折りが良くても悪くても  12/28
ぼくにとっては、例年以上にあわただしい師走です。片づかない仕事を抱えたまま年を越すことになりました。先日、取引先の担当者にクリスマスのお祝いのメッセージではなく、締切に間に合わないことを平謝りするメールを送りました。
 プライベートなこともまるで片づいていないのです。年賀状もまだ作っていないし、家の大掃除もしなくては。でもいったいいつ時間がとれるんだ? 家事の合間にも、延長してもらった仕事の締切が重くのしかかってきます。しかし、元日には何としてでも休むぞ!
 とは言え
個人的には、みぞゆう、あ、違った、未曾有の不況の中で、こうして仕事が与えられ、2008年を終えることができることを感謝しています。もちろん、潜在的失業者であるフリーランスとしては、目の前のことに一喜一憂はしません。自分は決して今ラッキーだなどとは思わないし、逆に、また仕事が切れても、うろたえることはしない。大切なことは折りが良くても悪くても、自分のすべきことを一日一日着実に行っていくことなのです。
 
そんな精神が身についたとも思えないけど、新しい年もそういう姿勢ではありたいと祈っています。

クリスマスプレゼント  12/22
 
神さまからわが家へのクリスマスプレゼントがありました。娘の紛失していた自転車が見つかったのです。
 おととい、区から葉書が届いていました。それによると、近所で乗り捨てられていた娘の自転車が、放置自転車として今月12日に集積所に持って行かれたのだそうです。引き取り代は4000円だけれど、盗難届が12日以前に出されていれば無料で引き渡しますとのこと。盗難届は出してあったので、
昨日交番へ行って証明をしてもらい、今日の午後、娘が受け取りに行きました。
 やはり、鍵が壊されていました。
犯人はいつも同じ型の鍵だけをねらって盗み、適当なところに乗り捨てるのだろうという推測は、かなりの確率で当たっていそうです。
 ま、それほどひどく壊れされた様子もなく戻ってきたので、めでたしめでたし。失われたものが戻ったと言うことを、ぼくたち家族は喜びたいと思います。自転車窃盗なんてくだらないことをやっている奴のことは腹立たしいけれど、それが人の世でしょう。
 面白いのは、見つかった今も、自転車置き場の横を通ると、つい娘の自転車を探してしまっている自分です。

加藤周一さんの本  12/18
 加藤周一さんが亡くなりました。
ほんのわずかしか加藤さんの本は読んでいませんが、どれも面白くて、最近とみにこの人への興味が増していたところでした。
 朝日新聞で連載していた「夕陽妄語」が今年の夏に中断したとき、紙上でお知らせを見て、もしかして体長が悪くなっているのかなと思いました。高齢でもあるので、ちょっと気にかかっていました。
 11月の末にぼくは、図書館から『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007)という本を読んでいました。この本のことはいずれ語りたいと思います。また、つい先日もブックオフで『ヨーロッパ・二つの窓』(堀田善衛との対談、朝日文芸文庫)を買いました。
今年の夏にこれも図書館から借りて読んだ『日本その心とかたち』(スタジオジブリ)を、長い間アマゾンの買い物かごに入れたまま、値段の高さゆえに(5000円近くする。でも中身はその価値充分にあり)買いあぐねていました。だから、訃報に接したときには、つい今し方会っていた人が突然いなくなってしまったような感覚に襲われました。
 
『日本その心とかたち』をぼくは、訃報を聞いて注文しました。

温泉に入るように走る   12/15
 ランニングについてはブログの方で話すことが多いのですが、たまにはこちらで。
 スケジュールがかなり混んでいても、できるだけ毎日走るようにしています。先日、ハーフマラソンに出たことで、自分のランニング生活も新たな段階に進みました。速くなったということでなく、体と心が変わったということです。そして生活の中でランニングの位置づけがしっかりできてきました。
 村上春樹さんが言ってます。「忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。」
 ランナーたちが共通して強調するのは、時間の使い方です。
 最近は10km 以上走る回数が増えました。7.5km を過ぎてからが気持ちいい。走り終えたあとは、まるで温泉かサウナに入ったあとのような感覚になります。
 中年や働く女性にマラソンがブームなのは、苦しさと心地よさのバランスが生きることを凝縮していると知るからでしょう。

『ぼくは猟師になった』  12/11
 以前にNHK「週間ブックレビュー」で推薦されていた本、『ぼくは猟師になった』(千松信也著、リトルモア、2008)を図書館から借りて読んでいます。京都でワナ狩猟を営んでいる若き猟師のエッセイ。
まもなく本の返却日が来るというにの、仕事が混んでてなかなか読み進めず焦っているのです。これはかなり面白いですよ。
 著者は子どもの頃から自然の中で育ってきて、最初は獣医になるつもりだったのが、京都大文学部に進学。在学中から猟師を始め、今はそれを生業にしているという、たいへんユニークな生き方をしている人です。ワナの構造、イノシシやシカのさばき方など、ていねいな図解や料理法が紹介されています。猟師の生活がどういうものかが、よくわかります。ぼくが今までまったく関わることのなかった別世界だと、読んでいて思います。
 平易な語り口で書かれていますが、しかしここには、食、環境、職業、教育などの問題が含まれています。読んでいて、へぇーと驚いてしまうことも、うーんとうなって考えさせられてしまうことも、たくさんありあます。
 スローライフというのは、こういうのをいうのだと、僕は思いました。

あら、ふぉ〜?  12/3
 先日、NHKニュースで今年の流行語大賞を発表していましたが、ずいぶん力を入れた報道ぶりで、そこまでのニュース価値がはたしてあるのか疑問でした。
 個人的には福田元首相の「あなたとは違うんです」が好きですね。受賞を辞退したところがあの人らしい。ただし、使い方を間違うと傲慢に聞こえるので(実際、そういう使い方をしていた)、要注意。
 「グ〜!」はずーっと前に桂三枝が言ってたんじゃないの? それを知らない世代が今使ってるのでしょう
。「アラフォー」と言う言葉を、春ごろだったか、新聞のテレビ欄で見たときには、またこんなつまらない略語が出てきたんだと、うんざりしていました。
 KYもそうなんだけど、こういう言葉を作ることで
人は、粗雑なカテゴリー化を始めます。一つ一つの内容を正しく理解しようとか吟味しようとはせずに、言葉の漠然とした気分でものをくくるようになるのです。50歳前後には「アラフィー」なんて言葉があるそうです。当の世代がこれを言ってるとしたら、もうおしまいですね。
 さて、ぼくは来年53歳になるので、「あら、ゴミ」です。

自転車が盗まれた  12/1
 おととい、娘の自転車が盗まれました。鍵をかけておいたのに。しかも日中です。団地の自転車置き場にふつうにおいといて、朝7時から夕方4時の間にとられました。こんなことがあるのか。
 6年使っている、どうってことない普通の自転車です。だいぶ痛んできているし。なぜ、よりによってそれが持ち去られるのだろう。鍵がかかっているから、運ぶのも大変だろうに。ひとつの推測は、犯人は自転車泥棒の常習犯で、いつもねらっている鍵の型が決まっていて、簡単に開ける方法を知っている。娘の自転車についていた鍵がたまたまそのタイプだったのではないか、と言うことです。
 あちこち探しても見つからなかったので、きのう警察に届けました。今どき自転車盗難は日常茶飯事で、出てくる可能性は低そうです。モヤモヤとした気分が続いていますが、ふと僕は、理由もなく犯罪に巻き込まれた人たちのことを思いました。誘拐されたり、体を傷つけられたり、命を奪われたりしたら、それこそ「なぜ私が?」という思いが強く残るのだろうなと。自転車盗難とは比べものにならないくらい。
 犯罪は、小さくても大きくても、赦されるはずはありません。

11月の「ごあいさつごあいさつ」