水燿通信とは |
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319号インカ帝国展を見ながら思ったこと『憎悪の樹』のことなど |
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本年4月16日から6月23日まで、京都文化博物館で「インカ帝国展」が開催された。マチュピチュ遺跡「発見」から100年経った記念の企画ということらしい。長い間同遺跡を訪れたいと思いつつ果せないでいる私にとっては見逃せない展覧会で、5月後半のある日、行ってみた。 |
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展示は2部に分かれており、1部はインカ帝国の文化全般の紹介(註1)、2部はスペインに征服されてからのインカの紹介とに大別され、人びとの生活、信仰、文化、自然など多面的な視点からの展示がなされてあった。また、マチュピチュ遺跡を訪れているような疑似体験のできる3D映像も見ることも出来た。 |
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私には、1部の展示物に興味深いものが多いと感じられたが(註2)、2部のスペインによる侵略が始まった後の解説も興味深かった。「侵略者たちは常に物を奪うだけでなく、人の「心」をも破壊した」「白い顔をした有髪の人たちは金を食べると原住民たちは思った」といった解説を読みながら、私はもう10年以上も前に読んだ『憎悪の樹』のことを思い出した。 |
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(註1) | スペインが「発見」するまでの中南米大陸における農業はとうもろこし中心だった、豊富な金・銀・銅を有していた、家畜はリャマ・アルパカなどだった、文字は持たなかったが独特の伝達手段を有していた、緊急の情報を素早く伝達する方法があった、車輌を持たなかったが巨大な石造りの建造物を残した、といったことが紹介された。 |
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(註2) | 展示物には、儀礼用のものを中心に様々な器があったが、そこに描かれた動物の顔や様々な意味を持つ細かな文様が興味深かった。ほかに種々の道具、装飾品、武器、チュニックなどの布製品、いけにえにされた人間に模して作られた人形、ミイラなどがあった。
この展覧会の入場券には、男女2体の金合金製の小さな裸体像の写真が印刷されてあったが、これは私の遠い記憶を誘うものだった。20数年前、初めてスペインのバルセロナを訪れた。そこで私は中南米の国(どこの国かは知らない)出身の人のお店で、わずかな布をまとった小さな男性像のペンダントを見つけて気に入り、それを買った。以来、今もこのペンダントを愛用している。それは金ではなく鋳物だったが、形はインカ帝国展の入場券にあったものととてもよく似ていた。
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『憎悪の樹 アングロVSイスパノ・アメリカ』。著者はアメリカの歴史学教授フィリップ・ウェイン・パウエル。165号(1999年2月5日発行)で取り上げているので詳細はそちらを読んでいただくとして、ここでは本稿に必要な部分だけを簡単に紹介したい。 |
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15〜16世紀の大航海時代、スペインは新大陸に広大な植民地を有し、世界最強の海上帝国として栄えた。このスペインを評するものとして、主にヨーロッパの国々によって形作られた「黒の伝説」(レジェンダ・ネグラ)と呼ばれた歴史的現象がある。次のようなものだ。 |
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スペインが軍事・王朝・宗教・経済の領域においてヨーロッパの頂点の座に長く君臨したところから生じた、反スペイン偏見、プロパガンダ、憎悪、黒塗りの半真理、等々の集積…全てが、広大な海外領土のもたらす富と威信へのやっかみによって、誇張されたもの。(『憎悪の樹』序論) |
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この「黒の伝説」形成に大きな力を与えたのが、スペイン人司教ラス・カサスである。彼はいくつかの論考をまとめ、ラテンアメリカに於ける本国の植民地政策を批判した。これらの論考は極めて真摯なものだったが、彼の視点には歴史のパースペクティブと人間の行動に対する理解が欠けていたため、表現はしばしば誇張したものとなり、事実が捻じ曲げられた。これがスペインを敵とする外国人達にとってこの上ない強力な武器となったのである。結果として、イタリア・ドイツ・フランス・オランダ・イギリスなどのヨーロッパの国々がそれぞれの国情に合わせて「黒の伝説」を作りあげ、憎悪の樹を太らせ、そしてスペイン人に「残酷、暴虐非道、怠惰、貪欲、好色、無知、狡猾、堕地獄の民族、野蛮人のそのまた滓」等々の悪罵を投げつけていく。そしてこのようなプロパガンダのいずれの活動にも、その中枢近くには主としてスファラド系(イスラム・スペインのユダヤ教徒)のユダヤ人が見い出されたという。 |
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パウエルはこの『憎悪の樹 アングロVSイスパノ・アメリカ』で、時代的背景、各国の宗教的・経済的・政治的特性や様々な文献などを駆使して、スペイン人に対して投げつけられたこのような誹謗中傷、史実の捻じ曲げなどの不当性を明らかにしている。更にこの時代、スペイン人が為し遂げた偉大な文化の華、つまりセルバンテスの小説、卓越した法学者の輩出、エル・グレコ、ベラスケスなどの画家の活躍、地理学、航海技術、冶金学、植物学等々の高度の文明を有した地が、この憎悪の樹によって世界中の人びとの視界から遮られたと指摘する。 |
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ところで、日本では1868年の明治維新以来、西洋から新しい文化が入ってきたが、それらはイギリス、ドイツ、フランスからもたらされたものであり、ことスペインに関する限り、わが国においても「黒の伝説」の影響は免れない。 |
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『憎悪の樹 アングロVSイスパノ・アメリカ』が刊行されたのは1972年、日本では1995年、西澤龍生・竹田篤司訳で論創社から出ている。本の出版からすでに40年以上、日本でこの本が出てからも20年近く経ってしまった。しかし、今回の「インカ帝国展」の解説を見て、インカ帝国が滅ぼされたあたりに関する日本における理解は、この間、殆ど変わっていないことを知った。高校で使われている、東京書籍と帝国書院の2012年3月検定済みの世界史の教科書を見たが、この点に関しては通信発行当時の1999年に見た高校の教科書と殆ど変わりはない。 |
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ところで今年の前半、NHK−BSでは「オリバー・ストーンが語るアメリカ史」という番組を10回シリーズで放映した。タイトル通り、アメリカ人の映画監督オリバー・ストーンの解釈によって、原爆完成あたりから以降のアメリカ史についてまとめたドキュメンタリーである。その第3回は「原爆投下」、第2次世界大戦末期の広島・長崎への原爆投下を中心に語られているが、そのなかで、当時アメリカでは日本人がどのようにみられていたかが、いくつか語られている。 |
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・ | 日本人ほど、忌み嫌われている人種はなかった。(歴史家アラン・レミンズ) |
・ | 思慮分別のないJapは人間らしさを示すものが何一つない。(雑誌「タイムズ」) |
・ | アメリカ人は日本人を人間以下の害虫とみなしている。(ワシントンの英大使館が本国に送った報告) |
・ | 身の毛のよだつような相手でも、ヨーロッパ戦線では敵は人間だった。しかし太平洋戦線では、日本人はまるでゴキブリかネズミのように見られているのがわかった。(従軍記者アーニー・パイル) |
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日本軍の真珠湾攻撃によって、当時のアメリカ人の日本に対する戦意は、燃え盛った憎しみで大変なものになっており、またこれらの言葉には明らかに人種差別も加わっている、ということを勘定に入れても、当の日本人である私としては随分ひどい言い方だと不快にならざるを得ないような類のものばかりだ(戯画化された日本人の映像も極めて醜悪なものだった)。もっとも、我々日本人だって「鬼畜米英!」などと叫んでいたのだから、あまり偉そうなことも言えないだろうが。 |
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結局「人間とはその時の自分の拠って立つ位置によって、相手に対してどのようなひどい言葉でも投げつけられる生き物なのだ」ということを、私はこの番組を見て痛切に感じた。パウエルの『憎悪の樹 アングロVSイスパノ・アメリカ』を読んだとき、私は、ヨーロッパの人びとはほんとうにこのような強烈な悪罵をスペイン人に対して投げつけたのだろうか、訳語がいささか適切さを欠いた誇張されたものになっているのではないだろうか、などと微かな疑念を抱いたりもしたのだが、このようなことは実際にありうることなのだ。 |
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またその一方で、自民党の麻生太郎副総理兼財務大臣が水道事業の民営化に言及したニュースに関するブログ(「マスコミに載らない海外記事」 6月20日)を読んでいて、「ザ・ウォーター・ウォー」という映画の存在を知った。2010年のトロント映画祭で上映された映画で、日本公開は2013年2月。 |
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映画の舞台は、2000年の水道民営化反対闘争、いわゆる水戦争℃桙フボリビア、コチャバンバ。スペインの映画クルーが、新大陸を発見したコロンブスと彼の新世界≠フ先住民との出会いについての映画を制作すべく現地に到着する。折りしもそこでは、欧米企業が水道事業を独占し水道料金を大幅に値上げしており、彼らの目の前で抗議運動が起こる。そして映画で取り上げようとしている新大陸の植民地支配と、いま実際に目にしている原住民の抗議運動がオーバーラップしていく。 |
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この映画の中では、1511年に、スペインのそうした行為を初めてあからさまに非難したドミニコ会修道士のアントニオ・デ・モンテシーノスに焦点を当て、ヒスパニオラ島(現在のドミニカ共和国とハイチ)で行なった説教の中で彼に、スペイン人は「現地の無辜の人々に対する、連中の残虐さと専制ゆえに、全員が道徳的な罪をおかしており、その罪の中で生き、死ぬ」と語らせている。また、ジャングルの奥深くで行なわれる、スペイン人による先住民反乱者の磔の場面なども出てくる。 |
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この映画に出てくる映画監督はスペイン人の設定で、映画自体の監督もスペイン人になっている。脚本はイギリス人。私はこの映画は見ていないが、このブログを読む限り、制作姿勢はきわめて真面目なものであり、現代社会での重要な問題に正面から取り組んでいるようだ。その結果、出来上がったたこの映画、大航海時代からすでに500年以上も経った21世紀に作られたこの映画が、ラス・カサスの覚書によって大きく誇張された「黒の伝説」を全面的に肯定したようなものになっているのだ。ということは、悪罵を投げつけられたスペイン人自身が、今でも「黒の伝説」を肯定していると理解すべきなのだろうか。 |
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このようなことをいろいろ考えていて、私は、一旦出来上がった考え、見方といったものは如何に根強く人々の考えに食い込んでいることか、その誤謬を改めるということは何と困難なことだろうかと思わざるを得なかった。 |
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だが、私はまた『憎悪の樹』で著者が語っている次の言葉を思う。 |
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歴史は、むろんのこと、完璧な客観性を以て書かれたりするものでは決してない。そしてとりわけ宗教とか政治の歪みに…弱い。…歴史に筆を染めることは、科学であるより遥かに一つの技芸(アート)であるから、不可避的にそこには世を風靡する偏見や流行が影をおとす。…しかも世に受け容れられる歴史とは、概ね戦争での勝者の手によりものされたそれなのである。(第五章「啓蒙の倨傲」) |
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つまり、ひとつの事象でも、それを見る立場の相違によってまるで違ったものに見えてくるものであり、絶対の真実などというものは存在しないということである。 |
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いま私は、ラス・カサスはその著作で事実を語ったのかどうか、15世紀のスペイン人は、新大陸の原住民に対してほんとうに「黒の伝説」で言われているようなことをしたのかどうか、といった問題よりも、もっと別のことが気になっている。 |
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「インカ帝国展」の解説は、インカ帝国、原住民の側に立ってのものであり、侵略された側からは確かにこのように感じられたのだろう。これはこれでひとつの事実だろうが、忘れてならないのはあくまでも「ひとつの」事実だということである。 |
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私たちは歴史を考えるとき、前掲の著者の言葉を念頭に置き「あくまでもこれはひとつの立場からの視点であり、ひとつの事実に過ぎない」ということを肝に銘じるべきなのではないだろうか。 |
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「インカ帝国展」を見た後、私はそのようなことを考えている。 |
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(2013年12月10日発行) |
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発行人 根本啓子 |
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