水燿通信とは
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329号

何をしていた蛇が卵を呑み込むとき

鈴木六林男(句集『一九九九年九月』平成11年刊)

 蛇が卵を呑み込もうとしていたときどうしていたか、この句はそう問うている。では誰に? おそらく、それは他人に対してと同時にいやそれ以上に、自らに問うているのであろう。
 鈴木六林男(むりお)、大正8〜平成15年(1919〜2004)。大阪生れ。第二次世界大戦中、フィリッピンのパターン・コレヒドールの激戦で腕に傷を負いながらも命だけは取りとめた。その体験を風化させず、時代状況に対して常に批判意識を持ち続けて俳句を作った。
 冒頭の句、初出は『俳句』平成7年8月号。この句を見ると、彼の姿勢は敗戦後半世紀も経った平成になってからも変わっていないことがわかる。
 〈蛇が卵を呑む〉は単なる自然界の出来事というよりも、むしろ人間社会に起きたひとつの大きな変転を暗喩しているとみるべきだろう。そのとき、あなたは何をしていたか、自分はどうしたか、単にそう問うているというよりも、自らを含めた大半の日本人に対して「何もしなかったではないか。何もせずその事態をやり過ごしたではないか」と詰問して居るように私には思える。
 この句に接すると、私はいつも『映画春秋』創刊号(昭和21年8月号)に載った伊丹万作の「戦争責任者の問題」という文(『新装版 伊丹万作全集』一)筑摩書房 1961年初版所収)を思い出す。長くなるが、この文の論旨を順を追ってみてみよう。(新旧仮名遣いが混在しているが原典のままとした)
多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。
多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。
だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいない。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さ、ラジオのばかばかしさ、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
だれが一番直接に我々を圧迫しつづけたかというと、近所の小商人、隣組長や町会長、あるいは郊外の百姓、区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者、学校の先生といつたような、あらゆる身近な人々であつた。つまり戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつたのである。
だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。 だまされるということ自体がすでに一つの悪である。
だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。そしてまた、 同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
 特に最後の棒線を引いた部分、今の私たちに問いかける意味は重い。
 今、日本の社会は様々な面で大きく変わろうとしている。福島原発事故の収束の目途も立たない状態の中で、戦争が自由に出来る国になり、国の仕組みを根底から変えるTPP(単なる農産物の関税の問題などではない)が締結寸前であり、近隣諸国と積極的に争う姿勢を示している。消費税は間もなく10%に上がろうとしている。しかし、大半の日本人は何に対してもほとんど問題意識も危機意識も抱かず、様々な変化に対して何の異議も唱えず諾々と認め従い、一見平穏な今の生活を享受して居るように感じられる。あるときそれが突然変わったら、多くの日本人は初めて驚愕し「こんなはずではなかった、だまされていた!」と、また繰返すのであろうか。
 これでは、日本人は第二次世界大戦の敗戦から何も学んでいないことになるのではないか。少なくとも私はそう感じるから、鈴木六林男の掲句を反芻し、報道を鵜呑みにせず、自分で考え自らに対する問いかけを常に忘れず、何かが起こっても「だまされた」でことを済ませるようなことのないようにしなければと、自らに言い聞かせている。
 しかし、こういった述懐も、戦後70年近くも経った現在では、大半の日本人にとっては、年寄りの単なる繰言にしか聞えないのかもしれない。
 最近、ある大学教授が学生から「日本がアメリカと戦争していたって本当ですか?」と真顔で尋ねられて驚愕したという話があったし、私の周辺でも、例えば飲み屋でアルバイトしている学生や、20代後半の美容師などに、戦争といわれると何を思い出すかを訊ねると、決まって日本が戦争をした第二次世界大戦のことはおろか、ベトナム戦争のことでもなく、「せいぜい湾岸戦争くらいかなあ」という返事が返ってくるのだから(註)。
(註)宇多喜代子は『俳句』に連載中の「俳句と歩く23回目で、私と似たような感慨を漏らしている。昭和10年生れの宇多は、第二次世界大戦後の生々しい記憶を持ち、戦中のことも覚えており、出征したまま帰らなかった父親を持つ人たちと同世代であり、代用食という名のイモ、カボチャ、雑炊などで飢えを凌いだ世代であると語り、続いて次のように述べている。
不断に「戦後」の向こうにある「戦中」とは、「戦前」とはと窺がっている。だが……最近、「戦後」がピンとこないとか、あなたはよくよく「戦後」というのが好きね、「新時代の」とか「次世代の」ならいいのに、とよく言われたり、「戦後」と書いたものを「第二次世界大戦後」に書き換えてほしいと指摘されたことがある。
第二次世界大戦時の町内会、隣組などにおける女性たちの活動ぶりを冷徹に描いた若桑みどり著『戦争が作る女性像』(123号で取り上げている)も是非併読されたい。
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〈興味ある言葉〉象鼻杯(ぞうびはい)
 過日、「法華寺の年中行事」(古都奈良の古刹巡礼)という講座で知った言葉。同寺には法華寺蓮という蓮が庭園華楽園にあるが、その葉に酒を注ぎ、中が空洞になっている茎をストローのように使って中を通して呑むのだという。蓮の香りのする酒となって、なかなかおいしいらしい。食が細くなりがちな暑い時期に行なわれるのだという。
象鼻杯浮き腰をして戴きぬ大石悦子
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〈今月の一首〉
歳月はその輪郭をあはくする静かに人は笑みてゐるとも
永田和宏
 今年の宮中歌会で、詠進歌選者を勤めた永田和宏が詠んだ作品。この歌人の大ファンである友人が教えてくれた。
 亡くなってからの年月の経過と共に、深く愛した人の面影も徐々に淡くなっていくものだという感慨を、しずかに淡々と述べた作品だと理解して、勿論構わない。
 だが短歌界のことをいくらか知っている人であれば、この〈静かに笑みてゐる人〉は作者の妻河野裕子であることに、すぐ推測がつくだろう。河野裕子は2010年8月12日、乳癌のために亡くなった。
 この夫婦は共に、有名な歌人で全国紙の歌壇の選者でもあり、短歌結社「塔」を主宰していた。長男、長女もやはり歌人であり、長女永田紅は若くして現代歌人協会賞を受賞したりしている。そしてこういった歌壇における一家の華々しい活躍よりも何よりも、とにかく二人は夫婦仲のいいことでよく知られていた。女性歌人の間では“河野さんには「彼には絶対近づかせない」といった迫力があった”といわれるほどのものだった由。
 河野は乳癌が再発してからも旺盛な作歌活動を続け、闘病中は作品だけでなく文章もいくつもものにした。亡くなった後は、彼女のベッドの傍らにあったテイッシュペーパーの箱、薬袋などに書き散らされていた作品なども丹念に集められて、次々と発表された。永田和宏もエッセイ『もうすぐ夏至だ』、『歌に私は泣くだらう 妻河野裕子闘病の十年』、歌集『夏・二〇一〇』、共著として『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』などを著している。こういった作品や文は、多くの人に読まれ感動を誘ったことと思う。
 だが私は昔から、闘病を絡めた作品は、読者の関心がその悲劇性にばかり奪われ、純粋に作品として味わわれることが少ないような気がして苦手意識があり、河野裕子、永田和宏の作品の場合も「きっといい作品が多いのだろう」と思いつつ、これまで頑なに接するのを避けてきたように思う。
 だが、友人が教えてくれたこの作品は、実にいい。そして河野が亡くなったのはつい最近のように思っていたけれど、もうすでに3年半(歌会始の時点で)も経ったのだなあと気づき、改めて時間の流れの迅さに驚いた。
 この歌に対して友人は次のように語っている。
 心を動かされた人も時間の経過と共にその輪郭が淡くなる……、私の年代では共感する人も多いのではないでしょうか。人生、その時間、歳を重ねるほど不思議なものに思われます。……永田和宏さん、河野裕子さんが亡くなってからの方が素敵な歌を詠んでいるようにも思えるのですが……。彼女の呪縛から解放されたのでしょうか????
 とてもすてきな感想で、心から共感する。友人の最後の言葉、河野裕子が聞いたら激怒しそうなものだが、案外正確なところを突いているのではないだろうか。
(2014年8月15日発行)

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発行人 根本啓子