水燿通信とは
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259号

『飛花抄』再び

 当通信257号で馬場あき子著の『鬼の研究』と歌集『飛花抄』をとりあげたが、これに対する読者からの感想などを読んでいるうちに、再度『飛花抄』に収録された作品について考えてみたくなった。
 『鬼の研究』が出たのは1971年、そしてその翌年鬼の歌を多数収めた歌集『飛花抄』が上梓されたわけだが、同歌集のあとがきによると、この歌集の冒頭に収められた作品群「飛花抄」は1969年にすでに書かれており、「書きながら私の内がわには、しだいに一つのテーマが浮かび、形をなしつつあり」それが翌年出版された『鬼の研究』になったのだという。
 この「飛花抄」は冒頭に収められているというだけでなく、そのまま歌集名となったという経緯からも容易に判断できるように、この歌集の中でも特に注目される作品をそろえているが、それだけではなく作品の前には「鬼とは何か またその消滅への挽歌」と題した序ともいうべき文が置かれている。以下にその大半を掲げてみよう。
丹波は母のくにである。……丹波はそして畑名にみちて、それは秦の氏のくにでもあるという。すぐれた先進文化をもって、ひとたびは古代文化を支えた秦氏の衰亡は、しかしながら急速であった。平安王朝の圧力に屈したのか、その消滅の過程にはふしぎな犯罪のにおいさえまつわる。分散・地下潜入、そうした経路のはて、階級転落した秦氏の気骨あるものは、山野にまじわってオニとなったという。……思えば世阿弥も、母のくにの畑名にちなむ秦びとであった。私はふと、……心凍る連想に身ぶるいした。もしや世阿弥は、長い屈辱に堪えた秦のオニのひとりであったのではあるまいか。
 翌年出版される『鬼の研究』がまとまりつつある様子がかなり明確にたどれる文章であるが、同時に『飛花抄』に収録された作品の理解につながるまたとない手引きにもなっていると思う。このことを踏まえながら、同歌集中の作品をいくつか見てみよう。
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目に見えぬ鬼とはいかに苦しみて尾根より行きし人のこころぞ
 『鬼の研究』は、按察使(あぜち)大納言の女(むすめ)で変わり者として知られていた“虫めづる姫君”がある時ふとつぶやいた「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉に触れることから書き始められている。そして「虫めづる姫君」(『堤中納言物語』の中の一篇、平安末期の成立といわれている)は「蝶となる未来を秘めた変身可能の生命力に、醜悪な現実を超える妖しい力を感受していた美意識とは、まさしく爛熟しつつある王朝体制の片隅に生き耐えている無用者の美観というべきである。世の良俗美習に随順することを拒んだ美意識、反世間的、反道徳的世界に憎まれつつ育つ美の概念」によって描かれた一篇であるとし、この作品の作者とおぼしき「一人の男」が「人に見えぬを良俗とする女の物づつみにことよせて、危い反日常思想の一端をほのめかせつつほほえんでいる姿をかいまみ」て、これこそ「かくれ鬼のひとり」であると語る。さらにそのあとでも馬場は〈鬼〉のイメージには決して実体を人前には晒さない、見えないということが鉄則だったことを強調している。
 馬場あき子の鬼論のきわめてすぐれた点は、当通信257号でも述べた如く、従来のように加害者としての鬼を被害者の立場から考えるのではなく、鬼の側に立ってその心をみるという点にあった。『鬼の研究』のなかで馬場は、鬼をいくつかの型に分類しているが、その中で、自らの人生体験の果てに鬼となった放逐者・賤民・盗賊などの人鬼系の鬼と、怨恨・憤怒・雪辱など様々な情念をエネルギーとして復讐を遂げるために鬼となった変身譚系の鬼に特に強い心寄せを示した。これらは謂わば「馬場あき子の鬼」の根幹を成すものといえよう。
 上掲の短歌はそんな鬼を端的に表現したもの。苦しみの極みの果てに鬼と化しながら、尾根伝いに去っていかなければならないその心の悔しさ、無念さを、限りない共感の思いを込めてうたっている。
 この歌に接すると、私は同著で紹介されている『日本書紀』の「斉明記」にある「朝倉山の上に、鬼有りて、大笠を着て、喪の儀(よそほひ)を臨み視る」という記事をいつも思い出す。斉明朝(655〜661)は不穏な事件が頻発した時代であり、その揚句、大軍団を率いての朝鮮渡海の企ての最中、68歳の老女帝が急逝する。「不吉な不安が秋風とともに人びとの心をかすめるような夕ぐれ、遺骸をはこぶ喪の列を、深々とした大笠の下からじっと見ていた鬼がいたというのは、まことに深い、静かなおそろしさを感じさせる。そして、この鬼の深い沈黙と凝視をおそろしいと感ずる心は、とりもなおさず斉明朝の政治そのものへの危惧や疑問、躊躇などであったはずである」と馬場は述べている。『鬼の研究』で紹介されている様々な鬼の中でも、深い恐ろしさを感じさせる特に印象に残る鬼である。この鬼は〈目に見えぬ鬼とは〉の歌に詠まれた切なくかなしい鬼の、別の日の姿なのではないだろうか。
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われのおにおとろえはててかなしけれおんなとなりていとをつむげり
 怒り、恨み、苦しみなどを湛えた内なる鬼心が、おとろえはてて非力な当たり前の女に変貌してしまい、糸を紡いでいるのだ。女とは“虫めづる姫君”がつぶやいた言葉にあったように、内なる情念をひとに見えるかたちでは表すことのできない宿命を負わされている非力な存在である。そんな非力な女へ変貌したことに対する無念さをかなしみをこめて詠ったものであろう。すべてひらがなで表記されたことで、無念の思いはさらに効果的に表現されている。〈幻の氏の秦びと畑打てりしずかに鬼の心崩(く)えたる〉も同様のかなしみ、悔しさを表現したものといえる。
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白れんげもえたつ昼をひとり鬼日向の芝にうしろむきおり
 この作品の眼目は、鬼が後ろを向いているということだろう。表情がわからないだけに、いったいどのような顔をしているのかということにまず関心が動く。泣いているのか、怖い顔をしているのか、それとももっと別の表情をしているのか。暑い時期のしかも暑さのもっとも厳しくなる昼であるならば、怖い激しい形相が相応しいように感じられなくもない。しかし燃えるような激しい瞋(いか)りの表情であろうとも、 涙を流しているかなしげな顔であろうとも、また苦悶にじっと耐えている表情や他のどのような顔であろうとも、そのどれよりも饒舌に、日向の芝に立つ(座っているようにも思え、迷っている)孤独な鬼のうしろすがたは、哀しい雰囲気を湛えてせつなくしかも激しく、そのどうしようもない思いのたけを訴えかけてきているように思われてならない。
 この作品に関して、読者の一人から心惹かれる感想をいただいた。次に紹介したい。
 鬼心 なんと、悲しく美しいものでしょう。
 私は、「白れんげもえたつ昼を・・・」の句に、亡き母を見ました。昼、つまり日常であり、妻、母をさりげなく生きながら、個人としての顔は鬼を含み、しかもうしろむきなので、どんな怖い顔よりもっと怖い、見えない鬼はものすごい怖さ。泣いているようにも見えるうしろすがた。
 裕福な商家に生まれながら火災で家を失い、親を早くに亡くし、きょうだいばらばらになって生活の道を開かざるをえなかった少女時代。……父と世帯を持ってからの数々の苦労。凛と生きようとする気持ちと現実との落差ゆえの鬼心を「うしろむき」にかくして生きた日々の重みを想いました。……母は、どんなに貧しくても白足袋をはくというように身ぎれいな日々を心がける人でした。……声をあらげたことは一度もなく、微笑を絶やさなかったのですが、なにかの拍子にはっとするほど冷たく底意地の悪さを感じることがありました。……今回、「鬼の顔をした夜の鬼より、笑顔の昼の鬼のほうが何倍も怖い」ということを得心し、わたくしにとっては実に大きな気づきでした。
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〈今月の一首〉
あかね襷といふ赤あり遠夏の出羽(いでは)恋しき桜桃届く
馬場あき子(『葡萄唐草』1985年刊)
 山形に住む知人から桜桃が届き、かつての彼の地での楽しい時間を思い出しながら、そのつややかな色を愛で喜んでいるのだろう。
 馬場あき子は、庄内平野の南部に位置する黒川に伝わる黒川能に深く親しみ、また山形在住の詩人、評論家である真壁仁との交流などもあって、山形県には縁が深い。
 私の故郷は山形県の中でも有数の桜桃の産地。桜桃の思い出はたくさんあり、懐かしくてこの歌を紹介したくなった。「桜桃」の用語がいい。今ではすっかり「さくらんぼ」という語にお株をとられた感があるが、かつては専ら「おうとう」と呼ばれていた。私にとってこの語は、子供のころの故郷の自然、空気、我が家の雰囲気、そしてあのころ食べたこの果物の味などがよみがえってくる懐かしい響きを持っている。「あかね襷(だすき)」の語もうつくしく、桜桃のつややかさ、色の鮮やかさを表現して効果的である。
(2009年6月10日発行)

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発行人 根本啓子