モンゴル力士が  4/30
 
天気もいいし、散歩をしようと光が丘公園に行ったら、モンゴルの祭り「ハワリンバヤル」をやっていました。年に一度この時期に開催していて、今年3回目。でもぼくは初めて見ました。モンゴル相撲もやっていて、朝青龍や白鵬ら数人が、お客さんとして来ていました。
 モンゴル相撲は最近テレビでも紹介されていますが、日本の相撲とは結構違っています。ぼくは息子と決勝戦を見たけれど、思ったよりのんびりとしたペースでやっていてなかなか勝負がつかなかったので、途中で見るのをやめました。モンゴル相撲はやっぱり大草原にこそ似合うのかも知れません。

手仕事の心地よさ  4/27
 
版画講座で、北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を彫っています。波がザブーン、の有名な絵。なかなか面白くて、やり始めると結構はまります。手と腰と目にはかなりきついのですが。
 素人に本格的なものはとても無理ということで、サイズも版木の枚数も縮小版ですが、それでも作業はかなり大変です。6回の講座ではとても間に合わないので、ほとんど家での作業。
 サイズが半分ということは、線の幅も半分になるわけなので、素人にはかえって難しい。まさに0.1ミリの世界ですよ。それでもとにかく手作業で名作を再現することは、名画の模写と同様、学ぶところが大きいのです。
 素人仕事だから 仕上がりは悲惨になりそうですが、不思議なことに彫刻刀で板をクイクイ削っていると、心が落ち着いてきます。雑念が払われるというか、無心になれるというか。その感触は筆や鉛筆で絵を描くのとは全く違っていて、力仕事。文字どおり手応えを確かめながらものを作るというのは、なかなか楽しいことです。

敗戦の弁  4/23
 
長崎市長選挙の結果はある意味、市民の健全さを表していたような気がします。先週の衝撃的な事件の直後にもかかわらず、投票では有権者はみんな比較的冷静さを保っていたように思えるのです。
 気になったのが、惜しくも敗れた横尾さんの奥さん(故伊藤一長氏の娘さん)のコメントです。涙ながらに「伊藤一長の存在はその程度のものだったのでしょうか」「こんなひどいしうちを……」と語っていましたが、それはちょっと違うんじゃないの?と思いましたよ。
 無効になると知りつつ伊藤一長氏に投票した人が1万5千人以上に及んだことを見ても、お父さんが勝ち得ていた尊敬は大きなものだったのではないでしょうか。お父さんとだんなさんは別人なんだし、横尾さんは政治
手腕はまったくの未知数だったとのこと。入れてくれなかったことを恨みがましく言っちゃうことで、かえってミソをつけちゃったのでは?この先のことを考えるとマイナスだったように思えます。
 まあ、激動の日々でかなり感情的になっていたのだとは思いますけど。

ノンフィクションづいている  4/17
 
図書館で去年予約していた本が、このところ立て続けに用意されて、頻繁に受け取りに行ってます。内容が重い社会派ノンフィクションばかりなので、ちょっとしんどい。まあ、自分で選んでいるんだから文句は言えないけど。
 先日読み終わったのが、『さよなら、サイレント・ネイビー』(伊東乾/著、集英社、2006)。著者は地下鉄サリン事件の実行犯の一人と大学時代(東大物理学科)の同級生なのです。そういう立場の人が書いた本だから、読み応えはあるだろうという予感はありましたが、実際に読み終えて、うん、熱い本でした。わたしたちが同じ過ちを繰り返してはならない、という著者の必死の思いが伝わってきました。近々「この本が面白い」で取り上げようと思っています。
 ところで読書は脳にもいいのでしょうが、ぼくにとっては図書館までの往復2キロを歩くことが体にもいいのです。通り道の桜が日々姿を変えていきます。枝にあるのはすっかり葉ばかりかと思っていたら、おや、あんなところに……。

 青みても 残雪のごと 花数輪

大正シック展  4/14
 
東京都庭園美術館で今日から「大正シック」展が開かれます。このシックはsickじゃなくてフランス語のchic。その特別鑑賞展に昨日行って来ました。関係者だけが入れるものなのですが、関係者でもないぼくが入れたのは、教会のOさんからチケットをいただいたから。図録をプレゼントしてもらえるところが嬉しい。
 ホノルル美術館に所蔵されている 大正時代から昭和にかけての絵や着物や工芸品の展覧会だったのですが、庭園美術館という環境も手伝って、まるで大正時代にタイムスリップしたような感覚を覚えました。
 来ている人たちがいかにも関係者だというのがすぐにわかって、最初、ジーパン姿のぼくが場違いに見えるかな、と思ったりもしたけれど、別に気にする必要はありませんでした。会場には美術評論家の高階秀爾さんや山下裕二さんの姿も見かけました。
 庭園美術館も三井記念美術館と同じように、展示物とともに建築美を鑑賞できます。庭は和洋折衷、根津美術館とはまた違った味わいがあります。美術鑑賞のあとしばらく散歩して、いつもと違う時間を過ごしました。

東洋と西洋の面白い関係  4/7
 志村ふくみさんと鶴見和子さんの対談『いのちを纏う』(藤原書店)では、色や織りやきものの思想を語り合っていますが、なかなか面白い。興味深いことはたくさんあるのですが、その一つは、東洋と西洋の文化の違いと共通性です。それが決して単純じゃないところがまた面白いのですね。
 2月の「新日曜美術館」で志村さんはゲーテの『色彩論』のことを話していました。それがこの対談でもたびたび取り上げられているので、志村さんにとってかなり重要な意味を持っていることがわかります。実際に染織をやっていて、ゲーテが見出した色彩論が本当であることを体験するそうなのです。ゲーテは闇(藍)と光
(黄)が出会うことで緑が生まれる、と言い、しかもそれを光の受苦(じゅく)と表現しているそうです。これって、まさにキリスト論じゃないか、と思いました。
 対談では東洋の曼陀羅の思想にも触れるのですが、世界の多様さや奥深さを、驚きながら、また一つ知ることができました。この話題はいくらでも続きそうです。

木版画を始める  4/4
 浮世絵版画制作を始めることにしました。近くのNHK文化センターで4月からこの講座が始まることをたまたま2月に知り、申し込んでいたのです。
 指導はアダチ版画研究所という、浮世絵版画の制作・保存や彫師の育成などを行っている、この世界ではかなり有名な財団法人の彫師たちです。今日はその第1回目。
 版画なんて小中学の頃、ほんの少しやったくらいでほとんど覚えていません。コンピュータでバーチャルな制作ばかりやっていると、手の感触をしっかり感じながら作品を創ってみたいという思いがずっとありました。それに北斎や浮世絵に以前から興味を持ち続けていたこともあって、ためらわずトライ。
 とにもかくにも彫刻刀で版木を削り始めたのですが、鉛筆や絵筆などとは勝手が違い、いやこれは大変そう。でも新鮮な刺激でした。先生の話では、本物の浮世絵は何十年も修行をした超一流の彫師だけが作れるもので、初心者が12時間程度ではほとんど何もできないのだけれど、ミニ富士山に登るような感じでやっていきましょう、とのことでした。

桜狂想(競争)曲  4/3
 今朝の朝日新聞に、桜を扱ったCMがここ数年で増えている、と言う記事が出ていました。記事にはなかったけれど、桜を扱った歌が増えていることに以前から気づいていたので、何か関連があるような気がしました。
 一連の桜ものの中では、3年ほど前に出た森山直太郎の歌が先駆者だったように思いますが、その後、雨後の桜ならぬ雨後のタケノコのように次々といろんな歌手が桜の歌を発表しています。同じタイトルもあって、とても覚えきれない。こうなると、ひねくれたぼくはすぐに、何か裏があるのではと勘ぐってしまいます。日本人なら桜でしょ、というのを単純に押しつけてられているような感じ。確かに桜はぼくも好きですけどね。
 その桜も、今年は入学式を待たずに散り始めているようです。ああ、もう少しじっくり鑑賞しておけば良かったと、いつものように少し後悔するぼくでした。

 花咲くを ねらいしごとく 風の吹く


3月の「ごあいさつごあいさつ」