情報を収集して、暴力の恐怖・安全欠如への不安にうちかて 安心するため種々の保険をかけろ 対抗策で悲観を排除して行動せよ) (商人は、統治者と共生し援助を必要とする関係にならねばならない 統治者に正直が通用する治安を作り出してもらい、暴力的な商業略奪者と戦うために共同する) (島国根性とは対極である。島国根性は、社会のメンバーとお互いに終生の関係を持つため、慎重で控えめであらねばならない。遺恨と争いは家族を巻き込んで幾世代にも執拗に続きかねない) (交易は、都市で発達し、個人は身分法による奴隷扱いを脱し、個人を尊重する契約法の世界に入れた) (科学は商業型道徳に属する。 (商業生活は、労働の苦役を避ける新たな進歩的方法を生み出し続けている。さもなくば奴隷労働・児童労働・単純労働はなくならない) (欠点として・・・貪欲・吝嗇・俗物根性・消費賛美 が含まれる)
統治の倫理(take)(取るための仕組み) (領土型道徳 古典的・英雄的な徳と価値である) 取引を避けよ(王侯・貴族は商工業を蔑視せよ・距離を置け。統治(政府)資産の保護を優先するため、個人の利益のための取引は禁止。やれば不名誉である。非営利は偽善である。しかしこれは軍事的安全のための、裏切りを防ぐためのタブーである。賄賂やスパイや腐敗・インサイダー取引を道徳的に排除せよ。官僚の天下り・ロビー活動の規制。誘惑への倫理的抵抗せよ) 勇敢であれ(断固として義務を果たして、暴力を行使せよ) 位階尊重(以上の伝統 勇敢 服従は「上下関係を尊重せよ」に緊密につながる 起源は軍隊・軍事行動組織であり、実力で領土を保持する為の組織原理で、それが平時・代々にも維持されるので、階層社会が肯定されうる) 忠実たれ(統治道徳の中心がこれ。反逆は最悪の犯罪として扱われる。しかし統治者側の失政愚行。誤謬は同様には処罰されないのが普通。主権在民であったとしても。つまりダブルスタンダードの危険がある。だから、統治者は部下の忠誠に報いる道徳的責任を負う。忠誠は君主の成功に不可欠。獲得するには子供からの社会的教育と監視が必要。日本教の刷り込みも一例になる。) 復讐せよ 目的のためには欺け 余暇を豊かに使え 見栄を張れ 気前よく施せ 排他的であれ 剛穀たれ 運命甘受 名誉を尊べ (服従は人道に対する例外規定によって除外されるべきだが、実際には弾圧される(ナチ政権下では、ユダヤ人虐殺に反対できなかった)) (「上下関係を尊重せよ」これが主要組織原則である) (マルクス主義・計画経済は経済活動に上下命令組織を導入する行為。別系統の倫理の混合により腐敗・機能喪失は必然であった。) (欠点として・・・残酷・残忍・不正直・権力狂い が含まれる) 以下 前掲書からの抜書きと、自己解釈追記による補足 p168 農業の中間性 2 農業は商業倫理を必要とする。合理的、勤勉的、革新的でなければならない。 3 取引や交換は、常に農業や牧畜に結びついていること。
二つの道徳体系から、道徳律を混ぜ合わせると、限りない不正、大いなる外圧が生み出される。(プラトンも言及している)
統治者による誇大な商業プロジェクトで最も恐ろしいのは原子力発電であろう。不経済で、危険で、政府が保証しないかぎり民間企業は、手をださない。
どちらも長続きしない。しかしそれ以外に、方法は無い。 1・厳格なカースト・階級性 統治者は財産と交易に関与せず、個人としてなにも所有しないこと。 支配者は法律を遵守すること。 1・自覚に基づいた倫理選択 個人にはより大きな道徳的判断力が要求される。これが最大の落とし穴。 p283 主たる徳は、 「協力」であろう。 p287 ハンナ・アーレントは、一人一人が道徳的であることができる権利のために立ち上がれ。これが人間の基本的権利である とした p303 社会は家族を何度も作り替え、善悪とは関係なく吹き飛ばしてきた。 p309 政府とは本質的に野蛮なものだ。起源において野蛮であり、いつでも野蛮な行動と目的に走りやすい。政府には自らを文明化する力は無い。 (政府以外に、文明を推進する機関が必要である。 統治・商業の共生がそれにあたる。相互に支えあい、両者の行動をコントロールしあう。この共生が達成すれば、文明と呼べるにふさわしい。) 単純説明終わり |