「ごめんね。酷いよね、こんな‥‥‥あたし、なんて酷い子なんだろう」
自分のことを好きだと言ってくれた麻衣に、それは違うと応えたのは他でもないジーン自身だ。それでも麻衣は謝り続ける。
「でも、本当にジーンが笑ってるとこ見るの大好きだったの。嬉しかったの───」
───ナルが笑っているみたいで。
その言葉が語られることはない。麻衣は優しいから。
もしかしたら、その優しさを逆手に取っていたのかもしれない。
ナルと行動を共にする限り、いつかは自分のことを麻衣も知ることになると予想できて当たり前なのだ。だのにナルの振りをして、麻衣に近づいて、彼女に微笑み続けていたのだから。真実を知った麻衣がどう判断するのか、ある程度予想できていた。
だけど‥‥‥いや、だからこそか。
麻衣はずっと見ていたのだ。一挙一投足を。
ナルがどう考えてどう動くか。
ナルがどうゆう人間なのかを。
夢と現を。
偽り(ジーン)と真実(ナル)を。
麻衣はどちらも選べないと、泣いて首を振り続ける。だけどジーンは、それは嘘だと思った。
麻衣はジーンが『夢で逢っていたから』ナルだと勘違いしたのだと言ったが、たとえジーンという存在の介入がなくてもナルなら気に入ったものは易々手放さないだろうし、付き合いが長くなればそれだけ麻衣に本当のナルの姿が見えてくるはずだから。
天才博士という仮面の下の単に不器用なだけの少年の姿を、麻衣なら見つけられるはずだから。
「麻衣が本当に微笑んでほしかったのは誰?」
麻衣の優しさに付け込んで『こちら側』に引き込むことはそれ程難しいことではないだろう。
ナルに自分の身代わりをさせていると思い込ませさえできたら、彼女は罪悪感から自らこちら側に堕ちてくるだろうから。
だけど『此処』は麻衣には似合わない。
麻衣の放つ光は強すぎて、壁も果ても存在しないはずのこの白亜の闇を凌駕するだろう。そして自分は光の檻に閉じ込められて、今度こそ本当に‥‥‥
───悪霊と化すだろう。
「麻衣、ナルの事、よろしくね。扱いにくいだろうけど、慣れればなんてことないから」
くすりと、笑いながら涙で濡れた頬を拭う。だから瞬間、油断したことをジーンは後悔した。現在麻衣達は調査中で、ただでさえここに凝った思いが重過ぎて読み取れない上に、やっとのことで繋がったラインだったのに。
「呼んでる」
そう言って麻衣が彼方を見やる。
「行かなくちゃ」
何処へと聞く間もなく、麻衣の気配が遠のいて行く。多分此処にいる誰かと同調したのだ。
不安。
心の奥底でシグナルが鳴る。
キケン。
誰が?
麻衣が───
邪魔をしないでと、誰かが語りかけてくる。邪魔をしなければ麻衣は僕のものになるのだと誰かが誘いをかける。
キケン
きけん
危険
何が?
この自分の迷いが───
麻衣を助けなければと、ともすれば砕けそうになる心を現実に向ける。麻衣は『生きて』いなければいけない。僕のためにも、ナルのためにも。
あの希有な魂が失われるのだけは何としてもくい止めなければいけない。
絶妙なバランスを保っていた僕と、ナルと、麻衣との‥‥‥その関係に終止符を何時かは打たなければならないのだ。これは予感。始まりと破局の。
いつか訪れるその日のために。
「ナル」
だから応えて。
「ナル!」
僕が僕でなくなる前に。
「ナルっ。応えてナル!! 麻衣が‥‥捕まった?!」
失いたくないから
失うわけにはいかなかったから
自分が自分であるために必要なもの
それはどちらも大切な
僕の中の光
闇の中でただ一つ確かなもの
白い檻の中で光はやがて溢れだし
すべてを覆い尽くして
他に何も見えなくなる───
かたわらに
いつもぬくもり
それさえあれば
他に何も要らないと思っていた