2004-10-17

 

 

‡ 十一 人形の夢 ‡

 

 

 

 電話が鳴る。
 不安が押し寄せてくる。
 ───何故?どうして?
 ナルが受話器を持ち上げる。
 ───やめて……
 言葉を交わす。
 ───目を瞑って、耳を塞いで、何も知らないままでいられれば、 この世界は安定したものを。
 ほつれていく。
 壊れていく。
 ───見たく無い。目を逸らせていた事実が、現実が突き付けられる。その瞬間。
 ───可哀想な……。
 ほら。
 魔法は解けてしまった。



◆◇◆

 

 ナルの瞳の色はいつもと変わらない。
 静かで揺るぎが無い。
 真砂子はそれを複雑な思いで見ていた。明かに異常な行動を取る麻衣に対して、心配している素振りくらい見せても良いのにと云う思いと、予想以上に冷静な彼の麻衣に対する態度と、悲しみと喜びとないまぜになって真砂子を苦しめる。
「原さん?」
 彼の少しハスキーな耳に心地よい声が自分を呼んでいることさえ別世界の出来事の様だ。
「わたくし達は……霊媒としては失格かもしれません。そう、同情してしまったんですわ」
 誰に、とは言わな
い。彼はもう知っている。知ってしまったのだから。
 真砂子は腕の中で気を失っている麻衣の髪を優しくすくい上げる。見た目よりも意外に柔らかくて指に絡まること無く、さらさらとこぼれ落ちていく。
 真砂子には少しだけ、解るような気がする。
 麻衣と、彼女───美夜子が激しく同調してしまった訳が。
 ───今のままでいたい。変化なんていらない。
 現状のキープ。この恋は実らない。それでも構わなかった。あの人の側に居られるのなら、あたしはどんな立場だって我慢出来るから。この『恋心』さえ隠し通してみせるから。
 ───だから邪魔をしないで。
 一番初めに受け取ったメッセージ。あまりの切なさに、瞳が曇った。同じ『恋』をする女として、せめてもう少し、気持ちの整理がつくまではと───
「一也さんは……ナルはどこまでお解りですの?」
「御堂美夜子が鍵だったんですね。少なくとも、これで全員の暗示が解けたと思って良いでしょう。彼女が感覚を狂わせていたことだけははっきりした」
「そうですわね。でも、さすがに美夜子さんのお気持ちまではご理解なさって無いのね」
 伏せた睫の先が微かに震える。
「美夜子さんは、実らない恋をしましたの。
 実るはずの無い、誰にも言えない、禁断の恋を」
 だから隠し通すことにした。自分の気持ちに気付かない振りをして恋心に鍵をかけた。見ない振りをした。言葉にすれば一瞬にしてすべてが崩壊する。
 妹で居られなくなる。
「美夜子さんは克美さんに……恋をしましたの」
 涙が溢れてくる。
「もちろん、告白するつもりなんて有りませんでしたわ。ただ、一結に居たかっただけなんです。それなのに、彼の知らないところで死んでしまった。
 なのに、魂だけがここに残ってしまった。
 そして彼女をこの地に縛りつけたのは、彼女自身の念ではなく、御堂辰巳氏、お父様の思いが美夜子さんをこの地に縫い止めてしまったんです。それがどのような技に因るものなのかは分かりません。ですが、辰巳氏と、紫苑氏、美夜子さんの願いと感情が一つの形を取って、今回の件となったのですわ。
 克美さんにお話しなさるのね? 御堂美夜子は、もう、この世に生きていないのだということを」
 真砂子の腕の中で麻衣が涙を落とした。夢を見ているのだろうか。微かに震えながら静かに泣いている。伝い落ちる涙を優しくそっと拭って、真砂子は脅える子供を掻き抱くように、麻衣をその腕に包み込む。
「話すべきでしょうね」
 腹立たしい程、冷静な声。
 ───この人は、叶わぬ恋でも思い続けたいと願う気持ちなど、本当に理解していないのかも知れない。麻衣を好きなくせに!
 でなければ、どうして自分からああも彼女に係わろうとするのか。どうして彼女にだけ、ああも優しくなれるのか。どうして自分の気持ちに前向きになろうとしないのだろう?
 本当に……自分の気持ちに気付いていないのだろうか?
「その前に、ひとつ言っておきますわ。美夜子さんの霊はまだ彷徨っておられます。克美さんに真実を告げられることを恐れて隠れてしまいました。
 恋に破れた女性の霊は厄介ですわよ?」
「状況は変わりました。先程、あなたは三人揃う事でこの状況に陥ったと仰りましたね。だとしたら、その一角は既に崩れた。彼女は安定した場を保てない。御堂辰巳が浄霊されました」
 うっすらと、笑みさえ浮かべてナルが指さしたその先にあるもの。
 リンが送ってよこしたアトリエの映像。
 その中で、ジョンが聖書を開いて祈りの言葉を捧げている。淡い光に包まれて消え行く男の姿と、後に残される別の男と、憑依していた者とされていた者とが分かたれる瞬間。
 真砂子は深く息を吐いた。
 これから御堂克美はどうするのだろう?
 画面の中で号泣する彼は、本当に養父である辰巳が亡くなった事を悲しんでいるのだろう。そして兄妹二人で生きていこうと決心しているだろうに、その妹は、最愛の妹も、もう居ないのだと知ったら彼はどうするのだろうか?
 そして、この死刑を執行する首切り役人の様な役目を誰がするのか。
 腕の中の麻衣は泣き疲れたのか、いつの間にか涙が乾いて白い筋だけが名残を残していた。
「これからどうなさいますの?」
「ぼーさん達を待って、話を詰めます。どうやら今回の核心に一番近い人物から直接話を聞くことも可能なようですし。三人で一つにまとめ上げた力が分断された以上、各自の能力は格段に弱くなっている筈だ。それから克美さんにどうしたいのか、もう一度尋ねるしかないでしょうね」
 そう、彼の本来の依頼は養父、辰巳の浄霊を、と言うものだった。現状だけを見ればその依頼は果たされたことになるだろう。だが、現実にはこの事件が解決されたとはとても言い難い。
 新に出てきた人物、三矢紫苑の事、そして隠れたままの美夜子の事。この2点を解決しなければ、今回のケースは本当に終わった事にはならない。
 真砂子は思う。
 出来れば、美夜子の気持ちは内緒のままにしてあげたい。だがそんなことで本当に彼女を浄霊など出来るのだろうか。大体常識からすれば、好きだったのだと告白しても、兄が妹の恋愛感情など受け入れる訳もない。却って混乱を巻き起こすだけだろう。
 ナルはどうする気だろうか?
 彼の表情からは、やはり何も読み取れなかった。



◆◇◆

 

 

「克美にーちゃんのショックの方が大きくてな、暫く一人にしてくれって頼まれた。そんでもって、新しく増えた方の旦那は三矢紫苑に間違い無いそうなんだが、随分長いこと憑依してたらしく、衰弱がひどい。それで辰巳氏の寝室を借りて寝かしてあるんだが、話を聞ける状況とは言い難いぜ?」
 アトリエから戻ってきた三人は休む間もなく、報告に入った。怪我は幸い、滝川の打ち身と、ジョンが口の端を少し切ったにとどまっている。リンは無言でテープの編集に励み、滝川と、ジョン、そしてナルの三人で会話は進んでいる。
 彼らがベースに戻って来たとき、もう心配ないだろうからと、寝てしまった麻衣を部屋に運んでくれと真砂子に頼まれ、女性陣の部屋に連れて行ったので、今ここに麻衣の姿は無い。その麻衣に付き添う形で真砂子も部屋に残って居るので、やはり真砂子の姿も見られない。そして―――。
「で、ナルちゃんとしてはこの後どうするつもりなんだい?」
 女性が居ない所為か、機材で一杯のこの部屋が殺風景に感じられる。それでなくても男ばかり四人も一部屋に詰まって居ればむさ苦しいものだ。
 可愛い娘の麻衣に「お疲れさま♥」と言ってもらえるのを楽しみにしていた分、寂しさが倍増してしまう滝川だったが、お仕事はお仕事だ。気分を切り替えて一気に解決を狙いたい所だが、滝川達が苦戦して居る間に、こちらでも何か有ったのは空気で分かる。真砂子と麻衣が居ない以上、ナルが説明する役なのだが………
「まず、アトリエでの出来事をまとめてみよう。麻衣が夢で視た通り、この一件は美夜子、辰巳、紫苑の三名が協力しあって、発生したとみてまず間違いないだろう。誰がどのような役割を担って居たかはひとまず置いといて、彼らの目的は『克美を引き留める事』が第一だった。辰巳にしろ、美夜子にしろ、『家族』であることに執着してた訳だ。
 それに同情したのか、三矢紫苑が加わって、この様相を成す。間違いないな?」
 モニターとインカムから得た情報を、現場に居合わせた本人に確認する。ジョンと滝川が頷いたのをみてナルは言葉を続けた。
「彼らが恐れたのは『克美がこの家を出て行く事』だった。その為に怪現象を起こしたわけだ。
 麻衣や原さんを狙ったのは紫苑と云う人形師と推測されますが、理由は不明。ぼーさんの報告によれば、僕の顔も有ったそうだから、次に狙われる予定だったのは僕だったのかもしれませんね。これは直接本人に聞いた方が早いだろう」
「辰巳さんのお言葉に因りますと、紫苑さんゆうお方は『身代わりの人形』を作ろうとしてはったようです」
 思い出したようにジョンが告げる。
「克美さんが居れへんようなっても、寂しくないように、辰巳さんをお慰めする為に人形を作ってはったんやないですやろか」
「そう言やぁ、そんなことも言ってたか。だが、美夜子ちゃんが居るのに、麻衣や真砂子ちゃんの人形まで作る必要が有るのか?」
 滝川が首を捻るのに、ナルが「ああ……」と小さく頷いた。
「必要だったんだ。だが納得のいく作品が出来なくてモデルを探すうち、僕らに目を付けたんだな」
 話の見えない三対の目がナルを見る。
「可能性としては悪くないと思うが、辰巳氏を慰めるのが目的だったのかどうかは分からない。もしかしたら違うのかもしれない。例えば、必要だったのは、魂を入れる器だったとか。今のところ、どちらも推論でしかない。が、ここに一つ新しい事実を付け加えるとしようか。先程、松崎さんから連絡がありました。裏も取ってあるそうです。
 御堂美夜子は半年前に、死亡しています」
 ナルは黒衣を纏った死神の様に、そう宣言をしたのだった。



◆◇◆

 

 

 何度目かの夢を見ていた。
 何度も繰返し見ていたはずなのに、起きたときには忘れてしまう夢。
「いいなぁー。あんなお兄さんだったら自慢出来るじゃん」
「ねぇ、紹介してよ」
 事実、彼は自慢の兄でクラスメイトにそう褒めてもらえるのほとても嬉しかった。だけど、『紹介』となると話は別だ。
「ごめ〜ん、お兄ちゃん今度留学するの。だから今忙しくて、―――ね、それより前に言ってたバスケ部の彼、どうしたのよ?」
 どんなに仲の良かった友人でも、兄に必要以上に近づかれるのは嫌だった。だから躱す。
「あら、可愛い妹さんね」
 兄の同級生だという女性が話しかけてきたこともあった。大抵は兄の情報を得るためと、妹を抱き込んで彼に印象づけようとしているのが見え見えで、美夜子の気に入らないタイプが殆どだった。
 だいたい、その程度の顔でお兄ちゃんの横に並ぼうという気が知れない。そんなにほつれた性格で、妹に媚を売ろうというのもいただけない。
 だからこんな時は、兄の背中に隠れて脅えた振りをする。彼女が話しかけて来る度に、兄の腕をつかまえている指先に力を込める。そうすれば兄は美夜子が相手の女性を怖がっていると思って、距離を置くようになるから。だけど、自分とて兄の幸せを願わない訳では無い。本人に聞いてみたこともある。
「お兄ちゃん、好きな人とか付き合ってる人とか居ないの?」
 そう聞けば、応えは決まって
「そう言う美夜子はどうなんだい?」
 ───だって、お兄ちゃん以上に綺麗で、優しい人なんて居ないもの。どうして私はあの人の妹だったんだろう。
 何故?
 ───だから、あの日、あんな無茶をしたんだ?
「そうね、あの日、私は日に日に強くなるお兄ちゃんへの思いを断ち切るために、友達の誘いに乗ったんだわ」
 ───なんて誘われたの?
「良いアルバイトがあるから、やってみない?」
 ───いけないことだと分かってて受けたの?
「だって、お兄ちゃんでないのなら、皆一緒だったから」
 ───それで引き受けた?
「そうよ。あの事故はあの男がお兄ちゃんやお父さんにばらされたく無かったらなんて、脅してきたから起きてしまったの。知られたく無かった。
 何があっても、お兄ちゃんには知られたくなかったから……」
 美夜子はそこでふと首を傾げた。
 今、自分は誰と喋っていたんだろう?
 夢と現の狭間の闇は何処までも静まり返り、辺りの気配を探っても何も感じない。
 ふう、と息を吐き出す。
 彼女という希有な存在が美夜子を惑わせる。
 これも一つの可能性か、それとも運命か。最後の最後に、一つだけ、賭けてみよう。その為には彼女が必要だ。協力してくれるだろうか?
「───まさん、谷山麻衣さん。私の声が聞こえたらお願い、返事をして?」
 永劫の闇に一筋の光が差して美夜子は安堵する。少なくとも彼女は自分のしたことを怒ってはいない。この光を辿ったその先に彼女は待っている。
 美夜子は勇気を振り絞って光を目指した。


シュレーディンガーの箱は開けられました。
そこにあった可能性の一つは消去され、残った物は‥‥‥?

ところで、この中途半端な長さの何処に挿し絵絵を入れようか悩んで挫折と云ったら怒りますか?(汗)


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