5月、満開のたんぽぽの土手を歩きながら微笑んでいる倫子はもう誰が見ても、これから母になろうとする女性の姿になっていた。
倫子は周囲の心配の声をよそに、働けるまで働くつもりだった。
8月9日 私がボートに乗せてあげると言った、直江庸介の誕生日。
8か月近くになったお腹ではちょっと乗れるかどうかわからない。母はさすがに反対した。
母:「来年、赤ちゃんと一緒に乗れるじゃないの」
その言葉で、さすがの倫子も断念した。
あのとき、もうこの日は自分はいないことを知っていたはずの直江先生。それでも、優しい、でも、ちょっとずるいウソで、私に約束してくれた先生。久しぶりにビデオレターを見る。
直江:「倫子の笑顔が大好きだ、愛している」
そう、このとき、初めて倫子と呼んでくれた。この一言で私は笑って先生のいない誕生日を過ごせるのかもしれない。
9月30日 いよいよ臨月に入るため産休に入る。
産休と育休をとるので、1年以上病院勤務と離れることになる。みんなが花束とたくさんの励ましの言葉を贈ってくれた。小児病棟の子どもたちまでわざわざ外科のナースステーションまで来てくれて花束を贈ってくれた。
大学病院に戻っている小橋先生まで激励会に来てくれた。うれしかった。ありがとう、行田病院のみんな。またそこへ戻れる日までみんな元気で。
10月15日
朝から陣痛がある。看護婦でそれなりに出産には立ち会った経験はあるものの、自分のことになると吹き飛んでしまった。お母さんはやっぱり偉大なんだ・・・もう後のことは覚えていない。
直江先生、先生、私、あなたの赤ちゃん、ちゃんと産みました。3150g、元気な男の子です。うれしかった。今まで私の中にいたあなたの鼓動を刻んでいたこの子が外へ出ていくのはちょっと寂しい気もするけど、貴方と初めてであった日のように、この子と初めてであった日を一生忘れないでしょう。
庸介と・・・名付けていいですか?
続く