水燿通信とは |
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360号『「アミーゴ」とつき合う法 ふだん着のスペイン語』野々山真輝帆著 |
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年の始めなので、楽しい本を紹介することにした。『「アミーゴ」とつき合う法 ふだん着のスペイン語』という本である。副題にあるように、スペイン人の特徴やスペイン人(スペイン語圏の人々も含む)とつき合う際に注意したい言葉の使い方などを、日本人である著者の目を通して語った本で、アミーゴとはスペイン語で友だちのこと。従って単語や言い回しの説明だけのところは、私のようにスペイン語のわからない人間にはあまり興味を持てないが、そのあたりは適当に飛ばして読んでも、十分に楽しめる本だ。 |
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スペイン人は日本人と真逆の価値観を有しているところが多いのだが、それらが個々の言葉の意味の歴史的変遷や社会の風習などを交えながら気取らない調子で描かれている。しかも著者自らが体験したカルチャーショックなども豊富に出てくるから、驚いたり呆れたり時には妙に納得したりしているうちに、ページはどんどん進んでいく。 |
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労働は悪? スペイン語の慣用句に「リタが働けばよい」というのがあるが、これは「他の者が働けばよい。おれは働かない」という意味なのだという。この国では、長い間、労働はユダヤ人やムスリム(イスラム教徒)によって担われ、キリスト教徒は祈祷と戦争に従事してきたため、長い間、物質主義や拝金主義は恥ずべきものと考えられてきた。「スペインやラテンアメリカでは、余暇は、再生産のため、創造的自己実現のために必要不可欠のものである。したがって、ワインを楽しみながら昼食を食べ、昼寝(シエスタ)する習慣は余暇文化の一部であるから、すてられない」のだ。労働をしない(怠惰である)、時間に支配されるのを嫌うといったスペイン人気質の背後には、このような考えがある。 |
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その最たるのが役人といわれ、彼らはオフィスでの8時間を煉獄と考えている。社会労働党(注)が政権の座についたとき、「国が機能するように」とタイムレコーダーを導入したが、これに対して役人は不満たらたらで、役所に何度通っても明日、明日と仕事を引き伸ばす体質は変わらず、結局この政策は失敗に終わったという。従って時間には極めてルーズで、遅れてきても謝る人はほとんどいない。彼らは英語圏の人はたやすく無意味に詫びると考えているようだ。 |
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しかしこの傾向は徐々に変わってきて、今(この本が書かれたのは1998年)では経済を重視する人が多くなってきているようである。社会労働党政権下、貧しい労働者の出身で金と権力を手に入れた新興貴族が注目されるようになり、スペイン人の半数ちかくは、ぬけめなくふるまえば一気に金持ちになれると考えるようになったらしい。特にビジネスの世界ではそうで、マドリッドで働いていた日本企業の人々も一様に「スペイン人はがめつい」と語っている。例えば、「他社に移る際決して事務の引きつぎをしない。やめた後もちょくちょくやってきて残務整理に精を出し、エクストラ・マネーを要求する。もっとよい条件で他社からの誘いがあることをちらつかせながら、昇給の交渉を巧みに誘導する」などなどだ。しかしプライベートな場面ではこれが一転、相変わらず騎士風となる。ただしこれはあくまでも仮面であって本心は違うので、十分に注意することが必要となる。 |
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プライドの高さも相当なもので、ここから怒りっぽい、不寛容だといった特質も出てくる。この傾向はラテンアメリカのエリートの場合、すさまじいまでのものになるらしい。 |
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女性は美しくあるべきもの スペインやラテンアメリカでは、女が醜く生まれることは最大の不幸と考えられている。インテリ女性でも美しくあることが最重要課題で、アメリカの大学で助教授だったペルー出身のある夫人は、フリルのついたドレスが好きで、きまじめな男性教師にそういう服は止めたらと忠告されても、まったく意に介さなかったという。 |
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体臭のこと 19世紀まで、スペインでは入浴やシャワーを使う風習がなかった。スペイン人は伝統的に入浴嫌いだったという。著者はマドリッドの国立図書館に通っていた1960年代後半、スペイン人の体臭の強さに苦しめられたという。だが日本に住むスペイン人たちは逆に「東京の満員電車はくさくてかなわない」という。「日本人は納豆くさい」という話も聞く。 |
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道路の王様は自動車 マドリッドの道路は凸凹で地面をにらめつけて注意深く歩かないとひどい目に遭う。しかも運転する人は歩行者のことなど考えない。信号無視はほとんど常識だ。歩行者の多い道では、自動車はわざとクラクションを鳴らしアクセルを踏む。殺されたくなければ歩行者はジャンプしたり走ったりする。違法駐車の多さにも驚く。無秩序がまかり通っているのがマドリッドの道路だ。 |
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「禁じることを禁じる」 これはマドリッド下町のレンガ塀に書かれていた落書きだが、スペイン人の特徴を見事に表わしている。彼らは禁止されればされるほど、ますます従うのを拒否するという。「ゴミを捨てるな」という表札を立てると、その場はたちまちごみの山になる。「禁○○」の貼紙は至る所にあるが効果の方は疑問で、むしろ逆効果だという人もいる。 |
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話好き 彼らはまた大の話好きだ。スペインではきまじめは揶揄の対象になる。人を楽しませる話術を心得ていることは出世の条件でもある。きまじめでつまらない善人より、悪人でも陽気で明るく話術に長けている方が好かれる。またそれぞれ自分の話が最高だと思っているから、同時に話を始めたときは相手を遮るために声を大きくする。相手も負けないで大きい声を出す。まさに騒音どうしの闘いである。「スペイン人は話しながら考える」といわれる所以だ。だからスペイン人は音には寛大だ。 |
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断ることが苦手でたとえ嘘でも教える スペインでは教えられないのは恥だと考えられており、それが役に立ちたいという親切心と合体して、たとえ間違ったことでも必ず教える。道を尋ねて誤まった情報を与えられたという経験のある旅行者は多いのではないだろうか。 |
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誘いの言葉には要注意 スペイン語では表面上の意味と真意を区別する必要があることが多いので注意が必要だ。食事時に訪ねた人に「いっしょに食事していきませんか?」というのは、追い出すための口実の場合が多い。他地域の人がそれを真に受けてのこのこ家に入り込んだりしたら、礼儀知らず、野暮と軽蔑されるのは目に見えている。何かを食べている時近くの人に「いかがですか?」などというのも同じだ。スペイン語にはアラブから入った儀礼的な表現が多くあることを知っておかなければならないようだ。 |
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「わたしの家はあなたの家」 「私の家」という意味の言葉がメキシコに輸出されて「あなたの家」という意味になった。スペイン人でさえ知らないこの意味の変化のため、さまざまな悲喜劇が起こっているという。著者はメキシコの婦人運動家たちの会合に招かれた時、傍らの女性のアクセサリーを褒めたら「これ、あなたのよ」と次々に差し出され当惑したことがあるという。もちろん、こんなとき「下さるのですか?」などといったら笑われる。このように同じスペイン語圏でも、国によって単語の意味や言い回しが少しずつ違う。これがタブー語となると問題はいっそうこんぐらがって来る。事前によく勉強しておく必要がある。 |
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語彙の先細り化 テクノロジーの時代になって、相手の話をゆっくり聞かず「vale(わかった)」で相手を黙らせる効率的なやり方が多くなった。また若者はいかなる状況にも応用可能な安易な感嘆詞を盛んに使うようになり、語彙は先細りの方向を辿っている。著者は「mono(かわいい、すてき)、bonito(美しい)の連発にうんざりする。・・・女の子やドレスがmono、bonitoなのはよいにしても、ゴヤの絵、ベートーベンの音楽、ピレネー山脈、アランブラ(ママ)宮殿に至るまでこの二つの形容詞で片付けられてしまうとフラストレーションが残る」と語っている。 |
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スペインとポルトガルの関係 イベリア半島を成すスペインとポルトガルだが、スペインはポルトガルをずっと無視し続けてきた。国の面積も人口もスペインはポルトガルを圧倒しており、積極的に意地悪をしてきたような歴史もあって、ポルトガルのスペインに対する不信感は根強い。両国は1986年のEC(EUの前身)加盟まで互いに背を向けてきたのである。 |
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ところが、両国の国境付近を実際に訪れてみると、そのような一般的な知識からは見えてこない国境の地域ならではの興味深い姿が見られる。 |
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スペインのガリシアとポルトガル北部は、密輸がおおいに栄えたところだ。警官と密輸商人はお互いそ知らぬ顔をし、よき隣人として暮らしてきた。徴兵逃れのポルトガルの若者がスペインへ、スペイン内戦中は人民戦線の兵士が多数ポルトガルに逃げた。便利な国境でもあった。ところが国境がなくなって、この地域の住民たちは密輸ができなくなった。じゃがいもや牛乳、家畜を売ることも困難になり、現地では当惑ばかりが目立つという。実際のところ、この地域のことは両国政府も長い間忘れていた。EUの首都ブリュッセルは推して知るべしである。 |
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さて、1993年のEU発足からすでに20年余、EUは加盟国が増えて規模も大きくなり、さまざまな問題も出てきている。昨年はイギリスの離脱が決まったが、これまでEUの様々な施策がイギリスに反対されて実現できなかったことが少なくない。また今月20日に就任するトランプ米新大統領はEU政策を大きく変える可能性が大きい。EU内でも、オーストリアでは昨年末の選挙でこれまでと大きく異なる政策を有する大統領が選ばれた。今年はドイツやフランスでも選挙があり、メルケル首相やオランド大統領が退陣する可能性が大きい。東欧諸国も政局は激しく動いている。 |
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スペインも政局は混乱しているし、ポルトガルとともに財政は破綻しかかっていて、両国の高い失業率はEUの大きな問題のひとつになっている。 |
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EU自体これから大きく変容することだろう。 |
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この本が出版されてからすでに20年近く経った。スペインの社会は、ここに描かれているものから大きく変わったのだろうか、それとも相変わらず同じようなものなのだろうか。興味深いところである。 |
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(注) | 1982年10月の総選挙で大勝利し、政権についた。同党は、政権につく数年前まで地下活動をしなければならなかった政党である。フェリーペ・ゴンサレス首相の下、多くの大胆な改革を行なった。 |
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※ | 野々山真輝帆著『「アミーゴ」とつき合う法』 晶文社刊(新本、古本ともに入手可) |
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※ | 256号では、スペインと日本を行き来して活躍している画家堀越千秋(昨年10月、マドリッドで死去。享年67歳)のエッセイ集『赤土色のスペイン』(2008年弦書房刊)を取り上げている。今回取り上げた本の理解の参考になるので、一読をお勧めしたい。 |
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(2017年1月10日発行) |
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発行人 根本啓子 |