| 水燿通信とは |
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263号年半ばの日々政治の動きの激しい時期 |
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| 5月10日(日) |
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| 「水燿通信」258号「ぐんぐんと山が濃くなる 母の死から一年」の感想が少しずつ届いている。今日はAさん(60代前半、女性)から。 |
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| ただ甘っちょろく回想するような性質のものには閉口ですが、根本さんはご自分の視点からみたお母様を冷静にお書きになっていらっしゃるので、その思いの深さがズシズシと伝わってきます。母と子はそれこそ宿命的な関係なのですから、自分の意志でどうすることもできない関係をどちらかが生命を終えるまで続けなければなりません。軋轢のない関係なんてあり得ないと、私は思っています。私の場合、結構早い段階で「私とは同じ土俵にいない人」と思ってしまいました。18歳で親から離れたと言う経験は有難いことだったように思えます。 |
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| 上手に表現できないのですが、親を距離を置いて見たり、「上」から見たりする人の方が、「子供に対する親のひたむきな愛情」を静かに受け止められるのではないかとも思います。 |
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| この通信では「死者を褒め称えるだけが供養ではない」という私の考えが、果たして読者に共感してもらえるかどうかということを懸念していたのだが、Aさんからはその点を明確に肯定的にとらえてもらえたのがうれしかった。メールで返事を送った。 |
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| 5月14日(木) |
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| Aさんより258号について再びメールが届いた。 |
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| …私の大学時代の友人で、「距離をとれることが文化である」と言った人がいますが、本当にそうだと思います。この歳になると「孫」の写真と話題に終始する人も多いようですが(私は好きではありません)、個人の孫の話ではなく、例えば人間の成長過程に結び付けるとか、話題に普遍性を持たせてくれればと思ったりします。普遍性があり、抽象性をもった会話をすることが「距離をもつ」ことではないでしょうか。…… |
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| いまやこのような考えは滅多に聞かれなくなったような気がする。知的ないいメールで、大いに共感した。 |
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| 5月25日(月) |
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| 紺谷典子(こんやふみこ)著『平成経済20年史』(幻冬舎新書 2008年刊)読了。平成20年間の日本の経済を検証したもの。大蔵省(現財務省)が自らの権益拡大と監督責任逃れにいかに汲々としているか、日銀のやることはまるで国民のほうを向いていないものばかり、政府の施策も的外れなものや、大蔵省や日銀に反対されたり足を引っ張られたりして効果を発揮できない、また小泉構造改革はアメリカの利益一辺倒で弱者切り捨てのひどいものであり、郵政民営化も全く国民のためにならないものであること、一方メディアも大蔵省や政府から流される情報を何の検証もせずにそのまま流すばかりか、時に国民の思考をある方向に誘導したり煽ったりする、そして専門家の発言もそれを援護するものが多いといった事柄が、様々な例や数値を示して述べられている。読んでいて驚き腹の立つことばかりで、これらが事実なら我々一般国民は本当のことは何も知らされていないのだなとため息が出る。ただ「この十数年、米国をお手本に、日本的経営は不透明、非効率と批判するのが流行だった」(同著)が、日本的なるものは決してそんなに否定すべきものではない、すぐれている点も多いのだ、ということがくり返し述べられており、日本人として元気づけられることも少なくなかった。経済的な側面からだけの視点で書かれている(著者自身このことは認めている)ため、歴代内閣の評価など必ずしも共感できないところもあったが、言いにくいことにもきっちりと触れている著者の姿勢は立派だし、新聞やテレビでは決して得られない情報も満載されており、一読の価値があると思う。 |
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| 6月4日(木) |
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| 天安門事件から20年。ということは、私が初めて外国に旅行に行ってから20年ということになる。最初に訪れた国がポルトガルだったが、その首都リスボンの旧市街の道路で、学生が天安門事件に抗議するデモをやっていたのを思い出す。わずかの人数で、道路に血だらけの人形を数体転がし、演説をしているだけの穏やかなものだったが、中国から遠いこの国でも、と感じ入ったものだ。写真を撮ってもいいかと尋ねたら“Sure”と快く答えてくれた知的な感じの女子学生の姿も忘れられない。 |
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| 6月9日(火) |
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| Bさん(60代半ば、女性)から259号「『飛花抄』再び」の感想のメールが届く。 |
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| 「丹波は母のくにである」という引用の部分から「この鬼は〈目に見えぬ鬼とは〉の歌に詠まれた切なくかなしい鬼の、別の日の姿なのではないだろうか」までの文章に戦慄を覚えました。 |
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| 秋葉原事件から1年、また、先日の大学教授殺害など、まさにこの怨念に満ちた不吉な日本、若者が息苦しい社会に圧殺されている時代、彼らが鬼にならざるをえない状況はそろっていると感じられます。教育とか家族に問題を見つける方向への発言が多いのですが、もっともっと恐ろしい空気、〈大笠を着て、喪の儀を臨み視る〉鬼が山頂に現われているという、不吉な時代のまがまがしい空気をみんなが意識しなければならないと思いました。この時期に、根本さんが鬼についての通信を出しておられることが、怖いくらいです。 |
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| 実際のところ、私は馬場あき子の鬼のことを考えながら、絶えず現代の世相に思いを及ぼしていた。高校や大学を卒業してもまともな仕事に就けない若者や、家庭を抱えながら何の保証もなくいつ解雇されるかもわからない不安定な仕事しか持てない中高年が少なくない現在の日本、たとえそれが国民の大半ではないにしろ、こういった人々が少なからず存在する今の日本は、やはりどこかおかしいのではないか、現代の鬼が生まれる条件は十分にあるのではないか、などと頻りに思ったりしていた。しかし、そのことをかくも的確に指摘する読者がいようとは想像もしていなかったので、驚いてしまった。 |
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| 7月17日(金) |
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| 定期的に通院している医院で、診察を待っている間、たまたまマーラーの「アダージェット」に関するビデオ(NHK制作)が流れた。〈ルキノ・ヴィスコンティ監督はベネツィアの南東に浮かぶリド島にあるホテル・デ・バンを手に入れ、荒れ果てていたこのホテルをベル・エポック調の華麗な姿に再現させ、映画「ベニスに死す」の場面の多くをこのホテルで撮った、ヴィスコンティはこの映画で作曲家マーラーを想い浮かべながら、美と老いの間(はざま)で苦悩する老作曲家を描いたが、それは没落する貴族という人生を歩んだ彼自身のことでもあった、大公爵家に生まれ、幼い頃から芸術に親しんで育ったヴィスコンティは、滅び行く美を生涯追い続けたが、彼のその思いはかなしいまでに美しい映像と、全体を通して流れているマーラーの官能的な旋律「アダージェット」によって見事に描かれた〉といったことが字幕で流れ、「ベニスに死す」の舞台となったホテルの大広間などが映し出された。ヴィスコンティ監督の映画の中でもこの作品は私の特に好きなもので、思わず画面に見入ってしまった。 |
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| 7月21日(火) |
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| 植草一秀著『知られざる真実―拘留地にて―』(明月堂書店 2007年刊)読了。本著で著者は、金融論、経済政策論の専門家としての知識、視点と、大蔵省、民間の研究所、日米の大学などに勤務したときの豊富な体験を駆使して様々な経済に関わる出来事を検証し、その裏に隠された意味を探ろうとしている。とくに、小泉改革がアメリカの利益ばかりを優先した弱者切り捨ての冷酷なものであったこと、またNHKがいかに政治権力に支配された堕落したものになってしまったかを、くり返し述べている。植草氏は例の手鏡事件で逮捕された人。本著によれば、小泉改革に徹底的に反対したため小泉・竹中陣営に「はめられた」というのが、この事件の真相らしい。本著の後半には当該事件の詳細が資料として掲載されている。この本を読みながら、私は紺谷典子著『平成経済20年史』と見方が度々重なっているのを感じた。小泉改革によって現在の弱者切り捨ての風潮がつくられたことは、今では国民の大方が認めていることであろう。いずれにしろ、強大な力に抗うことは大きな犠牲を伴うきわめて勇気の要ることであると強く感じられ、読んでいてしばしば恐怖心を覚えた。著者は政治、経済などに関しては的確に情勢判断の出来るすぐれた経済学者であろうが、その一方で情緒的にはとてもナィーブな感じで、人間的な温かみのある人なのではとの印象を持った。(氏の無罪の主張にも拘らず実刑が確定し、衆議院議員選挙運動がまさに始まらんとしている8月3日収監された) |
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| 8月14日(金) |
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| 朝、40度ちかい熱が出て、体の痛みとだるさで動けず、緊急入院する。長年服用しているステロイド系の薬の副作用による症状らしい。(幸い、翌日には熱は下がりすぐ元気になったが、種々の検査があり2週間の入院となった。衆議院議員選挙は、26日、病院内で不在者投票があったので、それで済ませた) |
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| 8月31日(月) |
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| 昨日の衆議院議員選挙の結果、民主党が単独過半数を超える308議席を獲得して圧勝、自民党から民主党への政権交代が実現することになった。 |
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| 選挙速報で当選あるいは当確者に「民主・新」というのが次々に出てくるのをみて、かつての選挙の当選者は「自民・現」ばかりだったことを思い出し、時代が変わったことを痛感した。長年圧倒的強さを誇っていた自民党も、政権の座に在り続けた結果(一時野党になったが短期間だった)、次第に腐敗し理念を失い、最後の数ヶ月は党としての態を成していないような惨状だった。そして結党50余年にしてとうとう野に下った。ついに政権交代が実現したのである。「国民は自民党の政治にノーを突きつけただけで、積極的に民主党を支持したわけではない」「自民党がここまで放置した多くの難問を解決するのは、殆ど不可能に近い」といった厳しい見方もある。しかし私はやはり、新しい民主党政権に期待したいと思う。少なくとも、弱者切り捨て、格差拡大がすっかり定着してしまったかに思える今の日本を、国民のすべてが人間らしく生きられる最低の条件が整った国になるようにしてもらいたいと思う。若い人たち、これから成長していく子供たちが「日本に生まれてよかった」と思えないような国では、上の世代として申し訳ないではないか。 |
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| 〈今月の1句〉 |
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| コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ |
| 鈴木しづ子(『指輪』昭和26年刊) |
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| 鈴木しづ子、大正8年、東京神田生まれ。許嫁の戦死、仕事で知り合った男性との結婚・離婚の後、岐阜県各務原の米軍キャンプで米兵相手のダンサーになる。黒人兵と恋をし結婚の約束をするが、彼は昭和26年朝鮮戦争で戦死する。同年しづ子は句集『指輪』を出版。翌年消息を絶ち、以後のことは今日に至るまで杳としてわかっていない。宇多喜代子によれば、各務原で鈴木しづ子が暮らしていたという家のおばさんは「ほかの女の子は、買い物に出たり、映画館にいったりするのに、シーチャン(しづ子のこと)は毎日毎日手紙ばっかり書いて、郵便局に行くだけだった(実は投句だった)」と語ったという(「女性俳人の系譜」NHK人間講座 2002年)。 |
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| 死にたいと思う。コスモスがやさしく風に揺れている。その景にふっと死への思いが揺らぐ。太宰治は『晩年』で「死のうと思っていたが、正月に夏に着る着物をもらったので、夏まで生きてゐようと思った」と語った。しづ子の思いも太宰のそれも決して生への執着などではない。それでは一体何なのか。 |
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| (2009年10月10日発行) |
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| 発行人 根本啓子 |