水燿通信とは
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340号

稲は畸型植物だ

 レイチェル・カーソン著『沈黙の春』(注1)の解説としてまとめられた筑波常治の文の中に次のような個所がある。
 家畜や作物は、いずれも野生生物から進化した。人間の利用目的にかなうように“改良”されたものである。この改良という言葉自体、はなはだ人間本位の用法である。人間の利用する部分、ブタならば肉、イネならば種子、キャベツならば葉、ダイコンならば根、といった各器官を、人間の利用に有利なように改造することをさしていうわけだが、自然界の生物としてみたらどういうことになるか。それは身体の一部の器官だけが、他の器官とくらべて不釣合に肥大化させられることを意味している。つまり生物としては畸型になり、生活能力において虚弱化する。これが家畜および生物を改良するということのもうひとつの側面である。イネがゆたかにみのった状態を、「黄金の穂がたわわに――」といった表現であらわすが、それを天然の植物としてみれば、あまりにも穂の部分だけが巨大化しすぎてしまい、まっすぐにたっていることができなくなった不健康な状態である。
 『沈黙の春』は私もかつて読んだことがあるが、筑波のこの文は記憶していなかった。ところが最近、宇多喜代子の「我に触るるな 臨界線のほとりで」(注2)という文章の中でこの部分が引用されているのを読み、強い衝撃を受けた。おそらく、私たちが日頃から食している身近な食物について具体的に述べていることも、そう感じた原因のひとつであろう。
人間は実は非力なのではないか
 私は以前、「鯨と象は会話ができる、人間がそれを知らないのは、人間の聴覚ではとらえられない低周波の音声をこれらの動物が使っているからだ」ということを、福岡伸一著『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(293号で言及)で知り、人間とは案外非力な存在なのではないかと感じた。しかし人間をこのようにとらえる考えは、現在ではほとんど通用しないものになっているのではないだろうか。
 かつてヨーロッパでは、哲学、神学、文学のすべての世界で、技術は自然に及ばないと考えられていたが、徐々に人間が自然の上位に立ったという自覚が出てき、さらに近代科学はおのれの力を過信するとともに、自然にたいする畏怖の念を忘れ去っていった、という(山本義隆著『福島原発事故をめぐって――いくつか学び考えたこと』)。
 現在では、このような〈人間の力は自然の力を凌駕しうる〉といった傲慢な考えが、ヨーロッパに限らず全世界で当然のようになってきているように思う。時に巨大な自然災害などによって、この考えは徹底的に否定されるのだが、それでも結局、人間の力を過信する方向に性懲りもなく戻っていく。
 私は、人間は知力で他の生物を圧倒するものであるから、地球上にある全生物のヒエラルキーのトップに在る資格があると一般に信じられているのも、単に人間の知の及ぶ範囲でそのように考えているだけなのではないか、人間の想像の及ばない力を有している存在――それが何であるのか今の私にはわからないが――が、こういった人間のあさましい所業、ひたすら滅亡に向かっているかもしれない所業を、ひややかに凝視しているのではないか、などと想像することがある。
 人類は、この先、一体どこまでこの人間本位のやり方を進めて行くのだろうか。
人間に許される臨界線とは
 宇多喜代子は「我に触るるな 臨界線のほとりで」の文末近くで述べている。
 生きものの一種である人間は、今や改良の恩恵なしには生きてはゆけなくなっている。…しかし、今後、地上に人が増えるという予測が当たれば、人間は異種の交配によって環境に強く多収穫が期待される遺伝子を持つあらたなハイブリッド穀類(雑種穀物)を作るだろう。トルとなればあらゆるものの母集団までを採り付くし獲り尽くす。そして食い尽くす。敵対するものを撲滅し尽くす。人が手を加えて姿を変えた草木鳥獣が、やがて大声で「我に触るるな。」と言い出すだろう。そのとき、人間に許される臨界線というものを思い出すのはどこの誰だろうか。
 この問いかけに、真摯に向きあうことは怖ろしい。『沈黙の春』を読めば、人間によって均衡を破られ痛めつけられた自然界が、あるとき、突然恐ろしい力を持って人間に襲いかかる例をいくつも知ることができる。にも拘らず、私には、その時に至ってもなお、自分たち中心のやり方を推し進めていく人間の姿しか浮かんでこないのだ。
(注1)この本は、化学薬品は人間の生活に大きな便宜をもたらしたが、その一面で自然均衡を破壊する恐ろしい因子にもなりうることを指摘、警告を発した本で、1962年の出版以来今日に至るまで、世界中で広く読まれている。
(注2)『俳句』誌に連載されている「俳句と歩く 戦後生まれの俳人たちへ」44回目のタイトル。2014年11月号に掲載。この連載は、俳句に関わらせながら、かなりの高齢者を除き現在の日本人の大半が体験していない、またはほとんど意識することもなくなって忘れたも同然となっている様々な事柄について、注意を喚起し考えさせてくれるものである。私も教えられることが多く毎回愛読していたが、本年5月号の50回をもって終了した。
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〈今月の一句〉
生き急ぐ馬のどのゆめも馬攝津幸彦
 攝津幸彦(昭和22年〜平成8年)の句集『鳥屋』(昭和61年刊)に収録されている作品。川名大『現代俳句』のこの句の鑑賞から、一部引用させてもらおう。
…競走馬として純血交配を重ねて優良種とされてきたサラブレッドの悲しい宿命。そしてGTを制すべく、人間によって調教に調教を重ねられてきた悲しい境涯。彼らは人間が敷いたゴールに向かって生き急がされてきたのである。その馬がそれぞれに見る夢は、どの夢もみな本来の「馬」として生きる夢なのだ。生き急ぐサラブレッドたちは、…たて髪を靡かせながら草原の大地を蹴って軽やかに自在に疾駆する自画像を描いている。……
 彼らもまた、人間の好みで馬の「畸型」とされた、と言えるのではないだろうか。「馬」を「人」と置き換えてみたくなるような切なさの伝わる句である。
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聖パウロ女子修道会が60年にわたって発行してきた月刊誌「あけぼの」がこの4月号で休刊し、その感謝号と称する号が5月の半ばに送られてきた。私はカトリック信者ではないが、ある縁で二十数年前から毎号読んできた。
「あけぼの」は平和というものに真摯に向き合う姿勢で編集されていて、学ぶべきところの多い雑誌であった。「感謝号」には、「今を視る 未来を視る」という特集のもと、これまで本誌に登場することの多かった人々の文が寄せられている。そのなかから、2編を選んで、その一部を紹介したい(…の部分は根本が略した個所)。
・「若者の旅に思う」(藤原新也 写真家)
 …三年前に…ガンジス川中流沿いに位置するバラナシを訪れると…あの懐かしい七〇年代バックパッカーが数多くそこに居たのだがそれは日本人ではなく、ほとんど韓国人や中国人だった。このインドにおけるこの一点の光景は世界地図上から日本の若者が“退潮”しつつあることを想像させた。
 日本の若者が旅をしなくなった理由を…二〇〇〇年代の若者の労働環境の厳しさに求める論調に接したことがあるが、私個人はそれだけの理由ではないように思っている。
 四年ほど前、ある雑誌で催した、トークショーで旅をテーマにした話をしたことがある。…質疑応答の中で二十代後半とおぼしき青年から面白い意見があった。「今の日本の環境は…世界各国から大勢の外国人が訪れるし…その国のことも知ることができる。だからわざわざ外国を旅しなくてもいいのではないか」…この青年の思考回路はいかにもネット世代らしく、面白いとは思ったが、私は現実や世界に向かって自らを閉ざして行く昨今の若者の“自閉的傾向”をそこに感じ、次のように述べた。
「私がアメリカを旅していた時のことだけどね。ラスベガスで車を運転していて横断歩道の前まで来たとき、右手に二人の若い白人女性が居たんだ。信号は青だったが私は車を停め、通っていいよという軽いジェスチャーをした。女性たちは歩き始めた。そして私の乗った車の前を通り過ぎた直後、振り向きざまに言った。
  チーニ!
 つまり野蛮なチーニ(中国人の蔑称)のくせに洒落た真似をするな、という意味だね。日本から出ることのない君はそういった外国人と出会うことは決してないんだ。…旅とは絶対的な他者と出会うことであり、時にそれは殺意すら覚える他者であるかもしれないんだよ」
・「戦後70年、これからの100年の平和を願って……」(森一弘 カトリック司教)
 今もって私の心象から拭い去ることができないものは、七十年前の米軍のB29による大空襲によって破壊され尽くした横浜の光景である。七歳のときのことである。…その光景は、今の私には、エゼキエル書の「骨だらけの谷」の描写に繋がってゆく。
「主は、その霊によって私を連れ出し、とある谷のただ中へと導いていかれた。そこは骨に満ちていた。主はその周辺一帯を、私を連れて回られた。谷は一面おびただしい骨で埋まり、しかもそれらは枯れきっていた。」(エゼキエル三十七・一、二)
 …社会の発展はそれ自体尊い営みなのだろうが、しかし、経済的な発展や物の豊かさ、快適な生活には、私は極めて懐疑的である。少年期に心の奥に刻み付けられてしまった思いから抜け出すことができず、すべてはいずれ崩れ、廃墟になってしまうだろうという思いが生きているからである。……
アメリカの詩の雑誌『Shabdaguchha』からの依頼で、日本の詩人6人の詩3編ずつが英訳されることになり、当通信336号で紹介した若松丈太郎の詩「わたしが生きた時代」もそのひとつに選ばれました。訳者は詩人で東洋大学名誉教授郡山直です。
(2015年6月20日発行)

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発行人 根本啓子