3−3.水子供養の経済

 

商業主義の否定

 僧侶は出産後の人間と同様に水子にも供養が必要であると言い、水子を冷遇すべきではないと主張している。しかし、面白いことに、その反対に、水子をほかの人間よりも厚遇すべきでもないともしばしば主張し、先祖供養の重要性も訴えているのである(23,126,161,165)。「うちは水子にこだわっていないから。なぜ水子水子と言われるのか不思議だが、金儲けもあると思う」「ごく自然に先祖様の一環として供養する。水子だけをとりあげるのがわからん」。どちらにしろ、僧侶は現状では水子供養が先祖供養から区別されると感じている。特別の状況にあるから、水子供養はするかしないかの二者択一で関与する事柄としてみなされる傾向がある。。
 全国的に水子供養が流行し、供養代や地蔵像代に多大な金額が注ぎ込まれている。そう伝え聞くところから、一般の僧侶は、水子が厚遇されているという印象を受ける。水子供養に乗り出した寺院は水子霊の祟りを説く広告を出し、高額な地蔵像を販売するとして、僧侶はその商業性を指摘し、反発する。。寺院にとって、高い頻度で水子供養を実施する場合や水子霊の霊障を説く場合でさえ、「専門の寺とか広告出す寺とかあるだろう」と発言し、商業主義の水子供養を何気なく他人事として語っている(3,129,133,134)。
 調査の途中で、水子供養に深く関わる寺の僧侶が、多少のうしろめたさを自覚しているように見えることがあった。電話帳に広告を出す真言系の寺院は、調査の順番を最後にして、そのときに訪れた寺の名前を教えてくれと言い、かなり用心する態度を示した。奉納した水子地蔵像が市内最多の寺の住職は供養料を尋ねられると、勘弁してくれと柔らかに断り、「本当は値段を決めるべきではないが」と付け加えたが、すぐに「商売でないから値段を決めてない」と訂正した。複数の修法師はどうやって自分の寺を知ったのかと質問してきた。
 水子供養の料金を尋ねる質問に対して、どの僧侶も慎重に「気持ち」「任意」「決めていない」と答える。こう答えるのは、料金を決めるのは営利目的であり、自分はそれには与しないのだという自分の立場を表すためである。高潔であるべき仏教者として、商業視を受けることは抗弁しなければならない。依頼者が差し出す金額を表面的には供養に対する直接の対価として語らない僧侶の態度は、水子霊の祟りを説き、供養を指示する易断師(178)が自らの活動をはっきりと「営業」と呼び、相談内容によって料金を設定しているのと対照的である。 

 

水子供養の料金 

 実際に依頼者が差し出す金額は0〜1万円の範囲内であるということである。寺院(23,27)では依頼者全員が水子地蔵の像や絵馬を奉納し、その代金は永代供養料や供養料に含まれる。このほかの寺院では水子地蔵像の奉納は依頼者の希望次第であり、代金は読経の布施とは別途になる。これらの寺が取り扱う地蔵像の値段は、15センチメートル前後の銅像で8千〜1万円、45センチメートル前後の石像で5〜7万円である。
 通常、依頼者の希望毎に地蔵像を石材店や仏具店から取り寄せている。予め仕入れている寺は少数である(23,27,83)。水子地蔵の奉納件数が最も多い寺では、その数は2000体強に上るが(27)、その次は300体強(30)、200体弱(83)、100体強(82)と続き、あまり多くない。水子供養に専門化し、水子地蔵像を林立させる寺は、A市のような都市部よりも広い敷地が持てる郊外や郡部にあるためだろう。このほか 、寺院(11)の1600体強の千体仏像と寺院(13)の150体弱の地蔵像のうち、過半数が水子供養を目的に寄進されたものである。

 

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