水燿通信とは
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123号

『戦争が作る女性像』

(若桑みどり著)

 正直言って読み通すのが辛い本だった。初回は途中で投げ出してしまった程だった。時代や状況によって人間がいかに愚かしくなるかということを、これでもか、これでもかと見せつけられる感じで、耐え難かったからである。
 しかし現実に目を向ければ、自民党、社会党(当時)、さきがけ3党の村山連立政権が、極めつけの無能振りを示しながらも(阪神淡路大震災後の対応など)、とんでもない施策を次々と打ち出した(自衛隊合憲、宗教法人への破壊活動防止法の適用問題、公的資金の導入を持ち出した住専問題など)のにもかかわらず、国民の間からはさしたる批判も起きない時期だった。何十年か先の国民からみたら、何も声を出さない今の自分たちだって十分批判される立場にあるのではないか――、そう反省した私は、気を取り直して再び本書を読み始めた。
 この本は、第二次世界大戦中に、日本の軍部が女性の役割をどのように位置づけ、女性をその役割へと動員するためにどのようなプロパガンダを行なったかを、マスメディアにおけるイメージを通してあきらかにしようとしたものである。
 婦人が小さな世界(家庭)の面倒をしっかりみて初めて、男は安心して大きな世界(国家)のことをみることができる、といった論理の下に、戦時体制下でも女性は能う限り家庭を支える役割に限定され、将来の兵士たる“天子の赤子”を生み育て(「産めよ、殖やせよ」というスローガンがあった)、銃後を守って家族制度を維持し、ひいては共同体の秩序維持に努めさせられた。だが戦況の変化、悪化に伴って女性の労働力が必要になってくると、女性は国策に沿って巧みに動員されるようになる。その最も大掛かりなものとしては軍需産業への動員があり、最終的な局面ではひめゆり部隊のように戦闘員になることである。
 動員に際してとられた効果的な方法の一つとして、社会的に活躍している知的な女性を女性側のオピニオン・リーダーとして体制に参加させ、地位と名誉を与え、発言させるというものがあった(本著では「チア・リーダー」と呼んでいる)。女性の地位向上、権利拡張などの運動を中心になって展開していた当時の進歩的女性運動家が、なぜ易々と翼賛政治体制の枠組みの中に取り込まれていったかの解答がここにある。彼女らは“はじめて政府当局が自分たちを公の地位に引き上げてその意見を聞いたことに感動し、女性の地位やその意見が政治に反映される時期が到来したのを喜んだ”。そして積極的にオピニオン・リーダーとなり、戦争という競技場を囲んで女性大衆の先頭に立って歓声を送ったのである。
 もともと一般的な女性は、国家のために献身的に働く機会を待ち焦がれていた。長い間、“育児、家事という私的領域に閉じ込められ、自分たちをつまらない存在と考えてきた”女性たちは、今や“その存在の重要さを認められ、くだらぬこととされていた妊娠や出産や育児に国家的な名誉を与えられ、家事や家庭の日常茶飯事までもが国家の大事であるということを言われたのである”。多くの女性たちが熱狂的に活動した。
 町内会、部落会、常会、隣組などのごくミニマムな部分においても、多少とも指導的な立場にいる女性たちは、かっぽう着にモンペをはいて、活気にあふれて活動していた。……彼女らの熱狂はまさしくチアリーダーとしての熱狂であった。
 戦時中の女性の手記に出てくる批判的な、また悲惨な事実はそのことを表していない。活気に満ちていた人々は手記を書いていないのだ。このことをこのように語るのは筆者もまた証人だからである。筆者は幼児であったが、町内会の女性たちの興奮状態をよく記憶している。彼女たちはまた「不穏分子」の密告者であり、相互監視人としてよく機能していた。彼女らは町内にいる他とは違った人物たちを見張った。彼女たちによってすべての家はガラス張りになり、一つになった。……。
 女性たちの戦時における活気は、家父長制の下辺と周縁で無名の歴史をもたない存在であった女性たちにとって、その潜在的欲望と能力の発露であった。
 こういった側面を、我々はなかんずく女性は厳しく見据えなければならない。一般に流布されている「戦争は争いを好む男性のやることで、女性は一貫して平和を願い息子を夫を戦場に送り込まないように努力してきた」といった思い込みや、「戦争協力も本意ではなかった。そうするように強いられただけだ」といった弁明は、はっきりと問い直されてしかるべきだろう。
 そして戦争が終りこの熱狂も去った。その時、女たちはいっせいに本来の家庭に復帰させられ、戦時中の自分たちの貢献が女の地位向上に何ひとつ寄与しなかったことを知る。敗戦の虚脱の中でのこの感慨はなんとも苦い。
 本著の後半は、戦時下に出版された婦人雑誌の表紙と口絵を数多く取り上げて、その意味や意義、描かれた意図などを考察しているが、当時の状況が生々しく伝わってくる。個々の作品の評価に関しては、私は何かをいえる程の専門的知識を持ち合わせていないが、西洋絵画に詳しい知人の話によると、優れた専門書を多数著している西洋美術史家の手になるものだけあって、鋭い視点を持つ極めて適切なものだということである。
 著者はあとがきで、この本の作成に協力してくれた40代と30代の二人の女性にも言及しながら、こう述べている。
 この本を手にとり、あとがきから読まれた読者は、この本を捨てるか、あるいは読むかをもうお決めになったことであろう。最後に、この本を捨てる人にも言っておきたい。…土器屋さんと金谷さんには、……事実関係の再調査で大変な協力をいただいたのだが、彼女らはいつも心から私に言うのだった。
「こんなに信じられないほどばかなことが私たちの親の時代にあったのですね!」
 そうです。こんなばかなことがあったのですよ。母親である女たちに、母親となるすべての女たちに、否、すべての女性たちに、世代を越えて伝えなければならないことがあるのですよ。だから私は書いたのです。
 そう、読みたいから読むのではなく、読まなければならないから読むという本もあるのだ。この本はまさしくそういった類の本なのだと思う。
『戦争が作る女性像』(1995年9月20日発行 筑摩書房刊 2200円)
(1996年8月15日発行)

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発行人 根本啓子