ブログパーツ  7/28
 ブログを再開してみて初めてわかったことがあります。ブログパーツなんていうものがあるのですね。
全然知らなかった。アクセスカウンターやアクセサリーなど、いろんなものがただでブログに貼りつけられます。もちろんだからといって、何でも貼るのは能がありません。そこは自分の趣味に合うものを選ばなければ。
 割に気に入ったのが、名言集。古今東西の名言を載せていて、読んでいて楽しい。ぼくはこういうの好きなんです。画面の左側やや下あたりに置いてあります。
 ブログはウェブサイトに比べて、コンピュータの専門的知識がなくても気軽に作れるよう、さまざまな構成要素が用意されていて、あとはそれをどう組み合わせるかだけの問題になっています。基本フォーマットも当然、選択。ready-made で自分らしさを表すのはなかなか難しい。以前やったときも今回もそれで結構悩んで、結局、シンプルなものが一番いいという結論に落ち着きました。
 要するにブログの善し悪しは中身で決まるわけだけれど、ま、そう気張るようなことでもありませんね。ブログパーツもまた増やしていこうと思ってます。

ブログ、再開します  7/26
 数年前に一度ブログを始めたのですが、使い勝手がよくわからず(文章の行替えが思い通りにいかないとか、画像がうまく貼れないとか)、おまけにこのサイトとの使い分けをどうすればいいかが明確にならなかったので、すぐにやめました。
 しかし、いろんな理由で再開します。最大の理由は、コンピュータ作業の環境変化です。今、このサイトはMac G3 上でDreamweaver 3.0 を使って作っています。まわりの変化から置き去りにされているので、年々しんどくなってきているのは確か。また掲載データの容量が増えたからでしょうか、サイトの更新も時間がかかるようになりました。それで、ブログを再開して、並行してやっていけばいいんじゃないかと思い立ったのです。
 このサイトを閉鎖する気は今のところありません。愛着がありますから。ブログでは、この「ごあいさつごあいさつ」に書いているような言葉と、ぼくの作品紹介を中心に掲載していこうと考えています。これから少しずつ中身を増やしていきますから、ときどき、そちらの方も覗いてみてください。でも、またすぐにやめるかもしれないけど(笑)。
 タイトルは「どっこい、生きてるよ」。

人は見かけに  7/24
 えー、人は見かけによらぬものと、世間ではよく言いますが、ほんとにそのとおりでございまして、昨日の夕方、近くのコンビニへビールを買いに行きましたら、スキンヘッドでプロレスラーのような体格の男の人が、お店の中でケータイをかけていました。
 お酒の棚の近くだったので、後ろ姿を見て私はその人が「おめえの言ってる焼酎なんてねえよ」とかなんとか、ドスの聞いた声でお仲間としゃべっているんじゃないかと想像していました。そう言う方々と目が合ったりすると面倒なことに巻き込まれますし、そうでなくても近ごろは物騒な事件ばかり続いております。
 とは言っても、私もビールを買わなければいけないんで、その人の近くに行かざるを得ない。背中の方をすり抜けてビールの棚に行きました。そしたら、すれ違いざまに聞こえてきたのは、ちょっと甲高い声で「うん、もうすぐでおうちに帰るからね」という、やさしいパパの言葉じゃありませんか。電話の向こうにはきっと、幼稚園に通っているくらいのお子さんがいらっしゃったに違いない。目の中に入れても痛くない女の子なんだろうなあ……なんてまた勝手な想像をして。
 まるでマンガのようなオチでしたが、みなさまも、くれぐれも人を見かけで判断なさいませんように。

祭りだ、騒音だ  7/22
 夏休みに困ることの一つは、若者たちが夜遅くまで外で騒ぐこと。自分たちは楽しいのだろうけれど、深夜であることやここが住宅街であることなどまったく頭にない。熱帯夜に加えて、こんな騒音も寝不足の一因になります。
 さらに祭りがある日は最悪で、夜9時を過ぎた頃からハイになった連中が会場から流れてきて、自分たちのお祭りを続けるのです。
 いや、問題は若者だけじゃない。祭りそのものが騒音なのだから。近所で毎夏開かれる祭りの一つでは、開始から終了の9時半までめいっぱい、わずかな曲数の盆踊りを繰り返し流し続けます。もはや祭りは楽しみではなく、公害。毎年その時期、ぼくは雨乞いの祈りを捧げています(笑)。
 
 昔、祭りは一年の中の数少ないハレの日だったのでしょうが、いま人々は、のべつ幕なしにハレの時を過ごしています。祭りの存在意義は昔とは変わってきているでしょう。一方、音に関する日本人の無神経さはよく指摘されるところで、静かな環境を求める権利はまだまだ市民権を得ていないようです。環境問題がクローズアップされているのだから、音に関する環境にももう少し関心を持ってもらいたいものです。

梅雨明けの「発表」  7/19
 今日、全国各地で梅雨明けの発表があったそうですが、関東地方は7月の初めにすでに実質明けていたと言っていいでしょう。昨日の午後にすごい雨が降ったけれど、それは夏の間でもよくあること。
 昔は梅雨入り・梅雨明けは「宣言」と言っていました。三島由紀夫はある本で「宣言というのは人間の行為について意志を持って公に言い表すことであって、自然現象について宣言などしても、守られるわけがない」というような意味のことを、半分からかい口調で書いていました。だからというわけでもないでしょうが、いつの間にか気象庁は「発表」と言い換えたようです。
 梅雨が明けても、最近は猛暑が多いから、中年の身には応えます。夕立が降れば、昨日の雨みたいな豪雨だし。自然も人と同じで、中庸と言うことを忘れたようです。痛めつけられている自然界が人間に復讐を始めているのでしょう。最近のマスメディアは環境、環境と騒いでいるけれど、自然破壊の生活を推進したのはマスメディアじゃないかと、ぼくはつい悪態をつきたくなるんですけどね。
 ダサ句をひとつ。
 梅雨明けと いま言われても ピンとこず

対決 巨匠たちの日本美術  7/16
 国立博物館へは結構足を運んでます。5月に「
薬師寺展」を見に行きましたが、昨日は「対決 巨匠たちの日本美術」を子どもたちと見にいきました。運慶と快慶、雪舟と雪村、永徳と等伯、宗達と光琳、円空と木喰、若冲と蕭白etc. etc...、こりゃ見ないわけにはいきません。娘は全力を集中して鑑賞したせいで、帰宅後疲労困憊してました。
 テレビや本だけで見知っていた作品に出会えるのはどんな展覧会でも嬉しいものです。そしていつも思うのはオリジナルに触れることの大切さ。人間の目は実に多くの質感を見分けていると言うことがよくわかります。
 見るべきものはたくさんあるけれど、ここで個人的趣味であえて一つだけ挙げるなら、長谷川等伯の松林図屏風。屏風全体が見渡せるような位置から眺めていると、静かな静かな松林に(いや、風の音が聞こえてくるかも知れない)たたずんでいるようで、こんなのを見てると、日本に生まれて良かったなあ、なんて感激してしまうのです。
 一方で、曾我蕭白の異様な世界にも惹きつけられ、画面の隅から隅まで線と形と色をじっくりと観察して楽しむのでした。これもまた日本の美。よく、こんなの描くよなあ。
 
会期が非常に短く、8月17日まで。

ワクワクするか、iPhone  7/11
 今日iPhone 3Gが発売とかで、テレビ各
局でニュースになっていました。先行発売の原宿では徹夜組を含めて800mほどの列ができていたらしいのだけど、半分はサクラじゃないの?買った人の声は「前からほしかったから」とかなんとか、よくありがちな答えばかり。
 
紹介されている操作法を見ていたら、そこはさすがにApple。確かに通常のケータイとはまったく違っていて、「へぇーっ」って感心してしまいました。
 ぼくはもうこう言うのをほしいとは思わなくなってるけれど、みんな買うんだろうなあ、と思いました。でもそのあとYahoo! のクリックリサーチを見てみたら、なんと「買わない」と答えた人が51%も。「検討するが」
32%で「買う」と答えたのはわずか17%でした。 回答数は全体で5万票余りで、統計的な信頼性はあるだろうし、インターネットだから回答者は若い世代が多いはず。そう考えると意外な結果ではありました。
 テレビでの騒ぎ方に比べると、実際の消費者の反応は意外にクールなのですね。やっぱりテレビニュースは半分広告なんだなあ。政府もマスメディアも産業界も、少しでも景気づけをしたいのでしょう。

羊の目    7/5
 先日の新聞に出ていた文藝春秋社の広告で伊集院静の新作『羊の目』が宣伝されていました。「伊集院文学の最高峰」とあり、4刷に入ったらしい。6月のブックレビュー特集コーナーで伊集院さんがゲスト出演し、この本について語っていました。伊集院さんの本は今まで読んだことがなかったけれど、話を聞くうちに ちょっと興味を持って、さっそく読みました。そこに描かれた日本の裏社会は日ごろのぼくとは無縁の世界で、高校時代に見た東映のヤクザ映画を思い出しました。
 しかし後半、キリスト教が出てくるあたりで次第に興ざめしてしまうのでした。扱い方があまりに紋切り型というか、リアリティーがないものだから。主人公がアメリカの刑務所に20年くらい入っていて、そこで聖書を繰り返し読んだ、ということになっているのだけど、独房で聖書を、誰の・何の助けもなく読み通すことは現実的に不可能。そんなふうにして神や救いの問題を絡ませるというのはちょっと無理があります。
 ま、そんな突っ込みは野暮というものか。しばし別世界に連れていってくれるエンタテインメントとしてはなかなかの出来だと、コメントしておきましょう。一気に読めます。

テレビとハサミは使いよう  7/1
 TBSのある報道番組が秋に打ちきりになるそうです。そのあとはバラエティー番組。今はどの民放もその方向に進んでいるそうで、そうしないと視聴率が稼げないらしい。と言うことは逆に、多くの国民がバラエティー番組の方を好んで見ているということだから、ぼくはそのことにむしろ驚いてしまいます。
 ぼくと同い年の作家、保坂和志さんは最近のエッセイの中で「この歳になると民放のバラエティー番組を見る気がせず、テレビといったらNHKとスポーツ番組ばかり」と言っていますが、まったく同感です。ぼくがこの人の作品に共感するのは、必ずしも同世代という理由だけでなく、思考法が似ていることも大きいのですが、それはおいといて、とにかくバラエティー番組の隆盛は、日本人が自分で考えることをますますしなくなっていることを示していると言えるでしょう。
 頭の良さとか賢さというテーマでさえ、テレビで扱われるようになったとたんに薄っぺらになってしまいます。抜け落ちてしまうものに気づかず、人生の膨大な時間をテレビに費やすのは怖い話。テレビとハサミは使いよう、と心得ているのが、ほんとうの賢さです。

6月の「ごあいさつごあいさつ」