待っている。
探している。
迎えに行く。
いつでも。
でもそこにいて、すれ違ってしまわないように。
必ずそこに帰るから。
『帰ることだけ知っている』7
「う…」
身体が痛い…
重い…
熱い…
爆風に吹き飛ばされたロイは必至で体勢を立て直そうと、たたきつけられた地面でもがいた。
「ぐ…」
しかし全身が悲鳴を上げていて起きあがることすらかなわない。
右肩…脱臼?あばら…2.3本やられている。裂傷…全身が痛いので分からない。
「ブレ…ダ…」
側にいるであろう部下の名を呼ぼうとしてせり上がってきた血に喉をふさがれる。
ごふっ…
それを吐き出してロイはやっとやっと息を吐く。
どうやら折れたあばら骨が肺を傷つけているようだ。
ロイはなんとか楽な体勢を取ろうと仰向けになってゆっくり目を開けた。
そうしてから視線を下げて、自分の身体を見渡し、目に見えて大きな裂傷も出血もないことを確認する。
どうやら死に損なってはいるらしい。
ロイは崩れた壁を見上げてほうと一つ息を抜く。
建物の影から影へ飛び移るように動いていたのがとりあえず命を救ったのだろう。
倉庫の壁が盾になって直接爆発に巻き込まれることは無かったようだ。
それでも…
首を傾けて隣に目をやるとブレダがうつぶせに倒れている。
「ブ…レダ…」
ロイはそれに手を伸ばして口元に触れる。
「……」
手に触れる呼吸の感触。
どうやら生きているようだ。呼吸も安定しているから、今すぐ死ぬこともなさそうだ。
ブレダはあのとき自分をかばうように動いたからたぶん受けた衝撃はずっと大きかったのだろう。
少し触れた程度では意識を戻す気配がない。
まぁ生きていたからよしとすべきなのだろうこの場合。
「…とはいえないか…」
しかしこれで万事休すだ。
ロイは伸ばしていた手をごろりとそのまま放り出して天を仰いだ。
自分はもう動けない。動けたとしてブレダを担いでなんて無理な話。
耳をすませば寝ころんだ大地からまた新たな足音がいくつも駆けつけてくるのがつたわってくる。
それを聞きながらロイはただ空を眺めて狭められた息をゆっくりと吐きだした。
「何だこれは!」
「何が爆発した」
駆けつけてきた新手は現場の惨状にひどく驚いたようで、壁の向こうが騒がしくなり、いくつもの驚いたような声と怒号が飛ぶのが聞こえる。
ロイからは見えないのだが、あの崩れた壁の向こうでは、爆発の中心にいた連中。彼らの味方の吹っ飛んだ姿という、さすがに見たくない光景が広がっているだろうコトは容易に想像が付いた。
とりあえず少しでも丸まって死体のふりでもしようとしたがさなかが痛くてロイはこらえきれずにうめいた。
それで気付かれたのだろうテロリスト達はどうにか息と意識のあるこちらを見つける。
その中の一人が近づいて胸ぐらをつかんでロイの身体を引き起こしてきた。
「おい!おまえ、ここで何があった?」
ごふっ
その拍子にまた肺から血がせり上がる。
いい加減敵ならあっさり殺せばいいものを。
ロイはうんざりとその相手に目をやった。
頭が悪いのかただの余裕なのか。どちらにしても意味がない。
自分がテロなら危険そうなものは即殺す。
せり上がる血をこらえながらロイは投げやりに思う。
こちらが動けないのを見て安心しているのか好奇心でも先に立ったらしい。
「…おまえらの…なかに…腹にダイナマイトをまいたのが…いて…それが爆発した…」
傷ついた肺がひどくいたんでロイは呻きながらもとりあえず答えてやる。
「フレドの奴!だから言ったのに!」
あのバカはフレドというのか…。
向こうの怒りの声はまぁロイとしても同感であったりはしたが。
「しかしいたのはこの2名だけか?」
「はい、ここにいるのは」
「おかしいな…車に乗っていたのは4人と知らせが来ていたが…」
(そうか…あの二人はとりあえず見つかっていないか)
ロイはほっと身体の力を抜いた。
「おい、他の二人はどうした?」
「しるか…」
「嘘をつくな!」
「本当に…しらん」
実際にどう逃げているかなんてロイは知るわけもないけれど。
苦しい息でも自然と口元に笑みが浮かぶのはもう自分の悪い性格。向こうはこっちに余裕があると見て取ったらしい
けっと忌々しげに吐き捨ててロイを地面にそのまま放り出す。
「ごほっ…」
ロイは受け身もとれずにそのまま転がる。
折れたあばらがきしむ音を立てた。
「他にそれらしい奴は見ていないのか?」
リーダー格らしい男の言葉に周囲の人間が首を横に振る。
ロイはそれを視界の端に止めてそれに関してだけは心の中で笑った。
どうやらほんとにあの二人は見られてもいないらしい。
あいつらだけでもうまく逃げ出せればいい。
助けは間に合いそうにないけれども…。
「ではさっきから暴れ回っていたのはこの二人か?」
「そうらしな…」
「ということは、マスタングの奴は、逃げた側か!?」
……………
「……はぁっ???」
思わずロイの方から素っ頓狂な声が出てしまった。
一体奴らは誰をかって追い回していたと思っているんだろうか。
しかしテロリスト達は妙に真剣な顔で頷きあっている。
「そうだな、いくらなんでも一番えらい大将がおとりなわけはないからな。今日はあの錬金術も使えない日だと聞いている」
「奴らは腰抜けだからな」
「おい……おまえらロイ・マスタングの顔もしらんのか…?」
言わなくてもいであろう言葉がついロイの口からこぼれた。
だいたい顔を知らなくてもコートの下の肩章と手の手袋を見れば判断が付くだろうに。
「知っているさ。小柄で黒髪黒い目。ちょうどお前のような背格好だとは聞いている」
「しかし替え玉ということもある…」
「はぁ…」
ロイはあきれて口を半端に開けたまま人ごとのような返事をした。
自分と同じ特徴、背格好の側近を周りに並べる、そういう将軍は多い。
わざわざ同じ服の替え玉を持っているのもいることはいる。
確かに自分は奴らに直接顔を見せたことがないかも知れない。
今日は雨だから火を出して本人証明をするわけにもいかない。
しかし…しかしだ…
「おまえら…ねらう…相手の写真ぐらいもって…頭にたたき込んでおけ!」
どうにもどこかぷちりと切れたロイは、私がロイ・マスタングだ…と苦しい息の下でも横柄な口調で言い切ってしまった。
ここで素直に自分は替え玉でーす。
本人逃げましたとでもいえればかわいげもあるのだろうが残念ながらそれをするにはロイという人間は変なところでプライドが高く、自分の業は自分で背負いたがる程度に愚かだった。
「嘘を吐くな!!」
しかしその態度はむしろテロリストの逆鱗に触れたようで、一人がまたロイの胸ぐらをつかみあげる。
「お前ら腰抜け軍人が勝ち目のない時に俺らの前になんか出てこれるわけないんだよ!」
「現に…ここに…いるでは…」
こうなるとくだらない意地だ。どうせ死ぬんだしと思うとなおさら分かっているが張らずにはいられない。
死ぬ間際にくだらない保身など考えるだけでも気分悪くなる。
「だからおめぇは偽物だって…お?」
ロイをつかみあげた男はロイの首に光る銀のプレートに目を留めてそれを引きちぎった。
「あ!何をする!…かえせ!」
ロイはとっさにそれに手を伸ばしたが、あっさりと振り払われてまた地面に放り出された。
「何?…ジャン…ハボック?そうかてめぇはジャン・ハボック少尉殿か…」
「げほ…なんだって…?」
ロイは思わず頭を抱えたくなった。
というか身体の自由がきいたなら間違いなくそうしていただろう。残念ながら肺が傷ついている今は、頭を抱えるどころか腕を上げることすらできない。
それにしても本当にバカかこいつらは。
確かにロイの顔をよく知らなければ側近の顔などよけい知らないだろうけれども。
「ハボック少尉?」
「たしか側近にそんな名前があったな…やたら若いしイシュバールの実績のある人間でもねぇ。
いまいち情報が少ない奴だったんだが…そうかなるほどおまえはマスタングの替え玉だったのか…」
「………」
あほだこいつら…。
口が回るならとりあえず悪口雑言をこのテロリアストに思う存分浴びせていたであろう。
なんであいつが私の替え玉なんだ。
そもそも替え玉に危険を押しつけて逃げ回るという考え自体がロイには我慢がならないというのに。
もう何を言っていいかも分からずとにかくロイは銀のプレートを取り返そうともがいた。
「…かえ…せっ…」
それは大事なものだ。
しかし当然まともに動かない身体で何ができるわけもなく、ロイはそのまま一人に蹴り飛ばされる。
「ぐ…」
そしてそのままこめかみに銃が突きつけられる。
「安心しなよ、替え玉さん。アンタも間違いなくあの世に送ってやるからよ」
何だやっぱりそうなるのか。
自分に向けられた銃口をロイはむしろほっとした気持ちでぼんやり見上げた。
やるならとっとと…
引き金が引かれ、銃の音が倉庫街に響いた。
ロイの顔が血に染まった。
「……?」
これまでと思って相手をにらみあげていたロイだが銃の音が響いても覚悟していた衝撃も死もやってこなかった。
そして銃の音は一つではなく、立て続けに響きロイの周囲を血と叫びで満たした。
「…なんだ…?」
何が起きた?
顔にべったりと付いた血に指で触れてこれが自分のものものでないことに気付く。
「たいさーーーーー!!」
そして頭上から聞き慣れた声。
それを聞いてロイは信じられないというように目を瞠った。
まさか…。まさかだと思う。
助けが来るにはまだ早いし、あいつの出勤時間にはなおのことまだ早い。
こいつがここにいるわけは無いのだ。
しかしそれは幻ではなかった。
薄暗い日でも鈍く光を見せる金色の髪を泥だらけにして必死の形相で…
ハボックが、
ロイのたった一人の番犬が飛び込んできたのだ。
「大佐!たいさっっ!」
周囲の人間を撃ち倒し、ハボックは一条の光のように飛び込んできてまずロイのことを柔らかく抱きしめた。
「よかった…間に合って…」
それから身体の傷を確かめるように、生きていることを何度も確認するように
頬や額を何度も撫でる。
「よかった…」
全身打ち身、擦り傷。右肩脱臼、肋骨損傷でたぶん肺も傷ついている。
そのあとも逆らって地面にたたきつけられたりしていたので、泥まみれ、血だらけで傷の状態はどれもろくでもない。
良かったなどで済まされる傷ではないのだがそれでも間に合った。
それだけでいっぱいでハボックはなんどもよかったと繰り返した。
「…なんで…お前が…ここにいる?」
ロイが苦しい息からなんとか声を出す。いるはずのない人間がいることの理由がどうしても必要らしい。
「なんでって…」
建前はロイの忘れ物を届けに来たのだが…。
ハボックは少しだけ何かを考えるような素振りを見せてから…
まっすぐとロイの顔を見て大きい声ではっきりと答えた。
「俺、アンタの護衛ですし、狗ですもん。狗が飼い主の所に帰ってくるのは当然でしょう?」
その答えにロイは大きく目を瞠った。
そして即座に理解した。
ハボックが取り戻すべきもを取り戻したことを。
記憶を失う前ならけっして出ることの無かった答え。
ロイはハボックを束縛するようなことを極力しなかったのだからそれも当然で。
その自覚もつもりもないものに側にいることを強いることができなかったからで…。
でも今は…
ロイはこのとき初めて動く右手をハボックにさしのべてその顔を撫でる。
ハボックが顔を傾けてそれにうれしそうに頬をすりつける。
取り戻して初めて許される行為。
「遅いぞ…バカ…」
遅いなんて事はない。いるはずのない時間に駆けつけてきてくれたハボック。
でもやっぱりずっと待っていたので”遅い”なのだ。
「すいません」
そして笑って応える答えもやはりそれを謝罪する言葉で…。
「ああ、でもひどい傷だな。やっぱりバイク渡すんじゃなかった」
ハボックがロイの傷を検分しながら少し悔しそうに唇を噛んだ。
この傷では応急処置もままならない。
「バイクで…来たのか?」
「ええ、そうなんですけど、ここの途中でブレダん所の兵士が2名、何が何でも大至急救援を呼ばなければいけないっていうから貸したんすよ」
「ああ、あいつら無事抜けられたか」
「それは大丈夫だと思いますけどね。なんせ御大将自ら暴れ回ってくれたおかげでだいぶ相手も混乱してましたから」
あちこちぼんぼん爆発するわ銃声がするわ、悲鳴が聞こえるわでおかげで俺の方もアンタが生きてるなって確信もてましたけど。
「…そ…か…」
ずるりとロイの身体から力が抜けてハボックの腕の中に崩れる。
「俺もなるべく急いで来たつもりだったんですけど、なんせアンタこの入り組んだ倉庫の道、全速力でちょるちょろ移動していたでしょう。追っかけるのも大変だったんですよ。おかげでほんとに遅れちまった…」
ハボックはそれを片手でだきしめて、もう片手と口だけで器用に銃のマガジン交換をし、角から来た新手をまるで止まった的でも打ち抜くように簡単に倒していく。
「一体奴ら何人いるんだか」
「…そうとういるな…。セントラルの…テロリストの…相当数ではないか?」
「おやおや、いきなりアンタすんげぇお手柄ッスね」
「向こうが…勝手に…来ただけだ…ごほっ…」
安心したことで傷の痛みがずきずきと全身を襲う。ハボックが来たおかげでどこか気が抜けてしまったのかも知れない。
でもまだ敵は沢山いて、自分たちはそのど真ん中だ。かすむような意識をそうやって叱咤してロイは
「相当数…いる…敵もこの広い倉庫街で網を張るように広がっているおかげで…どれも3〜7,8人の小隊を組んで動いているようだ」
「みたいっすね」
俺がここに来るまでに倒したのもそんな感じでしたし。
「だから…それを利用すれば…なんとか」
またも近づいてくる多数の足音にロイは必至で体を起こそうとする。さっきは無理だったがハボックのいる今ならばかろうじて動く手で火を出せるかもしれない。そうすればこの人数でも戦うことはできる…。
「もうそんなに残ってないと思いますよ?」
しかしハボックはやんわりそれを制して、ロイの身体を大きく包み込んだ。
「どうして…?」
「だから俺ちょろちょろ爆発追いかけて、遅くなったっていったでしょ…悔しいんすけどね。あの人の行動力と機動力はすごいですよ」
心底悔しそうにハボックはロイの耳元でつぶやいた後、仕方なさそうに苦笑して、自分の肩越しに倉庫の屋根の上を指さした。
「何?」
ロイはそのれを見上げる。初めは何もなかった屋根の上に人の気配を感じ、そしてひょこっと旗の先が顔を出した。
砂漠からの風に翻るその軍旗。
アメトリス軍旗。そして続いてあまりにも聞き覚えのある声が響く。
「西30度方向、通路8先。残存兵力20。10度の方向から右翼編隊囲い込むように。1兵たりとも逃すな!」
「ホークアイ中尉」
凛とした声。それに見合う鋭いまなざしに、それを彩る淡い金色もきっちり結い上げられていて。
驚いたロイの呼び声に、凛としたその声の主はちらりとその方向を眺めて一瞬だけふわりときれいな笑みを見せた。
「ハボック少尉。大佐が負傷しているならすぐに病院に」
そしてそれだけを言うとまたキッと前を向き小隊の指揮にもどる。
その中尉に敬礼をしながらハボックは
「あの人俺より後から出てきたはずなのになぁ…しかもあの人小隊引き連れてですよ」
彼女はハボックが出てからすぐに小隊を引き連れて飛び出してハボックが爆発の後を追いかけて大佐個人を確保している間に倉庫の端から包囲作戦を展開したらしい。
まだ始まったばかりらしくホークアイの目はもうこちらを振り向くことなく前方の戦況をにらみ付けては細かく指示を飛ばしている。
「どんなマジック使ったんだか…」
おかげで助かったんですけどね。
ハボックはなんともいいがたい顔で再度つぶやくのにロイはくすりと笑った。
「…だから…いっただろう…おまえは…おそいんだって…」
ここまでがロイの限界だった。
極度の緊張から解放された反動と、全身の傷。
ロイは今度こそ、きしむからだに逆らわず、ハボックの腕の中に崩れる。
「ちょっ…大佐?」
そのままハボックの腕のぬくもりに引きずり込まれるように意識を沈めていく。
「大佐っ!大佐!!!たいさーーー!!」
薄れる意識の中でかすかに聞こえるハボックのパニックを起こしたような声を笑いたい気持ちで捕らえながらロイは完全に意識を失った。
「要するに、ホークアイ中尉は自分の小隊を使わなかったわけか?」
「使わなかったわけではありません。後で来るようには言いましたが…」
ロイが次に目を覚ましたのは病院のベッドの上で、すべてが終わった後だった。
肺の傷はそれほど大きくなく、入院は2週間ほどと診断された。
ブレダのほうは、あばら4本ヒビ、と右肩のやけど、背中に大きな打ち身とで、入院期間はもう少し少ないながら、しばらく痛い痛いといいながら椅子に座る人間になりそうだと報告される。
「………」
ロイはシーツの上にふんぞり返ってその報告を憮然と聞いた。
ブレダが爆発の衝撃からロイをかばった形になったので、ロイの方が傷は少ないはずなのだが、ロイは地面にたたきつけられるわ要らぬ喧嘩売って振り回されたあげく、一番重傷になってしまって病院のベッドで状況報告と言う名の暇つぶしをしていたりするわけで…。
「別にうちの隊など使わなくても、市内には警護、哨戒中の兵が沢山います。四方の詰め所にも」
たしかにここ首都には軍本部があり、軍としても大事な指令を司る都市であるため、憲兵以外にも通常四方に軍部があって、そこの詰め所に何隊か常に詰めているが。
「確かにそうだがそう簡単には…」
出動要請などできない。
司令部が違うのだ。
それなりの理由がない限り指一本動かしてはくれないだろう。
「簡単です。”緊急警報。ロイマスタング大佐の重要な備品を強奪し、東方方面に逃走している兵あり。武装している。注意されたし”」
「………」
「……その備品を強奪して逃走って…俺ッスか?」
病室のドアが開いてそこから顔を出したハボックが、こわごわつっこむ、
なぜか今日のハボックは入院服姿で部下も連れずに一人でそっと顔を出す。
「無茶をするな…」
ロイの溜息ももっともで
確かに全くの嘘を言うわけには行かないとはいえ何という乱暴な。確かに武装した兵が逃走となればどの隊といえども放って置くわけにも行かないしそれなりに警戒もするだろう。
「方便です」
言った本人はけろりとしたもので。
この一報のせいで、東方のセントラル境の警護の隊は、東方の街道よりに隊を移動させていた。そしてあの爆発を見てびっくりして駆けつけることとなる。
ホークアイが駆けつけたときにはすでにその隊と、テロリストとが街道側でドンパチを始めていたわけだ。
おかげで街側から突撃したハボックがたいした重火器の襲撃にも会わずにロイの所までたどり着けたのだ。
「いいんすか?このあとでその報告の件で何か言われたら。」
「実際武装テロリストがいたからいくらでもごまかしが利くだろう」
「おかげで今回の件の第一功労者はセントラル西方警備班となりますが」
ロイは少々ねらわれ損といえなくもない。そうホークアイがいうとロイは苦笑を返す。
「こちらがねらった相手でもないしおかげで助かったともいえるから、むしろそれでいいだろう」
手柄なら命の礼代わりにももってこいだ。
「はい。ではまだ事後処理がありますので…」
ホークアイは軽く会釈をして、さっさと執務に帰っていってしまった。
残されたハボックはその背中を見送って盛大にため息を吐いた。
「やべー今回は完全に負けた」
「勝てるとでも思ったのかね。といいたいところだが今回はなんとも…」
微妙に困ったような笑みを浮かべてロイは病院の窓から姿勢正しく出て行く女性を見送る。
「でもおかげで助かったんでしょうねぇ…。て。アンタが思ったより傷ひどくなくて良かったです」
意識を失ったときはもうどうしようかと。
とハボックがベッドサイドに近づき、ロイの顔をのぞき込んでニコと笑った。
そういえばこの男この間からなぜか浮かれている。
そう気付いてロイは少しばかり眉を寄せた。
この男浮かれるとろくなコトをしないからだ。
まぁ、なくしていた記憶が戻ったのだから当然かも知れないが。
「おまえこそなぜ入院服なんて着ている?」
「ああ、検査入院ですよ。一気に記憶が戻った形でしょう?なんか異変は無いかって医者が調べたがって」
「ああ、そういえば大丈夫なのか…その記憶無くしていた間の記憶とか」
「それが全然。もともと半端に思い出していたからなんかこう…ああそうだったのかって感じで霧が晴れたような気がするだけです」
「そうか…」
「だからちゃんと覚えています。あのときアンタがくれた言葉とか」
私の好きなお前と言ってくれたところとか。
「………」
「記憶喪失もなってみるもんですねー」
…道理で浮かれているわけである。
「忘れろ。そこは記憶喪失になってもとがめないでやる」
「ひどいなぁ、それより」
手を出して?
とハボックが言うのでロイが手のひらを返すとその上にハボックはその上に銀のプレートを乗せた。
「これ…」
「ええ、現場に落ちていたんですけどね。プレートに名前が入っているから俺の所に落とし物として来ちゃったんですよ」
「でもこれは…」
確かにお前のもので。ロイがあわててハボックを見上げると、ハボックはそれに目を合わせて。
「だって、アンタがちゃんと思い出したらくれるって言ったでしょ。だからアンタが付けてくれなくちゃ」
アンタのもんだって首輪だし。
もう一度ちゃんとください。
ハボックは照れくさそうに笑ってそっとキスを落とすと、付けてくれというように首を差し出した。
「最初あんなにいやがったのに」
首輪だと聞いて買い物に行くのをどれだけいやがったか。
ロイがその鎖を眺めてクスリと笑うとハボックもまた笑った。
「あのさ…前確かに自覚があるならそんなの要らないって言ったけど、自覚があるから意味があるんだなと思ったッス」
「帰り道を忘れたバカ犬には必要だろう?」
「それなんですけどね。俺ちゃんと帰ることは忘れてなかったみたいですよ。ずっと帰らなきゃ帰らなきゃって…それは思っていたみたいです」
だからあれほど糸の先ばかりみて、その先にアンタばかりを見て。
「だから、帰り道を忘れたんだろう?やっぱりおまえは迷子になる奴なんだよ」
「う…」
悔しそうに言葉に詰まるハボックにロイは吹き出しながらも、そっとその首に銀のチェーンをかけてやる。
右肩が固定されているからハボックの首に手を回すのはかなり骨だったがそれでもロイは自分で、その鎖をつなぎ合わせる。
それはつながった糸のように。
取り戻した絆のように。
「これでいい」
「ありがとうございます」
「今度はなくすなよ」
鎖でも記憶でも何でも。
「はい」
「それよりも私が退院したら私に買ってくれるんだろうな」
銀の首輪を。そういったな?いたずらっぽい目にハボックは嬉しそうに破顔する。
「ええ、ちゃんとあなたが帰ってこられるように」
「お前じゃあるまいし。私はそんなにドジではないよ。それに私がお前の所に帰るんじゃない。お前が私の所に帰るんだからな。いつでも」
ああいえばこういうの言葉にハボックはがっくりベッドになついて、それから笑い出した。
「何笑っている」
「いいえー」
口ではどういっても首輪は受け取ってくれるつもりらしいので。
「じゃぁ、首輪を買うまでの代理で…」
「お、おい!」
ハボックはロイの襟元をくつろげると鎖骨の窪みの下のあたりにきつく吸い付いた。
「…っ…」
「はい」
そこについたのはもちろん誰が見てもまがう事なきキスマーク。
「何をする!」
「いいでしょ。首輪の代わりに所有印。他の誰にもさわるなって」
首輪は迷子札であって、それは主人を表す所有印。
所有印ならば…これも立派な所有印。
「ばっ!ばか!検査の時とかどうすればいいんだ!!」
「いいじゃないっすか!見せてやれば。というか他の人に主張するためにあるとおもうんですよね、ああいうのって」
「見せられるかバカーー!!」
真っ赤な顔で震えるロイの力無いパンチを、ハボックは心底笑いながら受け止めて、それを身体ごときつく抱きしめる。
そんなやりとりに、ただこの人の側に帰れたことが今になって実感として湧いてくる。
「あ、そういえばいうの忘れてました」
「何を!」
「ただいま帰りました」
帰りました。
シンプルなただそれだけの言葉。
長い道を越えて、もしかしてずっと前から帰っていたかも知れなくても、この言葉があって初めて自分はここにたどり着く。
ようやく見つけ出した場所。
あなたのいる場所。
「………」
「大佐?」
「ばぁか」
「ですかね、やっぱり」
いうのもけっこう照れくさいんですけど…。
そんなハボックの言葉に驚いて目を丸くしていたロイだったが、やがてその顔は何よりも優しく、綺麗で柔らかい笑みにかわる。
そしてその手をさしのべて口にする言葉はただ一つ。
「おかえり…ハボック」
終
前 ■
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