国語力 2/27
先週のことです。近くのコンビニへまとまった枚数のコピーをしに行きました。
作業が終わって、レジで「領収書ください。宛名は『○○中(学校名)広報委員会』としてください」と告げました。30代と思われる男性の店員は、学校名を書いたあと、ペンが止まりました。広報という漢字が思い出せないのだろうとわかり「広い、に報告の報、です」と言うと、ああそうだった、という表情で、書き始めました。
ところが、またすぐペンが止まったのです。今度は委員会という漢字がわからないみたい。「ノギに女、です」と言うと、店員のお兄さんはまた、ああそうだった、という表情で文字を書きました。
そして書き終えた文字は「○○中広報委員金」様。
ぼく 「あの……金ではなく会です」
店員「あ、そうでしたね。すみません」
お兄さんはその紙を破り捨てて、新しくレシートを打ち直したのでした。
日本人の学力はやっぱり低下してるのでしょうか?
宮廷のみやび展 2/25
東京国立博物館で開かれていた「宮廷のみやび展」に、先週の金曜日行って来ました。会期終了間際(昨日まで)だったので、またしてもめちゃ混みの会場に足を運ぶという愚行を繰り返しました。
しかし、展覧会はすばらしかった。京都の近衛家(陽明文庫)に伝わる歴史的な文化財が公開されたわけですが、書と日本画における日本文化のルーツを垣間見た思いです。書をやっている人には見逃せない作品ばかりだったそうですが、素人のぼくにはただただ、すごいなあ、とかきれいだなあという感想しか思い浮かばず、へたなコメントはしない方がいいですね。
美術の方では、改めて日本画の緻密さをじっくりと鑑賞することができました。
個人的には、近衛いえひろ(「ひろ」の漢字が出てこない)と言う江戸時代の人の作品を楽しみました。この人、絵も書にも秀でていて、あっと驚くものばかりでした。
昔の芸術作品を見ていて毎回感じるのは、コピーのきかない時代に、信じられない精度で線や色を描いてゆくいにしえの職人たちのすさまじい技量です。鑑賞する側も思わず息を止めてしまうほど。千年降り積もった真剣さに、頭がクラクラしてくるのでした。
「武士の一分」はヤバイ 2/20
気になっていた映画「武士の一分」(山田洋次監督、木村拓哉主演)をDVDでようやく見ました。
キムタク風に言うと、これはヤバイ映画です。物語が終盤に近づいてきたころから、小説で読んでいたラストを思い出して、あ、泣いちゃいけない、と早くから心の準備をしていたのですが、だめでした。ぼくはこういうのにほんとに弱いんです。藤沢周平ならではの人情味溢れるみごとな結末で、これをクールに受け流すことは不可能。
それにしても、キムタクはうまかった。2年以上も前に「ハウルの動く城」での声優ぶりに、ぼくはうなってしまったのですが、この時代劇でも、軽妙さと凄みを併せ持った、驚くような演技をしています。プロだなあ。
妻役の壇れいも良かった。ぼくはこの人、初めて知ったのですが、宮沢りえと似た古風な趣があります。山田監督の好みなのかな。と言いながら、ぼくもこういうタイプが好きなのだけど。
藤沢周平三部作、2作目の「隠し剣鬼の爪」はがっかりものだったけど、この3作目は「たそがれ清兵衛」に並ぶ傑作だと、ぼくは評価します。
バーニンガム展 2/15
大丸ミュージアムへジョン・バーニンガム絵本原画展を見に行きました。絵本展を見るといつも心が解放されます。自由でいいのだ、といつも言われるようで、それがうれしい。
ジョン・バーニンガムの『ねえ、どれがいい?』という本を持っていますが、これがとても面白い。ユーモアに満ちた奇想天外なアイデアたっぷりの絵本で、子どもたちが幼かったころからのお気に入りです。
バーニンガムさんは今年、作家生活45周年だそうです。作品の特徴は、子どもの心を持った発想の斬新さ・柔軟さ、イギリスふうの洗練されたユーモアにあると言っていいでしょう。見ていて笑っちゃうのですよ。そして色彩の美しさ。空気が色づいている、と感じます。
会場に、彼が子どものころに描いた絵が展示されていましたが、ぼくはそれを見て、三つ子の魂百までと言うのはほんとうだと、つくづく思いました。今の絵とまったく同じなのです。ぼくは自分の絵でも同じことを感じているものだから、すごく共感してしまったのでした。
自分の絵をそのまま表現していくことの大切さを、この作家もまた教えてくれるのでした。
弘法、筆を選ばず 2/14
このことわざ、広辞苑では「文字を書くのが上手な人は筆の良否を問わない」と説明されています。確かに肝心なのはその人の能力であって、道具ではありませんね。
でもこの言葉はさらに深い見方もできます。それは、絵でも書でも、また音楽でもスポーツでも、達人は筆の良否を問わないと言うよりは、それぞれの道具の性質をよく見極めて、それに合わせて仕事ができるということです。
実は達人ほど、道具にこだわるのです。1月に放映されたNHK「プロフェッショナル」イチロー特集でも、彼がバットやグラブにものすごくこだわっていることが紹介されました。そういう人がたとえ質の劣る道具を与えられることがあったとしても、それはそれなりに使いこなして、凡人より優れた仕事をしてしまう。それがこのことわざの意味なのでしょう。まあ、言いローの場合は、自分専用じゃなければ「こんなの使わないよ」と軽く一蹴するのでしょうけど。
弘法の名前を使った有名なことわざにもう一つ「弘法も筆の誤り」というのがありますが、ぼくはこの二つを合わせて、こんなことわざを作ってみました。
「弘法は筆をあまり選ばず」……達人ほどじゃない人向けに。
ぶっとび国芳 2/11
ゆうべ見た「新日曜美術館」は浮世絵師歌川国芳の特集でした。変わった作品を作った人というのは知っていたけれど、きのうまとまった形で人柄や作品などを見たら、これはすごいと思いました。
あれこれすごいのが並ぶ中で、ぼくが特に度肝を抜かれたのは「荷宝蔵書壁のむだ書」(にだからぐらかべのむだがき)という作品。現代のイラストと言っていい先進性を持つ、ぶっとびの絵でした。こんなのを19世紀に描いちゃったの?って、ぶったまげましたよ。
当時は天保の改革(おお、受験時代に聞いた用語だ、懐かしい)のせいで、ぜいたくは敵とばかりに娯楽が禁止され、 浮世絵もいろいろ発禁の目にあったらしい。そんな法の目をかいくぐるために国芳が考え出したのが、「壁の落書きを写した」という名目で描いた役者の似顔絵や動物の絵や文字。いわゆるヘタウマと言っていいのでしょうが、その崩し加減がハンパじゃないのです。笑える。
江戸文化のすごさは驚くばかりで、知れば知るほど、日本文化の尽きせぬ源泉がここにありとの感を強くします。国芳もまた日本美術・デザイン・イラストのトップランナーの一人だったのですね。不勉強を恥じるばかり。
Do
It Yourself 2/8
先週、トイレのタンクを修理しました。こういうことを書くと、家族から「お父さんはわが家のプライバシーをホームページで暴露している」と言われてしまうのですが、別に恥をさらしているわけじゃない、立派なことも(どこが?)話してるよと主張しています。
さて、トイレの話。いつのころからか、水を流したあとにチョロチョロと水が出続けて止まらなくなったのです。相談されて何も考えずに即どこかに電話するようじゃ主夫の名折れ。さっそく調べることにしました。
原因はタンク内の「浮き」が充分に上がりきらないから、栓が閉まらなかったということ。もし修理を外注すると、先日お風呂の目皿を交換してもらったあの会社に頼むことになる。出張費で文句を言ったばかりだし、今度は間違いなく出張費を取られそうなので、ここで頭を下げるわけにはいかない(ぼくも意地っ張りです)。要はちょっとした智恵と工夫次第。構造を調べて、2日後には材料費199円でちゃんと直しました。
それ以来、トイレの水を流したあと、しっかり元通りに止まっているのを確認するのが楽しみになったのでありました。V(^^)
冬を越せるか、蝶 2/5
立春が過ぎました。季節のお便りを。
左下のToshiWatchesに掲載したチョウチョの写真がいまだに更新されず残っていますが、実はこの蝶、ちゃんと生きているのです。
ケースの壁に羽を閉じて止まっているのですが、日によって位置が少しずつ変わっています。冬眠と言っていいのでしょうか、詳しいことはわかりませんが、ぼくはときどき様子を見て、蝶が目を覚ましたときの水分補給にと、ケースに霧吹きをかけています。ムラサキシジミ用の餌はおいてありません。
冬でもたまに暖かい日があったりすると、虫たちは春と勘違いして動き始めることがあります。でも餌が見つからずに死んでしまうかも知れない。だからぼくは蝶が起きないよう、ケースをベランダの直射日光が当たらない一番寒い所においているのです。
以前、カマキリを秋からずっと家で飼っていて越冬させたことがあります。2月を過ぎても生き続け、今のところわが家での最長記録なのですが、3月の初め、とても暖かい日があり、ぼくはカマキリが喜ぶだろうと思って日向に出してやったら、熱でやられて死んでしまいました。年老いて体力がなくなっていたのです。
生き物のデリケートさを思い知らされた出来事でした。
1月の「ごあいさつごあいさつ」
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