不思議と何の違和感も感じなかった。
庸介の腕に身体を預け、彼の胸に顔をうずめながら、倫子は戸惑いが熱い胸の高鳴りに変わってゆくのをじっと感じとっていった・・・。
倫子の中で時は止まりつづけている。あれほど自分を強く拒絶したはずの庸介が、今自分を抱きしめている。
その止まった空白の時の中で、彼に抱きしめられていることの実感を、倫子はふるえる心で感じていった・・・。
倫子の額に庸介の頬が触れる。そしてかすかに感じる彼の吐息さえ甘く・・・。
庸介の胸から伝わってくる胸の鼓動が倫子の鼓動と重なり、それとともに溢れるような熱いときめきが、倫子の心の中をゆっくりと満たしていった。
『君もずっと・・・春をさがしていたんだな・・・』
一瞬の夢から覚めたように思わず顔を上げると、庸介の手が倫子の額に触れていた。
風にみだれ、額にかかった髪に彼の細い指先が流れるように動いていった。
”・・・先生・・・”
口元に優しい微笑を浮かべたままうなずく庸介の瞳は、水の光のせいだろうか。
倫子を見つめる庸介の瞳は、水面を弾く夕日を映して不思議な色に満ち、わずかに潤んで揺れていた。
『震えてる。大丈夫か・・・?』
庸介の問いかけに、初めて倫子は自分の胸を打つ動悸の強さに気付いた。驚くほど早く打つ胸の動悸に、頬が熱く紅潮してくるのを感じる。
『はい・・大丈夫です・・』
倫子は胸に手をあてて、こみ上げてくる恥じらいを意識しながら小さく答えた。
庸介と接していて、こんなに優しいまなざしで見つめられたことは初めてだった。
『こんなところまで、探しに来ていたんだな・・・』
『ああ・・・あの、もう夢中で・・・。ずっと見つからなくて・・・タンポポ・・・』
『君らしいな・・・』
『いつもの土手に咲いてなくて・・・。あの、さっきの子供達がここまで連れてきてくれたんです。ほら、先生、さっき一緒にいた子供達が・・・』
『そうか・・・』
『先生・・。素敵でしょ・・・。信じられないくらい。ここだけまるで春みたいに咲いて・・・』
『ああ・・・。本当に、春のようだな・・・』
満足そうに庸介はうなずいた。
『石倉さんも、きっと喜んでくれる・・・』
そう言ってタンポポを愛おしむように見つめる庸介の横顔は、川の水面の光に映えてとても眩しく倫子の瞳に映った。庸介の傍らに立ち、その穏やかな微笑みを見ていると、倫子の心にも次第に優しい安堵感が広がってくるようだった。
『身体が冷え切ってる』 庸介は倫子を振り返って言った。
『今度こそ風邪をひくぞ・・・。看護婦、少ないって言ったろ』
『平気です。これくらい・・・』大丈夫です・・・と言いかけて、倫子はくしゃみをした。
庸介に言われて、忘れていた身の寒さを倫子は思いだした。身体に広がる悪寒に身が震える。手もかじかんで、指先の感覚も無くなりかけているようだった。
『身体は正直だな・・・』
苦笑いしながら軽く上目使いに睨まれた。
『無理するな。また倒れられたら困る』
『はい。先生・・・』