ラジオ少年の自己紹介


高井家長男として昭和35年旭川に生まれる。2歳にしてラジオに興味をもつ。 父親や叔父達の影響を受け、小学校入学と同時に半田ごてを握る。最初の夏休みの工作はトランジスタラジオ。 無線機、テレビ、オーディオなどの電子回路設計と製作が趣味の典型的な「ラジオ少年」。 屋外で遊ぶことよりも、部屋一杯に広げられた電子部品(ジャンク)の山に囲まれて、 独自の回路を設計し、それを実現するプロセスに食事も忘れて熱中することに何よりの幸福を感じる。 小学校を卒業するころには真空管式のオリジナル白黒テレビやアマチュア無線受信機 (トリプルスーパーヘテロダイン)を作り、周囲を驚かせた。将来は「科学者」になりたいと想っていた。

補足:本来「ラジオ少年」とは昭和23年頃から30年代前半にかけて自作ラジオやアマ無線など 弱電系の電子工作に寝食忘れて没頭していた当時小中学生くらいの少年たちを意味する。


中学に上がると、当時ブームだったUコン(コントロールライン)を始めるも飽き足らず、 排気量0.1ccの模型エンジン(米Cox社 TeeDee 01)を搭載した 小型模型飛行機とその遠隔操縦システム(1ch, Escapement方式)の設計に没頭。 相変わらず既製品や完成品には全く関心を示さず、 細部に渡るまですべて自ら考え、計算し、作り出すことが根本姿勢。 送信機の変調トランスは手巻き。 2個のリレーで実装した電気式パルサーを内蔵しており、見た目はシングルプロポ。 超再生方式の受信機はリレーレスでエスケープメントを直接ドライブ。 何から何まですべて手作りの飛行機が、日曜日のグランド上空を自分の意のままに悠然と舞う。 もはやそれは自らの分身に他ならなかった。

補足:このころ3機ほど制作した最後の1機は、現在も書斎の天井に飾ってある。 バルサに絹張り・ドープ仕上げ。当時のCox01エンジンやOS製エスケープメントはもうないが、 モーターとプロポを搭載すれば今でも飛ぶかもしれない。


はじめ趣味と直結した工業高校への進学を希望していたが、父親に諭され市内の進学校に進む。 一転、音楽の世界に興味をもち、特にELPなど当時プログレと呼ばれた、様々な音楽ジャンルの融合を 試みる進歩派に傾倒。また日本の電子音楽の草分け的存在である冨田勲氏に憧れ、2年の歳月をかけて アナログ・ミュージック・シンセサイザーを開発。 木目調のキーボートも手作りであった。大学進学を機に親元を離れ、杜の都仙台へ。 自作のシンセサイザを下宿に持込み、多重録音を駆使して電子音楽の自己流の作曲や演奏に興じる。 さらに自動演奏のための12bitデジタル制御シーケンサを開発。 卒論では自らの総決算のつもりで持てる設計ノウハウすべてをそそぎ、 超伝導素子のためのCAMシステムを作り上げた。 大学院では並列計算機アーキテクチャを主題として博士学位論文をまとめ、 子供の頃からの夢を実現するに至った。 大学院修了後、プロの研究者としてのスタートを東京本郷で向かえることとなり、 コンピュータグラフィックスの国際舞台へデビューを果たした。

補足:博士論文題目は、"A General-Purpose Pipeline System for the Function-Level Programming Language"。関数型言語FPの処理系を汎用パイプラインアーキテクチャの並列計算機で実現する。 今で言えば、ビッグデータのMapReduceをパイプライン処理するようなものである。 130ページにわたる博士論文はIBMの英文ワープロDisplaywriterで作成され、片面単密(1S)の 8インチフロッピーディスク3枚に納められている。 図版やグラフは全てロットリングとステンシルで手描きである。


高井昌彰
癒しの真空管電子工作 since 2010