Secret

「……余裕だな」
 用品店の店先で時計を見て、マイクロトフは呟いた。
 カミューとの待ち合わせの時間まで、まだかなりある。あと2,3件用事を足しても問題はないだろう。
 そう考えて、マイクロトフは雑踏の中を歩き出した。
 私用で城外にでることなど滅多にないので、こういう機会にでも用を済ませておかないとまた先延ばし先延ばしになってしまうのだ。
 今日は月に一度の遠方からの商隊が来る日らしく、街の風景はせわしなくもにぎやかに彩られていた。街の住人だけではなく、近郊の小さな村の人々も出てきているようで大変な人混みである。
 あまり人混みが好きではないマイクロトフは、小さく吐息を漏らした。
 何もこんな日に城下で待ち合わせしなくてもいいのに。と思う。
 ゴルドーの所望する品物を取りに行くのは仕方がないとしても、城内で待ち合わせしてそこからまっすぐ交易所にいけばこんな人混みを歩く必要はなかった。
 が、それだと私用を足す暇がないわけで。
 そうするとまた近いうちに私用を足すためだけに、城下に降りてこなければならない。それでは二度手間になるだけだ。
 私用を足しても足さなくてもゴルドーの所望品を引き取りにこなければならないわけだから、結局の所城下で待ち合わせしたおかげで一度で用事が済んでよかった……のではないだろうか。
 一通り考えて、自分で自分の考えにばからしくなったのか、マイクロトフは肩をすくめた。
 その時。
「うわぁぁぁぁぁぁん。おかぁさーん」
 街のざわめきを圧して勢いよく響いた声に、マイクロトフは足を止めた。
 声のする方を見れば、人混みの隙間に小さな男の子が地面に座り込んで泣いている。
 道行く人々は男の子の方は見るものの、声をかけずに足早にその場を去ってゆく。声をかければ面倒なことになると踏んでいるのだろう。
 あの年頃といい、母親を呼んで泣いていることといい、どう考えても迷子である。
 マイクロトフは男の子の方に歩いてゆくと、目線を併せるべく地面に片膝をついた。そしてその大きな手で、くしゃくしゃと男の子の頭を撫でた。
 驚いてマイクロトフを見上げる男の子に、マイクロトフはにっこりと笑いかけた。
「泣くな。男の子だろ?」
 その微笑みに安心したのか、男の子はしゃくりあげながら訴える。
「あのね、あのね。おかぁさんがね、いなくなっちゃったの」
 やはり迷子である。どうしたものかと少し考えて、マイクロトフは男の子を自分の肩に担ぎ上げた。そのまま立ち上がる。
 ずいぶんと身長の高いマイクロトフに肩車されて、男の子が彼の頭にしがみついて喜んだ。
 今鳴いたカラスが何とやら。まったくもって、この年頃の子供というのはげんきんなものである。
 そのまま男の子の母親を捜すべく歩き出して、マイクロトフはカミューとの約束を思う。だがこのままこの子どもを放っていくことなどできるわけがない。
 カミューとの約束の時間までに母親が見つかってくれることを祈りつつ、マイクロトフは人の流れが多い方へと進んでいった。


「ずいぶんとお早いお着きで?」
 待ち合わせの酒場に入った途端に、入り口近くのテーブルからひどく静かな声が聞こえてきた。
 思わず引きつった笑みを浮かべて、マイクロトフは時計に目をやる。約束の時間を三十分は回っていた。
 慌ててテーブルを挟んでカミューの向かい側に腰を下ろすと、すでに氷だけになったグラスを前にカミューが微笑んだ。
「あと5分遅かったらおいて帰ろうかと思っていたんだが。いいタイミングだな、マイクロトフ?」
 いつも通りの丁寧な口調。端から見れば、彼が怒っているようには絶対に見えないだろう。だが、口元は笑っているが目が笑っていない。
 マイクロトフは彼の態度に、ますます首を縮めた。
「…………お…お待たせ…しました」
 言い訳の一つもせずにマイクロトフはテーブルに両の手をついてがばっと頭を下げた。実際の所遅れたのはマイクロトフのせいではない。あの迷子に関わらなければ、約束の時間に遅れることはなかったのだから。まぁ、彼の性格上そんなことができるはずがないのだが。
 しかし、遅れた理由はどうであれ遅れたのは事実である。
「……お待たせされました」
 わざとらしくため息をついて、カミューが云った。
 そのため息を耳にして、マイクロトフは下げた頭を上げられなくなる。
 カミューが時間にだらしない人間を嫌うことを知っていて、遅れたのは完全にマイクロトフのミスだった。
 城下町の酒場で青騎士団の団長が頭を下げている。どう考えても、人目を引く構図である。しかも頭を下げている相手は、赤騎士団の団長だ。これで人目を引かない方がおかしい。
 案の定2人のテーブルは酒場中の視線を集めていたが、当の2人は全く意に介していないようである。
 カミューはおそるおそる2人の横を通り過ぎたウェイトレスを呼び止めて、すっかり氷だけになってしまったグラスを下げてもらった。
 そうして、おもむろに立ち上がる。
 ガタン、と椅子が動く音がして、テーブルにぼんやりとうつった人影が動く。
 カミューが立ち上がったのがわかったが、マイクロトフは下げた頭を上げなかった。まだ、お許しの言葉をいただいていないので。
 別にカミューが怖いとか、尻の下にひかれてるとかそういうわけではなくて。自分が悪いことをしたわけだから、相手に許してもらえるまで謝るのが当然だと思っているのだ。
 ……いや、少しは怖いかもしれないが。それはもう、世間一般の恋人同士なら仕方がないことである。
 カミューはマイクロトフの頭に視線を合わせて、軽く肩をすくめた。
 本当はもう少しいじめてやりたいところだが、そうそう暇ではない。
 さっさと用を済ませて帰城しなければ、またゴルドーが我が儘を言い出したときに、城内に残っている騎士達が気の毒だ。
「行くぞ」
 カミューが短く云った。
 その言葉にマイクロトフは頭を下げたまま、視線だけをカミューに向ける。といっても、彼の姿勢ではカミューの腰の辺りしか見えないのだが。
「……遅れた理由は聞かないのか?」
 カミューはまたも肩をすくめて、外へと続くドアを開けた。ドアの隙間から心地よい風が入り込んできてさわさわと奥の観葉植物が葉擦れの音をたてる。
「聞いたら答えてくれるのか?」
 マイクロトフは黙り込む。
 答えられない。答えること自体は簡単だが、理由を云えば遅れたのを迷子のせいにしているようでなんだか感じが悪い。
 間の抜けたことを云ってしまったと、マイクロトフは後悔した。
 しかしマイクロトフが後先考えずに口を開いて後悔するのは、いつものことである。
「……聞かなくても大体わかるがね」
 マイクロトフに聞こえないような小さな声で、カミューは呟いた。
 この男が自分の私用で約束に遅れるわけがない。怪我をして動けない人を助けてたとか、迷子を見つけて一緒に両親を捜したとか、ひったくりをつかまえていたとか、どうせそんなところに決まっている。
 そしてそういうときは、どう問いただしても口を割らないのだ。
「何か云ったか?」
 カミューの呟きが聞き取れなくて、マクロトフが問いかける。
「何も」
 素っ気なく云って、カミューは首を振った。
「ほら、時間の無駄だ。さっさと行くぞ」
 ぱたんとドアの閉まる音がして、風がとぎれる。
 マイクロトフは慌てて立ち上がって、カミューのあとに続いた。 



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