体の中で発酵しているぞ
3/29
タイト・スケジュールの中、今週は前々から予定していた講演会と観劇に行きました。講演会は教文館主催「本づくりの舞台裏」第3回。講師は童話屋の田中和雄氏。劇は劇団四季の『ライオンキング』。
絵本や児童文学講座の参加者は、通常、圧倒的に女性で占められているのですが、この日は男性の数も思ったより多く感じられました。盛りだくさんの内容で、2時間の予定が30分オーバー。それでも誰ひとり途中で帰りませんでした。
四季のミュージカルは、家族と一緒に見たのですが、ずっとこの日を待っていた子どもたちは大感動でした。何しろ、2か月あまり、CDを聞き続けてメロディーも歌詞もすっかり覚えてしまうという熱の入れようでした。今またCDを聴きまくっています。ぼく自身、四季の舞台を実際に見るのは久しぶりでした。
こういったことを経験すると、惰性に陥りがちな感性や思考が強い刺激を受け、あらゆるものが一気に体中で発酵してきます。いろんな感情、考えがあふれてきて、脳の中で化学反応を起こしているような感覚です。
そのあたりの成果は、このサイトでも追い追い現れてくるでしょう。
春休み
3/26
子どもたちの春休みが始まりました。冬休みとか夏休みとか、こういう長期休暇の間、親としては昼食をどうするかが毎日の大きな課題。いつもだとぼく一人だから、だいたい前日の夕食の残飯整理ですませますからね。でも家事を子どもたちに手伝ってもらえるのは、助かります。ふとんをあげたり、洗濯物を干したり、食器を洗ったり、花に水をやったり、ペットに餌をやったり、結構たいへんですからね。
あと数日で新しい学年です。ぼく自身は同じ生活の連続でも、子どものこんな区切りのおかげで、意外に新しい気持ちになれます。
でも世界では、暗い戦争が続いています。イラクでの戦争が始まってまだ1週間なのに、なんだかずいぶん長い時間が過ぎていったような気がしています。テレビでは、おそらく誰もが予想したとおり、米英軍が苦戦し始めたというニュースも流れ始めました。犠牲者も双方にかなり出ているようです。勝ち負けの問題ではなく、どっちに転んでも、この先、世界中の人たちはたいへんな状況に突入するように思えてしまいます。
それでも、こんな状況に負けず、新しい気持ちで目の前のことを一つずつやっていきましょう。あたりまえの幸せをあたりまえに味わえるようにしたいものです。
ほっと一息 3/22
仕事がやっと一段落つき、2か月ぶりに光が丘公園を走りました。今日はちょっと肌寒かったけど、あちこちで春が顔を出しています。
春来ぬと 目にもさやかに見えてるし
鶯の音(ね)にも 驚いちゃうね
しょうもないパクリ歌ですが、 公園でほんとにウグイスの声が聞こえてきたのです。さらにしばらく走っていたら、たくさんの紅白の梅の木が目に入ったので、走るのをやめて花の間をのんびりと歩き回りました。
午後には調べものがあって、図書館へ行きましたが、本来の目的とは違うものをあれこれ見てつい長居をしてしまうのでした。葛飾北斎や尾形光琳の画集を見て、驚嘆することしきり。モナリザについてのちょっと面白い本も借りてきました。
北斎は自ら画狂人と呼んでいましたが、その膨大な作品群(90歳までに10万点も作ったのだそうです)のほんの一部を見るだけでも、天才ぶりがわかります。それからぼくの好きな光琳かるたは本人が描いたものではなく、実は弟子の作品だったということも知ってびっくり。だからといって、別にがっかりはしませんでした。いいものはいい。
今日でぼくは47歳。ちょっとすてきな時を過ごした誕生日でした。
唐突に、Sound
of Silence 3/13
外の少し温かそうな日差しを眺めながら、ぼくは今日も引きこもって仕事をしています。ふと口ずさむ歌は、サイモンとガーファンクルの「四月になれば彼女は」。
若い頃からビートルズと並んで、ぼくは彼らのファンでした。今も仕事をしながら聞く音楽の一つです。ノスタルジーで聞いている部分もありますが、あのころ覚えた歌詞をもう一度確認したいという気持もあるのです(
あ、その点ではカーペンターズもはずすわけにはいきません)。 彼らの詩は齋藤孝さん風に言うなら「声に出して読みたい英語」。ポール・サイモンの詩からは、情景や心情や物語が鮮やかに浮かんできます。言葉の選び方が並みではない。
で、彼らの代表曲の一つ「サウンドオブサイレンス」ですが、改めて見てみると、その背景に旧約聖書的文化が脈打っていることがわかります。これは若い頃には気づかなかったことです(聖書のことをまるで知らなかったのだから当たり前ですが)。預言者という言葉が歌の中に実際に出てきますが、時代に対するメッセージ、という歌全体の性格は聖書そのものです。ポールもアートもユダヤ人ですね。その文化をしっかり受け継いでいるのだなと思いました。そういう背景がわかるとおもしろいですね。宮崎アニメの背景に神道があるようなものです。
キー・ワードは探求心と好奇心 3/8
脳科学者の澤口俊之さんは、大学で若い人を教えていて一番気になることは、探求心と好奇心を持った人が少なくなっていることだと、『わがままな脳』の中で指摘しています。これは学校では教わらないものであり、しかも最も大切なのだと。
ノーベル賞の田中耕一さんが最近、出身地の富山県と富山市から名誉県民・名誉市民をダブル受賞しました。式典のスピーチの中で田中さんは「富山の豊かな自然環境がわたしの探求心と好奇心を育ててくれました。」と語っていました。期せずして、同じ言葉を一見関係のない文脈でぼくは立て続けに見聞きしたことになります。
でもこれは決して偶然ではないでしょう。ぼくの生活の中でもこのところぐっとクローズアップされている概念です。人間が生存していく上で欠かすことのできないもののひとつが、探求心・好奇心だと強く思うようになりました。
こんなことを言うと、じゃあ生存するってどういうこと、どんな探求心、どんな好奇心?という質問が出てくるはず。その説明はまたどこかでしていきましょう。とにかく、これが元気のもとになるのは間違いありません。
今日、息子の良は10歳の誕生日を迎えました。今のところ、ゲームボーイのポケモンゲームについては探求心・好奇心が旺盛のようです。
ぼーっと、3月
3/4
昨日、外出から帰ってきたとき、家の近くの日溜まりで、黒と白のブチ猫が気持ちよさそうに昼寝をしていました。あ、いいなあと思って、そばによって「チッチッ」と口を鳴らして呼んでみました。すると猫はゆっくりと顔を上げて、「なんだよ、うるさいなあ」とでも言うように、かったるそうな目でぼくを見て、またすぐに眠りました。
日溜まりは、猫がいるだけでさらに暖かく感じられます。
3月って好きなんです。ぼくや息子の誕生月ということもあるけれど、春のぼや〜んとした感じが何とも言えない。世間の荒波にもまれて、ぼくも最近はずいぶん肩肘張ってしまってるところもありますが、眠気を誘う日差しの中で、花びらの間を飛び交う虫を眺めてたりすると、ああ、もともとぼくはこんなふうにぼーっとした人間なんだなーと、原点に戻った喜びを味わうのです。
ぼくの好きな春の詩をひとつ。
「春の河」 山村暮鳥
たっぷりと
春の河は
ながれてゐるのか
ゐないのか
ういている
藁くづのうごくので
それとしられる
2月の「ごあいさつごあいさつ」
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