水燿通信とは
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321号

昔男ありけり雪の墓なりけり

大石悦子(『耶々』平成16年刊)

 「昔男ありけり」といわれれば、誰しも思い浮かべるのは、平安時代初期に成立した歌物語『伊勢物語』各段冒頭に出てくる語り出しの文句であり、そこに登場する「昔男」、つまり在原業平のことであろう。また同著9段で、京を捨てた男が東(あずま)の方に下る途次、三河国八橋でかきつばたを見、その花の頭文字を各句の頭において〈唐衣著つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ〉と詠んで人々の涙を誘ったことや、武蔵と下総の国境を流れる隅田川で都鳥と呼ばれる珍しい鳥を見て〈名にし負はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしや〉と詠んだといった話は、広く人口に膾炙している。能楽にも「井筒」「杜若」「隅田川」など業平が登場する曲はいくつもある。また平安時代の歴史書『三代実録』に「体貌閑麗放縦にして…善く和歌を作る」と評されたそのうるわしい男振りや和歌の才によってもよく知られている。
 馬場あき子もその著『鬼の研究』第2章「鬼を見た人びとの証言」の1「鬼に喰われた人びと」の中で、この在原業平について語っている。
 馬場は『伊勢物語』の第6段にある「業平が長年思い通い続けた二条后高子(たかいこ、当時はまだ年若くただ人だった)をその住まいから盗み出し芥川を渡ってはるばると行ったが、風雨雷に遭い、女を蔵の中に入れて守っていた。夜が明けると、女は鬼に食われて形もなかった」という話に触れ、この後に続く「御兄堀川の大臣、太郎国経の大納言、まだ下らふにて内にまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをききつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり」という文を紹介し考察している。
 高子の兄国経・基経は、まだ地位は低かったものの当時もっとも将来を約束された青年公達であった。彼らにとって未来の后の候補者でもあり将来の自分たちの運勢を左右するかもしれない妹の高子は、血筋以外に誇るものとてない業平などは近づかないように厳しく警戒しておかなければならない存在であった。そうであればこそ、業平にとって高子は、女性としての魅力だけでなく、政治のために生まれ存在する女としての禁忌の魅力を持っていたわけで、不遇の血筋を持ち「身を用なき者」にみなす無頼の血が流れていた業平にとって、悲痛な〈みやび〉の対象となりうるものでもあったのだ。高貴の女性を単身盗み出すという大胆不敵な行動を起こしたことは、決して女好きで優柔な男の行為などではなく、せいいっぱいの抵抗に支えられた反社会的なものであったのだ。
 だが、業平の抵抗もここまでであった。業平の後を懸命に追跡してきた国経・基経によって高子が発見され(内裏に行った時にたまたま妹の危機に出会ったように書かれているが、これをそのまま信じることは出来ないだろう)、これまで厳しい警護の隙をぬって通い続けた高子が、今度はもはや決して手の届かないところに連れ戻されていくのを、業平はなす術もなく見ているしかなかった。だが、業平は現実の権力を代弁する高子の2人の兄を認めず「それをかく鬼とはいふなりけり」という無理で哀しい決着をとるしかなかったのである。(「高子の兄国経・基経…とるしかなかったのである」の部分は、馬場あき子の同著から多く引用して成り立っているが、一々それを表示するのはいたずらに文を読みにくくするだけなので、引用部分を示すかぎかっこは省略した)
 私にとってここに描かれている業平は、他のどのような業平よりも魅力的である。そして当時の人々もまた、その実態がはっきりわかっていながら真相を明らかにすることを認めたくなかったりはばかられるような場合に、お互いひそかに目配せをしながら「それをかく鬼とはいふなりけり」とつぶやいたのだと思う。この魅力的で含意の深い表現に、私は人々の耐えるしかないやり場のない心情、生きるためのしたたかな智恵、時代のこころなどを想った。
 いささか、在原業平のことにこだわりすぎた。冒頭の句に戻ろう。
 作者は、雪に埋もれた業平の墓(実際に存在するのか知らないが)を目の前にしながら、こういった業平の生涯を想い、そして業平が生きた時代から流れたはるかな時の長さを感じている、というのがもっとも素直で順当な味わい方かもしれない。あるいは墓は業平のものでなく、実際に作者が知っている人のもので、その人の報われることの少なかった生涯を業平のそれに重ねるようにして回想しているという解釈も魅力的だ。
 だが、私はそれとは違う味わい方をしたい誘惑にかられる。ささやかな墓の方がこの句の情景としては相応しいと思いつつ、この雪に埋もれている墓は、現世で大きな成功を収めた人のそれだったのかもしれないと感じるのだ。亡くなってこのような墓に収まった今となってみると、その華々しい生涯もたかだか数十年の出来事であり、人間全体の歴史の茫々たる長さにあってはほんの一瞬のことなのだということに思い至らざるを得ない。そして、不遇に生きた業平の生涯も同様に、彼の生きた時代から長い歳月が流れた今となっては、遠い昔のちょっとした挿話にしか感じられなくなくなってくるのだ。不運な生涯だって名誉に飾られた輝かしい生涯だって、それは永遠に流れる時のなかでは瞬きする程度のほんの一瞬なのだ。かなしみも苦しみも口惜しさも無念さも、また大きなよろこびや幸せも輝かしい名誉なども、何もかも呑み込んで時は流れて行く。
 何かこの句には、永遠に流れる時の流れと、その中で繰り広げられる個々の人間の一生、そして人類の歴史そのものをいかにも微小なものに感じさせるものを持っている。
 だがそういった想念にもかかわらず、この作品からは虚無的なものや人間そのものの存在をつまらないものだと感じる思いが湧いてこない、それどころか、そんな小さな存在であっても人が生きるということはいとおしく意味のあることだと感じる想いがでてくるのはどうしてなのだろう。
 おそらくそれは、在原業平という稀代の魅力的な男を題材としており、〈雪の墓〉というイメージも美しいこと、そして〈昔男ありけり〉〈雪の墓なりけり〉という類似の結びを持つ2句から醸しだされる調べのよさにも起因しているのではないだろうか。
 大石悦子は多様な表現を有する俳人であり、用いる言葉も多彩で美しく、巧みさを感じさせる作品が多い。私には難解に感じられる作品も少なくないが、そういった作品も含めて、いずれも豊かな時空の広がりを感じさせられることが多い。私には、彼女の作品に、俳句のあるべき姿の確かな一つをみる思いがする。
 最後に、大石悦子の作品をいくつか紹介しておこう。
芹摘んでいづこに母の隠れしや
こののちは秋風となり阿修羅吹かむ
身が透くや遠くのさくらよく見えて
この先は芒かんざししてゆくか
狐火を見しとふ瞳にて見つめらる
水草生ふちちははに夢ありしころ
祭あるか海月しづかに混んできて
迷ふべく花野はありぬ迷ひけり
迎火の苧殻をほきと折りにけり
海を見に行つたきりなる秋の蝶
枯野ゆくこゑ佳き僧に逢ふために
*
〈紹介〉秋山敏郎著『ダ・ヴィンチ封印 《タヴォラ・ドーリア》の500年』
 319号「インカ帝国展を見ながら思ったこと 『憎悪の樹』のことなど」を『憎悪の樹』の訳者西澤龍生氏にお送りしたところ、礼状と共に前記の本が送られて来た。発行されたばかりの本である。早速、序章、第T章と読んでみた。私はこの分野には全く不案内なので、果して理解できるかいささか不安だったが、読んで見ると著者は読者をひきつける筆致の持ち主で、しかも日本にも大いに関係のある内容のようで、なかなか興味深く、この後どのような展開になるのか楽しみである。西澤氏のお便りの中に、本著の簡単な解説が記されてあったので、とりあえずそれを紹介しておきたい。(この文は本著の前半を読んだところでまとめている)
 …例の三・一一のハルマゲドン以降、この国の精神風土もガラリと前提そのものが一転したと思しく、「史論の復権」(註)といった風潮も目に立って参ってをり、この局面での私ごときの歴史の展望が、何らか世に裨益することもあらうかと、一種の総決算としての勉学を続けてをります。
 目下は筑波時代(西澤氏は筑波大学名誉教授 筆者註)の弟子(金澤大学教授)の仕事(イタリア軍事史、特にマキュアヴェリ)に監閲者として関はってをります関係上、むしろイタリアづいてゐる次第ですが、出版してくれる社そのものが、何やらイタリアづいて参りまして、実はイタリアルネサンス関係の或る劃期的な出版をはたしました。ほとんどまだ世の注目を浴びていませんが、私の見るところ革命的とも云へる先覚的な仕事で、ルネサンス像そのものがいづれ一変する一つのきっかけになると存じます。著者も例によっての大学教師なんかではなく画商です。京大建築学出身の批評家井上章一氏の注目も浴び、社では大喜びです。出来るだけ多くの方々の注意を喚起してほしいと頼まれてをりますので、お目を汚したく同封させていただきます。ご存知寄りの方々にも御紹介下されば幸甚この上もございません。……
(註)近刊の新潮新書に同名の本(與那覇潤著)があり、着眼点の面白さには刮目すべきものがあるとのこと。
秋山敏郎著『ダ・ヴィンチ封印 《タヴォラ・ドーリア》の500年』(2013年9月20日発行 論創社刊 2000円+税)
論創社 TEL 03(3264)5254  FAX 03(3264)5232
(2014年1月10日発行)

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発行人 根本啓子