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マイスターとハイジ

 

 ハイジの原題は
  ハイジの修業時代と遍歴時代Heidi's Lehr- und Wanderjahre
 です。
 慣れないドイツ語辞書を引いてみますと、下記のようにありました。
 
 Lehre
  1(手工業などの)修行、実習
  2 学説、教義
  3(経験から得た)教え、教訓、戒め
  4(単数のみ)教育

 Wanderjahre
  (昔の職人の)遍歴時代

 wandel 変化、変遷、推移 jahr 年、年月、歳月

 なんだかいかめしくて、古びてて、いかにも19世紀か、下手したら18世紀以前にも思えるような過去の題名に思えます。
 
 これは多くの研究者が指摘するようにゲーテGoethe(1749-1832)の
「ウィルヘルム・マイスターの修行時代」(1796)
  WILHELM MEISTERS LEHRJAHRE
「ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代」(1829)
  WILHELM MEISTERS WANDERJAHRE

(以下「修行」「遍歴」と略称)
 
に、なぞらえていると考えられます。と、いうよりそのまんまです。
 
 ゲーテはいうまでもなくドイツ最高の文豪で、ドイツと対抗意識を持っているはずのイギリス人から「ヨーロッパ(全体)の詩人」とさえ呼ばれます。
 ゲーテの作品は戯曲「ファウスト」、小説「若きウェルテルの悩み」など、極めて有名で、詩はシューベルトの「野ばら」(クララ主導で子供たちが歌ってましたね。実は子供が歌うにはどうかと思う内容なのですが・・。)やモーツァルトの「すみれ」として、現代でも必須教養の一部です。
 

 「ウィルヘルム・マイスターの修行・遍歴時代」はゲーテの小説で最高傑作に位置付けられる畢生の超大作で、この文豪が完結までに「修行」1777-1796、と「遍歴」1807-1829で、前後編あわせて43年間をかけています。(量も岩波文庫で6冊分)

 この作品は、分類ではハイジもその系譜につながる「ドイツ教養小説」の最高峰です。
 教養小説Bildungsroman(ビルドゥングスロマーン)は発展小説とも呼ばれ、ドイツ文学特有と呼ばれるジャンルの小説です。

 百科事典の定義では
「主人公が幼年期を脱して、自我にめざめ、友情や恋愛を経験して、社会の現実と格闘し、時には傷つきながら自己形成をしていく発展過程を描く小説」とあります。なるほどですね。

 ウィルヘルムの名前は、ゲーテも尊敬していたイギリスの文豪「ウィリアム・シェークスピア」からとられ、マイスターはマスター(一芸に習熟した独立者)を意味しているそうです。
 芸術的才能を修行によって伸ばし、自立した人間になることを目指すのが当初の構想でした。 
 

 この小説は、若きゲーテを思わせる主人公が、最初演劇をこころざし、様々な人々、女性と出会いを繰り返しながら、やがて演劇を捨てて、本当の自分のいる場所を見つけていくというのが大筋でしょうか。
(確かに面白いのですが、大部で複雑で深淵で、私の能力では要約するのが難しい作品です。読むので精一杯。トホホです)
 

 ドイツ・ロマン主義の理論的指導者シュレーゲルによると、
「フランス革命と、フィヒテの「知識学」と「修行時代」の完成は時代の三大傾向(世紀の重要イベント)」なのだそうです。
 さらに「マイスターは散文にして詩であり、神的な詩人、完全な芸術家にしてはじめて果しうるロマンであって、こういう書はただそれ自身から評価され理解されねばならない」とあります。(ここまで誇大な表現はちょっと想像を絶しますね)

 さて、ゲーテの作品については、これでもかと偉大な賞賛が続くわけです。
 ではその不朽の世紀の大作になぞらえた、「ハイジちゃん」はどうなるのでしょうか。
 マイスターを読んでいる大人の読者は、どんな壮大なお話かと思ってページをめくると、いきなりボテボテ着こんだ五歳の女の子がトテトテ登場するわけで、ここで読者は「クスッ」と微笑まされ、肩透かしをくうはずです。
 

 スピリもゲーテをパクリ・パロディとして使用しているわけです。
 もちろんスピリはゲーテを尊敬していましたから、この大作にハイジをなぞらえることは、ゲーテにとてもおよばないけど「自分の最高傑作」という意味合いもあったでしょう。
 私はこの程度の人間ですが、どうぞご覧下さい・・と。
 

 ハイドheideの優しい少女(ハイジHeidi)はどのようにして育っていくでしょうか?heide=>荒野・原初的・異教徒・非クリスチャンの意味がある。ロッテンマイヤーさんが「まさかそれが本当の名前ではないでしょう。洗礼は受けているでしょう?」と聞きなおすのは無理もない・・)

 
 女の子の5歳から9歳までのお話で、フランクフルトに短い間いって、やっと初級の読み書きを覚えるだけのお話ですから、「修行時代」と「遍歴時代」とは、おおげさすぎると思って当然です。
 それは誰にいわれるまでもなく、スピリ自身が感じていたでしょう。
 それでもあえてこの「題名」をつけた意味を考えるべきです。

 

 ゲーテは「マイスター」に自分のすべてを投入しました。・・意味的にも、生活的体験もすべてです・・過去の女性との美しい思い出を原型に近い形で挿入したり、別のお話を劇中劇としたり、手紙を挿入したりし、小説としての整合性をある程度無視する形で、重層的な構造になっています。

 マイスターを強く意識してハイジを書いたスピリも、同じように自分のすべてをハイジにそそぎこんだ可能性があると考えるべきでしょう。
 マイスターが若きゲーテだったように、ハイジは過去のスピリ自身だったはずです。
 スピリ自身「私の生活と人となりは、私の書いたすべてのものに含まれています」と語っているのです。

 
 ヒルツェルという田舎で育ったスピリは14歳でチューリッヒに勉強(修行)にいきます。やがて故郷に戻ってきますが、結婚して再びチューリッヒにいき、そのまま都会で終生を過ごします。
 忙しい夫の帰りを待ちつづけて、孤独からホームシックにもかかります。
 
 スピリ作品でハイジと並んで印象深い少女キャラクター「コルネリ」を読んだファンが、「コルネリはどんな大人になりましたか」と手紙で質問すると「こんなおばあさんになりました」とスピリは自分の写真を送ったという、楽しいエピソードもあります。
 

 子供に語れる部分としては、ハイジなりコルネリなりの物語は早々に終わらざるをえません。
 その後の「修行と遍歴」はスピリという「作家自身の生涯」に語らせているとしたらいかがでしょう?
 それでスピリが自伝を書かなかった理由も推測できます。
 物言わずして語るには、自伝は余計なものであり、偽善への変貌です。

 
 また、ハイジを読んだ子供達が、やがてマイスターを読むこともスピリは想定したでしょう。
 ですから、ハイジはマイスターへと子供達を導く・・関心をもってもらえるようにするための、導入の物語としての意味合いもこめたかもしれません。
「よく似た題名の面白い話(ハイジ)を前に読んだなあ。これも読んでみようかな?」と分厚いマイスターに親しみをもってもらえるかもしれないのです。
 

 さらに言うなら、「ハイジ」はスピリにとって、ゲーテへの挑戦・批判であるともいえないでしょうか?。
「私はあなたを尊敬していますが、それをふまえたうえで、このように考えて、子供達にたいしてこう語ります。そのことに誇りをもっています。必ずしもあなたを全面肯定するわけではありません。子供にはこう語るべきなのです」  と。(ここはカンペキに私の妄想ですからあまりツッコまないでくれると嬉しいです(^ ^;;)
 

 ゲーテはキリスト教に対して微妙な距離をおいています。
 ゲーテが六歳の時、ポルトガルのリスボンで大地震がおきて六万人の死者がでました。この事件は幼いゲーテに、なぜ神様がよい人も悪い人も区別なく破滅させたのか納得できなくさせたといいます。
 
 ドイツ思想は、知性も情熱もあります。その偉大な象徴がゲーテだと言えると思います。
 ゲーテはロマン主義を嫌いつつも、啓蒙思想を持ち、進歩を肯定していました。自然科学の研究をして医学上の業績をあげ、ワイマール公国の首相になりました。200年前に環境にも配慮した治水計画を実施したといいます。(日本の公共事業なんてゲーテより200年も遅れていたといわれても仕方ない。しっかりしてよね。)
 

 ゲーテは21世紀の現代にとっても、もっとも必要とされるような、知的でエネルギッシュで合理的で政治的で、なおかつ天才詩人で人間的な人物といえます。人類の一つの到達点といえるでしょう。
 

 ただし、ゲーテの後継であるはずのドイツ思想はナチスにより壊滅状態におちいりました。
 ナチスをなぜ止められなかったのか、その後の冷戦と、それらのなし崩しの崩壊は、ドイツ思想のみならず、啓蒙主義や科学主義や人間主義といった現代思想そのものが重大な危機におちいり、いまだに回復できないことを示しているのかもしれません。
 もちろんこんなことが自分の死後に起きようとは、ゲーテにもスピリにも知るよしはありません。
 ゲーテもスピリもナチスとは直接的には無関係です。
 無関係だから現在も読まれつづけ、子供に与えられ続けています。
 
 特にスピリは「素朴な良識のある保守主義」とでもいう立場にいます。
 ナチスは極めて簡単に総括すると「良識なき進歩主義」とでも言えるでしょうか?。スピリの対極にあるような気がします。
 

 現代にあたって、もはや性急で思いこみにすぎない新思想による進歩が、何を生み出すのかイヤというほど見てしまいました。
 新しくしたと思ったのにかえって古い悪夢を呼び起こしてしまうという、様々な歴史実験の結果がでています。
 それ以前の時代に経験した、古代的で絶対的で主観的な信仰が何をやってしまい、どんな幻滅をもたらしたのか(一例は30年戦争です)説明するまでもないですが、同等の幻滅をもたらしたといっていいでしょう。
 二つの幻滅を、歴史的に経験した私たち現代人は、これからどうしたらいいのでしょう。

 
 スピリの良識の源泉は、キリスト教文化圏ですから当然キリスト教思想です。
 そして、ゲーテやシラーもカントを支持しました。スピリもそのはずです。

(もちろん日本文化にはまったく別の「良識の源泉」があります。日本文化はキリスト教とは無関係に成立しましたし、日本に保守的良識がないかといえばとんでもありません。非常に立派な良識があるはずです。)

 カントによってキリスト教信仰は現実の科学的現実から切り離されて、いわば個人の主観世界に限定されて、客観的絶対神聖としての強制力をもたなくなりました。
 これは当然すぎる帰結で、とても好ましい進歩なのです。
 絶対神信仰を突き詰めていくと、主観がどんなにあやふやなものになるかを証明しました。
 ですから、むしろ一神教の基盤強化にむすびつくとも言えます。(客観的実在を否定したわけではないのですから)

 
 でも、現実に機能する良識の源泉根拠として、キリスト教信仰は一枚クッションをくわえ込むことにもなりました。
 その波及効果が、ロマン主義と啓蒙思想による人間中心主義を後押しして、予想外のナチスの台頭を許す「スキマ」を与えてしまったのは間違いないでしょう。

 

 スピリがハイジをはじめとする諸作品で示したのは、この部分の弱点の指摘と克服だったような気がします。

 ひょっとしてスピリは思った以上に未来的なのかもしれません。
 (この部分はもっと詳しく別の機会に考察してみたいと思います。)

 

  
 さて、最後になりましたが、マイスターとくれば、どうしても欠かすことのできない要素として「ミニヨン」と「ハイジ」との関係を紹介したいと思います。

 ミニヨンはフランス語で「可愛い」の意味を持つ、マイスター前編の修行時代にだけ登場する少女です。
 ヒロインではないし、準ヒロインというのにも出番が少ないのですが、非常に有名で、強烈で独特な存在感を持っています。
 
 ミニヨンはイタリア人の少女で、実の兄妹とは知らずに恋をした両親の間に生まれました。
 幼児期に誘拐され、アルプスを超え、ドイツのサーカス一座に入れられて強い緊張を強いられる芸を訓練されます。
 少女は強情で奇矯で、孤独と絶望を心に秘めて、かすかな記憶の故郷を思いつづけるのです。

 ウィルヘルムは、劇団をひきいる旅の途中で虐待されようとしているミニヨンを買い取り、自由にしたことから同行の旅が始まります。
 ミニヨンは彼と同じ服をねだり、父のように、恋人のように、全身全霊でウィルヘルムを慕います。
 もちろん子供ですからウィルヘルムは相手にしませんが、その思いの異常なほどの強さは、やがて少女の健康をむしばんで激しい痙攣などを起すようになります。

 ウイルヘルムは、ミニヨンの孤独な心を理解し、出きるだけのことをしようとしますが、ミニヨン自身は自分のウィルヘルムへの思慕と愛情は悲しみにしかならないことを理解せざるをえません。そして結末は唐突で悲惨です。

「修行時代」の最後に近く、ゲーテはミニヨンに天使の装束をさせて歌わせます。あまりにも結末を示しすぎて暗澹としました。

 もう、何を言いたいかは、おわかりかと思います。
 ハイジとミニヨンはいくつかのモチーフが共通しています。
 少女であること、故郷から強制的に離されたこと、思いつづける対象がありそれが誰にも言えないこと、そのため病気になること・・悲劇的結末や、出生の秘密などは、スピリが取りいれるはずないですが、強く意識しているのは間違いないでしょう。
 ハイジはスピリにとって、ミニヨンに象徴される、薄幸な子供の鎮魂と救済でもあると思うのです。

 ミニヨンが作中で歌う三つの「詩」はどれもゲーテの代表作に数えられる傑作です。「I・II・III」で示されますが、最初の詩を紹介しておきます。

2003/2/20
 


MIGNON I

Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn,
Im dunkeln Laub die Goldorangen glühn,
Ein sanfter Wind vom blauen Himmel weht,
Die Myrte still und hoch der Lorbeer steht,
Kennst du es wohl?
 Dahin! Dahin
Möcht' ich mit dir, o mein Geliebter, ziehn.

Kennst du das Haus? Auf Saelen ruht sein Dach,
Es gla:nzt der Saal, es schimmert das Gemach,
Und Marmorbilder stehn und sehn mich an :
Was hat man dir, du armes Kind, getan?
Kennst du es wohl?
 Dahin! Dahin
Möcht' ich mit dir, o mein Beschützer. ziehn.

Kennst du den Berg und seinen Wolkensteg?
Das Maultier sucht im Nebel seinen Weg;
In Höhlen wohnt der Drachen alte Brut;
Es stürzt der Fels und über ihn die Flut,
Kennst du ihn wohl?
 Dahin! Dahin
Geht unser Weg! o Vater, Iass uns ziehn?



訳文リンク(2006/8切替)



訳文です。

森鴎外訳 1889
(日本で最初のミニヨンの訳・高い評価をうけました)2006/8(2,3を追加)



レモンの木は花さき くらき林の中に

こがね色したる柑子(こうじ)は 枝もたわわにみのり

青く晴れし空より しづやかに風吹き

ミルテの木はしづかに ラウレルの木は高く

くもにそびえて立てる国を しるや かなたへ

君と共にゆかまし


高きはしらの上に やすくすわれる屋根は

そら高くそばだち ひろき間もせまき間も

皆ひかりかがやきて 人がたしたる石は

えみつつおのれを見て あないとほしき子よと

なぐさめるなつかしき家を しるや かなたへ

君と共にゆかまし


立ちわたる霧のうちに 騾馬(らば)は道をたづねて

いななきつつさまよひ ひろきほらの中には

もも年(とせ)経たる 竜の所えがほにすまひ

岩より岩をつたひ しら波のゆきかへる

かのなつかしき山の道を しるや かなたへ

君と共にゆかまし



(私訳 2,3 2006/8追加)

 

知っていますか レモンの花さく 南の国を

みどりのこかげに オレンジの明るい光

風はそっと 空へむかい

天人花(ミルテ)がしずかに 月桂樹(ローレル)はのびやかに・・

そのきもちよさを 知りませんか 

 いきましょう。ねえ、いきましょうよ

つれていって わたしの心を ささげたあなたと



知っていますか あの家を まるい柱のうえで屋根がやすらぎ

広間はきらめくように お部屋はつつむようにほのかな光にみたされ

いくつもの大理石の彫刻が わたしに目をむける

おまえはどんな目にあったの? おまえはかわいそうな子だと。

あのやすらぎを 知りませんか

 いきましょう。ねえ、いきましょうよ

つれていって まもってくださるあなたと ともに



知っていますか あの山と雲の中の けわしい道を

霧のなか なれたラバさえさまよって

岩穴に 年へた竜が巣をつくり

するどく切りたつ岩から 奈落に滝が流れてく

知っていますか ほんとうに

 いきましょう。いきましょうよ

苦しい私たちの道を わたしの 心の おとうさまと





追記 2005/6/26

大学講師でドイツ文学がご専門の「L様」からメールをいただきました。
ミニヨンとハイジの関係などを評価してもらいましたが、
「ミニョンとハイジの共通モチーフとしては、「病気」の他に「イタリア」「罪を負った老人」との関係も考えられますね」というご意見をいただきました。なるほど、そうでした。

また、下記のご指摘を受けました。願ってもないことです。
ありがとうございました。m(_ _)m


・wandeln 変遷する/wandern 放浪する
の二つは、(語源は同じですが)別々の単語です。

・Jahre 年月
は複数形です。(単数形「Jahr」=年には「年月」の意味はない)

・Heide(ハイデ) 荒野/異教徒
を「Heidi」の名が連想させる可能性はもちろんありますが、語源的には無関係です。
確認まで
「Heidi」は彼女の洗礼名である「アーデルハイト」(Adelheid)の縮小形。


・・・やはり私のドイツ語知識の浅さがきわだちますね(^ ^;) 



追記2 2006/08/14

 さらにありがたいことに、L様より 「解放されたミニョンの妹」の内容を詳しく教えていただくことができました。著作権の関係で全部は紹介できませんが、かなり刺激的な内容です。

 また、九州東海大学の純丘助教授よりハイジがおばあさんに読んであげる「お日様の歌」の原典を教えていただき、それを調べているうちにミニヨンの詩との関連が浮上してきました。
 ハイジとマイスターの関係は、新たな展開を迎えつつあります。

 ハイジがカールした黒髪であるのも、モデルがミニヨンなら不思議ではありません。イタリアっぽい女の子なんですね。
 夢遊病になったり精神的に不安定だったり、あるいは最初におじいさんに会った時に妙に怖がったりしないのも、「なるほど」になってしまいます。

 →ハイジは歌う(1)


どうでもいい追記

 
 フランス版高畑ハイジの吹き替えで、ハイジがユキちゃんに初めてあったとき「ミッニョン」といってます。
 もちろんただの形容詞で使ってるだけですが、その声じたいがとっても可愛いです。
 フランス語ハイジは声優に恵まれました。おすすめ。でもペーターの声はふけすぎ。
 でもね・・皆さんにどうやったら聞いてもらえるの?
 資料展示してくれるところ、どこかないかなぁ。提供いたしますから〜。

 

 あとついでに書くなら、フランクフルトはゲーテの生誕地だし、ゲーテが生涯もっとも長くすごしたワイマールに、スピリは新婚旅行にいきました。
 高畑ハイジのゼーゼマン邸はゲーテの生まれた、通称「ゲーテハウス」がモデルです。
 そしてゲーテはスイスに旅行したことがあり、亡くなったのはスピリが五歳のときでした。

 
 それからナポレオンはゲーテに私淑していましたが、ヒットラーはゲーテが嫌いだったらしい。よかったなあ。