ハイジ展レポートその1 「三鷹の森ジブリ美術館」で「アルプスの少女ハイジ展〜その作り手たちの仕事〜」が2005/5/21より1年間の予定ではじまりました。 「あのジブリ」・・・です。 名作を次々生み出し、日本映画の記録をいくつも持つ現時点での日本最高のアニメーション製作会社といってもいいスタジオが運営する「美術館」(^ ^;)が、ハイジをとりあげ、それを一年間の長期にわたって展示するというのですから否が応でも期待してしまいます。 普通公開の前、5/21、5/22の両日、一日320人ずつの鑑賞会がおこなわれました。 そのレポートというか、雑感です。かなり迷走して長くなりそうなので、数回にわけたいと思います。 開館は午前10時。 配慮していただいたのか十数分早く門があきました。建物には入れませんが、敷地内にあるトトロの巨大なぬいぐるみがおいてある「ダミー」の受付を見て、写真をとったりしたりします。 入場のさいにはすでに美術館名物になっている16ミリフィルムを切った映画の入場券を受け取ります。これでハイジの鑑賞会に入れます。 半地下の映画館はもちろん満員。仮設のイスも10くらい用意されていました。年齢層が全体に高め(苦笑)なのはいたしかたありませんが、全体の1/3ほどは子供達でそれなりに本来見るべき年齢が参加しているなと安心しました。 (前略 あいさつなど) この作品は1974年。いまから31年前に一年間にわたって放映されたテレビシリーズなんですが今お聞きしたように皆さん誰もが一回はごらんになっている。
高畑監督はハイジをアニメ化しようと企画した高橋プロデューサから打診をうけたとき、とてもなやんだそうです。 児童文学の名作のハイジをアニメーション化する。 でも高畑勲はかんがえました。 普通の人の日常の生活をていねいにやろう。
彼ら(ハイジの製作スタッフ)がやったことで画期的なことの一つは、1話から最終回まで一年間にわたって、この役職をまっとうしたということです。 これ一見あたりまえのことかもしれませんが、テレビのシリーズというのは、たとえば一月交代ごとに責任者とはいえ、誰かと交代交代でやる。長丁場ですから。
そろそろ映画をはじめようかと思いますけど、この一話、二話、三話始めの歌も終わりの歌もそれぞれ三回ずつおとどけします(観客爆笑) すてきな歌ですのでおぼえて帰ってください。
ショップではDVDも売っていますけれども(観客苦笑)、今日一日をハイジとジブリ美術館でぞんぶんに楽しんでいってください。ありがとうございます。 映画をはじめます。(盛大な拍手) 「すてきな歌ですのでおぼえて帰ってください。」 とは、すてきな言葉ではないですか!
今の水準に慣れている子どもから見たら、画質も音も、不満だらけの上映になるかもしれない…と心配でしたが、 さて、休憩ナシで1時間半がすぎました。
そろそろジブリ美術館のハイジ展のレポートが各サイトにあらわれてきたようです。 公式ページの掲示板ではチッピーさまがいち早く紹介されていて、参考にさせていただいております。ありがとうございます。(^▽^)/ ここはやたらと長くなりそうなので、簡潔な紹介の方がすぐに必要です。 (追記 adelheidさまのレポートもよろしかったらぜひともご参照ください。05/10/03) さて二階にあがると、今度は入り口が大きく開いていました。 入室する前からでもアルムの山の大型ジオラマが目に飛び込んできます。その前にはぬいぐるみの実物大のヤギの一群がいます。 ハイジ展は最初に一つの大きな展示室と、その後ろのU字型の通路型の展示になっています。 廊下からすでに正面にジオラマが見えていますが、これが大きな展示室の方です。 その右が宮崎駿館主のあいさつのパネルで、ハイジの演出をした高畑監督を評して「一人の演出家の情熱と野心がありました」と書いているあたり、いつものとおりです。 このハイジ展の総指揮と、かなりのコンテンツ作りは宮崎監督の手によってなされたようです。 その右には半円形の展示台があって、中に日本語各種翻訳のハイジと高畑ハイジのシナリオがずらりと並んでいます。 展示品は昭和に入ってから改定して出された岩波文庫版で、長く日本におけるハイジの代表的翻訳でした。英語から重訳で旧かなづかいとはいえ、文章は美しく、文豪ともいえる実力作家による名訳です。 展示の解説では、この訳が高畑ハイジを製作した時の定本であるとしています。
たぶん高畑監督の著作「映画を作りながら考えたこと II」に収録されている 「ハイジへの感謝 」の中でこどものころ最初に読んだと書かれている「アルプスの山の娘」はこれでしょう。 また「アニメのハイジの感覚に一番ちかいのでは」と元日本アニメのスタッフだった方が示唆されているのを読んだこともあります。 いずれこのサイトで原作・翻訳・高畑アニメの対比を行う予定ですが、そのさいに野上訳ももちろん比較するつもりです。セリフや詩の対比で、竹山訳、角川文庫版訳、白水社版訳が参考にされたのがわかってますので、なかなか複雑になりそうですが、楽しみです。 ちなみに現役の代表訳は矢川訳ですが、矢川さんは野上訳を絶賛して 「ハイジはほんとに幸せな紹介者をえたものだ 」と書いています。
シナリオは一冊がひろげておかれていました。各地のハイジ展で展示されていたものと同じでしょう。
目をふたたび上に向けると原作者スピリの紹介があり、その隣に高畑監督の紹介がパネルになっています。どのパネルも同じ大きさ でした。(ような気がする)。 スピリについては、「(前略)少女ものの原型として、たくさんの亜流を産むことになります。経済の復興、高度経済成長の過程で『ハイジ』は次第に忘れられ、1970年代には、知っているけど読んだことのないものに、(中略)なっていきました。」とあります。 (追記 そろえてみました(^ ^;) まずストーリについてはこちらをどうぞ→ ストーリの原型について それでもこのサイトを作ろうかな。と思った2002年の時点で、ハイジの原作で手に入るのは福音館刊矢川訳の高価なハードカバー本しかなくて、ハイジを読み直すのにけっこう苦労してます。過去の有名訳がのきなみ絶版なのでした。 こんな有名作すら手に入らないほどひどい出版状態になってるのか・・と驚いて、これはなんとかサイトを作らないといけない。復活だ!と思わせた動機の一つでありました。 わずか3年前こそ、原作ハイジが半ば忘れ去られていたという状況があったのは事実でしょう。
それからジオラマです。正面の壁面すべてを使って迫力あります。 幅7-8メートル、天井までの背景含めて高さ3メートル、奥行きは深いところで3m,狭いところで1mぐらいといったところでしょうか? 寸法は目検討ですのでご了承ください。 おじいさんの山小屋、その前で駆け出す姿勢の8センチほどのハイジ。ヤギをつれてペーターが上がってくるところを描いています。 ペーターの家、デルフリ村、マイエンフェルト、冬の家や、見慣れた水のみ場もあります。一番下の谷間にはトコトコ動く鉄道模型があり、ちゃんと駅にとまり、また出発します。 欲しい!と思っている人は多いだろうなあ。こんなデカイのどこに置こうかな?( ハ ゙ カ)
見ごたえがあって、しばらく立っていると、自分の足元に、実物大のヤギのぬいぐるみが5頭いたりするのにあらためて気がつきます。かなりリアルだけど、ちゃんと可愛い。 小さな子どもがぺたんと座って、二匹いる子ヤギをなでたりしてます。(スタッフの方はちらちらと見ていて。後から毛並みを直したりしてます)
ところで、ただ見ていただけの私に、なぜ聞きもしないのにスタッフの方が親切に声をかけて、思いもかけない内訳までお話していただいたのかわかりません。
これ以後も、多くのスタッフの方とお話できました。どの方も親切で、わからないことは詳しい人に連絡をとって調べてくれるなど、素晴らしい対応でした。居心地よかったです。
ジオラマのさらに右には、全ストーリーの簡単な紹介がありました。 しかし第一話だけは、高畑監督の演出の狙いについてパネルに文字でびっしりと解説しています。 これがスゴイ! これが面白い! 二度三度と読んでしまいます。 おもわず「はあ〜」と納得してしまいました。 でもせっかくですから、うろおぼえですが趣旨を書いておきます。 「高畑のめざしたもの―第一話をめぐって―」 より(ものすごく不正確な引用) 高畑監督は重ね着したハイジの姿を誇張して書いている。これは過去のハイジのイラストなどにはない、高畑監督の独創である。
山をのぼっていく間にハイジは開放されていく。 荷物がなくなり、守るものができ、友達ができ、自由にかけまわれるようになる。 そして心の閉ざされたおじいさんに会うときは、ハイジは何も持たない 「体一つ 」でおじいさんと向き合う。 ハイジは解放された心のみでおじいさんに接したからこそ、おじいさんの心を解くことができるのである。
この全話紹介の下には、また展示台があり、その中にはハイジの主題歌や挿入歌の作詞をされた岸田矜子さんの 「原稿 」!が入っています。なんだか光り輝いてみえました。
同じ展示台の中には他に、ハイジの絵コンテがあります。
絵コンテは必要なコマならもっと背景まで詳細に描き、背景や画面の人物配置などが変わらなければ一切省略して、動いて演技している部分だけの記入・指示ですませてしまいます。 他にはスペイン版のLPが入っていました。
そしてこの展示室最後の展示台です。この部屋で最も小さい展示台ですが、かけた時間は一番ながかった。(個人的事情なんかどうでもいいのに・・・) 海外での高畑ハイジの紹介です。 ガラスケースの上にはちいさなスピーカがあってスペイン版ハイジ第三話を流してます。 ケース中身中央には、ヨーロッパでおみやげで売られているというプラスチック製のアルムの山小屋。中央に温度計がついてます。 おじいさんが左でペーターが右。ハイジはというと家の薄暗い中で横向きになってます。変だなと思ってじーっと見てみると、屋根の上に赤いつまみのようなものがついていて、それを回すとハイジとペーターがぐるぐる交互に家に入ったり出たりする回転オモチャみたいです。 ハイジなどキャラクターの姿はアニメの影響もいくらかありそうだけど、まあ普通のハイジたちでしょう。(窓が四角で、「HEIDI HAUS」と 「看板 」がついてます)
そのおもちゃが文鎮がわりになって、下にひろげられているのがこのサイトでもおなじみの高畑ハイジヨーロッパ版コミックが数種類。
一冊あたり4話構成で、テレビ12話「春の音」までのコミック三巻分が1975年発行なんです。すごいです。 このコミックは他の国にも翻訳されて、つい最近にもパッケージを変えて再版されるなど、繰り返し楽しまれているようです。 アルゼンチンなどでも人気があると読んだことがあって、スペイン語圏への高畑ハイジの浸透はかなり強そうです。 展示のパネルで「ドイツ語圏以外では原作ハイジは(やはり)忘れかけられていた」が高畑ハイジで復活したとありました。 スペインでは「1975年 スペイン テレラジオ誌 海外テレビ番組最優秀賞」を受賞しており、その授賞式の写真が飾られていました。
本の題名が見えないかなーと後ろをのぞきますがダメでした。 例によって聞いてみますと「スイスで売られているスピリ研究書」だそうです。 ただ、ドイツやフランスなど他の国での紹介が展示されてないのが恐らくワケアリなのでしょうか? ・スペイン版は1975年と早期に紹介された(ドイツは1978年?) ・スペインでの受賞には日本のスタッフが出席している。 ・スペインの主題歌や効果音は日本オリジナルを翻訳したりそのまま使用しているが、ドイツ・フランス・イタリアなどでは、効果音、主題歌はまったく別のものになっている。 などでしょうか。
つぎの部屋に行きます。 カベにかけられているのは100年前の当時のヨーロッパの大工道具で、スイスの博物館から借り出しているそうです。
そばには、さりげなくカウベル・牛の首につけるベルが大小二つぶらさがっていて、子どもたちがガランガランとおもしろがって鳴らしてますが 大きい方はカリジェの絵本「ウルスリの鈴」のように、お祭りに子どもがねり歩きながら鳴らすために作られたものだそうで、だったら鳴らしていけないというわけにも…そんな単純でもないか。美術館の度量の大きさに感心しましょう。
少々くたびれた感じのする小さい方は実際の牛に使われたものだそうです。 黄色い色からすると 「真鍮・銅と亜鉛の合金 」のようで、金属板を切り取って、ハンマーでたたいて成形してリベットでとめ、取っ手を溶接で取付しています。
このベルの上に例によって宮崎監督のコメントの書かれたパネルがあって、 まるでハウルのヒンみたいなヨーゼフなのでした。(^ ^;)
この通路で一番めだつのは、山小屋の一部が再現されていることろです。 「この部屋の中のものは、ほとんど新しく作ったもので、古く見せかけているんですよ。 とナゾナゾを出してくれました。 正解は皆さんにもナイショです。意外なものでした。お楽しみに。(^-^) ちなみにハイジが 「大きななべ 」とびっくりしたチーズ作りのなべは、ここではずいぶん小ぶりです。これはスイスで新しく作ったもので製作に2ヶ月かかったそうです。
山小屋内部の展示の反対側の通路の壁には、またガラスの展示台があり、壁にはびっしりスイスの写真とデッサンがはってありました。 写真は、ハイジの製作にあたって事前におこなったスイスロケのもので、高畑監督が撮影したものです。 一番上の右側に
ねこばすちゃんさま。もし行かれるようでしたら、ナゾ解きの引継ぎお願いいたします。 (追記です やはり山小屋の後ろにモミの木はなかったのでした。・・・と思ったところがギッチョンチョン。ここをご覧ください。 しかしまあ、今回のハイジ展は、ジブリが主体なだけに、会場スタッフの熱意と知識量はものすごくレベルが高い。 時には高畑監督ご自身が会場に姿をあらわし、直接質問に答えてくれるという究極に近いハイジ展です。数々のナゾをときあかすには千載一遇のチャンスといえます。(26日に実際にお見えになったそうです) 皆さん、どんどんハイジ展にいきましょう。
続けます。 ガラスケースの展示台の中は、作画監督キャラクターデザインの小田部羊一さんのデッサンなどです。 これまでのハイジ展でもいくらか展示がありましたが、今回はもっとも分量的に多いでしょう。 このケースの中には、実際に使われたセル画が二枚ありまして、
実は最近、私はかつてアニメファンだった方からハイジのセル画や背景、絵コンテのコピーなど20点近くをゆずりうけました。 貴重なものだとはわかっていますが、いかんせんシロウトなので、どう保存していくか悩んでいました。 それ以外にも、別のルートで原画・動画・作画監督修正・絵コンテなどの資料も部分的に入手しております。 ジブリ美術館で聞けば、最善の答えが返ってくると思っていましたので、さっそく近くを通りかかったスタッフの方にセルの保存方法を訊ねたところ、親切に教えていただきました。
私はアニメについて素人ですからセルについてもなにひとつわかっていません。
これで自分がもちきれなくなった場合の退避場所、またはより有効に展示保存できる可能性のある方法が確保でき一安心です。
そして、
U字型の通路のつきあたりにきました。あと残り1/4です。ここにペーターのおばあさんの使っていたようなつむぎ車があります。 少し小ぶりで、ジブリ美術館の購入品で、修理して展示しているそうです。使い込んだ雰囲気がありながらも、触ると壊れてしまいそうな、木の機械といった感じです。
その上に絵葉書大のイラストが10枚あります。 さらに右の通路の先を見ると、同じ絵柄で所狭しとハイジのいろいろな場面のイラストが、これでもか!と大小さまざまな大きさでプリントされてベタベタと貼ってあります。
皆さんがお目にしたことがあるはずの、ハイジの最新訳・岩波少年文庫の上田真而子訳2003/4に採用されたマルタ・プファネンシュミート(Martha Pfannenschmidt 1900-1999)のイラストです。
このイラストは、1944年に発表されたもので、スイスで出版された大型のハイジの本のためのものです。 第二次世界大戦(1939-1945)末期、ヨーロッパ全体がメチャクチャで、かろうじて平和を守っていたスイスでも物資不足で、不安と苦難の中にあったというのに、こんなにも豪華で大型のハイジの本の出版がなされていたとは感動的です。平和への強い意思を象徴するようです。
この本のために描かれたイラストは全部で241枚だそうです。すべてカラーです。 そして、高畑ハイジ製作前に取材のために、スイスのシュピーリ文書館をおとずれた高畑監督や宮崎駿に、研究員の方がアドバイスして、このマルタさんのイラストを参考にするようにすすめていたのです。
フランクフルトはゲーテが生まれ、ドイツ国民議会がひらかれて共和制のドイツ三色旗をはじめてかかげらながら挫折し、プロイセンに占領され、ビスマルクに嫌われ、第一次大戦後はヒットラーに嫌われ、第二次大戦では97回の空襲をうけ市民の半数が路上生活者になったといわれています。(T-T) ハイジのロケのとき、高畑監督たちはまだマルタさんが存命なのを知らず、会わなかったのが残念だったそうです。 ハイジ展の最後の壁面です。 いずれ何か追加展示される余地かもしれません。 (ジブリさんにプレッシャーかけとこ♪。よろしくお願いいたしますねー!) しかしながら、こうなっているわけは、もうひとつの壁面がすごすぎるからかもしれません。 この最終面を観客にじっくりみてもらうため、あえて壁面一つを捨てているとしたら、正解です。 両面をじっくりみようとするとそれぞれの壁面に集中するお客のお尻どうしが壮絶なケツアツ比べをするかもしれません・・。通過する人の流れも悪くなるし。 最後の壁面とは、この展示の結論部分を担当している・・・宮崎駿さんの、マンガ絵物語風ボード群です。 6枚ほどだったかな? どれも情報量が多くて、コミカルな見かけのなかにぎっちりウンチクと真実と諧謔と隠蔽(^ ^;)があって読み解くのが一苦労な難物ぞろいです。 はっきり言って私の能力を越えていて・・(他の展示だってそうですけどネ)よくわかんないのでした。 ボード1 非常口(実は中は作業室らしい)のスミに隠れるようにしてある縦長のボード。トトロのススワタリに似せたおおくの「ハイジスタッフムシ」たちがヘトヘトヨレヨレになりながら意地と根性のガンバリムシになって、ヘンテコな機械に材料を入れて 「ハイジというシリーズの水の流れ 」を作り出そうというドタバタを描いています。 各部署の苦闘をあらわしています。 ボード2 美術を担当された故井岡氏をしのぶボードです。 ハイジが質のよい作品として高い評価を得られることになった功労者として紹介しています。 背景の美しさは作品の質を高めるもっとも有効な手段なのだそうです。 作品のキーとなるポイントを見抜く力が高く、そのシーンの背景に、特に力を集中し、よいものをつくりあげたそうです。 いつ見ても一人でもくもくと仕事をし、(どのスタッフも忙しすぎたのでおしゃべりしているヒマなどなかったそうですが)北海道出身のためか、仕事中を描いたイラストには机の横に「メークイン」(ジャガイモ)のダンボールと酒の一升瓶が描かれています。 私がファンの方からゆずっていただいた資料の中には、背景も何枚かありまして、ポスターカラーで描かれた色彩の美しさには確かにほれぼれとします。 しかし、このボードの中には、この美しい背景群がバケツの水につっこまれてる場面もあって、(う〜)、一度使った絵の絵の具をバケツの水で落として、また別の色をつけて使うのだそうです。 ・・・ってことは、ばら色に変化する夕焼けの山や、谷間の雲がはれて丸い虹がかがやく場面なんてのは、そうやって作ったのでしょうか。 ボード3 0.25ミリの挑戦(だったかな?・・・いかん、記憶が薄れていてよく思いだせん) このボードの内容が一番わからなかった。 わからないなりに紹介すると、アニメを撮影するときには特別な台があって、それには何層かガラスがあって背景やセルを何枚も重ねて、それぞれを動かせる構造になっているそうです。 その各層を動かす最小目盛が当時0.25ミリで、一コマごとに何ミリか指定して動かしていくと、背景が指定したスピードで上下左右にながれていくことになります。 また手前に何枚かセルをおいて、それぞれ速度を変えて動かすことで、比較的簡単に画面に奥行きをだすという手法があり、絵を書く枚数を減らし、それでいてリアルな感じをだすことができるそうです。 これを担当したのが、画面設定という役職名の宮崎駿の仕事だったようで、いわば理論的カメラマンで、アングルを設計して、その指定を現場に出す立場だったのです。 背景やさらに分割して手前や奥に置いた背景やセルを、方向を変えて動かしていく。 最小目盛りの0.25ミリでそれをやることは、当時の常識からはずれた極端に遅い速度だったらしいですが、それがハイジの画面に新鮮さを与えることにつながった。とありました。 ドイツ版ハイジを見ていると、エンドクレジットに監督・高畑勲、製作ズイヨーとならんで、カメラ担当者の名前が出てきます。 だったら、ドイツのハイジのクレジットに高畑勲と名をつらねるべきなのは宮崎駿ですよね。 それにしても二人しか名前がでてないのはさびしい・・・。傑作の重要スタッフなのに、扱いはこんなもんなのか? ちょっとひどい。 ボード4 粘る粘る粘る 高畑監督の「演出」という仕事を描いています。 アニメの制作方法について私はまったく知りません。 アニメは絵をたくさん書いて、それを一枚一枚見せて、目の残像を利用して連続した映像に錯覚させる。というのは知ってますが、では、絵を描かない「監督」が、いったいナニをどうやって作品を 「作る 」のだろう。 絵がかけないなら、できるわけないじゃん。と、オバカな私には思えてなりませんでした。 しかし、このボードには、高畑監督のかかわっている部分がコンクリートブロックで示され、そうでない部分はいかにも不安定そうなうすっぺらな木の部分で表現されています。 一種の自虐ギャグでしょうが、その部分というのは、宮崎駿担当の場面設計と実際に絵を書く原画・背景部門で、 シリーズの全体構成があって、シナリオがあって、絵コンテがある。そのどれにも高畑監督がかかわっていて、変更することができる。 絵コンテという作品の設計図が、何話分かロボットアニメで有名な冨野氏が書いたことはよく知られていますが、枠を指定して一度別の人に書いてもらった絵コンテ(映画の設計図)を演出で修正してしまうのですから、やはり創作源泉は演出の高畑監督なわけです。 背景を書いた井岡氏と同じようなやり方で、多くの人に仕事をさせながら、最後に自分が指示・修正して統一してしまうのです。 キャラクターの芝居の詳細をきめ、セリフ、タイミングを秒単位ですべて決めます。 数秒短くするためレイアウトの宮崎さんが夜帰るときにも高畑監督が机にむかっており、翌朝出社してもまだ同じ姿勢で作業していて「やっと半分短くなった」とか言いながら、ひきつづき変わらず作業を続けていく。なんてところは鬼気迫ります。 また、声優がセリフを吹き込むアフレコのところも「コンクリート」ですが、演出が立ち会うと断然良くなる。と書いてあり、 伴奏など音楽もセンスがいいのだが残念ながらほとんど立ち会えなかった。とあります。つまり、やりたいができなかった。しかし指示は出していた。(すでに記憶があいまいで引用メチャクチャです) 演出はそれこそ無限に仕事がある。とも書いています。 ところで私が思ったのは、なぜ呼び名が「演出」であって「監督」ではないか。です。 これがハイジのアニメを見るとき、ひっかかってどうしょうもなかった点の一つでした。 クレジットの最後に名前がでるからには、高畑勲が製作現場の最高権限者であり、すべてに関与して自分の意志を実行させ得るはずである。それを普通は監督といってます。 そして作品が傑作なら監督の功績だし、ダメならこれまた監督の責任であると普通の人は考えます。 確かに高畑勲は、自分の構想をもち、 「野望 」をもって実現しようとして、その手段ももっていました。 スタッフからの信頼は絶大で宮崎駿は (もっとも宮崎駿は、かつての本では、「高畑監督はスタッフの生き血を吸い取る日本住吸血虫である」ともいってたような気がします) 能力があるのだったら実行すればいいです。が 、世紀に輝く傑作映画を作ろうと思ったところが、ピカピカのハリウッドスタジオではなくて、家内制手工業の町工場だった。 毎週確実にやってくるテレビの放映により、やろうと思えばできるのにできない仕事がヤマのようにできて、目の前を流れていく。 これで最高責任者といえるか? 自分の仕事をすべてやれば…。考えていることが実行できれば…たぶん実現できるような気がする。 しかし現場は流れていく。それはどうしょうもない。だから 「演出 」なのではあるまいか。 「監督 」と呼ばれたくないのではないか。 「演出」という呼び名には悲痛な意味が含まれているのではなかろうか? それでも、最後にハイジは傑作として認められていくのです。 ボード5・6 その暗さをひきずるのが連続するボード二枚です。(もはやボードの枚数すら適当です。いいかげんだぞ。どうとでもいっとくれ!) 一枚は製作プロデューサの苦労。 仕上げの(たぶん?)ロングヘアーの女性「キリバリ攻撃―ッ」ていうのもよくわかんない。 これでキバむいた「テレビスケジュール怪獣」を女性が撃退してるってことは、過去のセルなどを切ったり貼ったりして間に合わせたということか? このボードの最終コマはハイジ全52話が終わって、スタッフが横に並び、明るく夕日に向かって「青い山脈」よろしく歩いていく場面です。(この表現は会場スタッフの方に教えていただきました) しかし…終わりではなく、テレビは奇跡的なガンバリをあたりまえのものとして、それからも毎週要求していったのでした。 やがて、それがテレビにおける児童文学のアニメ化の質の低下とマンネリに変質していったのも無理からぬ出来事であると書いていませんが「暗示」していました。 ボード7 これが最後のボードです。 これを見てしまえば、あとたったの一歩で会場を出てしまいます。 内容はシンプルそのものです。 ポスターに使われているアルムの山小屋遠景(冒頭の写真のポスター)のイラストが大きく全面プリントされ、その中央に これまでのこまごまとした内容のボードに比べれば、みすごしてしまいそうですし、事実このボードだけあっても何の意味も読み取れないでしょう。 勝手に私がネーミングさせていただければ「宮崎語」で書いてあって、深い意味をもちながらも一人よがりで、読む人をわかったような気持ちにさせながら、実はわからせずに煙にまき、そのくせ純粋であるという、解読の難しい一文です。 しかし、この言葉がこのハイジ展のすべての展示の「結語」であり、 その内容は、短いので書くのは簡単ですが、私には書く資格がありません。 これは高畑ハイジの製作にかかわった人々にのみ許される言葉です。 私の解釈では 「やるだけやった。苦しいが充実した時間だった。貴重な瞬間だった。あの時 、我々は本当の意味で生きていた。あの時間があったから今の自分たちがある」 そんな実感が感じられました。 実はわたしもこれと同じ言葉をいいたいのですが、まだそれを言えない自分がいます。 この一文を見るためだけでも、ジブリ美術館に足を運ぶ価値があります。 どうぞ、実際に自分の目で見て、読んでみてください。そしてクビをひねってみてください。 (ネタバレ禁止でお願いします) これでこのレポートをひとまず終了いたします。 この駄文を書いているバカは 、正真正銘のオッチョコチョイなので、記憶違い、忘却、見逃し、解釈違いなどなどなど。で、誤りがあったらゴメンナサイ。でも責任はとりません。とれません。ご容赦ください。 ちなみにメモは走り書きのレポート用紙三枚です。 長文乱文お許しください。
tshp 2005/5/31 |