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ジブリ美術館前で


ハイジ展レポート 1 2 3 4   追記


ハイジ展レポートその1

 「三鷹の森ジブリ美術館」で「アルプスの少女ハイジ展〜その作り手たちの仕事〜」が2005/5/21より1年間の予定ではじまりました。

 「あのジブリ」・・・です。

 名作を次々生み出し、日本映画の記録をいくつも持つ現時点での日本最高のアニメーション製作会社といってもいいスタジオが運営する「美術館」(^ ^;)が、ハイジをとりあげ、それを一年間の長期にわたって展示するというのですから否が応でも期待してしまいます。

 普通公開の前、5/21、5/22の両日、一日320人ずつの鑑賞会がおこなわれました。
 はがきでの抽選に当選したので、私も知り合いの少年と一緒に5/22の10:30の回にいってまいりました。

 そのレポートというか、雑感です。かなり迷走して長くなりそうなので、数回にわけたいと思います。

 開館は午前10時。
 一日のはじまりの限定80人(どう考えても館内はスカスカ)なのに、30分ほど前にもう列ができている。日本人はなんと行列のすきな人々なのだろうとちょっと感動。

 配慮していただいたのか十数分早く門があきました。建物には入れませんが、敷地内にあるトトロの巨大なぬいぐるみがおいてある「ダミー」の受付を見て、写真をとったりしたりします。
 美術館内部は写真撮影禁止ですが屋外ならいいのです。(冒頭の写真は屋外!)

 入場のさいにはすでに美術館名物になっている16ミリフィルムを切った映画の入場券を受け取ります。これでハイジの鑑賞会に入れます。

 時間まで30分。メインのハイジ展会場はまだ閉まってますがその他は開いていて、二人で屋上のロボットやら、らせん階段やらを見てまわり、さっそく迷子になってしまいました。
 あと数分で映画が始まる〜。あわててスタッフの方に道を聞いて、誘導してもらいました(恥?)

 半地下の映画館はもちろん満員。仮設のイスも10くらい用意されていました。年齢層が全体に高め(苦笑)なのはいたしかたありませんが、全体の1/3ほどは子供達でそれなりに本来見るべき年齢が参加しているなと安心しました。

 上映前には学芸員のMさんより、5-6分の説明がありました。
 ハイライトを書いてみます。(全体の半分以下)


(前略 あいさつなど)

 この作品は1974年。いまから31年前に一年間にわたって放映されたテレビシリーズなんですが今お聞きしたように皆さん誰もが一回はごらんになっている。

 放映当時も視聴率30パーセントをこえる。子どもさんがいらっしゃるご家庭はかならずみていたといわれるほど大人気作品でした。

 日曜日の夕方になったら
「ハイジがはじまるからはやくかえらなきゃ」
 という会話がされたという大ブームをおこした作品です。
 日本だけじゃありません。外国でも繰り返し放映されて、ヨーロッパでもハイジといえばこのアニメーションのことを思い浮かべるのが普通です。


(中略)

 高畑監督はハイジをアニメ化しようと企画した高橋プロデューサから打診をうけたとき、とてもなやんだそうです。

 児童文学の名作のハイジをアニメーション化する。
 でもこれは実写にしたほうがいいんじゃないかと思い、とてもなやみました。

 でも高畑勲はかんがえました。
 当時、いまもそうですがアニメーションっていうのはたいてい超能力をもった主人公とか魔法を使う女の子とかが活躍して、事件を解決して、戦いをやって勝つとか、ハデであらあらしいというか、夢のような非現実的なことを描くのが得意とされてきたのですが、高畑はこのハイジで逆をやろうと考えました。

 普通の人の日常の生活をていねいにやろう。
 それをやって、そのなかにある、ちょっと心のひっかかりのあるキラっとした大切なものをほりだせるのではないだろうか、たとえば心の動きですとか、感情のたかまりといったものがくみだせるんじゃないか。


(中略)

 彼ら(ハイジの製作スタッフ)がやったことで画期的なことの一つは、1話から最終回まで一年間にわたって、この役職をまっとうしたということです。

 これ一見あたりまえのことかもしれませんが、テレビのシリーズというのは、たとえば一月交代ごとに責任者とはいえ、誰かと交代交代でやる。長丁場ですから。
 でも彼らはそのようなことをすると、人によって、話によって、質がまちまちになる。
 そうではないにしてもテレビというのは時間がありません。
 一週間一本作らなければならないんですけれども、時間もないお金もないとなると、

  「ちょっと今回はここ動かすのをやめよう」、
  「前作っていたのをそのまま使ってしまおう。」

 そういうふうに、ちょっと手を抜くことをやっていたのですが、ハイジのスタッフたちはなるべくそんなことやめよう。ずーっと質を維持していいものを作ろう。


 だから美術にしても作画にしても、責任者が最初からおわりまでチェックをして、直しをかけて責任持ってやろう。そういうことをやりとおした。

 
(中略)

 そろそろ映画をはじめようかと思いますけど、この一話、二話、三話始めの歌も終わりの歌もそれぞれ三回ずつおとどけします(観客爆笑)

 すてきな歌ですのでおぼえて帰ってください。


(中略)

 ショップではDVDも売っていますけれども(観客苦笑)、今日一日をハイジとジブリ美術館でぞんぶんに楽しんでいってください。ありがとうございます。

 映画をはじめます。(盛大な拍手)

 (開演のベルと共に暗くなる)

 (オープニングのスイスホルンがひびきわたる)


すてきな歌ですのでおぼえて帰ってください。」

 とは、すてきな言葉ではないですか!
 解説ではもちろん宮崎駿の役割とその後の影響も語られたのですが、引用の範囲を逸脱しそうなので省略いたします。

 全体を自分なりに短縮して紹介しようかとも思いましたが、不正確な引用になるほうが問題だと思いましたので、なるべく正確に再現しようと試みました。
 この上映会は、もう見れないのですから・・・。

 一番印象に残ったのは、「スタッフが一年間責任をもって担当し、不眠不休の徹夜が続いた」というところです。


 シリーズ52回のうちの冒頭三回をきっちり見せるというのは、良い企画だったと思います。


 ただ、ジブリ美術館の映画館のイスは低年齢層のこどもたちが15分程度の作品を見ることを想定して作られているので、大人でも子供でも90分近い時間の鑑賞には明らかに不向きです。

 言われたとおり、オープニング、エンディングと、予告編まで三回分きっちり見ましたが、そのへんは省いてもよかったのではないかと思います。ただし、編集してしまうとどこまで手を入れるかという問題もでてきます。難しいです。


 大画面で見るとめだってしまう作画のアラもあります。(アッ!あの車輪反対側がないぞー。と気がついたりして・・・)

 小さなテレビ画面ならちょうど良かったけど、音は大きめで時々耳に痛いし、クッキリハッキリ大きく見せられるとハイジの真っ赤な服も少々目にいたい。


 だけど、35ミリフィルムの上映は美しかった。私がこれまで見た最高画質のハイジでした。
 レーザーディスクでは一枚目に「赤み」がかかってたり、DVDでは「ブレ」が発生したりと、ハイジのソフトにはトラブルが結構多いのですが、フィルムではそんなこともありません。

 でも、いくら質が高いといっても現在の劇場用ジブリ作品の緻密さとはわけがちがいます。

 今の水準に慣れている子どもから見たら、画質も音も、不満だらけの上映になるかもしれない…と心配でしたが、

 そこは傑作の傑作たるゆえんで、ツボにあたるところでは子供たちの反応は実に良いです。
 子供たちが物語にひきこまれて、ちょっとしたほほえましいエピソードにハラハラしたり、ホッとしてくれたり、ハイジは相変わらずの力を見せてくれます。うれしかったです。
(泣き出したり、寝たりしてる子ももちろんいますよ。それが自然ですもの) 

 さて、休憩ナシで1時間半がすぎました。
 上映会が終わったら、2階まであがって、ハイジ展本番を鑑賞です。


ハイジ展レポートその2

 

 そろそろジブリ美術館のハイジ展のレポートが各サイトにあらわれてきたようです。

 公式ページの掲示板ではチッピーさまがいち早く紹介されていて、参考にさせていただいております。ありがとうございます。(^▽^)/

 どのレポートも、あわせてごらんいただけるとより楽しめると思います。

 ここはやたらと長くなりそうなので、簡潔な紹介の方がすぐに必要です。

(追記 adelheidさまのレポートもよろしかったらぜひともご参照ください。05/10/03)

 さて二階にあがると、今度は入り口が大きく開いていました。

入室する前からでもアルムの山の大型ジオラマが目に飛び込んできます。その前にはぬいぐるみの実物大のヤギの一群がいます。

 ハイジ展は最初に一つの大きな展示室と、その後ろのU字型の通路型の展示になっています。

 廊下からすでに正面にジオラマが見えていますが、これが大きな展示室の方です。
 入ってすぐ左にはジブリ美術館館長のパネルで、高畑ハイジの意義
「展示開催に惜しみないご協力をいただいた瑞鷹、サンクリエートの皆様。貴重な資料を提供してくださった皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。」
 
などが書かれていました。(追記 これまでの経緯を考えるとちょっと感慨深いものがあります)

 その右が宮崎駿館主のあいさつのパネルで、ハイジの演出をした高畑監督を評して「一人の演出家の情熱と野心がありました」と書いているあたり、いつものとおりです。

 このハイジ展の総指揮と、かなりのコンテンツ作りは宮崎監督の手によってなされたようです。

 その右には半円形の展示台があって、中に日本語各種翻訳のハイジと高畑ハイジのシナリオがずらりと並んでいます。
 現在定番の矢川澄子訳もありますが、翻訳の中心には日本初紹介の野上弥生子訳が置かれています。大正時代の1920年に初めてハイジが日本にやってきたのです。

 展示品は昭和に入ってから改定して出された岩波文庫版で、長く日本におけるハイジの代表的翻訳でした。英語から重訳で旧かなづかいとはいえ、文章は美しく、文豪ともいえる実力作家による名訳です。

 展示の解説では、この訳が高畑ハイジを製作した時の定本であるとしています。


 たぶん高畑監督の著作「映画を作りながら考えたこと II」に収録されている「ハイジへの感謝」の中でこどものころ最初に読んだと書かれている「アルプスの山の娘」はこれでしょう。
 それになにしろ監督のお膝元での展示であり、いわば本家でそうだと展示されているわけで、これでひとつ問題がかたづきます。

 また「アニメのハイジの感覚に一番ちかいのでは」と元日本アニメのスタッフだった方が示唆されているのを読んだこともあります。

 いずれこのサイトで原作・翻訳・高畑アニメの対比を行う予定ですが、そのさいに野上訳ももちろん比較するつもりです。セリフや詩の対比で、竹山訳、角川文庫版訳、白水社版訳が参考にされたのがわかってますので、なかなか複雑になりそうですが、楽しみです。

 ちなみに現役の代表訳は矢川訳ですが、矢川さんは野上訳を絶賛して「ハイジはほんとに幸せな紹介者をえたものだ」と書いています。


 シナリオは一冊がひろげておかれていました。各地のハイジ展で展示されていたものと同じでしょう。
 それでもじっと見つめてしまいます。
 ハイジがフランクフルトから帰ってきてペーターと再び山へ行くところのような気がするのですが、どうも台詞回しが実際のテレビと違うような気がしました。じっくりと中身が見たい!


 目をふたたび上に向けると原作者スピリの紹介があり、その隣に高畑監督の紹介がパネルになっています。どのパネルも同じ大きさ でした。(ような気がする)。

 スピリについては、「(前略)少女ものの原型として、たくさんの亜流を産むことになります。経済の復興、高度経済成長の過程で『ハイジ』は次第に忘れられ、1970年代には、知っているけど読んだことのないものに、(中略)なっていきました。」とあります。
 スピリのファンとしては個人的にちょっと不満ですので、あとから資料そろえてみます。

(追記 そろえてみました(^ ^;) まずストーリについてはこちらをどうぞ→ ストーリの原型について
 それから、「図説 子どもの本・翻訳の歩み事典」(柏書房)からのデータですが、1954年より毎年、毎日新聞が全国の小学生4000人を対象とした「学校読書調査」が実施されています。
 その1960、1965、1970、1975年の翻訳作品の小学生女子の部門で、『ハイジ』は『小公女』『小公子』についでいずれも三位にランキングしており、不動の定番となっております。

 1974年の高畑ハイジ制作時点で、「忘れ去られた作品」などとはとんでもありません
 ハイジ展の展示の多くは宮崎駿さんの手によるものだそうですが、もしこれも宮崎監督の文章でしたら、どこかで固定化した先入観をもってしまったのではないでしょうか? adelheidさんもしっかりコメントしてますね・・・ )

 それでもこのサイトを作ろうかな。と思った2002年の時点で、ハイジの原作で手に入るのは福音館刊矢川訳の高価なハードカバー本しかなくて、ハイジを読み直すのにけっこう苦労してます。過去の有名訳がのきなみ絶版なのでした。

 こんな有名作すら手に入らないほどひどい出版状態になってるのか・・と驚いて、これはなんとかサイトを作らないといけない。復活だ!と思わせた動機の一つでありました。

 わずか3年前こそ、原作ハイジが半ば忘れ去られていたという状況があったのは事実でしょう。

(追記 この「ハイジ」の数年前の衰退ぶりは、90年代の児童文学の衰退とも深い関係をもっているのでしょう。
 同時に高畑ハイジの成功と、その後におきた版権をめぐる騒動により、人気とはうらはらに研究分野で極端に露出が少ない、言及されない作品になってしまいました。
 さらに推測すると、あまりの傑作で新作の二次創作の敷居が高くなってしまった。などの要因が考えられます。
 いわば『高畑ハイジ』そのものが、ハイジの一時的衰退をまねいたのでしょうか?)


 それからジオラマです。正面の壁面すべてを使って迫力あります。

 幅7-8メートル、天井までの背景含めて高さ3メートル、奥行きは深いところで3m,狭いところで1mぐらいといったところでしょうか? 寸法は目検討ですのでご了承ください。

 おじいさんの山小屋、その前で駆け出す姿勢の8センチほどのハイジ。ヤギをつれてペーターが上がってくるところを描いています。

  読売新聞ニュース参照
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_eventnews_20050524a.htm

 ペーターの家、デルフリ村、マイエンフェルト、冬の家や、見慣れた水のみ場もあります。一番下の谷間にはトコトコ動く鉄道模型があり、ちゃんと駅にとまり、また出発します。
 山からふもとまで「ものすごい角度で思いっきり」再現してあります。
 いかにもフィギィア好きの日本人らしい展示でした。細部は紹介するときりがありません。

 欲しい!と思っている人は多いだろうなあ。こんなデカイのどこに置こうかな?(バカ)


 見ごたえがあって、しばらく立っていると、自分の足元に、実物大のヤギのぬいぐるみが5頭いたりするのにあらためて気がつきます。かなりリアルだけど、ちゃんと可愛い。

 小さな子どもがぺたんと座って、二匹いる子ヤギをなでたりしてます。(スタッフの方はちらちらと見ていて。後から毛並みを直したりしてます)


 このジオラマは全体も背景も、たしかに美しいけど、なんだかすごく強引だな、実際のプレッティガウ渓谷ぞいとはずいぶん違うぞ。
 と、思ったところが、スタッフの方が教えてくれまして、この背景の下書きは宮崎監督の手によるもので、遠近感など実際に近づけるのではなく、自分の心象風景でもっともふさわしいと感じるものを描いているのだそうでした。

 写真にとった風景を忠実に引き写したのではなく、心に浮かんだ「ハイジのふるさとの本当の姿」なわけです。

 ところで、ただ見ていただけの私に、なぜ聞きもしないのにスタッフの方が親切に声をかけて、思いもかけない内訳までお話していただいたのかわかりません。
 とてもありがたいです。でも、「??」です。


 これ以後も、多くのスタッフの方とお話できました。どの方も親切で、わからないことは詳しい人に連絡をとって調べてくれるなど、素晴らしい対応でした。居心地よかったです。


 ジオラマのさらに右には、全ストーリーの簡単な紹介がありました。
 一話につき30センチ四方ぐらいのパネルが一枚ずつ。ごく短くあらすじと代表的シーンがついてるだけです。

 しかし第一話だけは、高畑監督の演出の狙いについてパネルに文字でびっしりと解説しています。

 これがスゴイ! これが面白い! 二度三度と読んでしまいます。

 おもわず「はあ〜」と納得してしまいました。
 書いた人の署名がなかったので「これはどなたがお書きになったのですか?」と、迷惑をかえりみず(すみません)たずねてみると、スタッフの方も考えて「たぶん宮崎監督でしょう」と答えていただきました。
 まだハイジ展の図録は出ていないので、会場でしか読めませんが、正確な内容はどうかお読みになってください。(追記 05/07にやっとでました。おすすめです。)

 でもせっかくですから、うろおぼえですが趣旨を書いておきます。


「高畑のめざしたもの―第一話をめぐって―」 より(ものすごく不正確な引用)

 高畑監督は重ね着したハイジの姿を誇張して書いている。これは過去のハイジのイラストなどにはない、高畑監督の独創である。


 着膨れて自由を失ったハイジが、祝福されない道のりを、おばさんの足手まといになりながら、遅れて後ろからついていく。

 それはこれまでのハイジの扱われ方そのものだった。

 そして途中で、小さくてやはり群れから遅れてしまう子ヤギと出会う。ハイジにとって自分より弱いものとの、はじめての出会いでもある。

 山をのぼっていく間にハイジは開放されていく。

 荷物がなくなり、守るものができ、友達ができ、自由にかけまわれるようになる。

 そして心の閉ざされたおじいさんに会うときは、ハイジは何も持たない「体一つ」でおじいさんと向き合う。

 ハイジは解放された心のみでおじいさんに接したからこそ、おじいさんの心を解くことができるのである。 
 (追記 図録が発行されて正確な文章が読めるようになりましたが、このままにしておきます。ぜひとも図録をお求めください)



 この全話紹介の下には、また展示台があり、その中にはハイジの主題歌や挿入歌の作詞をされた岸田矜子さんの「原稿」!が入っています。なんだか光り輝いてみえました。


 同じ展示台の中には他に、ハイジの絵コンテがあります。
 なつかしい青焼きコピーです。ホッチキスの針が錆びてます。
 初期の絵コンテはマンガ的であると解説がついていましたが、どこがどうマンガ的で現在の絵コンテとどこが違うのか、私にはちっともわかりません。これも教えていただくべきでした。

(追記  マンガ的コンテというのは、マンガとしても読めるような、絵コンテの一コマ一コマが均一な密度で描かれている。という意味らしいです。

 このコメントは宮崎駿のもので、監督には一目瞭然なのでしょうが、素人には、さっぱり意味がわからなかったのですが、スタッフの方にお聞きして、一緒に腕組みしながら考えてだした推測です。


 絵コンテは必要なコマならもっと背景まで詳細に描き、背景や画面の人物配置などが変わらなければ一切省略して、動いて演技している部分だけの記入・指示ですませてしまいます。
 すべてのコマを完成させなければならないマンガとしては読めないものです。

 画面に全身が映っていても動いているのが手だけなら、その手だけしか絵コンテでは描きません。
 マンガならもちろん全身を描かなければならないので、それを意味しているのでしょうか。」

 他にはスペイン版のLPが入っていました。


 そしてこの展示室最後の展示台です。この部屋で最も小さい展示台ですが、かけた時間は一番ながかった。(個人的事情なんかどうでもいいのに・・・)

 海外での高畑ハイジの紹介です。

 ガラスケースの上にはちいさなスピーカがあってスペイン版ハイジ第三話を流してます。
 「ペドロー」って叫んでました。

 ケース中身中央には、ヨーロッパでおみやげで売られているというプラスチック製のアルムの山小屋。中央に温度計がついてます。

 おじいさんが左でペーターが右。ハイジはというと家の薄暗い中で横向きになってます。変だなと思ってじーっと見てみると、屋根の上に赤いつまみのようなものがついていて、それを回すとハイジとペーターがぐるぐる交互に家に入ったり出たりする回転オモチャみたいです。

 ハイジなどキャラクターの姿はアニメの影響もいくらかありそうだけど、まあ普通のハイジたちでしょう。(窓が四角で、「HEIDI HAUS」と「看板」がついてます)


 そのおもちゃが文鎮がわりになって、下にひろげられているのがこのサイトでもおなじみの高畑ハイジヨーロッパ版コミックが数種類。

 絵柄は「う〜ん。これはなんとゆーか(^ ^;)」の場合も(多々)ありますが、私の知っているスペイン版コミックは1975年発行で、日本での放映の翌年での出版です。
 「すさまじく早いな」と前から感心してました。


 DVDと同じく、ヨーロッパコミックも全13巻。(勝手に作られた続編を含めると実は30巻以上までありますが…ほんとうになんというかまったくもう…)

 一冊あたり4話構成で、テレビ12話「春の音」までのコミック三巻分が1975年発行なんです。すごいです。

 このコミックは他の国にも翻訳されて、つい最近にもパッケージを変えて再版されるなど、繰り返し楽しまれているようです。
 ジブリ美術館の展示では、「メキシコ版(スペイン語)」があって、注目です。

 アルゼンチンなどでも人気があると読んだことがあって、スペイン語圏への高畑ハイジの浸透はかなり強そうです。

 展示のパネルで「ドイツ語圏以外では原作ハイジは(やはり)忘れかけられていた」が高畑ハイジで復活したとありました。

 スペインでは「1975年 スペイン テレラジオ誌 海外テレビ番組最優秀賞」を受賞しており、その授賞式の写真が飾られていました。
 トロフィーをあまりお見かけしたことのない青年(?)が手にしているので、聞きましたら「当時の佐藤プロデューサです」と教えていただきました。


 あとハイジの受賞暦としては
日本では
「1974年(本放送年)第16回 児童福祉文化奨励賞」受賞
 と書いてあります。受賞のレリーフの盾が会場の別のところに展示してありました。

 また、展示はなかったのですが私の手元にある1979年にテレビ版が編集されて東宝系で公開された「映画」のパンフレットには
「1979国際児童年ユニセフ推薦映画」
「スペイン児童アカデミー賞」
「西ドイツゴールデンベア賞」
「ゴールデン・バンビ賞」受賞
 とあって、これについてもいい機会だから聞いてみようと思って行ったんですが、映画版の存在はまったく展示されておらず、たずねてみると「映画版は高畑監督などスタッフがまったく関与していないのでわからない。」といわれました。
 お尋ねしたスタッフは懸命に別の多くのスタッフに問い合わせたりして、調べていただきましたがけっきょく不明のままでした。
 ゴールデンベア賞というと、「千と千尋の神隠し」が受賞して大きな話題となった、あの「ベルリン金熊賞」と何か関係があるのでしょうか? 気にかかるところです。

 写真のとなりには赤い表紙の大型本がたてかけてあり、見覚えあるスピリのふるさと・ヒルツェルの生家「ドクトルハウス」や「祖父の教会」、今ではスピリ博物館になっている「スピリのかよった小学校」のカラー写真がでてます。

 本の題名が見えないかなーと後ろをのぞきますがダメでした。

 例によって聞いてみますと「スイスで売られているスピリ研究書」だそうです。
……………欲しい。なんとしても。ソノウチナントカカントカナントカカントカ…としばらく腕組みしてました。変な方向に頭がいっぱいになって、後から思い出すと肝心の本の題名を聞き忘れましたので、そのうちジブリ美術館様に問い合わせてみるか、もう一度いってきます。

(追記です。 教えていただきました。スピリ単独の研究書ではなくスイス全体の案内本です。
 本の題名は
 RUEDI KUBLI - ROUVEN KUBLI
 SCHWEIZER
 SPEZIALETA:TEN 2  ということです。 まだ探せていません(^ ^;) )


 ただ、ドイツやフランスなど他の国での紹介が展示されてないのが恐らくワケアリなのでしょうか? 

 いくつか手がかりがあります。

・スペイン版は1975年と早期に紹介された(ドイツは1978年?)

・スペインでの受賞には日本のスタッフが出席している。

・スペインの主題歌や効果音は日本オリジナルを翻訳したりそのまま使用しているが、ドイツ・フランス・イタリアなどでは、効果音、主題歌はまったく別のものになっている。

 などでしょうか。




 つぎの部屋に行きます。
 部屋というか通路なんですが、右手の壁におじいさんの大工部屋、正面に山小屋の中が再現してあります。

 カベにかけられているのは100年前の当時のヨーロッパの大工道具で、スイスの博物館から借り出しているそうです。
 馬のような形の固定器具(万力)だけは、新規に制作されたそうです。
 両手で使うカンナ、クランク型の手動ドリルなど、ハイジをみていた人には、どうやって使うかすぐわかってしまいますね。(実は劇中のおじいさんの使い方は宮崎監督の推測が入っているらしいですけど)


 そばには、さりげなくカウベル・牛の首につけるベルが大小二つぶらさがっていて、子どもたちがガランガランとおもしろがって鳴らしてますが
「いいんですか?」「いいんです」
 
だそうで、私もさっそく鳴らします。

 大きい方はカリジェの絵本「ウルスリの鈴」のように、お祭りに子どもがねり歩きながら鳴らすために作られたものだそうで、だったら鳴らしていけないというわけにも…そんな単純でもないか。美術館の度量の大きさに感心しましょう。


 少々くたびれた感じのする小さい方は実際の牛に使われたものだそうです。

 黄色い色からすると「真鍮・銅と亜鉛の合金」のようで、金属板を切り取って、ハンマーでたたいて成形してリベットでとめ、取っ手を溶接で取付しています。
 一個一個手作業で作っているのでしょうか。錆びることなく、鉄より軽いです。音も明るい。


 このベルの上に例によって宮崎監督のコメントの書かれたパネルがあって、
「ハイジみたいに詳細な設定をしたアニメはなかった」と書いてますが、私にはこのパネルのスミに、おまけで書かれたヨーゼフの方が気になった。

 まるでハウルのヒンみたいなヨーゼフなのでした。(^ ^;)


ハイジ展レポートその3


TOKYO MX NEWSにハイジ展の紹介がありました。はりつけておきます。5/20に内覧会があったんですね。動画がありまして身をのりだしてしまいます。
http://www.mxtv.co.jp/tokyotoday/200505207.html

 

 この通路で一番めだつのは、山小屋の一部が再現されていることろです。

 窓もつくってあります。
 窓の向こうはきれいな風景のパネルがはめてあって、家の中から外を見ている気分になれます。(ジブリ美術館のトイレの窓もそうですね)

 窓ぎわには、おんじがハイジのために彫った木の人形達--オオツノのだんな、太った小人、アニメにはなかったヨーゼフの木彫りまで置かれていますし、、ハイジの積み木、赤いショールまであったのは、ジブリらしい遊び心です。

 中に入れないよう、床が傾けてつくってあり、全体的に小さめにデフォルメされてます。ニコニコしながら見てると、顔見知りになりましたスタッフの方の一人がニコニコと、

「この部屋の中のものは、ほとんど新しく作ったもので、古く見せかけているんですよ。
 でも100年前のホンモノが一つあります。スイスの博物館から借りているんです。
 どれかわかりますか?」

 とナゾナゾを出してくれました。
 答えてみましたが外れました。

 正解は皆さんにもナイショです。意外なものでした。お楽しみに。(^-^)

 ちなみにハイジが「大きななべ」とびっくりしたチーズ作りのなべは、ここではずいぶん小ぶりです。これはスイスで新しく作ったもので製作に2ヶ月かかったそうです。


 山小屋内部の展示の反対側の通路の壁には、またガラスの展示台があり、壁にはびっしりスイスの写真とデッサンがはってありました。

 写真は、ハイジの製作にあたって事前におこなったスイスロケのもので、高畑監督が撮影したものです。

 一番上の右側に
「例のハイジの山小屋・1920年代以前に建てられた牧童の避難小屋・オクセンベルグのハイジヒュッテ」
 
の前で、左から宮崎監督+小田部氏?+高畑監督とスイスの人たち4人がならんで写っている写真があります。
 みなさん若いです〜。
 そして、あそこまで皆様がえっちらおっちらハイキングした動かぬ証拠(笑)です。
 退色しているのもありますが、すべてカラー写真です。私は雑誌掲載の白黒写真しかみたことなかったです。


 写真の中には、姿のいい例のモミの木の写真があって、アニメそっくりです。でもこれは山小屋とは、別の写真に写ってました。
 このモミの木が本当はどこにあったのか、聞くのを忘れたのは今にして思えば「痛恨の一撃」です。
 本当のところ山小屋がいつ建てられて、スピリ自身があの山小屋を見たことがあるのか?
 1920年代に正確なハイジの挿絵を描いた画家・ミュンガー自身もやっぱり同じように登ったのか。さてどうなのでしょう。

 ねこばすちゃんさま。もし行かれるようでしたら、ナゾ解きの引継ぎお願いいたします。
 冬の家と丸窓の件もできましたら・・・と虫のいいこと言ってる私は当分いけそうにないのです。
(プレッシャー感じないで下さいね。基本的に冗談なので・・・)


(追記です やはり山小屋の後ろにモミの木はなかったのでした。・・・と思ったところがギッチョンチョン。ここをご覧ください。
 ハイジ展でも小さく写真がありましたが、チョナンさんが確認しました。
 なんと昨年、新しくモミの苗木が三本アニメそのままの配置で山小屋の後ろに植えられました。あのねぇ・・・。ついにやっちまいましたか!・・・。です。 でも、とってもうれしい。
「ねえ、おじいさん。このモミの木はいつから生えているの?」
「さあなあ。ずっと昔からだよ」
なんて、いつかハイジみたいな女の子がたずねるのでしょうか?

 でも「ハイジの山小屋」と称する、あの「山の牧童の避難小屋」が、
 なぜ「ハイジの山小屋」と呼ばれるようになって、
 いつごろ建てられて
 本当にスピリと関係があるか、については、ずいぶんと美術館のスタッフの方に調べていただきましたが、結局はわかりません。
 いろいろお手数かけて申し訳ないです。あとはスイスの観光局にたずねてみましょうか?

 でも、高畑ハイジの制作のためのロケをする時点で、あの小屋がすでにハイジの山小屋と呼ばれていたので取材にいった。ということは確認いただきました。 (^-^)/ )



 しかしまあ、今回のハイジ展は、ジブリが主体なだけに、会場スタッフの熱意と知識量はものすごくレベルが高い。
 資料もすごくて、情報量と収集能力がかつてないほど整っています。
 多くのスタッフがいて、誰かが何か特別なことを知ってる可能性が高いので、質問のネットワークのなかに思いもかけないモノが見えてくることがあります。

 時には高畑監督ご自身が会場に姿をあらわし、直接質問に答えてくれるという究極に近いハイジ展です。数々のナゾをときあかすには千載一遇のチャンスといえます。(26日に実際にお見えになったそうです)

 皆さん、どんどんハイジ展にいきましょう。


 続けます。

 ガラスケースの展示台の中は、作画監督キャラクターデザインの小田部羊一さんのデッサンなどです。

 これまでのハイジ展でもいくらか展示がありましたが、今回はもっとも分量的に多いでしょう。
 ただ、初期の少女マンガ風のものは見当たりません。まじめなデッサンが主です。リアル風のハイジのデッサンは、アニメのキャラクターがどのように決定されていくか収束の過程をうかがわせなます。
 でも、できればもりやすじさんの初期版ハイジやパイロットフィルムなども紹介して欲しかったと思います。期待してましたのでちょっと残念ですけど、次の機会に期待しましょう。

 このケースの中には、実際に使われたセル画が二枚ありまして、
「実際に使用されたセル画。ほとんどのこっていない」
 と、ありました。意外な少なさです。


 そういえば、過去のハイジ展ではセル画はほとんどまったく見かけませんでした。

 実は最近、私はかつてアニメファンだった方からハイジのセル画や背景、絵コンテのコピーなど20点近くをゆずりうけました。

 貴重なものだとはわかっていますが、いかんせんシロウトなので、どう保存していくか悩んでいました。

 それ以外にも、別のルートで原画・動画・作画監督修正・絵コンテなどの資料も部分的に入手しております。

 ジブリ美術館で聞けば、最善の答えが返ってくると思っていましたので、さっそく近くを通りかかったスタッフの方にセルの保存方法を訊ねたところ、親切に教えていただきました。
(お仕事中、何度もお願いして、本当に申し訳ない。もちろん特定の方ばかりに聞いたのではありません。どなたも誠実でした)


・ セル画は光に弱い。太陽光線や紫外線はさけてください。
 いつも部屋に飾っておくのはおすすめできない。
 とくに黒の輪郭線が弱く、色絵の具と接している部分は展示してあるセル画もすでに消えつつある。
・ 温度が一定の場所に保管して極端な温度変化を防ぐ(カビに注意)
・ 背景との貼りつきがあったらそのままにしておく(対処方法無し)
・ 重ねて寝かせると圧力でますます貼りつくので、1枚ずつにして立てて保管する。
 
などでした。

 私はアニメについて素人ですからセルについてもなにひとつわかっていません。
 大変参考になりました。


 そして、もしジブリ美術館さんに寄贈することは可能でしょうかと聞いたところ、即答で「可能です」といっていただきました。

 これで自分がもちきれなくなった場合の退避場所、またはより有効に展示保存できる可能性のある方法が確保でき一安心です。


 そして、
「以前は、アニメは完成したフィルムがすべてで、セルなどはもともと廃棄するものとしてとらえられていた。

 保存を想定していないし、また保存していくとどうなるか、実はだれも予想がつかない。

 製作時期が異なり、セルや絵の具の材質などが違えば劣化の程度も違うでしょう。

 これからどのような形で残していくか問われているのです」

 といった主旨のことをうかがいました。 なんだか、新しい分野が開けてきそうです。
 この問題については、レポートの終わりに、独立した形式で、再度書いてみたいと思います。


 U字型の通路のつきあたりにきました。あと残り1/4です。ここにペーターのおばあさんの使っていたようなつむぎ車があります。

 少し小ぶりで、ジブリ美術館の購入品で、修理して展示しているそうです。使い込んだ雰囲気がありながらも、触ると壊れてしまいそうな、木の機械といった感じです。


 その上に絵葉書大のイラストが10枚あります。

 さらに右の通路の先を見ると、同じ絵柄で所狭しとハイジのいろいろな場面のイラストが、これでもか!と大小さまざまな大きさでプリントされてベタベタと貼ってあります。
 ところどころには宮崎監督のコメントまでついてます。
 この取り上げ方は普通ではありません。異常といっていいくらいです。


 皆さんがお目にしたことがあるはずの、ハイジの最新訳・岩波少年文庫の上田真而子訳2003/4に採用されたマルタ・プファネンシュミート(Martha Pfannenschmidt 1900-1999)のイラストです。



 このイラストは、1944年に発表されたもので、スイスで出版された大型のハイジの本のためのものです。

 第二次世界大戦(1939-1945)末期、ヨーロッパ全体がメチャクチャで、かろうじて平和を守っていたスイスでも物資不足で、不安と苦難の中にあったというのに、こんなにも豪華で大型のハイジの本の出版がなされていたとは感動的です。平和への強い意思を象徴するようです。


 その本の現物がガラスケースの中に展示されていて、六角形亀の子型の旧字形のドイツ語がならんでいました。
 当時のドイツはすでに標準型のアルファベットを使っていましたが、スイスの本はまだ旧字を使っていました。ドイツが文字を切り替えたのはナチスの政策の一環ですから、抵抗の意味もあったのでしょう。

 展示されているイラストの数をかぞえてみます。「えーっと、あっちに10枚、こっちに何枚・・・ ゼンブで88枚!」(まちがえたらゴメンネ)

 この本のために描かれたイラストは全部で241枚だそうです。すべてカラーです。
 もっとおもしろいことに、カラーの印刷は当時はコスト的に難しかったため、最初に買う本にはイラストがついていなかったそうです。

 イラストは名刺大のカードになっていて、チーズ文房具やチョコレートを買うと一枚ついてきて、裏の番号と本に印刷されている番号を合わせて貼り付けて本を完成させていくんだそうです。面白いじゃないですか(爆爆笑) チーズと書いたのはチョコの聞き間違いでした
 

 そして、高畑ハイジ製作前に取材のために、スイスのシュピーリ文書館をおとずれた高畑監督や宮崎駿に、研究員の方がアドバイスして、このマルタさんのイラストを参考にするようにすすめていたのです。
 高畑ハイジが初期設定のおさげ髪から短髪になった理由がスイスの研究員のアドバイスだというのは聞いたことがありますが、その他の設定でもアドバイスがあったわけです。


 展示されたイラストをみていくと、確かにアルムの山小屋の食器など、アニメそっくりです。というより、膨大な設定をするにあたって、宮崎さんの参考資料として重要な位置を占めるのがマルタさんのイラストだったわけです。
 
 マルタさんはずいぶんと長生きをされて、最近までご存命でスイスにおられたようです。その生涯はスピリとも少しだけ重なっています。
 ハイジのイラストを描くときグラウビュンデンのハイジゆかりの地をいろいろ取材されたそうで戦前のドイツも知っておられたそうです。
 フランクフルトのイラストに宮崎監督が「マルタさんは、戦前の空襲を受ける前のフランクフルト・アム・マインを知っていたのだ・・・」とコメントを付けられていて、胸が痛みました。

 フランクフルトはゲーテが生まれ、ドイツ国民議会がひらかれて共和制のドイツ三色旗をはじめてかかげらながら挫折し、プロイセンに占領され、ビスマルクに嫌われ、第一次大戦後はヒットラーに嫌われ、第二次大戦では97回の空襲をうけ市民の半数が路上生活者になったといわれています。(T-T)

 ハイジのロケのとき、高畑監督たちはまだマルタさんが存命なのを知らず、会わなかったのが残念だったそうです。

 マルタさんのイラストの一枚はクララのおばあさんで、これがアニメの「おくさま」とそっくりなんです! 

(追記 チョナンさんのレポートでも紹介されてます。例の「ハイジ冬の家」とされるハイジ博物館でも展示がありました。 こちらをごらんください。)
  


ハイジ展レポート その4


 

 ハイジ展の最後の壁面です。
 本当はU字型の通路の最後の直線ですが、右の壁はたんにアニメのハイジのシーンを印刷したものと、スタッフのリストが展示してあるだけで・・いったらわるいけど穴埋めです。

 いずれ何か追加展示される余地かもしれません。

 (ジブリさんにプレッシャーかけとこ♪。よろしくお願いいたしますねー!)

 しかしながら、こうなっているわけは、もうひとつの壁面がすごすぎるからかもしれません。

 この最終面を観客にじっくりみてもらうため、あえて壁面一つを捨てているとしたら、正解です。

 両面をじっくりみようとするとそれぞれの壁面に集中するお客のお尻どうしが壮絶なケツアツ比べをするかもしれません・・。通過する人の流れも悪くなるし。

 最後の壁面とは、この展示の結論部分を担当している・・・宮崎駿さんの、マンガ絵物語風ボード群です。

 6枚ほどだったかな?

 どれも情報量が多くて、コミカルな見かけのなかにぎっちりウンチクと真実と諧謔と隠蔽(^ ^;)があって読み解くのが一苦労な難物ぞろいです。

 はっきり言って私の能力を越えていて・・(他の展示だってそうですけどネ)よくわかんないのでした。


 ボード1

 非常口(実は中は作業室らしい)のスミに隠れるようにしてある縦長のボード。トトロのススワタリに似せたおおくの「ハイジスタッフムシ」たちがヘトヘトヨレヨレになりながら意地と根性のガンバリムシになって、ヘンテコな機械に材料を入れて「ハイジというシリーズの水の流れ」を作り出そうというドタバタを描いています。

 各部署の苦闘をあらわしています。

 ボード2

 美術を担当された故井岡氏をしのぶボードです。

 ハイジが質のよい作品として高い評価を得られることになった功労者として紹介しています。

 背景の美しさは作品の質を高めるもっとも有効な手段なのだそうです。
 井岡氏は多くのスタッフに無理を言ってうまい絵をかかせるのではなく、ほどほどの水準で描かせてから、自分がザックリと、すばやく、大きく手を入れて統一していったそうです。
 「はやい・うまい・やすいすごいだったかな? でした。

 作品のキーとなるポイントを見抜く力が高く、そのシーンの背景に、特に力を集中し、よいものをつくりあげたそうです。

 いつ見ても一人でもくもくと仕事をし、(どのスタッフも忙しすぎたのでおしゃべりしているヒマなどなかったそうですが)北海道出身のためか、仕事中を描いたイラストには机の横に「メークイン」(ジャガイモ)のダンボールと酒の一升瓶が描かれています。

 私がファンの方からゆずっていただいた資料の中には、背景も何枚かありまして、ポスターカラーで描かれた色彩の美しさには確かにほれぼれとします。

 しかし、このボードの中には、この美しい背景群がバケツの水につっこまれてる場面もあって、(う〜)、一度使った絵の絵の具をバケツの水で落として、また別の色をつけて使うのだそうです。

 ・・・ってことは、ばら色に変化する夕焼けの山や、谷間の雲がはれて丸い虹がかがやく場面なんてのは、そうやって作ったのでしょうか。
 もったいないというか、さすがプロというか、うなるばかりです。

 現在ジブリ作品の自然描写の美しさは定評がありますが、その基点は井岡氏の業績かもしれません。

 ボード3

 0.25ミリの挑戦(だったかな?・・・いかん、記憶が薄れていてよく思いだせん)

 このボードの内容が一番わからなかった。
 どうもアニメの撮影台の話で、レイアウトをする宮崎さんの工夫と苦闘を描いた「らしい」 
(まあ、どのボードもちんぷんかんぷんなんですけど)

 わからないなりに紹介すると、アニメを撮影するときには特別な台があって、それには何層かガラスがあって背景やセルを何枚も重ねて、それぞれを動かせる構造になっているそうです。

 その各層を動かす最小目盛が当時0.25ミリで、一コマごとに何ミリか指定して動かしていくと、背景が指定したスピードで上下左右にながれていくことになります。

 また手前に何枚かセルをおいて、それぞれ速度を変えて動かすことで、比較的簡単に画面に奥行きをだすという手法があり、絵を書く枚数を減らし、それでいてリアルな感じをだすことができるそうです。

 これを担当したのが、画面設定という役職名の宮崎駿の仕事だったようで、いわば理論的カメラマンで、アングルを設計して、その指定を現場に出す立場だったのです。

 背景やさらに分割して手前や奥に置いた背景やセルを、方向を変えて動かしていく。

 最小目盛りの0.25ミリでそれをやることは、当時の常識からはずれた極端に遅い速度だったらしいですが、それがハイジの画面に新鮮さを与えることにつながった。とありました。

 この「遅さ」の魅力に当時の宮崎駿はとりつかれました。
 これはどうも画期的なことらしくて、そのための換算表が誇らしげに貼ってありますが。
 すみません・・・私さっぱり理解してません。

 ドイツ版ハイジを見ていると、エンドクレジットに監督・高畑勲、製作ズイヨーとならんで、カメラ担当者の名前が出てきます。

 これの意味を考えると、実写映画では、どうもカメラマンの役割が非常に大きいと考えている可能性があり、それでアニメの場合もカメラを担当するヒトが、監督についで重要と思われたようです。

 だったら、ドイツのハイジのクレジットに高畑勲と名をつらねるべきなのは宮崎駿ですよね。

 それにしても二人しか名前がでてないのはさびしい・・・。傑作の重要スタッフなのに、扱いはこんなもんなのか? ちょっとひどい。


 ボード4 粘る粘る粘る

 高畑監督の「演出」という仕事を描いています。

 アニメの制作方法について私はまったく知りません。

 アニメは絵をたくさん書いて、それを一枚一枚見せて、目の残像を利用して連続した映像に錯覚させる。というのは知ってますが、では、絵を描かない「監督」が、いったいナニをどうやって作品を「作る」のだろう。

 絵がかけないなら、できるわけないじゃん。と、オバカな私には思えてなりませんでした。

 しかし、このボードには、高畑監督のかかわっている部分がコンクリートブロックで示され、そうでない部分はいかにも不安定そうなうすっぺらな木の部分で表現されています。

 一種の自虐ギャグでしょうが、その部分というのは、宮崎駿担当の場面設計と実際に絵を書く原画・背景部門で、

「この部分は演出はハラハラして待つしかない」

 
と書いてあります。なるほど・・・なんとなくわかってきました。

 シリーズの全体構成があって、シナリオがあって、絵コンテがある。そのどれにも高畑監督がかかわっていて、変更することができる。

 絵コンテという作品の設計図が、何話分かロボットアニメで有名な冨野氏が書いたことはよく知られていますが、枠を指定して一度別の人に書いてもらった絵コンテ(映画の設計図)を演出で修正してしまうのですから、やはり創作源泉は演出の高畑監督なわけです。

 背景を書いた井岡氏と同じようなやり方で、多くの人に仕事をさせながら、最後に自分が指示・修正して統一してしまうのです。

 キャラクターの芝居の詳細をきめ、セリフ、タイミングを秒単位ですべて決めます。

 数秒短くするためレイアウトの宮崎さんが夜帰るときにも高畑監督が机にむかっており、翌朝出社してもまだ同じ姿勢で作業していて「やっと半分短くなった」とか言いながら、ひきつづき変わらず作業を続けていく。なんてところは鬼気迫ります。

 また、声優がセリフを吹き込むアフレコのところも「コンクリート」ですが、演出が立ち会うと断然良くなる。と書いてあり、

 伴奏など音楽もセンスがいいのだが残念ながらほとんど立ち会えなかった。とあります。つまり、やりたいができなかった。しかし指示は出していた。(すでに記憶があいまいで引用メチャクチャです)
(追記 図録のために再訪問したら、ボードの枚数など記憶がメチャメチャなのがよーくわかりました。あっはは、です。ワラってやってくださいな  (^-T;) )

 演出はそれこそ無限に仕事がある。とも書いています。
 ですから全部できるわけがない。しかしすこしでも質を上げるために「粘る粘る粘る」ということらしいと私は解釈しました。(たぶん間違っているでしょう。勉強してみます)

 ところで私が思ったのは、なぜ呼び名が「演出」であって「監督」ではないか。です。

 これがハイジのアニメを見るとき、ひっかかってどうしょうもなかった点の一つでした。

 クレジットの最後に名前がでるからには、高畑勲が製作現場の最高権限者であり、すべてに関与して自分の意志を実行させ得るはずである。それを普通は監督といってます。

 そして作品が傑作なら監督の功績だし、ダメならこれまた監督の責任であると普通の人は考えます。

 確かに高畑勲は、自分の構想をもち、「野望」をもって実現しようとして、その手段ももっていました。

 スタッフからの信頼は絶大で宮崎駿は
「高畑勲のコンテは何をしなければならないかよくわかった。絵のタイミングが判るマレな演出家の一人であり、3コマアニメの演出の完成者である」
 
とほぼ絶賛して書いていました。
 ちなみに適当に文章つなげてますので、実際のパネルをゼッタイにごらんくださいね。

(もっとも宮崎駿は、かつての本では、「高畑監督はスタッフの生き血を吸い取る日本住吸血虫である」ともいってたような気がします)

 能力があるのだったら実行すればいいです。が、世紀に輝く傑作映画を作ろうと思ったところが、ピカピカのハリウッドスタジオではなくて、家内制手工業の町工場だった。
 運命的に最高のスタッフがそろったというのに!なんてこった。ということでしょうか?。

 毎週確実にやってくるテレビの放映により、やろうと思えばできるのにできない仕事がヤマのようにできて、目の前を流れていく。

 これで最高責任者といえるか?
 確かに指示はだすが、必ずしも完全に満足いく指示ではないでしょうし、出した指示も実現できない。不本意にきまっています。

 自分の仕事をすべてやれば…。考えていることが実行できれば…たぶん実現できるような気がする。

 しかし現場は流れていく。それはどうしょうもない。だから「演出」なのではあるまいか。「監督」と呼ばれたくないのではないか。

 「演出」という呼び名には悲痛な意味が含まれているのではなかろうか?
 なんか暗くなってきます。

 それでも、最後にハイジは傑作として認められていくのです。


 ボード5・6

 その暗さをひきずるのが連続するボード二枚です。(もはやボードの枚数すら適当です。いいかげんだぞ。どうとでもいっとくれ!)

 一枚は製作プロデューサの苦労。
 一枚は仕上げの女性のたくましさ。
 怒涛の締め切りに立ち向かう青春群像で、ドタバタマンガ形式で笑いをとりつつ、実際には陰惨と隣り合わせのとんでもない「戦場」だった「らしい」のがわかります。
 これが会社組織といえるのか! 

 仕上げの(たぶん?)ロングヘアーの女性「キリバリ攻撃―ッ」ていうのもよくわかんない。

 これでキバむいた「テレビスケジュール怪獣」を女性が撃退してるってことは、過去のセルなどを切ったり貼ったりして間に合わせたということか? 

 このボードの最終コマはハイジ全52話が終わって、スタッフが横に並び、明るく夕日に向かって「青い山脈」よろしく歩いていく場面です。(この表現は会場スタッフの方に教えていただきました)

 しかし…終わりではなく、テレビは奇跡的なガンバリをあたりまえのものとして、それからも毎週要求していったのでした。

 やがて、それがテレビにおける児童文学のアニメ化の質の低下とマンネリに変質していったのも無理からぬ出来事であると書いていませんが「暗示」していました。


 ボード7

 これが最後のボードです。

 これを見てしまえば、あとたったの一歩で会場を出てしまいます。

 内容はシンプルそのものです。

 ポスターに使われているアルムの山小屋遠景(冒頭の写真のポスター)のイラストが大きく全面プリントされ、その中央に
 黒の活字で一行の文が書かれているだけ
 
です。宮崎駿の書いた言葉です。

 これまでのこまごまとした内容のボードに比べれば、みすごしてしまいそうですし、事実このボードだけあっても何の意味も読み取れないでしょう。

 勝手に私がネーミングさせていただければ「宮崎語」で書いてあって、深い意味をもちながらも一人よがりで、読む人をわかったような気持ちにさせながら、実はわからせずに煙にまき、そのくせ純粋であるという、解読の難しい一文です。

 しかし、この言葉がこのハイジ展のすべての展示の「結語」であり、
 会場内で最も重要な展示といえます。

 その内容は、短いので書くのは簡単ですが、私には書く資格がありません。

 これは高畑ハイジの製作にかかわった人々にのみ許される言葉です。

 私の解釈では

「やるだけやった。苦しいが充実した時間だった。貴重な瞬間だった。あの時、我々は本当の意味で生きていた。あの時間があったから今の自分たちがある」

 そんな実感が感じられました。

 もちろん、これは私の感想ですから間違っているかもしれません。

 実はわたしもこれと同じ言葉をいいたいのですが、まだそれを言えない自分がいます。

 この一文を見るためだけでも、ジブリ美術館に足を運ぶ価値があります。

 どうぞ、実際に自分の目で見て、読んでみてください。そしてクビをひねってみてください。

 (ネタバレ禁止でお願いします)

 これでこのレポートをひとまず終了いたします。
 ハイジ展見終わった後、ヘトヘトでした。

 この駄文を書いているバカは、正真正銘のオッチョコチョイなので、記憶違い、忘却、見逃し、解釈違いなどなどなど。で、誤りがあったらゴメンナサイ。でも責任はとりません。とれません。ご容赦ください。

 ちなみにメモは走り書きのレポート用紙三枚です。

 長文乱文お許しください。


 ちなみに、やはりこのハイジ展を統括したのは宮崎駿のようで、
 高畑監督の直接の言葉は一つもありません。
 しかし、あとで会場全体を見て、納得していただいたそうです。

tshp 2005/5/31
(訂正追記2005/10/03)

(追記あります)
 これがまた長くなりそう。


ハイジ展紹介ページ

http://www.walkerplus.com/tokyo/latestmovie/report/report3462.html