1.はじめに

 はじめに断りを入れておくが、ここにこれから論じていく事柄は、あくまでも筆者本人の見解に過ぎないということだ。スケートは滑っているそれぞれ個人が、それぞれの定義を持っている。そのため、一つのトリックで、十人十色とも言えるバリエーションになる。一人一人が、ある一つのトリックについて、自分なりのHowToを持っているし、トリックに留まらず、スケートそのものに対する定義というものも、一人一人が違うはずである。
 しかし、他人と自分との間に似たような定義を見出す場合がある。そんな時は、ある種、共有の悦びというものに巡り会う。特にスケートの場合、トリックなどの定義を黙々と、時には何ヶ月、何年という時間をかけて自分の中で作り上げるものである。この論文は、そんな共有の悦びを一人でも多くのスケーターと分かち合えたらと思い著わすものである。
 また、「論文」として当文章をくくっているが、正式な学術論文のような形式ではないことを先に述べておく。ニュアンスとしては、「単にスケートボードについてを論ずる文」として受け取ってもらいたい。


2.恐怖心

 スケートをする上で、誰に対しても障害となるもの、それが「恐怖心」である。もっと厳密に言えば、「痛さや怪我に対する恐怖心」である。これは、スケートの魅力と表裏一体のものである。「恐怖心」を否定する事はスケートそのものを否定する事になりかねない。なぜかといえば、恐怖心がなければ初めてトリックをメイクした時、または普通に何かのトリックをメイクした時、更に言えばステアやハンドレールでトリックをメイクした時の達成感は、おそらくは半減してしまうからである。スケートのTVゲームをやった事がある人ならわかるのではないだろうか、あの、とてつもなく難しいトリックをいとも簡単に出来てしまう味気なさが。確かに爽快感はある。しかし、生で板に乗ってトリックをメイクする、あのなんとも言えない、快感に勝てるものではない。
 恐怖心がもたらすもの、それは、その恐怖心を乗り越えた時に初めて理解できる、快感である。
 恐怖心がなければ、次々と新しいトリックを覚える事が出来るだろう。「恐怖心」はやはりある意味では邪魔な存在である。


 トリックを覚えるための、手順としては、まず恐怖との葛藤と戦いながら第1歩を踏み出す事(ステアを飛ぶ・カーブに掛ける・レールに掛ける・フリップ回転を入れるetc...)である。まず、初めの1歩でメイクできることはないだろう。しかし、その1歩を踏み出す為に、振り絞った勇気はものすごく価値のあるものである。2歩目以降は、1歩目を踏み出す前の恐怖心とは比べ物にならないほど、恐怖心が減少しているだろう。恐怖心の減り具合は人それぞれである(極論を言えば、スケートの上達の早い人というのは、恐怖心の減少が大きく、かつ早い人であるといえる。)が、後はその恐怖心が減少していき、あまり恐怖心を感じなくなる頃には、トリックをメイクしているだろう(または、メイク率がグンと上がっている)。
 スケートのうまい人(プロやスポンサードライダーなど)が、いとも簡単に普通の人がやろうとしても、恐ろしくて出来ないような事を出来てしまうのはなぜだろうか?
 その答えは、「経験による慣れ」ではないだろうか。ある程度スケートが上達してくると、必然的にカーブにしろ、レールにしろ難易度の高いものにも挑戦するようになる。例えば、カーブやレールの高さ、シチュエーションの困難さなどが挙げられる。このような状況下でトリックをメイクするようになってくると、それより難易度の低いものに対する恐怖心はほとんどなくなってしまうだろう。
 一つのトリックにしても同じ事が当てはまる場合が多い。例えば、オーリーF/S360°をメイクできる人は、オーリーF/S180°を怖いと感じないだろう。もう一つ、360°キックフリップとバリアルキックフリップを用いて例を挙げてみよう。360°キックフリップばかりをひたすら練習して、360°キックフリップのメイク率がかなり上がり、それに対する恐怖心がほとんどなくなったとする。すると、当然の事ながら、360°キックフリップよりも半回転少ないバリアルキックフリップの回転はよく見えるようになっているはずだ。見えるという事は、必然的に恐怖心を和らげることになる。結果的に、バリアルキックフリップに対する恐怖心はほとんど消え去っている事になる。
 一つ誤解のないように言っておくが、この例はあくまでも恐怖心についての例である。360°キックフリップをメイクできる人は、バリアルキックフリップもメイクできる、と短絡的に述べているものではない。


 「恐怖心」をできるだけ和らげる方法というものはないのだろうか?私自身がよく用いる方法の一つに、自己暗示がある。例えば、カーブにエントリーする際、やはりスピードが遅いとメイク後の爽快感がイマイチである。また周囲から見ても、「メイクってるけど、スピード遅いしね。」なんてことになる。せっかくメイクしてもこれでは、喜びは半減である。だから、ある程度のスピードでカーブにエントリーすることになる。スピードが速ければ速いほど、恐怖心は比例して増大していく。ここで、次のように自己暗示をするわけである。「このスピードは自分で感じているほど速くない。・・・速くない速くない。」と。実際、主観(自分の目で見えているもの)と客観(他人の目から見えているもの)というものの間には大きな差異があるということは、科学的な根拠がある。滞空時間にしろ、飛んでいる高さにしろ、もちろんスピードも、主観と客観では大きな差異があるのだ。差異は個人によって程度は違えど、大体の場合、客観に比べて、主観はものごとを大げさにとらえる傾向がある。例えば、速さを例にするとわかりやすいかもしれないが、自分自身が感じているスピード感は、客観的に見ると、それほどのスピードではなかったりする。自分自身の滑りをビデオに撮ってみるとわかるかもしれない。私が自己暗示をする場合は、感じているものの半分程度と考えるようにしている。方法としてはかなり原始的である。しかし、私自身はその効果のほどを毎度毎度実感している。自己暗示の例として、スピードについて挙げたが、この方法は他の場合でも驚くほど効果的だということを私は実感している。
 もう一つ「恐怖心」を和らげる方法として挙げると、これも自己暗示の一種と考えられるが、「やることをやればできる」と考えることである。
 問題は至ってシンプルである。F/Sリップスライドをレールでやろうとする場合、初めて挑戦する場合はやはり怖い。しかし、トリックの原理としては、レールの真上にF/Sオーリー180°の要領で板を持っていき、B/Sロックンロールの要領でレールを滑って着地するだけである。要するに、今示した事を確実にやる事が出来れば、メイクするまではいかなくとも、レールに板の腹を掛けて滑る事ぐらいまでは出来るだろう。新トリックに挑戦することをためらってしまう場合、自分自身の持ちうるスキルは、それをやるための条件を満たしているのかを考え、仮に満たしているなら「あとはやるだけ」、つまり初めの一歩を踏み出す勢いを持つだけである。条件を満たしていず、そのためにためらうのであれば、条件を満たす努力をすればよい。どんな時でも、最初の一歩を踏み出すためには、一絞りの勇気か、場の勢いを借りるかの、いずれかが必要な場合が多い。そして、いざトリックをやるとなったら、やることは至ってシンプル、「やることをやるだけ」である。(補足:恐怖心は、スケボーの楽しさを語る上では欠かせない要素であることは前述したとおりだが、時に恐怖心は、スケボーをつまらなくさせる要素となりうるかもしれない。「楽しくない」ではなく、「つまらない」と思ってしまうようなら、潔く、その恐怖心をもたらすトリックをあきらめてしまった方がよいかもしれない。完全にあきらめるのではなく、「そのうちできるさ」という気持ちの切り替えをすることが重要だと考える。楽しんでやるスケボーは、楽しめない状態でやるスケボーよりも、おそらく上達が早いだろう。)


3.練習

 スケートを練習するという言葉には、少々違和感を覚える。そもそも、なぜ、スケートをしているかという根本問題に触れることになるからである。スケートを愛して病まない人々にとっては、「練習」という言葉は不適切この上ないかもしれない。なぜなら、彼らは好きで、または楽しくてスケートをしているだけであって、その行為が結果的に練習という言葉に置き換えることが出来る場合もあるだけのことだからである。しかし、言葉の問題に固執するわけにもいかないので、話を進めることにしよう。これ以降は、(私的には)不適切を承知で、便宜的に「練習」という言葉を使うこととする。


 スケートの上達や、新トリックの獲得のためには練習が必要不可欠である。更に言うと、自分自身の納得のいく練習こそが、自信となり、いざという時の糧となるのである。前段に恐怖心を和らげる方法を二つ紹介したが、練習の繰り返しというのもある場面では、恐怖心を和らげるための方法と言える。
 私は、長い間、練習の積み重ねはいずれ実を結び、練習してきたトリックを完成に導くものだと考えてきた。そのため、何か一つのトリックをやりこむタイプの練習をずっと続けてきた。つまり、何か一つのトリックを私なりに完成させようとしてきたのだ。そして、自分なりに、何種かのトリックについては完成したと自負していたものだ。しかし、ここ数年になって、なんとなく感じることは、果たして、この世に「完成」というものが本当にあるのだろうかということである。一つの枠組みが定まっているものに対して完成という言葉を使うことには納得できる。例えば「晩ご飯の料理を完成させる」というような使い方だ。しかし、この場合、仮にお母さんが晩ご飯を作っており、カレーライスがメニューだとするなら、お母さんの中では、「今日の晩ご飯」としてのカレーライスを完成させただけであって、彼女の「料理」としてのカレーライスを完成させたわけではない。彼女の料理の腕は、生きている間、料理を続ける限り成長を続けていくはずである。そして、死ぬまで成長を続けるのだから、彼女のカレーライスが完成することはありえないのではないか?
 このことはスケートにも置き換えることができるのではないだろうか。例えば、F/s50-50グラインドはどうだろうか。今、自分自身を振り返ってみて、「う〜ん、メイク率はほぼ100%のはずだし、レールでもできるし、完成って言っちゃってもいいんじゃない?」と、思ったりしたのだが、「ああ、そういや、ハンドレールとかでっかいレッジじゃぁ、できねぇや」という結論になった。仮に、どこかのハンドレールで50-50をメイクできたとしても、他のハンドレールでは?ということになり、つまり、どんなシチュエーションでも完璧にできるわけではないのだから、それは私としては、完成とは言えない。そして、50-50をするシチュエーションは無限にあるのだから、私の50-50は、宇宙が膨張し続ける限り、永久に完成することはないだろう。
 このように、私は、「スキル」というものには「完成」はないだろうと考える。私が、「スキルに完成はない」と考えたいのは、あるスキルを「完成した」としてしまうということが、自分自身の成長を止めてしまうことになりかねないからである。あるトリックを「完成した」とすることは、そのトリックの成長に関して、自分自身で「これで終わり!」と決め付け、まだ成長するかもしれない、その可能性を断ち切ることになるような気がしてならないのだ。
 練習がもたらすもの、それはスキルの上達であり、完成ではない。初メイクは、我が子の誕生の瞬間であり、その子は、以降、成長を続けていくのである。成長を続ける我が子は、やがて成熟し、新たな子を生む。例えば、オーリーをメイクできるようになった後に覚える、F/s180°や、B/s180のような、新トリックの獲得である。それらはさらに成熟を続け、色々な困難に直面し、生きていることが辛くならない限り生きることをやめたりはしないように、スケートも楽しみ、挑み続ける限り、直面した困難なシチュエーションを打開していくだろう。


4.モラル

 私たちのスケートを楽しむための土台、つまり、生活そのものを支えてくれているものは何か?よく考えれば、あるいは考えなくとも、それはすぐにわかることである。そう、「社会」の存在である。「社会」があるから、私たちの今のこのような生活が保障されているのだ。宇宙があり、銀河系があり、太陽系があり、地球がある。地球の中に、私たち人間は、社会というまとまりを持つことで、あらゆる危険から、かなりの確率で身体を守ることができるし、食べ物に不自由せずにすむ。その上、生きることに精一杯ではなく、スケートをして日々を「楽しむ」ということすらできているのだ。
 仮に、社会というものがない世界を想像してみるとどうだろうか。
 社会をなくすと人間的な全てのものは消え去ってしまう。つまり、社会活動から生じる、全ての建造物はなくなり、全ての産業は停止し、人々は野生へと帰る。自分自身、それに、自分の友達や家族が、ウホウホな野生生活をしている姿は、一見、笑える。・・・が!それは、現在目にする野生動物からわかるように、生きるために毎日食べ物を求めるような生活なのである。時には、食べ物を求め、争いが起こるかもしれない。その争いは、命のやり取りになるかもしれない。・・・社会がなくなるということは、そういうことだとも言えるだろう。つまり、普段はあまり気にかけることもないが、私たちに対して、社会というものは、はかりしれないほどの恩恵を与えてくれているはずなのである。
 社会の中で生きるということはどのようなことなのか。自分自身が便利に暮らすことが出来るということ。これは、前述したとおりだ。しかしながら、社会が機能するには、自分一人の力だけではどうにもならない。様々な境遇の人が、互いに力を出し合って形作っていくものが社会である。つまり、社会の中にはスケーターもいれば、スケーターではない人もいて、スケーターに理解がある人もいれば、スケーターを頭ごなしに嫌う人だっているのである。本当に色々な種類の人間がいるだろう。そう、社会生活は、便利さをもたらす反面、自分の価値とは全く違う人間との共存をも強いられるという要素も持っているのである。しかし、自分とは全く違う価値の人間も、社会全体で見れば欠くことのできない人間の一人なのである。つまり、自分一人の価値では世界は回っていないのだ。つまり、スケーターだけに便利なようにはこの世はできていないのだ。
 このように、社会は、その中で生きる人々が、互いに「妥協」できる点でうまく折り合いをつけながら生きていくことだとも言える。スケーターは、もちろんスケートがしたいに決まっている。この一点だけは絶対に譲ることが出来ない点だ。だから、スケートを出来そうなスポットなら、どんなところにだって出没するのだ。そして、そのスポットの管理人、もしくは、他の利用者たちの「妥協」を得る形でスケートをすることができているのだ。滑れば騒音を巻き起こし、フラットトリックを失敗しては地面のタイルを破壊し、カーブトリックをしては縁石を黒光りさせ、そして、そこにいるだけで汗臭い・・・。実際のところ、こんなスケーター達なんか、いないに越したことはないのだ。スケーターがスケーターを呼び、スケートの有名スポットとなってしまった場所など悲惨極まりないだろう。若い男たちが、モクモクと煙を吐きながら固まっているだけでも威圧感は十分だ。その上、黙々と練習していたかと思ったら、突然叫びだすスケーターまでいる始末。そんなスケーターでも、大きな心で受け止めてくれている人たちは・・・、確かにいる。
 相手に妥協をさせているのだから、こちらも妥協できる点は妥協しなくてはならない。つまり、絶対に妥協できない点、つまり「スケートをする」という点以外のことは、出来る限りやる努力をすべきだと思うのだ。その上で一番簡単なことは、ごみの持ち帰りだろう。ごみを持ち帰るのは面倒だ、つまり、自分のそういった怠惰な心を導く、好き勝手にやりたいという気持ちをまずは妥協すべきだろう。そのほかにも何かやれることはあるのかもしれない。そういうものは、やっていくのが筋なのだと思う。スケートをして、楽しい時間を得ることが出来たのなら、その得たものを、社会に還元していく努力を忘れてはならない。私たちは、社会の恩恵に感謝しなければならないのだと思うのだ。


5.スケートギアについて

 スケートギアは、以下の3つの主要部分に分類する事が出来る。

  1. デッキ部
  2. トラック部
  3. ウィール部


1.デッキ部

 デッキ部は、デッキ(deck)とデッキテープ(deck tape)から構成される。デッキは、多くのメーカーがそれぞれ独自の製法によって製造し、リリースしている。基本的な構造としては、7〜9枚のベニヤがプレスして作られている。プレスの段階で、板にメーカー独自の特徴があらわれる「コンケーブ」が付けられる。このコンケーブとは、板の「反り」の事で、メーカーごとに、反り具合が微妙に異なる。一つのメーカーがリリースするデッキ内でも、チームモデル・シグネーチャーモデルとがあり、前者は比較的コンケーブ・デッキの太さなどが平均的なものが多く、後者はそのシグネーチャーを出している本人の好みが反映されている。


 ここでデッキの特徴となる要素について説明することにしよう。
 デッキの特徴として挙げられるものは、「太さ(幅)」「重さ」「長さ」「コンケーブとキックの強さ」「グラフィック」がある。デッキを選ぶ際のポイントになると言えよう。一般的に言われている事は、コンケーブはオーリーやフリップ回転を入れる際の蹴りに対する「引っかかり」に影響する、「引っかかり」に大きく影響を及ぼすデッキテープについては後述する、またキックは弾き具合の強弱に影響する、キックが強いということはテール(又はノーズ)の反りが強いということなので、それだけ地面との距離もある、従って蹴った際の反発力の違いを生む。その違いは、オーリーなどの高さに影響してくる。但し、これも好みの問題で、一概にキックが強ければトリックが高くなるとは言い難い。太さは、回し系トリックに影響する、重さはそれぞれのトリックに微妙に様様な影響を及ぼす。長さは、特にこれと言った機能は考えられないが、自分の身長を考えた長さのものを選ぶ方がよいだろう。ただし、デッキの長さはの差は極わずかなものであるから、あまり神経質になる問題でもないように思う。
 デッキの表側に貼るデッキテープについて、これもいくつかの、メーカーがリリースしている。機能は、デッキの擦り(引っかかり)の補助である。デッキテープを貼ったほうが板はより足に食いついてくる。参考までに、デッキテープ無しでも、ほとんどのトリックが出来るという事は言っておこう(実際にデッキテープを貼らずに、スゴイことをやっていたスケーターもいた)。


 機能的な面でのメーカー間の違いはほとんどないといっても良いだろう。何が違うかと言えば、デザインである。猿の形がくりぬいてある「モンキーグリップ=monky grip」や、「M」1文字のみくりぬかれた「マスターマインド=master mind」など、各メーカーごとにデザインのバリエーションは豊富だ。また、このようなデザインは、デッキのテールとノーズを一目で見分けるのに重宝する。
 人によっては、「ショーティーズ=shorty's」のデッキテープのようなノーマルな(デザインの無い)デッキテープを、自分でペイント・切り貼りをしてカスタマイズするオシャレさんもいる。



トラック部


 トラック(truck)の構造は、基本的には、ベースプレート・カップワッシャー・ブッシュゴム・キングピン・ハンガー・シャフト・サイドナット(アクスルナット)の7種類のパーツでできている。役割は、ウィ−ルとデッキをつなぐ事で、機能はもちろんグラインドをする事である。
 トラックも多くのメーカーからリリースされている。基本的な特徴は、「重さ」「高さ」「幅」「ブッシュゴムの柔らかさ」である。最後の「ブッシュゴムの柔らかさ」については、ブッシュゴムだけ別売りで、自分で後から好みに応じて取り替える事が可能である。重さと幅は、グラインド中の安定感に影響する。高さは、当たり前の事だが、デッキと地面との距離に影響する。
 トラックは上に挙げた基本的な特徴に加えて、各メーカーが独自の工夫を加えている事が多い。最もわかりやすい例は「テンサー=tensor」の、カーブとトラックの接触部分に取り付ける、スライド用のプラスチックパーツではないだろうか。


 トラックにおけるトラブルをいくつか紹介しよう。

  1. シャフト部分が内部で外れてカタカタになる、「シャフトずれ」。
  2. シャフトの端の部分、サイドナットをはめる部分が削れて、一度ナットを外したら最後、ナットが入らなくなるトラブル。
  3. 金属疲労でキングピンが折れる。
  4. 金属疲労でハンガー部分が折れ曲がる。

 以上の事は、スケートをしている方なら一度はどれかを経験していると思う。上に挙げた例の1.4.のトラブルはいずれもトラックの買い替えをしなければならない。2.はサンダーで馬鹿になっているねじ山を切り取ってしまうか、ヤスリで地道にねじ山を直す事で対応できる。3.は、キングピンのみを店で購入して取り返れば良い。しかし、場合によってはキングピンが取り外せなくなってしまっていることもあるので注意したい。



ウィール部


 ウィール部は、ウィール(wheel)とベアリング(bearing)に分けられる。どちらも、やはり様様なメーカーから様様な特徴でリリースされている。
 まず、ウイールについての基本的な特徴は、「大きさ」「硬さ」である。大きければ、その分一回のプッシュで進める距離が伸びるわけだから結果的にスピードが乗る。また、ウイールの大きさ分、デッキと地面との距離も長くなる。一般的には、ストリートとバートでは、バートの方が大きいウイールを使う事が多いようだ。硬さについては、グリップに影響する。柔らかければ柔らかいほどグリップが強くなるが、その分遅くなる。そして、遅い分を補うためにプッシュをしなければならないので、疲れる。また、柔らかいためウイールそのものの消耗が早い。逆に硬いものは、グリップが減る分スピードが乗る。路面の良い場所ではすこぶる調子がいい。また、グリップが少ない分、スライド・グラインドの際の、カーブやレールなどとの摩擦も少ないので、安定したスライド・グラインドが出来る。しかし、足の関節に対する負担と言うものを考えた場合、硬いウイールはそれだけ地面からの衝撃を、そのまま足に伝えてしまうという点がある。また、路面の悪い場所ではこれでもかと言う位調子が悪い(小石にすぐつまづくなど)。個人的には、スケートは路面の良いところでやるものだし、その方が上達も早いと思うので、足に対する負担などを考えなければ、硬いウイールのほうが良いと思う。


 次にベアリングについてであるが、ベアリングはウイールの回転を直接司る部分で、その回転度に応じて規格(ABEC1〜9)が定められている。エイベックが高ければそれだけ回転数も増し、結果的にスピードが速くなる。ベアリングについてもメーカーが様様な展開をしている。その展開方法は、ベアリングの精度・強度に重点がおかれている。問題としては、単純に精度が高くなればベアリングの強度は低くなるし、どちらの機能も上げようとすればものすごくコストがかかるため、値段が張るという事である。実際、回転数が高く強度も保証されているベアリングはものすごく高い。到底、貧乏なスケーターには手の届かない値段に設定されていることがほとんどである。


 ウイール・ベアリングにも、何かしらのトラブルが生じる可能性が秘められている。どちらも、一括工場生産のため、欠陥品というものが混じっているらしい。サービス提供しなければならない「ショップ」でさえ、欠陥品を把握出来るものではなく、購入したスケータが滑っている最中にトラブルが発生する事がほとんどで、そのことについては「運が悪い」で片付けられてしまう。少々問題のような気はする。しかし、起こったトラブルが本当に欠陥品であったために起こったかどうかを証明するものが何も無いため、実際欠陥品の為にトラブルが起こったとしても「運が悪い」で片付けられてしまうのである。
 しかし、立て続けにトラブルが起こった場合は、遠慮せずに購入先へ問い合わせた方が良いと思う、実際良心的なショップでは無料で交換してくれる所もあるからである。


 以上に、スケートギアについての概要をまとめた。それぞれの特徴とその機能について説明したが、やはり一番の問題はそのギアを扱う者の技術である。その技術を前提として、微妙なアクセントとしてそれぞれのギアの特徴付けがなされているのである。よく、「板が悪い」というように、自分の技術を棚に上げて文句を言う人がいるが、それはおかしい話である。確かに、それぞれのパーツに対する慣れなどは存在するが、それになれた後の云々の話は、パーツを扱うスケーターの技術に拠っているものだということを忘れてはいけない。巧い人は、どんな板に乗ったって巧いものである。


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