エアシャカール

2013/06/02

 

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エアシャカール
Fusaichi Pegasus


*サンデーサイレンス

 1986年 青鹿 (米)
Halo

 1969年 (米)
Hail to Reason

 1958年
Turn-to
 1951年
Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance
 1948年
Blue Swords
Galla Colors
Cosmah

 1953年
Cosmic Bomb
 1944年
Pharamond
Banish Fear
Almahmoud
 1947年
Mahmoud
Arbitrator
Wishing Well

 1975年
Understanding

 1963年
Promised Land
 1954年
Palestinian
Mahmoudess
Pretty Ways
 1953年
Stymie
Pretty Jo
Mountain Flower

 1964年
Montparnasse
 1956年
Gulf Stream
Mignon
Edelweiss
 1959年
Hillary
Dowager
*アイドリームドアドリーム

 1987年 鹿毛 (米)
Well Decorated

 1978年 (米)
Raja Baba

 1968年
Bold Ruler
 1954年
Nasrullah
Miss Disco
Missy Baba
 1958年
My Babu
Uvira
Paris Breeze

 1971年
Majestic Prince
 1966年
Raise a Native
Gay Hostess
Tudor Jet
 1964年
Tudor Minstrel
Precious Lady
Hidden Trail

 1975年
Gleaming

 1968年
Herbager
 1956年
Vandale
Flagette
A Gleam
 1949年
Blenheim
Twilight Tear
Tobacco Trail

 1969年
Ribot
 1952年
Tenerani
Romanella
On the Trail
 1964年
Olympia
Golden Trail



準三冠馬と三冠馬

三冠馬というと「名馬」の称号が与えられるが、準三冠馬というとサニーブライアンをはじめ過小評価されているのではないだろうか。


デビューは秋の府中。初戦2着もあり、折り返しの新馬戦となるユーワシーザーに1番人気を譲ったものの、シャカールが2番人気。最後方を進むというスムーズとは言い難いレースぶりだったが、5着まで押し上げたのはやはり地力の差であろうか。次走の京都の未勝利戦は一転して2番手からの押しきりで勝利した。確勝を期したであろう500万下の平場戦は後にスプリングS2着でクラシックに駒を進めたパープルエビスの後塵を拝したものの、適条件と思われるホープフルSではこれも着差は僅かながら勝利しクラシック候補へと名乗りを上げた。
クラシックに向けてのステップとして弥生賞(GU)を選択。素質馬といわれ、こぶし賞を圧勝してきたフサイチゼノンの2着と敗れたものの最後方からマクってきた脚には、GT級の称号が与えられた。迎えた皐月賞(GT)。フサイチゼノンに代わって同じ父を持ち、前哨戦スプリングSを制したダイタクリーヴァが1番人気。シャカールは2番人気に推された。やはり、後方マクリの戦法で稍重の馬場を上がり35.0でクビ差ダイタクリーヴァを差しきったところがゴールだった。
ダービーは中山で見せたあの豪脚から府中はもっとあうと思われ1番人気。ダイタクリーヴァ、若草S、京都新聞杯を制しているアグネスフライトと人気は続いた。18頭立てでほぼ最後方はいつもどおり。しかし、このレースだけはさらに後ろにいたアグネスフライトとつれて追い込んだがハナ差の2着。この差は後からすれば、大きな大きなハナ差であった。
通例であれば、夏は厩舎か放牧で歴戦の疲れを癒すところだろうが、シャカールは英国遠征を敢行。挑んだレースは欧州チャンピオン決定戦の一つ、K・ジョージ六世&Q・エリザベスS(英GT)であった。これまでのレースぶりが評価されたのが2番人気とまずまずの評価を得たが、残念ながら、Montju(凱旋門賞馬)の5着に敗れ、日本への帰路についた。
夏を超え、秋は神戸新聞杯(GU)をフサイチソニックの3着とまずまずの滑り出しを見せた。三冠最後の菊花賞(GT)はダービー馬のアグネスフライトに1番人気を譲ったが、2番人気の評価。ダービーで4着と健闘し、セントライト記念を2着したトーホウシデンが3番人気でゲートイン。長丁場のレースで最後方まくりは通用しないと見たか、鞍上の武豊は中団を進むレースを見せた。最後の直線は末脚一閃、トーホウシデンをクビ差押さえ見事に二冠馬の栄誉に浴することになった。
この秋はジャパンカップ(GT)を14着と初めて掲示板を逃した。
古馬になってからのシャカールはクラシック戦線のシャカールとは別物だったかもしれない。明け5歳(現4歳)の初戦、AJCC(GU)を2着したが、天皇賞−春(GT)は距離が長かったのか8着。適距離とも思われた宝塚記念(GT)は5着。その年の秋は全休し、翌年は大阪杯(GU)と金鯱賞(GU)を連続2着したものの2番人気に推された宝塚記念(GT)は4着。秋にぶっつけで挑んだ天皇賞−秋(GT)も4着。ジャパンカップ(GT)、有馬記念(GT)と古馬の王道を歩んだが、ついに先頭でゴールすることなくその競走生活を終えた。

古馬になってから勝てなかった故かシャカールに対して「名馬」とは呼ばれていないかもしれない。しかし、クラシック戦線でのシャカールは間違いなく「名馬」であり、思えばダービーのハナ差により三冠馬を逃したのだから、準三冠馬という方がシャカールにはふさわしいだろう。