*泳げないことは死につながります。しかも、あっと思ったときはもう遅い。泳げれば何でもないことが!(水に落ちたら)
つくばの田舎の私の通う小学校にはプールがなかった。小学校4年生の時は他校に借りに行っていた。5年生になって、やっと25Mプールができたがあまりうれしくもなかった。その年の泳力測定では飛び込むだけだった。これを見ていた近所の先輩にからかわれたが、その先輩も25Mは泳げなかったと思う。第一あのボアーンとした水温と薬品の臭いがたまらなかった。中学校でもあいかわらず泳げなかった。しかし泳げない人は少なくなっていった。それでも相変わらず親指をすりむきながら遊んでいた。しかし、中学2年にもなると泳げないではすまない。一番血気盛んな時期なので、ある日思い立ってがんばることにした。20Mまで息継ぎなしで、最後の5Mをおぼれながらやっとたどり着いた。泳力測定の日だった。
高校生になった。学校にはすばらしい50Mプールがあった。グランドは狭いのにプールだけ立派だった。息継ぎを覚えない限り向こう岸にはたどりつけない、結局プールの回数も少なかったので行き着くことはなかった。当然の結果として、海もプールも嫌いだった。第一体を焼くのがあまり好きでなかった。焼いても赤くなるだけで黒くはならない。
こんなことでしばらく済ませていたが、高知県に転勤が決まり、赴任途中車で、淡路島から徳島の海岸沿いを移動していると、サーフィンをしている若者がいた。とてもきれいな海で楽しそうに遊んでいた。あんなところで泳げればいいなと思った。高知では、所長がスイミングスクールに通っていることを何かの懇親会で知った。私も通うことにした。スクールに入った日、とりあえず水に落ちてもいいように平泳ぎを覚えたいと言ったら、コーチは平泳ぎはムズカシイと言った。これは結構以外だった。内心クロールはもっと難しいと思っていた。週1回で3年間通ったら、4種目25Mの測定ができるまでになれた。今思えば、大したことはなかった。クロールはへんな癖がついたのか、なかなか上達しなかった。初級クラス(1時間/800m)。中級(1200m)。と進んでそろそろ上級と言われる頃に転勤となってやめてしまった。
最近、つくばでスイミングスクールに復帰した。理由は気分転換と運動不足解消のためである。中級クラスに入った。最初にほめられたのは平泳ぎ上手ですね。だった。現在は、4種目を平均的に教わっている。つくばでも1年が経過して、最近は、上級クラスに行くように進められている。まだ、クロールはしっくりしないところがある。平泳ぎのターンの後の一かき1蹴りとクイックターンはまだできない。まだまだ、初心者である。
平成11年の9月から上級クラスになった。理由は、中級が多くなって”ところてん”式に押し出されたと言った方が正しいかもしれない。
量的には、以前から上級にいる人の半分もしくは7割と言ったところであるが、50メートル1本形式が多くなったため、きつくなったと思う。時計も使うようになった。時計が10秒のところで出発して、向こうからも10秒のところで出ると言った具合である。コーチの要求も細かくなってきた。また、初心者に戻った感じだ。一応、形は水泳らしくなってきたが、細かな動きがうまくいってないので、力を必要以上に使っている割には進まず、疲れてしまうと言ったところである。
最近は、バタ足だけ何本もとか100m泳ぐとかが多くなった。たまに水泳でこんなに苦労しなくてもと思うこともある。泳げると思えてた
4種目もどれを取っても今いちだと思えてきた。これを乗り越えれば、本当の意味での初級を脱皮できるかもしれない。