背景をどう描いたのか  8/28
 見に行きたい展覧会がたくさんあります。今月30日から始まるミレイ(Millais) 展もその一つ。フランスのミレー(Millet) ではなく、イギリスの画家です。
 有名な作品は「オフィーリア」。最初に図鑑で見たのはいつだったろう?川面に浮かぶオフィーリアの姿を描いていますが、人物だけでなく、川辺の植物の徹底した写実描写に圧倒されます。今日の朝日新聞の紹介記事で、画家は川べりにキャンバスを構え、この背景を5か月かけて描いたと説明しています。へぇー、すごいもんだ。
 ……と、その程度で通り過ぎてしまいがちですが、ちょっと待てよ、とぼくは思いました。建物を描くのとは訳が違うのです。植物はわずか数時間で形も色も変わってしまう。ましてや5か月などと言ったら、季節さえもすっかり変わってしまうのです。どの季節のどの花を描いたのだろう。当時すでに写真機が発明されていたとはいえ、ミレイはそれを見て描いたのではなさそうです。ではいったい、画家はどんなふうに5か月を使ったのだろう。
 そんな疑問を抱えて、ぼくは実物を是非見に行きたいと思います。

ショウリョウバッタ  8/18
 旧盆(先週の金曜日)の夕方、
近所を歩いていたら、ショウリョウバッタが道ばたにいました。大きくて立派な姿をしていたのですが、一番目を引いたのが、その模様です。普通、ショウリョウバッタと言えば黄緑色ですよね。ところがそのバッタは枯れたワラの色をしているのです。
 さっそく捕まえて家に持って帰りました。図鑑で調べたら、ショウリョウバッタの色は保護色だから、住む場所によって異なったものがあるのだそうです。ということは、このバッタは枯れ草の中に住んでいたのに違いない。とにかく粋な模様のバッタです。
 その夜、テレビを見ていたら、精霊流しの行事を報道していました。冗談半分で「ショウリョウバッタの名前はここから来たんじゃないか」と言うと、子どもたちがすぐに調べました。そしたら何と、漢字で書くと「精霊飛蝗」! 冗談が本当になった。由来は、旧暦のお盆のころによく見られるから、ということ。これは驚き。
 まさにその日にぼくの目の前に現れたなんて、出来過ぎですよね。

勝負脳  8/11
 オリンピックにはあまり期待しないと言っていましたが、いざ競技が始まると気になってしまうミーハーなぼくです。
 北島選手、やりましたね。すごいものだ。プレッシャーに負けずに世界記録で金メダルをとってしまうのはほんとうに超一流のアスリートであることの証明ですね。
 テレビで、北島選手の勝負脳が紹介されていました。脳科学者林成之氏が鍛えたそうなのですが、「もしや」とか「負ける」とか「疲れた」といった否定的な言葉は決して口にしてはいけないそうです。いったんそう思ってしまうと、脳と体の連携が崩れてしまうと言うのです。
 Positive Thinking (肯定思考)という言葉はよく耳にしますが、「脳と体のつながりが崩れてしまう」という指摘が新鮮で、納得のいくものでした。ぼくなどは否定的な思いに捕らわれてしまうことが多く、そうすると確実に手が動かなくなる、アイデアも浮かばなくなる、意欲もなくなる
、という経験を何度もしています。
 しかし勝負脳を鍛えられるかが一流と超一流の差なのだそうです。凡人でもこれはぜひやってみようと思いました。

不安だらけの北京五輪  8/8
 これほどワクワク・期待感のないオリンピックも珍しいですね。日本選手たちの活躍を応援してはいるけれど、あらゆるものを天真爛漫に楽しめなくなったのは、決して歳のせいだけではないと思っています。
 おとといからはすでに男女サッカーの予選が
始まっていますが、それもあまり見る気がなくなっています。それは今回の五輪とは直接関係がなく、サッカー観戦がけっこうストレスのたまるものであることを感じるようになり、精神衛生のために見ないようになったのです。きのうも前半をちょっと見ていたら(結局見ている)、ゴールの決定的チャンスを逃していました。ぼくはすぐにテレビを消しました。入れるべき時に入れておかないとあとでつけがまわる。それは今に始まったことではなく、選手たちも十分わかっていることでしょうが、案の定、1―0で負けました。
 さて、きょうはいよいよ開幕式。テロは大丈夫だろうか?食事は?大気汚染は?観客の暴動は?……マラソンの野口みずき選手や水泳の北島選手たちが、これまでに積み重ねた練習の成果をじゅうぶん発揮できるように祈っていますが、純粋な競技以外のことがこんなに心配になるオリンピックって、何なんだろう?

赤塚不二夫と藤子不二雄  8/4
 赤塚不二夫さんが亡くなられましたね。これで戦後のマンガ黄金期を担ったトキワ荘の住人がまたひとり鬼籍に入りました。
 ぼくも小中学生時代、おそ松くんやチビ太やデカパンやイヤミやケムンパスやニャロメなどを、よく真似して描いていたものです。戦後生まれの世代に多大な影響を与えましたね。
 ある分析によれば、赤塚さんのギャグはアメリカのスラップスティックコメディーの流れを汲むものだそうです。
 ぼくの極めて個人的な印象で言うと、当時の日本のギャグマンガには
赤塚さんのハチャメチャ喜劇路線と藤子さんの日本的・落語的お笑い路線という2系統があったように思います。ぼくは、どちらかというと藤子さんのマンガの方が好きで、絵柄もそちらの影響を受けました(と単純に言い切れるわけではないが)。それはもう理屈抜きの好みの問題です。藤子さんのマンでガで笑ったことはあるけれど、赤塚さんのマンガは登場人物のキャラの強さは記憶に残っていても、内容で笑うということはありません。
 ストーリーではなく、徹底してキャラで見せるのが、赤塚さんのマンガだったように思います。

 

7月の「ごあいさつごあいさつ」