ルーブル美術館展
7/30
きのう、東京芸大大学美術館で開かれている「ルーブル美術館展――古代ギリシア芸術・神々の遺産」を見に行きました。会期はまだ3週間あるのに(8月20日まで)、土曜日だったせいで、ものすごい混雑ぶりでした。午後1時頃に入ったのですが、2時40分頃出たときには入口で入場制限が行われていて、まるでディズニーランドのアトラクションを待っている人たちのようでした。
展示されているのは、タイトルからもわかるとおり、古代ギリシャの彫刻と壺などの生活品です。大理石の彫刻はやはり見物ですね。紀元前5世紀とか1世紀のころに、数え切れないほどの名もない彫刻家によって、これだけの素晴らしい像が造られたと言うことです。しかもそれはごくごく一部でしかない。これらの彫刻が野外で日の光を浴びて立っていると、その美しさは全く違って見えるのだろうなと思いました。やはり輝く太陽の下でこそ、大理石のギリシア彫刻は美しさを増すはずです。
ある女神の頭部の像をしばらく眺めていて、ふと振り返ったとき、たまたまそこに若い女性が立っていました。そしてたまたまその人は、ギリシア彫刻のようなプリーツのある柔らかなワンピースのドレスを着た、美しい人だったものだから、一瞬、生きた女神に出会ったような錯覚に陥りました。
まるで作り話のようですが、その後その人は混雑の中に紛れて、会場内で二度と見ることはありませんでした。
ちょっと珍しかったのは、いつもだとこの種の展覧会は高齢の人たちばかりなのに、きょうは若い人たちがかなり多かったことです。ぼくの経験ではこういう現象は、去年の秋の北斎展以来ですね。芸大の学生たちだったのかな?
この美術館、ぼくは5月に「バルラハ展」を見に訪れています。芸術の香り高い、なかなかいいところですよ。
温暖化は虫にも現れる 7/28
東京地方、おとといはようやく夏の陽射しと暑さがやってきました。季節にふさわしい天気になってくれると、ほっとして、ふつうならうんざりするはずの暑さが、妙に快適に感じられました。だって暑い陽射しがないと、子どもたちのはじけるような声もセミの声も聞こえず、夏の実感が湧きませんからね。
それにしても梅雨が長引いてます。集中豪雨はもはや年中行事になってしまいました。異常気象は温暖化のせいだという説もあるようですが、どうなんでしょう。自然がおかしくなっていることは確かです。
温暖化については、虫を観察していて実感することがあります。南の地域に分布するはずの蝶をぼくたちはここ数年身近な場所で発見しているのです。去年の春には石神井公園でリュウキュウミスジを、夏には玉川上水でナガサキアゲハを捕まえました。名前からわかるとおり、どちらも南の地域の蝶なのです。今、これらの昆虫が年々北上しているそうなのです。
そして昨日は、光が丘公園でアカボシゴマダラという蝶を捕まえました。これは元来奄美大島に棲息する蝶なのです。おとといの朝、息子と床屋へ行くとき、いつものように公園の中を自転車で走っていたら、ゴマダラチョウらしき蝶がぼくの頭の上をふわふわと飛んでいました。「おーい、これこれ」と軽い気持で息子に知らせたら、ぼくより視力が良くて、虫に関する知識が上回る息子が「あっ、あれ、アカボシゴマダラだ!」と叫んで、ふつう東京では見かけない種類だと言うことを教えてくれました。
めったに会えない蝶なので、ぼくたちは昨日、根性で捕まえたのです。
まあ、こんなふうに日ごろから昆虫や植物を観察していると、自然環境が変化していることが確実にわかるわけです。それだけに、悪い方への変化はくい止めたいものだとつくづく思いますよ。
amazonにクレーム 後編
7/26
amazonから返事が来ました。「このたびは、Amazon.co.jp
オリジナルブックカバーに関しまして、ご迷惑をお か けいたしましたことを、深くお詫び申し上げます。 お客様よりいただいたご意見は、担当部署に報告いたしました。Amazon.co.jpで
は、お客様からのご意見やご提案に基づき、より便利なサイトで質の高いサービ スを 提供できるよう努力して参ります。 このたびは、貴重なご意見をお聞かせいただき誠にありがとうございました。
Amazon.co.jpのまたのご利用をお待ちしております。」
「ごめんなさい」で逃げ切られ、論点をすり替えられた感じ。もちろん向こうにしてみれば、ギフト券賞品の交換不可は最初から規則に明記しているのだから、謝罪の言葉さえ言っておけばいいとうことです。まあ、確かにそうだから、ぼくもこれ以上は言いません。
こういう返事は予想できましたが、それでも正しいクレームをつけることは大切だと思っています。泣き寝入りが一番良くない。昨日の繰り返しになりますが、額の多少の問題ではありません。今度同じようなことがあった場合の布石にもなります。
企業というのは、ふだんお客様第一みたいなことを言っていても、基本的に自分たちの利益にならないことは絶対にやろうとしません。ぼくの今回のことは大したことがありませんが、たとえば最近のパロマガス湯沸かし器にしても、三菱ふそうの欠陥車にしても、JR西日本の事故にしても、人命にかかわる事故が起きたときの責任逃れのコメントを見ているとよくわかります。
一方アメリカでは、カフェでコーヒーをひっくり返されたと言うだけで訴訟を起こして、何千万円も手にしたという事例が実際にあります。これはこれで、病んでいるとしか言いようがなく、どの国であれ、消費者も企業ももっとまともにならなくてはいけません。
amazonにクレーム 前編 7/25
ほんとうは、先日歌舞伎を見たとか、スピルバーグの「宇宙戦争」は駄作だとかいう話をしたいのだけれど、今日は、ぼくがよく本を購入するamazon.co.jp
に昨日クレームのメールを出したお話を。
書籍を3900円以上買った人に文庫カバーをプレゼント、というキャンペーンをやっていました。7月31日締切なので、買いたい本もあったから注文しました。ところが送られてきたカバーは寸法が短くてどの本も入らない欠陥品だったのです。
昨日の朝、クレームのメールを送りました。もともと、ギフト券などで入手したものは返品はできないことになっていて、そのルールは承知していましたが、欠陥品をキャンペーンで扱うのは企業姿勢に問題があるでしょう、とぼくは言いました。
返事には、ご指摘ありがとうございます。その賞品はギフト券を使って無料で購入されたものなので交換できませんと書かれていました。
そんなことわかっているよ。ぼくが問題にしたいのはそんな欠陥品をキャンペーンに使用したことなのです。無料だから交換できません、ごめんなさい、ご指摘は担当者に伝えました、……それで済むわけ? それだったら、インチキキャンペーンをやって、消費者がそれを楽しみに3900円以上購入しても、あとでごめんなさいと謝れば何だって済んじゃうじゃないか。額の多少で済む問題か? 責任をまるでとっていないでしょう。
ぼくはもう一度メールを書きました。ぼくが納得できる回答は得られていないと。さあ、これに対してどんな返事が来るでしょうか? 後日ご報告します。
amazon の創業1年目(日本法人ができる数年前)はもう少し「人」が感じられるサービスでした。どんな企業も大きくなると、機械的で防衛的になるようです。口先とは裏腹に、消費者の方を向いていない姿勢は、いかにも現代を表しています。
覚えにくい名前 7/23
今場所の大相撲は、2場所ぶりに朝青龍の優勝で終わりました。先場所は彼の圧倒的な強さにもかげりが出たかと思わせたのですが、見事に復活しました。
インターネットのニュースで、久しぶりにあの覚えにくい朝青龍の本名を見ました。ドルゴルスレン・ダグワドルジ。ずーっと前に覚えたけれど、半分忘れてました。きのう暗記に再挑戦したところ、今朝息子から「はい、朝青龍の本名は?」と聞かれ、「ドルゴルスレン」とここまではいいのですが、あとが心許ない。「グワドルダジ、グワドルジ、あれ?」
モンゴルの人の名前は、濁音が多くて長いのです。ついでに、準優勝だった白鵬の本名はムンフバト・ダバジャルガル。他のモンゴル出身力士は調べていませんが、どうなんでしょう。
そう言えば、ロシア人だって覚えにくい。露鵬は、ボラーゾフ・ソスラン・フェーリクソビッチ。ドストエフスキーの小説を読むとき結構苦労したのを思い出します(日本の時代小説も名前を覚えるのは面倒ですが)。ブルガリアの琴欧州はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ。エストニアの把瑠都はカイド・ホーヴェルソン。おお、これは比較的覚えやすいじゃありませんか。
そこでクイズ。イランの大統領の名前は? アフマディネジャド。前のハタミは簡単だったのにね。サッカーW杯ドイツ大会に出ていて、今度日本代表が対戦する相手国は? トリニダード・トバゴ。これ、どこが濁音なのか清音なのか結構わからなくなるんですよね。ドリニダード・ドバゴと言うと、なんだか鼻が詰まったみたいです。オーストラリア代表の監督だった人は? ヒディング? ブー。正解はヒディンクです。簡単なのに意外なところで間違います。
ぼくの名前は? ミネダです。ミネタではありません。……と、つまらない落ちをつけたところで、おしまいにしましょう。
またおじさん的文句を 7/20
レンタルビデオ店でDVD貸し出しがビデオを上回ったのは1年以上前だったような気がします。利用回数はめっきり減りましたが、店に行ってもDVDばかりが棚を占領するようになってきているものだから、ますます足が遠ざかります。時代に取り残されるとはこういうこと。
ここでまたぼくはおじさん的文句を繰り返すことになるのです。コンピュータでも何でも、自分の持っている機械はまだ十分使えるのに、まわりの状況がそれを使えなくさせてしまいます。新しいものがどれくらい生活を豊かにするのか、いつも疑問に思うけど、そんな文句もいつの間にか埋もれてしまうのが今の世の中です。テレビだって2011年には地上デジタル、なんて言ってるけど、ばかばかしい話だと思います。
さて、わが家ではDVDレコーダーを買う余裕がありませんでしたが、ここ数年でかなり安くなってきて、そろそろ手が届くようになりました。子どもたちからの度重なる要求もあって、先日思い切って買いました。HDD内蔵ではありません。それほど必要性を感じないから。いつだったか、新聞に、記録できる容量が増えても録画しっぱなしで見ない人が多い、という記事が出てました。わかるなあ。
昨日、NHK「ためしてガッテン」で似顔絵のことを取り上げていたので、録画することにしました。繰り返し録画できるDVD-RWと言うものをまだ持っていないので、従来どおりビデオに録ることにしました。番組が始まってから録画を決めたから、説明書を読んでる余裕がない。やり方はだいたい前のと似たようなもんだろうと思って、録画ボタンを押してから風呂に入りました。
ところが、あとで再生してみたら、現れたのは全然違う映像。なんと10チャンネルの巨人阪神戦が入ってたんです。あーあ、結局こうなのだよ。再放送を待つしかない。
笑いましょう 7/17
桂文珍『落語的笑いのすすめ』(新潮文庫)という本を買って、2日で読みました。笑えます。人が近くにいるところでは読まない方がいいでしょうね。でも笑えるだけじゃないんです。なかなか奥が深い。これ、慶應義塾大学での講義録なんですよ。
ぼくは3、4年前に『文珍流・落語への招待』(NHKライブラリー)を読んだことがあって、この人がものすごい勉強家だというのを知りました。志の輔さんもそうだけど、修行と勉強の蓄積の上に、あの無類のおかしさがあるのですね。
ここ十年くらいの日本社会を見ていると、なにか人間の肝心な部分が壊れているんじゃないかと思わせる深刻な危機を感じます。政治、経済、社会事件、何から何まで。
さあ、それに立ち向かうにはどうしたらいいか。くそまじめに真っ正直に受け止めていたのでは、こっちの身が持ちません。現実のあまりの過酷さに押しつぶされてしまうだけです。今うつ病の人が増えているのは、そのせいでしょう。
人生のプレッシャーを跳ね返し、世の中をほんの少しでもましにして行くには、笑い、とくにユーモアが欠かせないのだと、自分自身の経験からも、ますます強く感じるようになりました。
安野光雅さんの洒脱さの根底にも、落語的素養があるようです。同じことを体験しても、体質が落語的かそうじゃないかで、受け止め方がずいぶん違ってきます。それって実はかなり重要なことだな、と思うのです。
昨今は落語ブームですが、ぼくはミーハー的にしか知りません。楽しんではいますが、テレビでしか見たことがない。やっぱり落語は高座で楽しまないと良さがわからないということを、文珍さんは言ってます。だから今度行くつもり。でもその前に、もう高座ではお目にかかれない枝雀のDVDをちょっと借りて見てみようか、と思ってます。
「ですます」体で話す
7/14
冷泉彰彦という作家は、村上龍のメールマガジンで毎週土曜日にUSAレポートを配信しています。アメリカの現状を政治、スポーツ、文化など、多彩な角度から鋭く丁寧に分析したもので、毎週読み応えがあります。
この人が最近『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)という本を出したので、さっそく買って読みました。ここでは日本社会の問題を扱っているのですが、著者はこれを日本語の問題であるとして、細かく考察しています。日本語や言語についてはぼくも絶えず興味を持っているので、これはたいへん面白い本でした。
中身の紹介をここでするにはスペースが足りないので別の機会に譲るとして、個人的にぼくが最も強い印象を受けた点について触れておきたいと思います。それは教育現場では「です」「ます」のコミュニケーションを教えよう、という提案です。
それは「敬語を正しく使えるように子どもたちをしつけよう」と言う主張ではありません。若い人たちのタメ口も問題だが、上司や先生などが下の者に対して砕けた言い方を使うこともまた問題であるとしています。小泉首相やみのもんたがこの方法で権力を増大させていると。確かにそのとおりです。
だから著者は、目上の者も「ですます」を使うことで平等性をめざし、より良いコミュニケーションを進めるべきだというのです。
ぼくはこのサイトでは、当初からほとんど「ですます」体を使っています。それは、ブログなどに見られる会話体が何かしら胡散臭く感じられるからなのですが、冷泉さんの本を読んで、著者の主張とぼくの考えとの共通点を見つけた思いでした。
部下や後輩、年齢が下の人に対して、「ですます」だけで通すというのも不自然な部分はありますが、要はお互いの人格を尊重し、正しく自分の考えや気持を伝えること、そして聞くこと。そのために「ですます」が基本になるというのは本当ですね。
さすが声優 7/13
先週から続いているしんどい仕事というのはアニメの仕事です。その関係で、昨日(12日)ソニー、小学館主催の「サルゲッチュ」(土曜朝8時半、12ch)内入りパーティー(討ち入りではありません。こう呼ばれているらしい)に参加しました。番組が好評で放送延長が決まったからだそうです。ぼくは背景をちょっとお手伝いした程度だから、この種のパーティーに参加する身分ではないと思ったのですが、ご厚意に甘えて出席させていただきました。
出てみたら、これがなかなか面白かったんですよ。制作に携わる人たち100人ほどが出席していたのですが、一番面白かったのはそこに来ていた声優さんたち。
ぼくたちの近くのテーブルにいたのですが、アニメに詳しくないぼくは最初、彼らが声優だとは気づきませんでした。でもやはり目立っていました。声がよく通るんです。服装もまわりとはちょっと違っていました。ぼくは、この業界だから変わった人たちもいておかしくないよなあ、くらいにしか考えていませんでした。
ところがしばらくして、関係者の紹介があったときに、そのグループが声優さんたちだとわかったのです。なーるほど。さすがプロです。声の出し方が違う。主人公を演じている女性は、小柄(150cm前後)なのに声を出すと驚くほどクリアな話し方をします。声優のみなさん、役柄の声で一言ずつ挨拶をしたのが素敵な余興になっていました。
それから、会の中でお楽しみ賞品抽選会があったのですが、なんとぼくはサルゲッチュのラジコンカーがあたってしまいました(すぐに息子の喜ぶ顔を思い浮かべた)。大した仕事もやってないのに、皆さんに申し訳なくて……。そんなこんなで、刺激に満ちた楽しい時間を過ごせました。
さて、明日からはまた地道でしんどい作業が続きます。でもぼくは一言、アニメ業界に注文したい。若い人も含めて、アニメーターの地位向上(具体的にはギャラアップ)を是非実現してくださいよ。日本のアニメ界の将来のためにも。
頭突きしたくなるほどの 7/12
先週からしんどい仕事が続いていて、サイトの更新ができずにいました。
スケジュールがきつい中でも、月曜日の朝早く、サッカーW杯の決勝戦は見ました。だってこれを見なかったら、今まで見てきたことが無駄になってしまうじゃありませんか。三位決定戦はさすがに諦めました。上川主審の審判ぶりを見たかったけど。
決勝戦、ぼくはフランスを応援していました。試合は拮抗していて面白かったけど、PK戦で勝敗を決めるというのは、ぼくは好きじゃないんです。あれならジャンケンの方がまだましだ。
それにしても、あのジダンの退場劇、ちょっとショックでしたね。内容はフランスの方がずっと優勢だったし、入ってもおかしくないシュートが何本かはあったのに、不運としか言いようがありません。
ジダンが頭突きの理由はイタリア選手の差別発言だという憶測が飛んでいます。映像を見ていると、確かに相手が何か言ったことに対して急に怒ったという感じです。人種差別発言だったら、イタリア選手はどうしようもない奴だと思いますが、そういうずるい奴が活躍するのも世界レベルのサッカーと言うことです。
ジダンはアルジェリア移民の2世。フランスは移民の国だ、と大学時代にフランス人の先生が言っていました。フランスの有名人はみな外国人だと。その言葉は今のフランス代表チームを見ていてもよくわかります。普通の日本人がイメージするフランス人の姿形とはかなり違うことに気づくでしょう。アフリカ系アラブ系が多いのです。
以前にここにも書きましたが、ドイツ大会では"A Time to Make Friends. Say No to Racism"
がスローガンになっていました。決勝戦で人種差別が勝敗を分けたのだとしたら、このスローガンがたやすくは実現されないと言う人種問題の根深さを、この大会は教えてくれたと言うことですね。
個と和 7/4
今年も半年が過ぎて、早くも後半戦。こちらはハーフタイムなし。そしたら後半戦開始早々、なんと中田ヒデが現役引退発表! 朝日新聞ではトップ記事になるほどのニュースです。おーい、交替できるような控えの選手はいないじゃないかー。日本サッカー界は「10人での戦い」を強いられると言うことです。W杯惨敗に続いてベストプレーヤーを失うことは、激震です。
日本代表の中で、中田と他の選手たちの関係がギクシャクしていたと伝えられていますが、要因の一つは、中田個人の性格だったようです。傑出した力の選手が一人で頑張ったところで、サッカーは(野球も)チームプレイである以上、他の選手との上手なコミュニケーションは欠かせないもので、それも能力の一つとして要求されるような気がします。その点ではWBCにおけるイチローの方がやや優っていたということでしょう。
ただ日本社会の問題もあります。日本人が必要以上に和を重んじることは、ロバート・ホワイティングが野球評論で語っていたし、ぼくも「組織」の持つ弊害には個人的にうんざりした経験が何度もあります。それがフリーで仕事をしている理由のひとつでもあるのですが、組織に入っていないだけで見事に社会からはじき出されるという仕組みが、これまた想像以上に強い力を持っています。
日本サッカーを強くする、特に、いいフォワードを育てるためには日本社会を変えないとだめだ、とよく言われます。想像力が必要とも言われます。サッカーのために日本があるんじゃない、との冷ややかな声もありそうですが、サッカーに限らず、そんなふうに変わることで、いいものが生まれる可能性はいくらでもあるのだから、努力してみる価値はあるのでは?
先日、娘の学校の保護者会に出席しましたが、ある先生の「出る杭を伸ばす教育をしたいと思います」の言葉が印象的でした。さすが美術学校。
6月の「ごあいさつごあいさつ」
|