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 スピリの最後の言葉


 各サイトで着実にハイジについての情報が整備されて、どんどんと深みを増してきて拝見させてもらうのが楽しみです。

 さて連休中にadelheidさんのサイトを見て、冒頭にかかげられているスピリのお墓に刻んである言葉を味わっているうちにふと気になったことがありました。

 チューリッヒにあるスピリのお墓の両側には息子と夫のお墓が並んでいます。そちらにはどんな言葉が刻まれているのだろうか?・・です。

 そこで昨年現地を旅行されたチョナンさんから鮮明な画像をいただいて調べてみました。


(画像圧縮済)

 一番左が夫・ヨハン、中央に妻・ヨハンナ、右に一人息子のベルンハルトが眠っています。

 スピリ一家のお墓の写真はよく書籍でも紹介されていますが、夫と息子の方が文字が読めるくらいにはっきり紹介されているのは私は見たことなく、今回チョナンさまの写真でようやく確認できました。

 ベルンハルトとヨハンは、1884年にあいついでこの世を去り、母であり妻であるヨハンナはただひとり残され、1901年に二人の後を追いました。

 息子も夫も、自分のお墓のことなど考えないで亡くなったはずです。
 お墓はヨハンナ自身が立てたわけで、そこに刻まれている言葉はヨハンナの息子と夫との「なにか」を語ってくれるはずです。

 ベルンハルトの方に刻まれている文字のすべては下記です。

DIETHELM BERNHARD SPYRI
ディートヘルム・ベルンハルト・スピリ
VON ZÜRICH
チューリッヒの
geb.17. Aug. 1855.
1855年8月17日生まれ
gest. 3. Mai. 1884.
1884年5月3日死亡
Die Liebe
愛は
hören nimmer auf.
けっして滅びない
1.Cor 13.5.
(新約聖書)コリント人への第一の手紙 13章5節

 「愛は決して滅びない」。
 これが母から息子への最後の言葉です。

 この聖書箇所・コリント人への手紙1の13章はキリスト教の「愛」を表現している部分として非常に感動的で有名な部分です。

 そしてこの言葉の前段にある言葉は
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」です。



 夫・ヨハンの方に刻まれているのはこちらです。

JOHANN BERNHARD SPYRI
ヨハン・ベルンハルト・スピリ
STADTSCHREIBER VON ZÜRICH
チューリッヒ市の書記
geb.. 21.Sept. 1821.
1821年9月21日生まれ
gest. 19. Dec, 1884.
1884年12月19日死亡
Selig sind die Todten,
死せる者は幸いなり、
die im Herrn sterben.
彼らは主の元にあるのだから。
sie ruhen von ihrer
労苦から解き放たれ、安らぎにある
Arbeit.
Offenb. Joh. 14.13
(新約聖書) ヨハネ黙示録 14.13

 「主に結ばれて死ぬ人は幸いである。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。(その行いが報われるからである)」(新共同訳より)

 肺炎で重態になってからも、妻に体をささえてもらいながら執務室にいった責任感の強い夫へのねぎらいの思いが伝わります。

 そしてヨハネ黙示録は、この世の悪にたちむかう人に「神の国の到来」と「死者の復活」を予告し、希望を与えるために書かれたものとされています。

 どらちも泣けてくる言葉でした。
 明らかに二人に対して、ヨハンナが選んだ言葉でしょうね。


 それからヨハンナ本人の方は意味がわかっているのでいいかな?と思っていたのですが、ついでに前後を調べたら「あっ」と驚きました。

JOHANNA ☆
ヨハンナ
SPYRI
スピリ
12.JUNI. 1827
1827年6月12日
7. JULI, 1901.
1901年7月7日
HERR, WASS SOLL ICH MICH
主よ、それなら私は
TRÖSTEN§
何に望みをかけたらよいのでしょう。
JCH HOFFE AUF DICH.
わたしはあなたを待ち望みます。
PSALM 39.8.
(旧約聖書)  詩編39.8. 


 この旧約聖書 詩編39は「ダビデの詩」とされています。
 わたしは今回、初めて最初から最後まで読んでみたのですが、

 あの言葉の前は・・


「教えてください、主よ、わたしの行く末を
 わたしの生涯はどれ程のものか
 いかにわたしがはかないものか、悟るように
御覧ください、与えられたこの生涯は
  僅か、手の幅ほどのもの。

御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも
  すべて空しいもの。

ああ、人はただ影のように移ろうもの。
  人は空しくあくせくし、
だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。」


 そして、お墓の言葉の


「主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。」


 となり、その言葉の後は


わたしは黙し、口を開きません。
あなたが計らってくださるでしょう。

わたしをさいなむその御手を放してください。
御手に撃たれてわたしは衰え果てました。
あなたに罪を責められ、懲らしめられて
人の欲望など虫けらのようについえます。
人は皆、空しい。

主よ、わたしの祈りを聞き
助けを求める叫びに耳を傾けてください。
わたしの涙に沈黙していないでください。
わたしは御もとに身を寄せる者
先祖と同じ宿り人。

あなたの目をわたしからそらせ
立ち直らせてください
わたしが去り、失われる前に。」        (新共同訳より 強調は筆者)

 となります。これは本人が選んだ言葉に間違いないでしょう。

 自らの人生への懐疑と不安が背景にあり、それが敬虔さに達してすべてをゆだねています。

 最後がこれなんですね。考え込んでしまいます。


「黙して語りません」というのは、ヨハンナが死期をさとってから、自らの手紙・草稿・原稿を(ハイジの原稿さえも!)、焼却してしまったという有名なエピソードの「動機説明」になっています。

 おそらく「右の手のすることを左の手に知らせるな」とか
「祈るときは人から見えるところではなく(敬虔さを人に宣伝するためではなく)部屋で一人で祈れ」
 といった聖書の言葉の影響もあるでしょう。
 私のような凡人には、理解も実行も、不可能に近い恐るべき自己抑制でありましょう。

 しかしながら、この言葉がお墓に刻まれた理由について、興味深い記述がありました。

 伝記「ヨハンナ・スピーリ」玉木功著によると、1901年7月7日の日曜日の朝、お見舞いに来た姪が、ベッドでおだやかに亡くなっているスピリを発見しました。

 そのとき、かたわらのテーブルに聖書がおかれていて、開かれたページのアンダーラインがひかれていたのが、この言葉だったというのです。

 もしそれが事実なら、自分を消そうとしながら、最後の最後に完全に消しきれなかったわけです。
 少なくとも消そうとした動機についてのヒントは残してしまったわけで、人間的弱さというか、人情に少しだけ屈してしまった血肉ある人物として親近感をもちました。

 チョナンさんからいただいた感想で終わりたいと思います。

「スピリが選んだ、夫への労い、子への愛情。口を閉ざし従い、運命を天に委ね、人生を全うされた証の碑ですね。」


2006/5/8

Ps チョナンさま、重ね重ね写真のご提供ありがとうございました。
 おかげで重要な言葉を特定することができました。
 それに、チョナンさんが、スイスに旅行中に、ヒルツェルのヨハンナの生まれた家の前でお昼に摘んだ野の花を、夕方にチューリッヒに持ち帰ってスピリの墓前に供えたというエピソードは、とてもすばらしいと感じました。

 幼い頃に遊んで摘んだであろう野の小さな花々を目にして、きっとヨハンナも喜んだと思います。

 ハイジが山で摘んでおじいさんに見せようとした花がしぼんでしまったように、野の花であるべきハイジがフランクフルトで元気を失ってしまった。

 これはチューリッヒでスピリが精神的においつめられた状況になったことの反映とよくいわれていますね。

 それにしても、ヨーロッパの文化におけるキリスト教の影響は徹底的で、こんなふうに聖書を引用されるとわたしたち日本人にはぜんぜん「ピン」ときませんね。(^ ^;)