水燿通信とは
目次
370号へ戻る

暑湿の労に神(しん)をなやまし

途中吟 あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風  松尾芭蕉
海ぞいの北国街道を南下する。越の高浜の砂丘。そのすそを通る。
椎谷、宮川を経て荒浜にかかる。芭蕉は奇妙な幻像になやみはじめた。残暑が躯にこたえる。ときおりの小雨が暑さをいっそう不快なものにする。じっとりとした空気が幻像をまねき寄せたのか。ときおりの陽射しで発光体になった天と海を背に、砂丘のうえに奇妙なものが、巨大な四角から筒が角のように突き出たものが、かげろうになってゆらゆら揺らぐ幻像が頭上に覆いかぶさる。芭蕉を呑みこまんばかりに。ゆらゆら揺らぐ幻像から逃れようと、暑気あたりのせいかと、早めに宿をとろうと、天屋を今夜の宿に決め、天屋に入った芭蕉。
芭蕉を耳鳴りが襲う。
かどわかし
人さらい
人声が宿のそこかしこから襲う。大勢の人声がうおんうおん。耳のなかで響きあう。がまんならず、同行の曽良に言う。
おまえ聞えないかい
ここから出よう
天屋の番頭や手代が追いかけて来る。ひき止めるのを振りきる。柏崎の町を出る。福浦八景もこころに刻めぬまま、幻像と幻聴が追って来る強迫観念。強迫観念から逃れようと、米山の険しい峠道をひたすら。夕刻ようやく鉢崎。秋の気配をはこぶ夜風が肌に。
俵屋で脚を伸ばしながら、門弟は師匠に問う。
まぼろしと耳鳴りの
正体はなんだったのでしょう
ややあって。
三百年のちの人に尋ねなさい
元禄二年七月五日(陽暦八月十九日)、出雲崎を出発した松尾芭蕉一行は、途中、柏崎を通過する。
「至柏崎ニ、天や弥惣兵衛へ弥三良状届、宿ナド云付ルトイヘトモ、不快シテ出ヅ。 道迄両度人走テ止、不止シテ出。」(河合曽良『奥の細道随行日記』から)

※無断転載・複製・引用お断りします。
発行人 根本啓子