1998.08.15初出
SCENE.1 記憶鮮明
―――――記憶は少々昔に遡る。
きっかけは一体なんだったか、今ではもう、覚えていない。
ただ既に鬼籍の人となった双児の片割れが妙にはしゃいでいたのを覚えている。
多分、五つか六つぐらいの時。
その日もいつもと同じように「それ」はくり返された。
自分と同じ遺伝子を持っているとは到底思えない、のほほんとした兄がとった行動は、まず、深い眠りの底にいる自分を引きずり起こして、こう告げるところから始まる。
「ねぇ、ナル、またあの夢をみたよ」
毎度の事とは言え、正直な話、ナルはまたかとうんざりする。
此の処、彼の双児の兄(しかも一卵生双生児というやつだ)のユージンこと、ジーンはかなりの割り合いで同じ女の子の出てくる夢を見ているらしく、その子の夢を見る度に非常に浮かれながらナルを叩き起こしてくれるのだ。
「ジーン、今何時だと思う?」
「何時かなぁ。ああ、外はまだ真っ暗だね」
にっこりと、ただにっこりと春の陽射しのごとき微笑みを浮かべて彼は宣った。悪意の片鱗もありはしない。
自分の行動が相手に対して、迷惑をかけているとか、悪い事をしているという自覚も無ければ、嫌がっている事すらも理解していないのだろう。
羨ましいと言えば羨ましい人格と言えるが、実は善悪の区別が付いていないんじゃないかと思わせる節すら有る。
今もナルの不機嫌の原因が自分に有るとは思っていないらしく、楽し気に夢の話を続けている。
「相変わらずあの子の声は聞こえないままだけど、あの子に僕の声は届いているかな? ねぇ、ナル。ナルは本当にあの子の夢、見た事無いの?」
ジーンはまるで公園の鳩のように首を傾げてナルの目を覗き込む。その目は『絶対見ている筈なのに』と訴えている。
ジーンの言葉を借りるなら、その子は自分達と同じくらいの年頃で、大きなくりくりとした目と、ショートカットの髪は茶色がかった黒で、どうやら日本人ではないかと推測される。
また、表情のコロコロと良く変わる可愛らしい女の子だと言う。
初めの頃はどうせ夢なんだからと馬鹿にしていたが、この頃になるとどうも相手の女の子は実在していると確信していたようだった。
「大体、何処に居るのか、本当に居るのかさえ判らないような相手に、良くそこまで入れこめるな」
「どうしてナルはいつもそうなんだろう? それともあの子はやっぱり僕の夢の中にだけ出てくるのかな?
ナルだって一目見たら絶対気に入るのに」
「その確信は何処から出てくるんだか」
ナルがそう言うと、ジーンはにっこり微笑んで、さもおかしそうに告げた。
「やだな、昔から一緒だったじゃない。僕らが好きになるものと言ったら」
ナルは言葉もなくベッドに撃沈した。
◆
オリヴァー・デイヴィスこと、渋谷一也はそこで目が覚めた。
――――よりにもよって、ジーンの夢を見るとはな‥‥‥
夢にしても何故、あんな夢を見たのだろうか?
ナルはこっそりと嘆息する。
有ろう事か、夢から覚める瞬間に、ジーンは一番最後に会った時の顔で『にんまり』と笑ってみせたのだった。言い返せる言葉が有るのなら言ってみろと言わんばかりに。
「ナル、どうかしましたか?」
すぐ傍らから気遣う声がする。
どうも昨夜遅くまで、届いたばかりの新刊を読んでいたのが響いているようだ。いつの間にか眠っていたらしい。
どうして奴は人の安眠を妨害したがるのだろうと愚にも付かない事を考える。そしてようやっと、今は都内の私立高校に調査へ向かう車の中である事を思い出した。彼の優秀な助手はいつもの様に無表情で前を見ているが、自分の事を全身で注視している事は気配で分かる。
ナルは沈み込んでいたシートから身を起こし、改めて座り直す。
「なんでもない。少し、眠っていたらしいな。それよりリン、例の依頼のあった高校には何時頃着く?」
「夕方のラッシュ時と重なってしまったので、思ったより時間がかかってますね。でも地図の上ではもうそろそろの筈です」
言いながらリンの手がハンドルを切る。
角を大きく曲がったところで校舎の壁らしきものが見えて来た。
今回の依頼は、予てから取り壊しを予定しているにも拘わらず、何時まで経っても工事の出来ない校舎の調査だった。
校舎は木造二階建てで、現在は使われていない。老朽化した校舎は危険とみなされ使用禁止になっているからだ。では何故、取り壊さないかと言うと、今まで工事をしようとしなかったわけでは無く、工事を始める度に事故が起きるので取り壊そうとしても、壊せなかったと言うのが正しい。
ナルは本来、この手の事件は扱わない。
何故なら、心霊現象である確率の方が断然低いから。
そのナルが何故引受ける気になったのか?
彼のもとに依頼に来た校長の態度が真剣だったからだ。
普通、ナルのもとに依頼に来た人間は、ナルが所長だと名乗ると初めに激怒して、次は「詐欺だ」と罵り、そして帰る。帰ってしまうぐらいだから、それ程逼迫した事態では無いのだろう。
しかし何よりもナルが仕事を選ぶ理由は別に有る。興味本位の依頼者や、思い込み因る似非霊能者等に関わってる暇等無い。
心霊現象で無いと判っているものに割く、時間等持ち合わせていない。
だが、依頼に来た校長は最初こそ驚いたものの、礼節だけは忘れなかった。本当に困っているのも分かった。
別に何でもかんでも霊の仕業とは考えていないらしい事、それと、ナルの勘が行くべきだと告げたから。
どうしてそんな事を思ったのか、彼の話を聞くだけではそれ程興味深いものでは無かったはず。それでも何かが引っ掛かっていた。
それも現場に着けば直に判るだろう。
やがて車は大きく開かれた門の内側へと滑り込んで行ったのだった。
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