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古流 剣術・居合術 │ |
「居合道日本史」(全三頁) |
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第一の「心法」
最も有名なのが伯耆流の片山伯耆守久安で次のように明らかにしている。
室町時代は現代とは異なり学問は発達していないが、伯耆流の始祖は文武両道の知識人で居合とは大義の剣であるとし、人間は自己生存の使命があり、人間は殺してはならない。万物は十干的に、十二支的に、九星的に、六曜的に旋回して周期をなしてめぐるもので、自己の剣もこの周期に反してはならない。
人と剣は一体である。現人神の化身が剣そのものである。殺人は命の流れに対する冒涜である。罪のおぞましさに心を致さねばならない。神の大義で命を活かすのが剣の心であり、その人の罪業を消すために剣を抜くのは一殺多生の神の大義となる。分りやすくいうなら鞘之内という言葉で現わし、鞘之内の神髄は戦わずして相手の心をよみ抜くことなく勝利を得ることであり、万止むを得ない場合に限り自衛のため抜くものである。
刀身が鞘の中にあるときから勝負が始まり、抜いたとき生死を決するものであり、待って斬るのが居合の原点であり、したがって敵が抜いても仕掛けてこないときは斬らないが、敵が仕掛けてきたら斬るのである。
第二の「刀法」
刀の機能特質によって運用する事であり、大太刀を使用するとき、小太刀を使用するとき、短剣を使用するとき、それぞれ微妙なちがいがある。
刀法にはポイントがあり次のとおりである。
一、斬る 切る
二、突く
三、斬り裂く
四、撃つ
五、斬りはねる
六、掻き斬る
七、当てて斬る
八、叩き斬る
具体的には刀の種類により、柄の握りかた、手の内、手首の使いかたなどによって異なり、さらにいまひとつのポイントがあり次のとおりである。
一、急所
二、点
三、筋
四、節
第三の「刀法」
これは勝利の技術であり、勝つためのノウハウであるが、具体的に実戦則のもとづいて剣客の成した極意書である。有名なのは次のものがある。
五輪書・宮本武蔵
兵法極意・柳生宗厳
兵法家伝書柳生宗矩
田宮流剣法三才伝授
田宮流武術肝要集
竹之内判官流天・地・人三巻書
林大太夫守政の極意に次のように説きます。孫子の言と同じです。
「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」
武徳をもって敵を屈服せしめるのが真の兵法であると説いています。刀を抜いて敵を屈服させるのはその次の策であるとしています。そして勝敗の決したあと逃げる敵へ追討ちをかけたり、斬り倒した敵へ、とどめの一刀をすることは兵法の道ではないことを暗示しています。
兵書『孫子』は利を説きます。次のとおりです。
「利に合えば動き、利にあらざれば動かず。利にしてこれを誘い、利をもってこれを動かす。」
利とは何でしょうか。金儲けの利益ではありません。神道仏教儒教の倫理観であり道義のことです。武士道のことです。居合の剣は道義の剣であり、大義の剣であると解されます。居合はその流名を見ても分るように、無敵と言い、神伝と言い、神陰と言い、神道と言い、生死を超越して人を活かす生きて活かすこともあり、死を与えて活かすこともあるのが居合道なのです。
古歌二首紹介します。
「居合とは人に切られず 人切らず
ただ受け止めて平らかに勝つ」
「抜かば切れ 抜かずば切るなこの刀
ただ切ることに大事こそあれ」
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