水燿通信とは |
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342号八月の赤子はいまも宙を蹴る宇多喜代子 |
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俳人宇多喜代子は、読者に対して解釈を規制することになると思うから、自句自解は苦痛だと語っている(注1)。その宇多が、珍しく〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉に関して言及している文に出逢った。『俳句』に連載されている「俳句と歩く 戦後生まれの俳人たちへ」の37回目「よしこがもえた」(2014年4月号)である。 |
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宇多喜代子の作品には〈赤子〉(赤ん坊)を詠んだ作品がいくつかあるが、それらの多くは2011年以降の作品を収録した「円心」(単行句集としては未刊行)に収められている。このことだけを考えると、東日本大震災が句作の重要な契機になっているように思われるが、それでは大震災以前の作品の説明がつかない。現に、冒頭に紹介した句は、この大震災の前に作られた作品を収めた句集『記憶』(2011年5月刊)の中にある。 |
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〈八月の〉の句の場合、私は、「赤ん坊よ、往く手には厳しい現実が待っていようとも、手足を思いっきり動かし大声で泣いて、元気で育ってくれ」というエールを送っているのだろうか、などと思ったりもしたが、実際のところよくわからずにいた。 |
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さて、「よしこがもえた」中の、この句に触れている部分を引用してみよう。長くなるが、重要なところなのでお許し願いたい。 |
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この句を作ったのは平成十四年だったのだが、赤子の受難に遭遇するたびに、まるで新作のように思い出す。 |
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東日本大震災のあった年の七月、…気仙沼に行った際、…道を訪ねた三十代の女性と話していて、自分の家の近くに赤ちゃんがころんと転がって亡くなっていましたという話が出た。…「赤ちゃんが、仰向いて、元気に手足を上げて」と、死んだ赤ん坊の様子をぼそぼそと話した。ああ、この赤ん坊もそうか。 |
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なぜだ、なぜ死ぬ赤ん坊は「元気に手足を上げて」いるのか。この句を作った年の夏、中東の戦渦で炭化状になって転がっていた赤ん坊の写真を報道誌で見たとき、猛然とわき上がった「なぜだ」である。かろうじて人の形をした炭のように真っ黒になった赤ん坊が「元気に手足を上げて」いたのだ。 |
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そのとき、なぜだ、あの子と同じだ、と思い心身の震える思いにかられた。あの子とは、昭和二十年七月二十七日の未明に私が空襲を受けた日に見た真っ黒な赤ん坊である。… |
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まだ立つことの出来ないその子も、中東の子も、気仙沼の子も、赤子は絶命の間際に思わず母親に救いの手や足をさしのべ、そのまま息絶えたのではないか。幾度もなぜだと思ううちにそう思い至った。 |
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…いまもどこかで多くのヨシコや節子(注2)や赤ん坊が燃えている。赤ん坊は泣くことでしか生きていることを伝えることができない。世界中の赤ん坊よ、私を殺さないでといっせいに大声で泣けばいい。避難所や仮設住宅で赤ん坊が泣くと迷惑だから、と子を抱いて戸外に出ていますという被災地の母親も赤ん坊も、憚ることはない。多いに泣けばいい。 |
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短夜の赤子よもつともつと泣け 喜代子 |
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つまり、この句を詠む動機となった〈赤子〉は、空襲や戦渦、自然災害などで突然命を絶たれた幼子の死の際の姿だったのだ。 |
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この句の中の〈いまも〉は重要だ。ここには、人類はこれまで、殺戮や破壊、戦争を絶えず繰り返し、その度ごとに幼児を含む多くの人びとの命を無惨に奪ってきた、なのにそれに対して何の反省も悔いもなく〈いまも〉相変わらず同じように殺戮、争いを繰り返している、という人類に対する作者の明確な批判や、理不尽に命を奪われた幼子への鎮魂の想いなどが込められているのだ。 |
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また〈八月の〉の〈の〉は切れ字的に考えるべきだろう。〈八月の赤子〉と限定するのではなく、日本人にとって特別な思いを持つ月である太平洋戦争降伏の月を背景に置くほうが、句全体のふくらみがはるかに大きくなる。俳句とは、たった17文字でこれだけのことが描ける詩形だといえる。 |
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若い頃は、作者の想いを存分に表現できる短歌が好きだった。だが、齢とともに徐々に、歌人の自己愛の強い詠みぶりが鼻についてきた。そしてそれと反比例するように、わずか17文字しか使えないことから来る省略、断念という特徴が、かえって読者に多様な鑑賞を許し、味わえば味わうほど中に潜む奥深さを感じさせてくれる俳句の魅力を感じるようになってきた。 |
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〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉、何度もくり返し味わいたい作品である。 |
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(注1) | 『俳句』誌では〈赤子〉の句が収録されている句集『記憶』の刊行に際して「宇多喜代子句集『記憶』を読む」の特集を組んでいる(2011年10月号)。その中の「著者インタビュー」で掲句に触れた部分があるが、宇多は「自句自解は読者に対して解釈を規制することになると思うから、私には苦痛です。自解しなくても1句には読むきっかけが何かあるでしょう」と語っている。またこの句に関しては「これは戦争中に『赤子(せきし)』と言われていた、あの赤子のことでしょ」と言われたことがあるとも述べているが、それもその方の解釈だろうとして、肯定とか否定はしていない。 |
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(注2) | 「ヨシコ」は6歳のとき姫路空襲で3歳の妹を「殺された」体験に基づいて書いたたかとう匡子の詩集『ヨシコが燃えた』に登場する妹。田島征彦の絵と共に絵本にもなった。また「節子」は野坂昭如の『火垂るの墓』に出てくる戦災孤児になった兄妹のうち、衰弱死した妹のこと。 |
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* | 『俳句』誌に連載されている「俳句と歩く」については、340号を参照。 |
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紹介 |
| 「積極的平和主義」って? |
若松丈太郎 |
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| 騙されることは嫌なものだ のちのちに気づいたときの 悔しさは一生つきまとう |
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| | 「遂げよ聖戦 興せよ東亜」 大東亜共栄圏建設のための聖戦を成し遂げよう そのためには 「進め一億火の玉だ」「撃ちてし止まむ」 |
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| | 騙されていたことを知った 一九四五年わたしが十歳のとき 東アジア共同体をつくろうとしたのではなかった 領土拡張・資源獲得のための侵略戦争だった 騙された悔しさは一生つきまとう |
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| 福島第一核発電所がある双葉町 そのメインストリートにアーチがある 「原子力 明るい未来のエネルギー」 そう信じ込まされた十二歳の少年 彼が考えたスローガンが掲げられた |
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| 二十三年のちに福島第一核発電所が核災を起こした 双葉町でひとは暮らせなくなってしまった 「原子力 明るい未来のエネルギー」 そのアーチを双葉町は撤去しようとしている |
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| スローガンを考えた少年は二〇一五年に三十九歳 双葉町と町議会とにアーチ撤去反対を申し立てた 故郷の町をズタズタにした〈ひと〉の愚かさを 後世に伝える負の遺産として アウシュヴィッツの「ARBEIT MACHT FREI」のように |
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| | 「遂げよ聖戦 興せよ東亜」 「一億が みんな東亜へ散る覚悟」 「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」 |
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| | だれもが受け入れたのではなかったにせよ だれもが受け入れたこととしての結果だけがある 七十年のちの八十歳の老人はいまも考えつづける 騙されない生きかたをするにはどうすればいい |
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(『詩と思想』2015年7月号) |
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*「ARBEIT MACHT FREI」…ドイツ語。大意は「労働は自由に通じる」 |
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(2015年8月15日発行) |
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発行人 根本啓子 |