超整理術でわかること 5/31
図書館で半年前に予約していた『佐藤可士和の超整理術』(日本経済新聞出版社、2007)をようやく手にすることができきました。このあと予約数はまだ180件続いていて、アートディレクターの本がこれほど読まれているというのは驚くべきことです。いかに可士和さんが時代の寵児になっているかがよくわかります。
ただ、この本を読んで感じるのは、彼のめざましい業績の秘密が著書を読んで判るかというと、そうでもないということです。本の中で言ってることは特別に鋭い考察でもなく、おそらく仕事をやっている人なら誰もが多かれ少なかれ考えたり感じたりしていることではないだろうか。それは基本に忠実にと言う意味だ、という見方ができるかもしれないけれど、それとも違うような気がします。ぼくの評価としては、原研哉さんや深澤直人さんの本の方が得るものは大きい。
ざっと読んで得た印象は、可士和さんが次々と大きな仕事をヒットさせている要素は、書かれていないところにむしろあるんじゃないだろうか(本人がそれを意図しているかいないかはわからない)、ということです。つまり、この本を読んでも、ほんとうのところはほとんど謎のままなのです。
大人の見識 5/29
つい先日、本屋の新書コーナーで立ち読みをしていました。目の前に新刊と売れ筋の本が平積みになっているのですが、その中に阿川弘之の『大人の見識』というのがありました。『国家の品格』(藤原正彦著)に似た、世相にもの申すという内容の本です。
ぼくが別の本を読んでいたら、横から中年のおばさんがすっと手を出して、積んであった『大人の見識』の上から2冊目あたりを抜き取りました。すると、一番上にあった本が勢いでバサッと斜めにずれてしまいました。ぼくは読んでいた本から思わず目を離し、おばさんをちらっと見たのですが、その人は乱れた本を戻すこともなく(そんなことを気にもとめず)、さっさとレジに歩いていきました。
上から数冊目をとることはぼくもよくやるから別に構わないのだけど、もうちょっとていねいにやってくれませんかね。横っちょに飛んでいった本を直すくらいはやった方がいいんじゃないか。まわりへの配慮がまるでない、あまりにもがさつな動きだったのです。
でも、すぐに思い直しました。そうだ、あの人はあの本を読めば、きっと次からはそんな振る舞いはしなくなるだろう。自分でもちゃんと判っていてあの本を買ったのだろうなあ。
美術の見方 5/24
『名画の言い分』(木村泰司著、集英社)という本を先日読みました。これはギリシアから現代までの西洋美術史をおおざっぱに解説したもので、通して読んでみると、いかにぼくが何も知らないかがよくわかって(何を今さら)、楽しく読めました。
冒頭で著者は「美術は見るものではなく、読むものです。現代の日本ではやたら「感性で美術を見る」――好きか嫌いか、感動する化しないか、といった尺度で見る――などと言いますが、感性で近代以前の西洋美術を見ることなど不可能です」と書いています。それは実に正しい指摘だと痛感します。ぼくもここ数年、さまざまなことを勉強するようになったのですが、「感性」という言葉は、怠惰な人間の言い訳に使われている傾向がけっこうあるなと感じています。
最近の展覧会では、解説の機械が必ずあります。先日見に行った薬師寺展なども、本当は解説を聴きながら見た方がいいのだろうなあと思ったのですが、でも、解説付の作品の前は人だかりが動かなくて、それはそれでまたうんざりするのですよ。解説だけ聞いて判ったような気になるというのも、ままあるし。解説をしっかり学びつつ、じっくりと感じ取りたい。知識と感性。どちらも大切です。
日光菩薩、月光菩薩 5/20
先週の金曜日に東京国立博物館へ薬師寺展を見に行きました。会期は6月8日までだし、平日だからそれほど混んでないだろうと思っていたら、午前10時半ですでに待ち時間20分でした。ここの企画展をゆったり見ようなんてのは、夢のまた夢と言うことでしょうか。
呼び物はもちろん日光菩薩・月光(がっこう)菩薩。今回初めてお寺の外に出たそうで、後ろ姿も見られるのは展覧会でだけとのこと。
実は3月に、薬師寺の副住職、山田法胤氏による展覧会記念講演を聴きました。この方は「ぜひ会場へ菩薩を拝みに行ってください」とおっしゃっていました。鑑賞ではなく、礼拝(らいはい)の対象として見ていただきたいという願いだったのです。会場の様子を見ていたら、みなさん「すばらしいわねえ」と感動の言葉を口にしていて、この住職さんの願いは充分にかなえられていたと思いました。確かにそれくらい、心が洗われる素晴らしい像でした。ぼくは個人的にもう一つの聖観音菩薩像も気に入りました。
秋には興福寺の阿修羅像が来ます。これも万難を排して見に行くつもり。混雑を覚悟して。子どもたちにその話をしたら、息子が「去年の修学旅行で見たよ。すいてたよ」とさりげなく答えてました。
国民の命を考えない政府 5/14
ミャンマーのサイクロンに続いて、中国四川省で大地震が発生しました。新聞の見出しやテレビ画面で被害者数が1万人とか2万人とか示されても、ぼくたちがリアリティーをもって受け止めることはなかなか困難です。当事者にとっては、苦しみや悲しみは数量化されるものではありません。
中国政府は聖火リレーでも大地震でもチベット問題が絡んできて、国の威信を示すはずのオリンピックが、思い描いた方向に進まなくなって、頭を抱えていることでしょう。震災に対してある程度迅速に対応してはいるけれど、しかし彼らは、聖火リレーは予定どおり行うつもりらしい。そうすることでチベット問題が解決するなんて言ってるそうだから、何を考えてるんだと言いたくなります。一方、ミャンマーの軍事政権は外国からの支援者の入国を拒否しているそうで、まったく国民の命よりも自分たちの権力維持しか頭にはなさそうです。
彼らのやっていることを見ていると、弱い市民ばかりが犠牲になる構図はいつもどこでも同じだと思わされます。さしあたり、ぼくたち庶民にできることは、救援募金に協力することでしょうか。
思いがけないこと 5/10
「人生は、なかなか思いどおりに行かないことが多いわねえ」と妻が今朝、ふと半分愚痴のように言いました。稼ぎの悪い亭主や自覚の足りない息子を見て、改めてそう思ったのかも知れません。そこで、ぼくは答えました。
「思いどおりに行かないことは多いかも知れないけれど、逆に思いがけないことが起こることもあるのが人生じゃないの」
別にこれは自分のふがいなさを開き直って弁解しているのではなく、このごろつくづく感じていることなのです。良くも悪くも、思いがけないことはそれこそ思いのほかたくさん、自分の身に起こっているものです。「思いがけず」はぼくの人生のキーワードだと、この欄で以前にも書きました。
工業社会に生きる現代人は、あらゆることを規格に当てはめ予想の範囲に収めようと苦闘しているのだと思います。でもそうはいかないのが現実。特に自然界は規格外なんてざらだし、当然ぼくたち人間も工業品じゃないのだから、思いどおりに行かないことだらけなのです。
同じ「思いがけない」でも、事故や事件のような不幸はできれば避けたいものですが、いいことがあったらちゃんと感謝したいもの。いずれにしても、世界が人の思考範囲を超えているものであることは確かなようで、そのことを頭に入れておくかどうかで気持の持ち方も変わりますね。
ランキング症候群 5/9
前回、ミシュランの悪口みたいなことを書いてしまいましたが、でもぼくはミシュランの編集力を高く評価しています。昔々、ぼくにも青春時代というものがありまして(子どもたちからは「想像できない!」と一蹴されていますが)、フランスやヨーロッパを旅行したときに、ミシュランは大いに役立ちました。
日本ではランク付けばかりが騒がれているけれど(それもまたマスメディアの責任が大きい)、実はそれはガイドの中心部分ではありません。例えば名所旧跡の紹介でも、建築様式の歴史などをていねいな図版とともに解説しています。これは非常に勉強になり、読んでいて面白かった。作りは地味なのですが、中身がしっかりしていて、こういうガイドブックは日本にはないなあと思ったものです。
私たちの弱点の一つは、自分で考えることをせずにランキングに振り回されているところでしょう。どこが三ツ星かどうかではなく、ミシュランがどういう基準で何をどう評価しているかを見ながら情報を読みとっていくのが、正しく、かつ楽しいミシュランの活用法ではないでしょうか。
来年には緑のガイドブックGuide Vert が出るそうです。ちょっと見てみよう。
早くなくなれミシュラン 5/6
連休の最終日に高尾山へ行きました。ミシュランのガイドブックで3つ星の観光地として紹介されてから人が増えたと聞いていましたが、ほんとうにすごかった。外国人の姿もよく見かけました。それもミシュラン効果でしょう。
11時過ぎに山頂に着いたときもすでに人が溢れていて、弁当を食べるのに、どこにシートを敷こうか場所を探し回ったし、帰りは帰りで、下山者と登山者が狭い道をすれ違うのに、何度も待たされました。まわりの景色を楽しむ余裕もなく、とにかくさっさと歩かねば人に迷惑をかけるという、まるで都会を歩いているような煩わしさでした。
鳴り物入りで刊行されたミシュランガイドですが、いい迷惑を被っている人が多いのではないでしょうか。高尾山もなるべく早く格下げされるかあるいはランク外にはずされて、ランキングだけで集まる人が減ってくれることを願うばかりです。
しかし人出の原因は天気もあったに違いない。連休中で快晴だったのは29日と今日だけ。最終日でみなさん疲れて家に引きこもってくれないかなんていう勝手な願いは、かなうわけもありません。昨日までのモヤモヤを晴らせとばかり、誰も彼も外に繰り出したでしょう。
4月の「ごあいさつごあいさつ」
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