懐かしさの定義   6/29
 先週の金曜日、大学時代の同窓会がありました。ぼくにとっては10数年ぶりの再会でした。楽しくてね、話が弾みました。心がずいぶんリフレッシュし、いつになく開放的な気分になりました。
 懐かしさをいっぱい抱えて帰宅し、気分の高揚は翌朝も続いていました。それでふと思ったんです。この懐かしさって何なんだろうと。
 ぼくは2年ほど前から故郷の福井市で中学時代の同級生たちに会うようになりました。そこでも同じように懐かしさを抱き、自分の心が和らぐのを感じます。あ、ここに帰ってくる場所がある、と感じるのです。
 その「
帰る場所」とは、単に具体的な人の集まりや場所ではなさそうです。しかもそれは、どうやら一つだけではなくて、いくつもいくつもあるのだと言うことに、ぼくは気づきました。中学時代の同窓会と大学ではかなり空気が違います。異なった年齢の自分が、異なった場所と時代を過ごしているのだから当たり前のことです。そしてどちらも、今のぼくを形作った、同じくらい貴重な時間と友人たちなのです。
 普通に考えれば、
長く生きていれば懐かしいものが増えてくる、と言うことになりそうですが、いやいや、懐かしさは決して、過去にさかのぼると言うことではありません。
 作家の大江健三郎さんが
懐かしさとは、心惹かれるものであるというようなことをどこかでおっしゃっていました。その意味では、いま初めて出会ったものにでも、わたしたちは懐かしさを感じることがあると。
 ということは、つまり、人でも自然でも本でも音楽でも、何かと親しく交信することが懐かしさの一つの定義なのかも知れません。だからまだ体験していないことの中に、懐かしいと感じるものがこれからもきっとあるのだろうなと思うのです。
 懐かしいと思えるものがいっぱいあるのは、うれしいことです。

英語とビートルズ   6/27
 ビートルズ来日40周年なのだそうです。
なぜこの「40年」に、こんなに騒ぐのでしょうね?また何か裏がありそう。と、へそ曲がりのぼくは、世間で起きてることを素直には受け止めず、冷ややかに見ています。
 でもまあ、
ぼく自身にとってもビートルズの音楽は若い頃から今もなお続く生活の一部だから、40周年を記念して、ほんの少しだけビートルズに関するお話を。
 英語を勉強するのに歌は格好の材料ですが、
ぼくの中高生の頃はカーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、そしてビートルズなど、たくさんのいい教材がありました。中学生の息子を見ていると、学校でこれらの歌を授業で聴かせているようです。
 中でもカーペンターズのカレンの英語は、日本人の学習に一番いいお手本でしょう。発音もいいし詩の内容もいい。ぼくは主にS&Gとビートルズのレコードを毎日毎日繰り返し聴いて、彼らの発音をそっくり真似して身につけていきました。
 で、高校の頃、ビートルズを聴いていて気がついたポールとジョージのちょっとした発音の違い。
 例えば、HereとかHear。ポールは「ヒア」と言い、ジョージはどちらかと言えば「ヒー」に近い。"Here There and Everywhere" でポールはヒア、ゼア、と日本人にわかりやすい発音だし、"The Long and Winding Road" の中で
Why leave me waiting here? もやっぱりヒアとはっきり言っています。一方ジョージは、 "Here Comes the Sun" や "I Me Mine" の中のAll I can hear, などはほとんどヒーと発音していますね。
 などと、まったくのトリビア。ビートルズの話題なんて誰もがあらゆることを語り尽くしているだろうから、こんなことも誰かもう言ってるかもしれませんね。でもそんなこと頭において彼らの歌を聴いてみるのも面白いですよ。

お楽しみはこれからだ  6/24
 
この文章は夜中に書いたのですが、朝起きてから
新聞を見たら天声人語でW杯の話題を取り上げていて、最後に表題↑の「お楽しみは〜」が使われていました。有名なんですよね、この言葉。You ain't heard nothing yet. 偶然の一致。
 サッカーW杯、日本の一次リーグ敗退が決まりました。これで変なお祭り騒ぎが終わり、これからサッカーの
ほんとうの醍醐味を味わうことができます。
 2戦目、3戦目でぼくの予想と違うところが
少しだけありました。クロアチア戦では負けることなく引き分けに持ち込んだこととGK川口のスーパーファインセーブ、そしてブラジル戦では玉田の鮮やかな先制ゴール。あれは本当に素晴らしかった。あと巻を先発させたところは少しイライラを少なくしてくれました。
 でも、そのほかは情けないくらいに予想どおりでしたね。
 誰もが言ってることですが、世界とのレベルの差を今回のW杯ではいやというほど思い知らされたということです。これから日本代表はやるべきことがいっぱいありすぎて、4年間でどれだけ改善できるんだろうって、ひとごとながら心配です。
 
テレビは、視聴率を上げるためだけの騒ぎ方をやめた方がいいのではないかと、これもちょっと常識がある人ならみんな思ってますよ。4年前と何にも進歩していないんじゃないか。日本はパスワークが素晴らしいとかどうとか言うけれど、そんな井の中の蛙的評価で子供だましをしちゃいけないんです。根拠のない楽観論や気休めを言うのではなく、現実を冷静に見つめ、その上で可能性を見出して熱く応援できるような目を国民全体が養わなくてはいけないのですよ。
 これからの決勝トーナメントをどれくらいの人たちが見るか。
それこそがよいサポーターが増えるかどうかの鍵だろうし、そこに今後のサッカー日本代表の将来がかかっていると言っても過言ではない。
 なーんて、またつい熱くなってしまうのでした。

梅づくし  6/21
 
今日は夏至。 一年で最も日が長い日が雨の季節の中にあるというのは、悲しいことか嬉しいことか……。沖縄・南西諸島は昨日梅雨明けだったから、たっぷり太陽の光を楽しめたのでは。
 しかし東京は今日も午前中が雨。ここ数日、なんだか体がだるくて、眠いのです。いや、だるさの原因は、サッカーW杯で日本代表が勝てないからか?。
 さて、梅雨ってマイナスのイメージがどうしても強くなってしまうのですが、梅雨の大切さは今さら言うまでもありません。それはみんなわかっているはずなのに、農業に携わっていないと、雨の恵みなんてあまり感じなくなってしまいます。
 梅雨というのは、梅の実がなる季節に降る雨というところからついた名前だそうです。で、ぼくは今年また梅干しに挑戦しようと、きのう漬けました。
生協で注文した梅が月曜に届いたのですが、袋を開けると梅の実の香りがあたりに広がって、心が癒されるようでした。
 初めて梅干しを作ったのが一昨年。
最初の試みだったので1kgでしたが、できあがってみると意外に少ないことがわかり、今年は2kg。去年も作りたかったのに、すっかり忘れていて、気がついたときには夏が過ぎていました。自然を相手にすると言うことは「待つ」ということで、ぼくはこの時をほんとに首を長くして待っていたのです。
 先日、妻が職場からたくさんの梅を持って帰りました。校庭にある梅が今年は豊作だったようです。全部で3kg以上もらいましたが、こちらは梅酒にすることにしました。夏が楽しみだなあ。
 考えてみれば梅は、花で目を楽しませ、香りでを楽しませ、実で舌を楽しませる木なのだからすごいものです。耳を楽しませるとしたら、枝にとまったウグイスの声、というところでしょうか。

フラストレーション  6/19
 サッカーW杯、クロアチア戦が0―0の引き分けで終了。
オーストラリア戦終了以来、ぼくは日本の負けを予想していたから、その割には健闘したと言うところです。しかし日本代表の、中でもフォワード陣は何とイライラさせる選手たちなんだろう。フラストレーションがたまるばかり。アルゼンチンのプレイを見た後はなおさらそうです。
 決定的なチャンスを自分たちで手放す
だらしなさは、目を覆うばかりです。ワンタッチで決まるというシュートをはずす柳沢。最後はシュートで終わるべき場面でパスを出す玉田。シュートらしいシュートさえ打てなかった高原。いったい何をやっているんでしょうね。
 今日は相手も結構ミスをしていたからドローで済んだけど、ブラジルが相手じゃそうはいかないことくらい、誰でもわかってるでしょう。
 昨日の試合で唯一光ったのは、またしてもGKの川口でした。日本の負けを予想していた分、前半の早い時間でペナルティキックをとられた時も、ああ、1点入れられるんだな、と穏やかな気持で成り行きを見守っていたのです。ところがあのスーパーファインセーブ! 04年アジア杯の準々決勝PK戦を思い起こしました。すっげー!の一言ですよ。
 グループリーグはまだ1試合残ってるけど、今回日本代表の中からMVPを選ぶとしたら文句なく川口ですね。日本サッカー史上燦然と輝く名
GKじゃないですか。
 グループリーグ敗退というぼくの予想は今も変わりませんが、願わくはイライラさせるような戦い方だけはやめてもらいたい。そんな低レベルのゲーム運びで日本のサポーターたちを振り回し、メディアが必死に持ち上げ続けなければいけない日本代表なんて、ひたすら寂しい限りです。

アルゼンチンのショータイム  6/17
 
サッカーW杯を続けまっせー。
 試合は、放送時間帯のいいもの(つまり夜10時〜12時)の中からめぼしいものを選んで見て
います。深夜枠のゲームは次の日に響くので見ない。
 さて、ゆうべ放映されたアルゼンチン対セルビア・モンテネグロ戦。結果は6―0の大差でアルゼンチンの勝利。勝敗の興味は前半で終わったけれど、アルゼンチンの華麗なプレイだけで見る価値は十分にありました。ああいうの見ると、日本代表の試合を見るときのイライラが吹き飛びます。そして思うのです。日本と世界との差はまだまだあまりに大きい。
 6点の得点シーンはすべて様々なバリエーションで創り出されたものですが、まさに芸術。個人技とチームプレイの両方がトップレベルだから、信じられないような形でゴールするのですよ。パスは必ず別の選手につながり、ゴール前では次々と波のように選手が入ってきて、確実にしとめる。すごいよなあ。
 19歳の新鋭メッシを見ることができたのもラッキー。一つ気づいたのは、彼にしろ、もう一人のヒーロー、サビオラにしろ、小柄なのですね(あのマラドーナもそう)。それであんなふうに得点できるというのは、体格だけの問題じゃないと言うことですよ。

 セルビア・モンテネグロだって強いチームなのに、まるで
アルゼンチンのショータイムのお膳立てでしかありませんでした。ましてや今の日本が対戦したら、8―0くらいの差になるんじゃないか。
 今朝の朝日新聞に、現地レポートで今の日本代表チームからオーラが感じられないという記事がありました。もしかすると大本営発表と違って、選手たちは戦意を喪失してしまっているのかも知れません。ジーコを更迭して、前回の控え選手を先発させれば勝てるんじゃないの?
 さあ、明日はどうなることやら……。

Say No to Racism  6/16
 
サッカー関連の話題を続けます。
 先日ある試合を見ていて発見しました。試合開始前の選手入場の時、ピッチのセンターサークルの上に、シートが拡げてあり、
そこにこんな言葉が書いてあったのです。
 A Time to Make Friends.
 Say No to Racism.
 「友達を作る時/人種差別にノーを」という意味です。サッカーの会場にこんなスローガンが掲げられるところが面白い。
 みんな仲良く、というのは特に日本人が好きな発想で、ぼくも基本的に人とは仲良くやっていきたい人間です。
わざわざ敵対的な関係で人と接するのはもったいないことです。
 ただ日本ではこの「仲良く」が病的なまでに強調され過ぎているような気がして、それはしかも仲間内の結束だけを指しているような所があります。
幼稚園から始まってしょっちゅう聞かされる言葉だけれど、ただのお題目になっているというか、言葉を掘り下げようとせず、また実態が
吟味されることもない。
 サッカーW杯というのは各国の代表が闘うわけで、
「サッカーは戦争だ」と訳知り顔で言う人たちも結構いるくらい、いやでもナショナリズムが昂揚します。でもそれが行きすぎると、人種差別につながるわけです(もうすでにドイツとポーランドのサポーターの間で暴動が起きましたね)。サッカーでそう言うニュースはしょっちゅう見聞きします。
2年前のアジア杯でも見られました。
 だからこそ、サッカーW杯の試合では、Say No to Racism. という言葉が必要になるし、生きてくるのですね。ただ単に「世界の国からこんにちは」というのじゃなくて、ナショナリズムが昂揚する困難な状況の中で、なお人種差別を乗り越えよう、と。
 サッカーから、そんなことも学べてしまいます。

日本代表位置  6/15
 
サッカー日本代表のふがいなさのせいで、W杯そのものへの熱や興味が失せている人も多いのではないかと思います。
 宇都宮徹壱というサッカージャーナリストはこんなことを言っていました。

 「これが4年間の成果か……」
 この試合を見た大半の人々は、こう感じたことだろう。時間だけではない、その間に数十億という予算と60試合以上のテストマッチを費やして、その結果がワールドカップ(W杯)初戦で1−3――それも相手はブラジルでもイングランドでもドイツでもない。今回32年ぶりに2度目の本大会出場を果たし、次回のW杯地区予選からアジアに編入されるオーストラリアに対して、である。
 一方のオーストラリアは、1年にも満たない期間で、しかも日本より潤沢ではない予算で、これだけの強化に成功したのである。これはどう考えても監督の差であり、「チームマネジメントの差」であるといわざるを得ない。

 ほーんと、付け加える言葉がありません。テレビや新聞ではクロアチアに勝つ可能性は十分にあるとか何とか、気休めを言っていますが、ブラジルに善戦したクロアチアに今の日本が勝つことはまずあり得ないでしょう。
 しかしW杯は世界一流の国々が競う大会だから、日本の試合だけを見て終わるのは本当にもったいないことです。
 ぼくはすべての試合を見ているわけではありませんが、好取組はなるべく見たいと思っています。ブラジルは言うまでもなく、イングランドのベッカムも健在だし(得点につながったフリーキックは華麗でした)、オランダのロッベンのスピードは見事なものでした(この選手、まだ22歳らしいけど、髪の毛が薄くて、少なくとも30歳には見える)。
 世界のサッカーを見て、日本がどのあたりにいるのか確認するのはいいことで
す。

負け方が悪すぎるNIPPON  6/13
 
グループリーグ突破の望みを完全に絶ちきるような負け方でした。サッカーW杯ドイツ大会のオーストラリア戦。
 ありゃないでしょ。何やってんだ。最後10分を切ってから3点入れられるという崩れ方はあまりにもひどすぎます。ピッチ上の気温は30度を超えていたというけれど、暑さで足が止まったのは、オーストラリアではなく日本の方でした。相手の方が最後までパワーを維持していました。
 ジーコの采配も敗因の一つだろうけど、結局はやっぱり決定力不足。中盤でパスが回せたところで(今回はそれすらもミスが多かった)、相手選手との1対1の局面を打開できない限り、ゴールは遠いという気がします。メディアはオーストラリアの高さばかり伝えていましたが、
入れられたゴールは全部足からというのも皮肉な結果です。
 
過去のデータから、初戦で負けたチームが予選を勝ち残る確率は7%と言います。しかし今日の試合内容を見ると、今大会では日本は3戦全敗でグループリーグ敗退がほぼ確実でしょう。やけくそで言うのではなく、戦い方を見ての冷静な予想です。それはフランス大会のレベルに戻ってしまうということを意味する。後継者があまり育っていないことを考えると、当分冬の時代が続くのだろうか。あの直前のドイツとの親善試合が一番よかったというのも情けない話だけど、それが今の日本の実力なのか。悔しさより失望感の方が大きい負け方でした。
 これでW杯関連グッズは売り上げががっくり落ちるのでしょうね。期待していた経済効果が皮算用で終わってしまって、がっかりしている人が多いはずです。
 さて、ぼくは気持を切り替えて、これからはブラジルやイングランド、チェコ、イタリア、オランダといった強豪たちのゲームを楽しもうと思います。

そりゃもうがんばれNIPPON!  6/10
 
やっぱりサッカーW杯について語らないわけにはいかない。昨日は久しぶりに発泡酒などを買ってきてW杯開幕を一人で祝っていました。
 ゆうべ開幕のドイツ―コスタリカ戦を前半だけ見ましたが、試合としてはそれほど面白くありませんでした。コスタリカが日本のいるF組だったらよかったのに、と思いましたね。いや、逆に日本がA組に入っているとよかった、と言う方がいいでしょうか。
 コスタリカと比べると、組織力では日本の方がはるかに勝っています。守備も甘くて、ドイツのフォワードをやすやすとフリーにして点を取られていました。それでもたまたまドイツの守備にも甘さがあったからコスタリカも2点得点したけど、フォワードの選手は全然速くないし、力強さがありません。
 ドイツと日本はご存じのように先日対戦して引き分けています。
A組にいれば日本は予選通過間違いなし!結局何が問題かというと、体格と決定力不足。これは永遠の課題か。
 開幕のセレモニーでバイエルン地方の民族衣装を着た人たちの演奏や踊りが美しく、特に独身男性の求愛の踊りというのが楽しかった。これは実際、独身男性しか踊れないことになっているそうなのだけど、見ていたらずいぶん老け顔の人もいましたね。
 外から見れば楽しい踊りなのだけど、でも踊りの苦手な男性は、一所懸命やっても女の子に気に入られなくて結婚相手が見つからず、また来年も踊らなきゃいけない、ってのも
苦痛だろうなあ。なんてことがふと気になってしまいました。
 さあ、12日はオーストラリア戦だ。なんだかんだ言っても、
ぼくはいつもの試合とは全然違う緊張感で見るだろうなと思いますが、とにかく勝利だ! 加地のけがが治りますように。高原も柳沢も万全の体調で試合に臨めますように。オージー(Aussie)なんて、こわくない、こわくない♪

事故を未然に防ぐ  6/9
 
おとといの夕方、普段使っているMacG3の電源が、突然入らなくなりました。コンピュータに詳しい友人に電話で聞いたら、多分内蔵電池が切れたんでしょう、ということで、たまたま今使っていない電池を一時的に借りることになりました。翌日届いて交換したら、無事に立ち上がりました。
 幸いもう1台の新しいコンピュータがあるので、インターネットとメールはそちらでできたのですが、Illustrator でのデザイン作業と、
このサイトの作業はできませんでした。
 事故というのは突然やってくるものです。危機管理やバックアップの重要性はうすうす感じていながら、ついおろそかにしています。そしてこういう時に、困った困ったとあわてる。
 何週間も前のことですが、よく晴れた朝、ふとんを干しました。
ベランダの手すりにふとんを掛けたあとしばらくして、あ、ふとんばさみをつけなきゃ、と思っていたら、まさにその時、目の前でふとんが風に飛ばされ、ベランダの植物の上に落っこちてしまいました。ブットレアという花が根元から折れてしまいました。あと30秒早ければ、飛ばされずに済んだのに。
 おとといはおとといで、
ペットのケースを確認していたら、3月に買ったメタリフェールホソアカクワガタが死んでいるのを発見。え、昨日まであんなに元気だったのに? おそらく原因は餌だったのでしょう。もっと早く、新しいものに取り替えておくべきでした。
 事故を未然に防ぐというのは難しい。つい最近も団地のエレベーター事故のことが報道されているけれど、あの事故は人の命が奪われているのだから、深刻さが違います。こういうニュースを見ていると、いつも誰かが死んでから、実は、てな感じでやっと騒ぎ出すような所があります。そのために犠牲になった人がほんとにかわいそう。結局、日ごろの一人一人の心配りが大切と言うことに帰ってくるのだよなあ。

ギチギチじゃなくスカスカがいい  6/7
 アエラという週刊誌が4月に自治体の上流度ランキングを出していたそうです。その第1位が福井県。ほんとか?
つい先日、初めてそのことを知りました。
 ぼくは記事を読んでいないからわからないけど、
このランキングは1.学ぶ・育てる 2.安心・安全 3.働く・稼ぐ 4.住む・暮す 5.楽しむ・生きがい、の5つ指標を基にしているのだそうです。
 ぼく自身は福井を離れて30年以上経つので、今の福井の状況を正確には知りません。また同じ福井と言っても地域ごとの違いがあるから(ぼくは福井
市の出身)、自分が育ったごく狭い地域のことしか知りません。だからランキングの結果については何も言えないし、実際、福井が上流度1位かどうかなんてどうでもいいのです。
 でも、福井で実感する良さがあります。それは、時間も空間も、そして人もスカスカしていること。スキだらけなんです。計算されていないゆるさ。
 今の社会は何でもかんでも(子育てさえも)、
効率性ばかりを優先して、隙間を埋めることに必死になっているところがあります。とくに都会はそう。でも、そればっかりじゃあ、人間はやっていけないのでは?
 今も年に1、2度福井に帰って一番ほっとするのは、都会のギチギチに対する田舎のスカスカ。少なくともぼくにとっては昔も今も、それはすごく大切な宝です。もちろん福井だけじゃなく、他にもそういう地域は日本にたくさんあるでしょう。地方の良さとして、それは守っていきたいものです。
 先月末に帰省したとき近所を歩いていたら、ある家の玄関に虫取り網が立てかけてありました。なぜか、その光景が一瞬にしてぼくを遠い子ども時代に引き戻してくれました。あ、これだよな、ぼくの原点。

ドイツの展覧会  6/4
 サッカー
W杯に合わせてという訳じゃないけれど、ドイツ関連の展覧会を二つご報告。行ったのはもう10日以上も前。まとめる時間がとれなくて、お話今ごろになっちゃいました。
 一つ目は
バルラハ展。展覧会はすでに終了しています。ごめんなさい。
 エルンスト・バルラハは20世紀のドイツの彫刻家で、晩年、主に木彫りで、深く、また高い精神性を感じさせる優れた多くの彫刻を残しました。しかし彼が生きた時代はちょうど二つの世界大戦と重なります。平和を表現する姿勢が特にナチスから迫害を受けることになり、終戦を待たずして病死しました。
 
バルラハはロシアの貧しい人々や修道士をモチーフとしてよく取り上げましたが、簡潔で力強い線で刻まれた彫刻は、木という素材の暖かみと相まって、心打つものがありました。展覧会では、若い頃からのデッサンも多数展示されていましたが、彫刻家としての方向性を決めた頃から、デッサンがそれ以前のものと明らかに変化していったのが、見ていてとても面白かった
。ただ形をとらえるのではなく、対象となる人間の質量感をとらえようとする線に変わっていったわけですね。
 会場は上野の東京芸大大学美術館だったのですが、そこを出たら、たまたますぐ近くの国際子ども図書館で「もじゃもじゃペーターと子どもの本」展をやっているのを発見。こちらは無料だったので、予定外でしたが、早速見に行きました。ドイツという国も子供の本の豊かな伝統を持っています。ケストナーやエンデの本(原書)も展示されていて、楽しかったです。それから、ここは建物も一見に値します。ぼくは初めて入ったのですが、百年前(明治時代)に建てられた由緒ある建築物なんだそうです。窓も階段も屋根も手すりも、見所はいっぱいありました。
 「もじゃもじゃペーター〜」展は7月までやってますから、興味のある方はぜひ行ってみてください。楽しいですよ。

歯を削っていた  6/1
 歯医者さんには半年に1回、定期検診を受けに行きます。フッ素も塗ってもらう。若い頃、歯の管理を怠ったせいで虫歯をたくさん作ってしまいました。20代の後半から、これじゃいけないとしっかり歯磨きをするようになったのですが、10年以上前のある時、ちゃんと磨いているはずなのに、歯が痛くなりました。磨けば磨くほど痛い。で、歯医者さんに行ったら、「磨きすぎです。歯を削ってますよ」。
 それ以来、磨き方を勉強してかなり改善したはずなのですが、つい先日行ったときもまた「よく磨けていますけど、ちょっと削れているようなので、注意してください」と言われてしまいました。またしても……。
 しかし、しっかり磨かないと歯垢がたまるような気がするから、つい一生懸命磨いてしまうわけです。昔怠慢だったことへの反省・反動で力を入れすぎる。わかっちゃいるけどやめられない。しかもちょっとめんどうがったり時間がなくて焦っていたりすると、磨き方は雑になり、よけいに力が入ります。
 丁寧さと力の抜き具合のバランスが難しいですね、と言ったら、じゃあ今度指導してあげますと言われ、2度目に行ったとき、細かく教えてもらいました。歯ブラシは軽く持って、歯茎と歯の間を短く小刻みに往復しながら磨く。これが基本。そこまでは十分わかっているのですが、ブラシの微妙な角度が違っていることを発見。そうか、やっぱり教わってみるもんだと思いましたね。
 「芸能人は歯が命」というコピーが10年くらい前にテレビコマーシャルであったけど、一般人だって歯は命。芸能人みたいな真っ白な歯は人工的で気持ち悪いけど、生きていくための丈夫な歯は持っていたいものです。幸い歯周病はないし、食生活に支障のない状態ではあるから、これからも歯は大切にしよう。などと気張っていると、またブラシを持つ手につい力が入ってしまうに違いないのだ。

5月の「ごあいさつごあいさつ」