本編の前に名鉄常滑線の写真を少し紹介します。
南方貨物線は国道247号線を第4豊中Bvで越えて、やがて名鉄常滑線をオーバークロスします。但し国道247号部分と同様に名鉄線の高架部分は早くに撤去されていて2005年現在は現存していません。
名鉄常滑線豊田本町駅を通過し中部国際空港へ向かう1000/1200系一部指定席特急。(現在は指定席車のことを「特別車」と呼ぶ) この先に見える東海道新幹線と南方貨物線跡をくぐるため、ここから下り勾配になっています。 2005.6.26
上の写真と同じ場所の地上からの視点。カーブしながら新幹線をアンダークロスしています。高架下の駐車場は名鉄協商の月極め駐車場です。2005.6.26
空港行き快速特急ミュースカイ2000系が低目の高架で貨物線をくぐりり抜けている。この南方貨物線も空港連絡鉄道として、名鉄に接続して活用する可能性が審議されたことを静かに物語っているかのようです。 手前のテント倉庫がある高架部分が豊中第5BLになります。2005.6.05
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J豊中第5BL K豊郷BL L二条第1/二条第2BL(架道橋部分は第1二条Bv) (地形図)名古屋市都市計画図 2005年より管理人編集 |
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13A:第1二条Bv M二条第2BL N O二条第4BL P Q南陽第1BL R S (地形図)名古屋市都市計画図 2005年より管理人編集 |
J豊中第5BLと一体になっている第4豊中Bvの桁座部分。2005.6.26
J名鉄線の高架下から見上げた豊中第5BL。施工は引き続き若築建設が担当。この区間は完成が昭和57年ごろで、近代的フォルムのスマートな高架が特徴です。2005.6.05
J左に縦に見えているのが名鉄の高架。貨物線の天端に立っている鉄筋が遅い完成時期であることを物語っています。この名鉄線により貨物線高架が一旦分断されます。名鉄を越えていた高架橋の名称は現在のところ不明です。2005.6.26
J前の写真の名鉄線西側からの構図です。名鉄の高架がかなり低くなっているのがわかります。 2005.6.05
続いてわずかに4径間で構成されているK豊郷BLが現れます。高架下の一部は工場や倉庫に利用されています。2005.7.18
K豊郷BLの西端部分。この後2本の道路を一気に跨いでから、L二条BL群につながるところですが・・・2005.7.18
・・・2本の直交する道路の間には橋脚の撤去跡があります。推定ですがここが二条第1BLであったと考えられます。2005.7.18
L道路を挟んで二条第2BLが始まります。2005.7.18
ここで東方を振り返ると、名鉄との位置関係はこのようになります。2005.7.18
L第1二条Bv。右側に並行する橋桁が東海道新幹線です。(右写真も)2005.7.18
L二条第3BLの西側終端部分です。ここに第2二条架道橋(Bv)=13-Aがありましたが撤去済みで、ここから施工会社が若築建設から矢作建設に変わっています。完成時期も若築の区間と同時期で昭和57年頃です。2005.7.18
奥に見えるのがL二条第2BLです。道路で途切れている箇所が第2二条Bv跡で、上の写真から続いています。道路を挟んでM二条第3BL(手前側)として続きます。2005.7.18
管理人 茉莉花(まつりか)
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