熊さん流ジャズ勉強法・ジャズの成り立ちを知る


              熊さん流ジャズ勉強法・ジャズの成り立ちを知る

熊:大家さん、いるけぇ。
大:おや、熊さんか。ま、お上がり。まずい茶だが、お茶でも飲んでいきな。
熊:すまねえな。おや、出たね、まずい茶、頂きます、まずい茶、100グラムいくらだ、 まずい茶。
大:おい、そんなに言うんだったら、水と取っ替えてやろうか。
熊:へへ、それにゃあ及ばねえ。しかし大家さん、なんだねぇ、俺ぁクラッシックてのに 興味はねえけど、でも「大工の弁当」ってのは、いい曲だねえ。
大:なんだって?「大工の弁当」?どこで仕入れてきたかしらないが、そんな曲、聞いた こともないな。
熊:なんだい大家さん、意外とものを知らねえんだな。ほらぁ、決まって年末にやる曲だ よ。
大:年末に?・・・そりゃ「ベートーベンの第九」ってんだ。
熊:なんだ、ベートーベンって大工なのか。で、そのベンちゃんってのは、ジャズの曲は 書いてないのかい。
大:ベンちゃんってやつがあるか。ベートーベンがジャズを書くわけないだろ。時代が違 わあ。
熊:えーなんだい、ジャズってのは大昔からあるんじゃねえの、縄文時代とか。
大:縄文人がジャズをやるか。ジャズって音楽はアメリカで誕生してまだ100年とちょ っとしか経ってねえんだ。
熊:ひ、百年!?たった百年かい、ウソだろ。じゃ、日本でいうと奈良時代か平安時代だ。
大:どんな歴史感覚をしてんだ。あのな、ジャズってのは、そもそも・・・。
熊:ふふふ、バンドマン用語で言うと、モソモソ。
大:混ぜっ返すんじゃない。ジャズ発祥の要因となるのがアメリカ南北戦争、これが18 61年から1865年ってえから、日本で言えば江戸時代の末期、1868年の明治維新の少し 前だ。
熊:とっちょ、じゃなくて、ちょっと待った。戦争とジャズと、どんな関係があるンで?
大:話せば長くなるが、南北戦争ってのは、アメリカの北部と南部の経済的対立が激化し て起きたもので、それに黒人奴隷制度の廃止が絡み合った戦争だった。
熊:ふーん、どっちが勝ったんです?
大:北部だな。南部は敗れ、奴隷制度は廃止になにり、南軍の軍楽隊の残した楽器がたく さん巷に出回ることになった。
熊:なるほどね、敗軍の兵が、楽器ってぇ置き土産をしていったわけだ。
大:おりしも綿花の積み出しで賑わっていた南部の都市ニューオリンズでは、街の盛り場 で客の気を引くために、賑やかな音楽が求められていた。
熊:ああ、なるほどね。今でも盛り場には賑やかな音楽がいいやね。「ねえお兄さん、遊ん でかない」ってのに、ポクポクポク、って木魚は似合わねえな。
大:で、その楽器を使って音楽を演奏したのが、アフリカの太鼓のリズム感と、教会霊歌 の祈りの心と、独特のブルース感覚の素地を持った、黒人だった。
熊:ふーん、時代にマッチしたんだな。
大:やがてその音楽が広まり、それがジャズという音楽として認知され始めたのが、19 00年代の初頭ってわけだ。
熊:なるほど、それで、百年ってわけか。じゃ、ジャズってのは黒人が作り出した音楽な わけだ。
大:確かにジャズの下地を作ったのは黒人だが、ジャズを音楽のジャンルとして広めたり、 初のジャズのレコーディングを行ったのは白人だった。
熊:黒人の音楽に白人が興味を持ったんだな。
大:その後、1917年にニューオリンズの繁華街が閉鎖されて、バンドマン達がミシシ ッピ川を北上し、カンザス、シカゴ、ニューヨークへとジャズが広まっていくが、そこへ ジャズを持ち込んだのは黒人で、それをダンス音楽として広めたのは白人だし、その後も、 黒人色の濃いジャズ、白人色の濃いジャズが、入れ替わり立ち代りジャズの歴史を作って いくことになる。
熊:ふーん、ジャズってのは、短っけえようだけど濃い歴史を持ってんだな。
大:わかったら、少しは真面目に練習しな。そんな腕前じゃ、ニューオリンズのジャズマ ンに会わせる顔がねえぞ。
熊:なぁに、会ったら言ってやる。
大:なんて?
熊:ここで会ったが百年目。