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消費性向と限界消費性向 |
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| 経済透視図
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経済学の分野には「消費性向」という言葉があります。所得に占める消費の割合を示すもののことです。たとえば月収二十万円の家計所得の家族が月に十六万円を消費に回した場合、消費性向は16/20
= 0.8とされます。一般に所得の高い家計の消費性向は低く、所得の低い家計の消費性向は高いという傾向があります。月収二十万円の家計の消費性向は0.8であっても、月収八十万円の家計の消費支出が四十万円であればこの家計の消費性向は40/80
= 0.5となり月収二十万円の家計の消費性向より低くなります。確かに消費している金額自体は十六万円と四十万円ですから高額所得の家計の方が消費している金額の絶対額は大きいのですが、消費性向とは消費に回る割合を表現しているもので絶対額の大きさを比べるものではありません。
この二つのモデル家計に各々一万円の臨時収入があった場合には二つの家計がその一万円をどのように利用するかを考えると、月収二十万円の家計は七千九百円を消費に回し、月収四十万円の家計は四千八百円を消費に回したとします。このとき一万円に占める消費に回った金額の割合を上と同じように示すと0.79と0.48となります。この数字は「限界消費性向」と呼ばれます。限界消費性向は消費性向に近い値を出すので、 最終一単位の追加所得の中から消費に回る割合は低所得の家計の方が高く高額所得の家計の方が低くなります。 低所得者の方が高額所得者よりも消費性向が高いことをここでは所得階層(階級)別消費性向と所得階層(階級)別限界消費性向と呼ぶことにします。 したがって高額所得層と低所得層の二つの家計にそれぞれ一万円づつ合計二万円を追加所得として与えた上の例では追加所得の中から消費に回った総額は一万二千七百円となりますが、追加所得二万円が低所得家計に与えられ高所得の家計には追加所得がない場合、二万円の追加所得があった低所得家計が0.75の限界消費性向だったとすると消費総額は一万五千円となり高額所得世帯と低所得世帯の両方に平等に追加所得を与えた場合よりも消費額は多くなります。 追加所得の総額は同じでも消費総額は増えるのです。 それとは逆に高額所得世帯に二万円の追加所得を与え低所得世帯には追加所得が無く、高額所得世帯の限界消費性向が0.45であったとすれば消費に回る額は九千円となり、総消費額は一万円ずつ二つの世帯に平等に追加所得を与えた場合より減少します。従って同じ追加所得でも高額所得者に追加所得が生まれるより低所得者に追加所得を与えた方が個人消費にはプラスが大きいと言うことになります。すなわち高額所得者に追加所得があるとそれらの人達の財布からオカネがあふれ出て下々の人にオカネが滴り落ちてくると言ういわゆるトリクルダウンを期待するよりも低所得者に追加所得を与えることの方が個人消費が増える確実性は高いというわけです。 以上に述べたような家計の二つの世帯で形成される社会のモデルは全く現実 を反映したものではないかというと、ある程度現実の状態を反映しています。それは生活協同組合が行 い朝日新聞に千九百九十年代に掲載された 「所得に占める支払った消費税の割合の所得階層別比較」のデータでわかります。生協が調査したからこのようなデータが出たというわけではなく、消費税には逆進性すなわち低所得者にとって税負担が大きくなる性質があるという世界的に共通の性質が日本でも確かめられ たと言うことでもあります。そのことは日本よりも前に消費税(一般に海外ではは付加価値税と呼ばれる)を導入した国々において指摘され ていたことであり、そのため消費税を日本より早く導入している国々の多くでは生活必需品である食料品や子供用品などには課税しない方式などがとられている場合もあります。それは低所得世帯ほど収入に占める食費の割合が大きいと言う いわゆるエンゲル係数から考えても、食料品には消費税を掛けないようにすれば高額所得者も税を払わなくても済むことにはなるとは言っても低所得階層の方に一層の有利さが増すからです 。日本にも「食べるに追いつく貧乏なし」という諺があります。低所得者は食べることに追われ食費分を稼ぐこともままならないというわけです。しかし所得が倍になったからと言っても人はよりうまいものは食べても食べる量が倍になるわけでもなく、所得に占める食費の割合は低所得層の方が高くなると言えるでしょう。また日本の場合は少子化ですのでそれを食い止めるための子育て支援として乳幼児用の紙おむつや粉ミルクあるいはほ乳瓶やほ乳瓶の洗浄液などのベビー用品は非課税にしたり税率を下げたりすることも一つの方法と言えるでしょう。二千八年四月十六日の読売新聞朝刊には各国の付加価値税率のグラフが載りましたが、それによればスウェーデンの付加価値税率は二十五%で食料品の税率は十二%、ノルウェーのそれは二十五%と十四%、フィンランドは二十二%と十七%、イタリアが二十%と十%、フランスは十九・六%と五・五%、ドイツは十九%と七%、オランダが十九%と六%、イギリスは十七・五%と0%、中国はどちらとも十七%、スペインは十六%と七%、フィリピンはどちらとも十二%、韓国もどちらとも十%、オーストラリアは十%と0%、シンガポールはどちらとも7%、タイもどちらとも7%、カナダは5%と0%、日本はどちらとも5%となっています。発展途上国と言われる国々を別にすれば、あるいはアジアの国々を除けば、北欧や欧米系のどの国においても食料品の税率は他の物品やサービスの税率よりも低いのが常識と言えます。すなわち消費税(海外での付加価値税)の持つ逆進性を認めているといえます。そしてもし「そのような所得階層別の消費性向という事実は生協が出したデータだからだ」「朝日新聞に載った記事だから」という意見があるなら、どこの調査機関やシンクタンクあるいはマスメディアでもよいですからそれを反証する事実があるかどうか調査データを集めればよいわけです。 消費税を日本よりも早く導入した他の国々の消費者とは全く違った消費行動を日本の消費者がとっているというデータでも出れば、日本の消費者は世界の中では異例なものとなることでしょう。世界の消費者と違って日本の消費者は特殊だという言い分があるならそのデータを出してみてもらいたいと思います。すなわち日本の高額所得者は所得のほとんどを消費に回し、低所得者は所得のほとんどを貯蓄に回しているといえるのかどうかと言うことです。 個々の国々には固有の文化が存在し、キリスト教圏だからあるいは仏教圏だからという各異なる宗教圏があり、また個々の国々の経済規模や経済状態によってそれぞれ異なった経済政策を立てて経済を運営しているとは言っても、経済的な場面での消費の所得階層別の構造までが固有であるとはいえないのです。 例えそれが神道の信奉者でもヒンズー教徒でもあるいはイスラム教徒の世界に於いても、またあるいは無宗教の国や地域であってもデータを調べ出す条件があればそのような消費の構造は存在しているといえると思われます。 『ユダヤ人と日本人』を書いたイザヤ・ベンダサンは「日本人は宗教を信じていないと言うが、日本人は日本教という宗教の立派な信者だ」と述べていますが、日本教でもナショナリストでも、所得階層別消費性向の構造はこのようなものになるのだろうと推測されるので、所得階層別消費性向の構造にはそれらの違いを超えて普遍性があるのです。すなわち「日本の常識は世界の非常識」ともよく言われますが、日本の消費者は世界の消費者の常識と同じ常識を持って消費行動をしているといえます。 その事実を認めようとしない日本の常識こそが世界の非常識と言えるでしょう。日本の大企業経営者が「高額所得者は高いものを買い消費税もそれだけ沢山払っているのだから消費税は公平な税だ」などというのは世界の中では常識外のことと言われることでしょう。確かに日本人の貯蓄性向は世界で一番高いとしても、消費行動の場面では消費性向の方が高い他の国の消費者とも同じ消費構造を結果として形成する消費行動をとっています。 宇宙の銀河の中には、ミクロの場面ではグジャグジャに見えそれをカオス理論で考えなければならないものもマクロの場面ではそこに構造が見えてくる 、銀河同士がぶつかり合ってできた「車輪銀河」というものがあるそうです。 生活を切りつめて貯蓄をしようと考えていたら思わぬ出費を余儀なくされたりして、個人消費や世帯別の消費支出など家庭の中はどこの家族もグジャグジャでミクロで観察すると秩序がないように見えたとしても、マクロで見れば構造が存在するのが見えて来ると言えばいいでしょうか。そして消費税には逆進性があると言うことを裏返して表現すれば、低所得の家計の方が高額所得の家計よりも消費性向が高いと言うことになります。すなわち消費税の逆進性と所得階層別の消費性向とは同じ事実を異なる見方で表現したものであるとも言えます。 そしてこの所得階層別消費性向に関するデータは私が電話で直接問い合わせてみたところでは財務省も『データパル』を出版している小学館もまた『日本国勢図会』を出版している国勢社も持ち合わせていないとのことなので、先の生協のデータを反証するものは現在のところ全く無いので暫定的にせよ生協のデータを根拠あるものとして私は話を進めることにします。多くの調査機関はそのデータを持っていませんしそのようなことを調査する気もないというのが現実と言えそうだからです。 そして将来的に日本の消費税の税率を十%以上にする議論が出始めていますが、その時点では日本も食料品などの税率は低く抑える複数税率に移行するかも知れません。確かに複数税率にして食料品を非課税にする場合などにも、ではキャビアやホアグラあるいはフカヒレなどの高級食材も税を控除すべきかどうかなどの線引きの難しさは生まれますが社会の中にある所得階層の違いがある程度反映されるべきであると考えます。消費税の持っている性質、すなわち税の逆進性やそれと同じ所得階層別の消費性向というものを明確にするには税率が一つ言ってみれば単一税率であるときの方が複数税率より明確な形で現れるので、消費税引き上げ論議をする上の資料にするためにも複数税率導入前に逆進性や所得階層別消費性向の状態をきっちりと調べだしておくことが望ましいと言えます。 二千三年には読売新聞紙面では「消費税議論をさけるな」といった記事も見られますが、議論する上での十分な基礎的資料は必要だろうと思うからです。日本に消費者庁が作られたのは福田内閣においてからのもので、消費分野を重要視するようになったのはつい最近のことです。従って消費の分野についての研究はそれほど十分であったわけではないのが日本の実情といえますから、十分に消費の構造を考えるべきともいえるのです。確かに個々の商品についてのマーケテイングや消費動向調査などは存在したにはしたものの日本では数多くのビジネス書は書かれてはいても消費者あるいは個人消費部門をマクロで捉えた研究はほとんどおこなわれていなかったのも事実だからです。その背景には戦後の日本経済が極度のもの不足の状態であり、ものを作りさえすれば売れると言う条件と戦時中の総生産力理論の生産優位という発想で戦後復興を行ったことに起因する部分があります。また金持ちの人の中には「貧乏人にカネを渡しても奴らはすぐに使ってしまう。だからいつまでたっても貧乏人は貧乏人のままなのだ」という意見もあるでしょう。しかしまさにそこにこそ貧乏人が社会に貢献し大きな役割を果たしている部分があるといえるのです。所得のほとんどを消費に回してくれる人たちだからです。またそうしないと生活がやってゆけないのが貧乏人と言うことだからです。犯罪史でもない限り低所得者はいつの時代においても歴史に名を残すことなどない人たちではありますが、社会の中で果たしている役割はそこにあるわけです。その意味では後に紹介するトマ・ピケティ氏の経済学が『格差の経済学』と言えるとするなら私がここで述べたことは『貧乏人の経済学』と言ったところでしょうか・・・?これは海外のデータですが確かに金持ち・中流・貧乏人では意識の面で違いがあるようで日本でも似たような状況があるかもしれません。いつまでも貧困に甘ずることなく貧乏から脱出するために貧乏人も気持ちや考え方を切り替え自助努力する必要はあるとは言っても、社会構造では以上のような消費支出の実態があると言うことです。「努力しさえすれば誰でも必ず成功する・・・とは限らないが、成功した人は必ずどこかで努力をしている」とはよく言われることだからです。 さて、限界消費性向は所得に対して最終一単位の追加所得があった場合の話でしたが、'99年に現れた消費性向のデータで、家計の消費性向が幾分上昇したというものがあります。では消費者の消費が盛り返したのかというと、平成不況の中で所得が減ってしまったので消費性向が上がったのです。すなわち所得の減少にあわせてその分消費を切りつめることは各家計にとって難しいことであり、消費の減少分より所得の減少分の方が大きければ消費性向は上がってしまうわけです。所得が上昇しその所得の上昇分より消費の伸びの方が大きくて消費性向が上昇したというのなら消費は旺盛だといえますがこの時点での消費性向の上昇は決してそのようなことではな く、所得の減収分に見合った消費の切りつめが仕切れていないことの結果です。結局、平成不況に突入してからかれこれ十年過ぎた'99年の段階での日本の消費の状態は、消費性向が上昇して「消費の状態は底堅い」と言うわけではなく、所得が減少してしまったので各家庭が消費性向を上昇させざるを得なかっただけだと言えます。 なぜなら消費性向は上がっているのに経済はデフレすなわち物価は下落だからです。 経済学者のケインズは経済を「所得・消費・貯蓄・投資」として表現しました。所得から消費に回った分をマイナスした残りは貯蓄に回りその一部が投資になって行くというわけです。それ以外にも所得から引き算されるものには税金や社会保障費などがありますが、その税金は公共投資などの費用や公務員給与などにもなります。民間部門と公共部門との混合として経済をとらえたアメリカ初のノーベル経済学賞受賞者のサミュエルソンは「混合経済学」を確立した人です。ケインズも公共部門を無視していたわけではなく、むしろ積極的に公共部門が財政出動をすることを理論化しました。『不況の経済学』と言われるケインズ経済学は不況によって生み出される多くの失業者に雇用の場を与えるために公共事業を行うことを不況克服の処方箋としたのです。「たとえそれが王のためのものであっても、ピラミッド建設当時のエジプトは完全雇用の状態だった」というケインズの言葉がそれを端的に表現しています。平成不況に突入した以後の日本経済においても日本政府は何度も緊急経済対策や総合経済対策として財政出動をし公共事業を行ってきていました。しかしこの時点では公共工事による経済への波及効果がかつてほど大きくないのです。すなわち景気浮揚効果が低下しているわけです。限りのある財源で景気浮揚を行うと言うなら最大限費用対効果を考えた予算の配分にしなければなりません。 すなわち所得税制で言うなら、高額所得世帯に減税することは減税額の規模が同じであるなら消費の浮揚という観点からは低所得層に対して減税するよりも不効率だということです。 平成不況突入後の緊急経済対策や総合経済対策では所得税の減税も行われてきました。細川内閣の時の所得税の減税は定率減税でした。村山内閣では低所得者への減税割合を高くする方式がとられましたが、橋本内閣になって梶山官房長官は所得税減税は臨時措置であると言ってうち切りました。橋本内閣の時には消費税が三%から五%へと引き上げられたこともあって極度に消費が落ち込み、経済政策の失敗と評価されて参議院選挙では自民党は大敗しました。その後自民・自由の連立政権となって小渕内閣の下では消費の活性化のために公明党が提案した地域振興券の配布が行われました。低所得者だけに地域振興券を配布するという案もありましたが、その場合には地域振興券で買い物をした場合その本人が低所得である事が他人にわかってしまうと言う欠点があったため、所得に関係なく十五歳以下の子供と老齢年金を受け取っている老人への配布となりました。地域振興券の場合は確実にそれが消費に結びつく可能性はありますが、その配布のされ方は所得階層別の消費性向などとは関係なく行われたと言えます。本来なら消費性向の高い低所得者の方に所得が移転した方が消費に結びつく可能性が高いと言えます。村山政権以後自民党が政権の座に返り咲いた時点で行われていた所得税の減税は定額方式だったので、限界消費性向を所得階層別に調べてみるにはちょうど良い方式だったともいえますが、そのような調査結果を私は寡聞にして見たことがありません。また二千八年度において福田首相の任期半ばにしての退陣という事態の中で総合経済対策が打ち出されていますが、公明党の主張を入れて定額減税が盛り込まれました。民主党は定率減税を主張してもいます。私からすれば定率減税だと減税される絶対額が高額所得者は大きく低所得者は小さくなるので、それよりも定額減税の方がベターだとは思います。なぜなら同じ減税額なら低所得者の場合は所得が少なく分母が小さいので所得にに対して減税割合が大きく高額所得者にとっては分母の所得が大きいので所得に対して減税割合が小さくなるからですが、定率減税にしろ定額減税にしろ所得階層の違いによって経済行動が違ってくることに対する考慮が最大限にはなされていないと思います。高額所得者には定額減税の減税額より減税額が少なくなるように減税率を小さくし低所得者には定額減税の減税額より大きな減税がなされるように減税率を大きくした方が効果的だというわけです。定額減税の時点で想定していた減税額全体をそのまま使うとするなら低所得者には大きな減税額になることを願うわけです。その後政府の中からは課税最低限度額にも所得が達していない非課税の人達への所得移転である定額給付を打ち出す声も出ていますが、低所得であればあるほどその部分に最も多額の給付金による所得の再配分をすることが消費を増やす上では最も効果があると言えます。その後この給付金には所得の上限を設定するという方針が出されましたので、この時点で想定していた減税額全体をそのまま使うとするなら低所得者には大きな給付金額になることを願うわけです。すなわち所得税の課税水準に及ばない二千八百万人の低所得者にこそ大きな給付額になるように給付金を支給するべきだと言えます。あるいは日本の富の七十五%を手にしている二十五%の日本人は除外して、日本の富の二十五%を分け合っている七十五%の日本人の人達に富を再配分すべきとも言えます。全世帯に対して所得階層の違いを考慮せずに一律の給付金ではバラマキと批判されても仕方ないわけです。経済構造の中で人々は公平で平等になっているわけではないのですから給付金を一律にして「公平で平等にしているのだ」と言うことは出来ません。人々の経済的な条件を公平で平等に近づけるためには対策の方法はそれに応じて対応すべきであって一律では不公平で不平等な作りを固定化するだけです。すなわち所得が再配分されたことにはならないのです。みんなが同じ額の給付金をもらえば「恨みっこなし」になると言えるのかどうかです。二千八年九月時点の日本経済はそれまでのデフレ経済から原油か価格や穀物価格の国際相場の上昇により、またアメリカの金融危機などの影響により世界経済の減速という中でスタグフレーションに陥る情勢と言えますが、エネルギー価格や食料品価格の上昇すなわちインフレの影響で最も苦しみが増すのは低所得者の方です。従って低所得者に減税幅を大きくすることは消費を増やしてインフレを加速させる面も否めないにしても、生きて行けないような状態に陥る人の数を最小限に抑えるための社会的な配慮としてはそうする方がよいと私は考えます。所得税制においては、すべての人に満足してもらえる税制というものなど神様でも作ることは不可能です。どこかの所得階層の人の税負担がもっとも大きくなり、その階層が重税感を感じてしまうからです。その時初めて、日本経済全体にとってどのような税制が経済活力を生み出す上で最も有効な税制であるのか、また生きてゆくことが出来ないような人を最小限にとどめておくのに最もよい方法は何かという視点が必要になってくるのです。日本経済全体のためにと言っても、それはかつての全体主義の時代の下が上に貢ぐのとは方向が逆で、上が下へと貢げば経済全体が浮揚するという言い分です。少なくとも所得税制においては、日本経済にとっての最大部門である個人消費にとって、どのような所得税制のあり方が個人消費を活性化させることのできるものなのかを十分に考える必要があるでしょう。すなわち高額所得者階層へ減税効果がある所得税制よりも、消費性向が高い低所得階層へより減税効果が及ぶ所得税制の方が日本経済における個人消費の活性化には効果があると思えるのです。たとえ増減税中立型、すなわち税収面から見ては財政にとってプラスにもマイナスにもならないもの、すなわち財政にとっては税収が増えも減りもしない中立的な税制であっても消費を浮揚させる上で有効な税制もあれば効果が低くなる税制の組み方もあり得るのです。それは税制の組み方一つで日本経済を活性化させたり、その逆に沈滞させたりする道につながるものなのです。 これは社会の全ての人の所得が等しい場合以外、すなわち社会に所得の格差が存在している限り成り立つことであり、また大きな政府でも小さな政府でも消費税や所得税制が存在する限り言えることです。小さな政府になると所得税や消費税を政府が取らなくなるという以外は是正措置もとれるのです。すなわち行政機能を肥大化させなくても所得の再分配はできるからです。 ケインズ経済学の中には総需要曲線というものがあります。社会全体の所得が上昇するにつれて総需要の伸び率は徐々に低下して行くというものです。ロシア出身の経済学者で産業連関表を考え出し計量経済学の生みの親となったノーベル経済学賞受賞者レオンチェフはこの総需要曲線の前提ははっきりしないと疑問を提示してますが、日本の所得階層別に見た消費税の支払い割合から推測して社会全体の需要にも所得が上昇して行けば需要の伸び率は徐々に低下しその分貯蓄に回される割合が伸びて行く傾向はあるだろうと思っています。戦後の日本経済はおおむね右肩上がりの賃金の伸びを示して来ましたし少子化による労働力不足はこれからの問題だとしても、戦後すぐの時点から二十世紀が終わるところまでの日本の労働人口は増加してきていたので日本の総所得の水準は伸びてきていたと思います。その総所得の伸び率に比べれば総需要の伸びは総所得が増えて行くに従って徐々に総需要の伸び率が低下していったのではないかと考えるのは全く根拠がないことだと思えません。そしてそのような傾向のなかで日本の個人預貯金は非常に多額なものになってきていたと考えられるわけです。バブル経済崩壊後の日本経済においてはこの社会全体の需要が極端に低下しそのため生産も減少し人員整理のためのリストラすなわち従業員の解雇となり、雇用不安の中で消費者は支出を切りつめ社会全体の需要の低下となり、それは企業収益に跳ね返り......と言ったデフレスパイラルが生まれ出てしまいました。 消費性向と逆の概念には貯蓄性向があります。日本人の貯蓄性向は比較的高くアメリカ人の場合は日本とくらべて消費性向が貯蓄性向よりも遙かに高い社会だと一般に考えられています(とはいえ二千十三年時点での日本の貯蓄率は2.3%であるのに対しドイツの貯蓄率は11.3%だとのことで、ドイツと比べれば日本の方が遙かに消費を好んでいると言えます)が、戦後すぐの日本の状態は貯蓄もしたいがモノも買いたいと言う状況でした。貯蓄と消費を同時に増加させるには所得を上昇させる以外に手がありません。それが池田勇人首相が唱えた「所得倍増計画」でした。この計画によって日本は高度経済成長の時代を迎えたのですが、その所得倍増計画の裏で経済的な政策シナリオの作成をしたのが下村治という経済学者でした。その政策が軌道に乗り日本は見事に経済大国になっていったわけですが七十年代に二度にわたる石油危機を経て日本経済は安定(中)成長の時代に入りました。 高度成長の時代は終わったのです。この時点から円高不況に至るまでの日本のマネーサプライは8%と、マネタリストのフリードマン教授が日本経済を模範生と評価するような経済状態でしたが、その後日本経済は日本人が貯蓄した資金を投資する際に土地と株に大きなバブル状態を発生させたわけです。八十年代のバブル経済最盛期におけるマネーサプライの水準は8%を遙かに超える水準でした。バブル経済崩壊後の日本経済にとって経済の浮揚のもっとも大きな足かせになっているのは消費の落ち込みです。すなわち 社会全体の需要の水準が戻らないのです。銀行の不良債権に端を発した貸し渋りは中小企業などに深刻な影響を与えたと言えますが、貸し渋りによって中小企業の資金繰りが行き詰まって従業員の解雇となり、失業者が生まれて消費が落ち込むという状況が生まれ出た部分はあるにしても、それはあくまで本質的にはサプライサイドすなわち供給の側にとっての問題であり需要の側から引き起こされてきた問題ではなかったといえます。バブル経済崩壊後の高失業時代は金融機関の不良債権処理が本格化した時点から顕著になってきたことであり失業率が急上昇するよりももっと早くから消費不況の状態に突入していたのです。そして九十年を底にして上昇し始めた完全失業率の上昇に伴って自殺率が上昇しその自殺率は九十七年から急上昇しています。これはまさに不良債権処理が本格化して金融が大きく梶を切り始めた時期と時を同じくしています。 九十九年八月のサラリーマン世帯の消費支出は3%以上の落ち込みを記録したと報じられています。そしてもしこのように消費支出を切りつめてもなお消費性向が上昇しているとしたらそれだけ所得の減少が大きいと言うことになります。大企業・中小企業と順次行われてくるリストラなどの余波とそれに伴う収入の減少そしてそのことによる消費の停滞による売上高の減少が再び生産側に跳ね返り更なるリストラを生み出すという悪循環が生まれるような状況があります。日本の中小企業の雇用人口の割合は全産業の六十六%を占めていて、この分野で多くの企業が倒産して行く動きが出始めたときには日本経済には大きな打撃となるはずです。一つ一つの企業は小さくて大企業が一度に何万人のリストラをするなどと言ったマスコミが大騒ぎするようなものではなくとも、中小企業が死に絶えるとき大企業をリストラされた人員の雇用の受け皿は皆無になるわけです。これまで安定的に推移してきた日本の雇用という条件に激変が起き、それを受けてたてるだけの新規産業が日本国内で育ってきていなかったこと、また育ち始めているにもかかわらず銀行の貸し渋りのためにその芽が摘まれてしまう事態などもあります。サラリーマン世帯の消費支出が減少したと言うことは所得が減少している部分もあるかも知れませんが、このような雇用などを巡る将来への警戒心も加わっていると言える局面もあるのではないでしょうか。 日本の勤労者の八十二パーセントは給与所得者すなわちサラリーマンすなわち五千三百万人と言われる日本人がサラリーマンであることを考慮すれば、サラリーマン世帯の消費支出の動向が日本経済に大きな影響を与えることは明らかといえます。安定志向が強かった戦後の日本経済でしたがサラリーマン達が自分の将来に対して警戒心も持たずにいられる状況ではなくなっているからです。これまでの日本型雇用といわれるものの中で企業城下町を形成してきた地域にもその余波は及んできています。中小企業や個人のレベルでも系列にすがったり会社だけを百%信頼していられる状況は変わり始めたと思います。 付記:二千十一年十二月六日の朝日新聞朝刊には、この時点で注目されている税と社会保障の一体改革に伴う消費税の増税に関連して消費税が10%に引き上げられた場合の夫婦と子供二人の家族における消費税の負担額を第一生命経済研究所が試算した結果が載っています。
以上がそこに載っている世帯年収と負担増額の一覧なのですが、消費性向の所は私がそれらの数字を元にして各所得階層の年収の上限で負担の増額分を電卓で単純に割り算して出した値です。ですから私が消費性向として示した数字を20倍した数字がかれこれ実際の消費性向にほぼ近い値と言ってよいでしょう。すなわち私が示した数字は消費税5%の増税による消費税の増額分を所得で割り算しただけのもので、5%の消費税の増税分が11万7576円である250万円以下の年収の世帯の消費支出は230万円くらいになるはずなので消費性向の値はもっと大きく0.94近辺になり1250万〜1500万円の所得層の消費性向は0.34程になると考えられるのは当然なのです。ただ私の示した数字は消費性向に対応する数字として一応の目安の指標にはできると思います。そして高額所得者ほど消費性向の数値が小さくなる傾向があることが読み取れることと表裏一体のものとして、消費税は低所得者ほど所得に占める消費の割合が大きく重税感がある税すなわち逆進性のある税だということを示すものだとも言えるのは当然です。低所得の人の方が高額所得者よりも消費に向かう傾向が強いということはかつては「仮説」とされていたようですが、現在ではそれはもうデータで示し裏付けることができる事実になったと言ってもよいようです。付記2: 二千十一年末には二千十五年からの増税路線に絡んで所得税の最高税率を年収五千万円以上の人からは四十五%に引き上げる方針を野田内閣の民主党が決めたと報じられました。その対象になるのは三万人ほどとのことです。二千十一年十二月三十一日の朝日新聞朝刊のその記事では、「所得税の最高税率は、千九百八十年代には課税所得八千万円超の人を対象に七十五%かかっていたが、消費税の導入などに伴い減税が繰り返された。収入が多い人にお金を使ってもらって景気をよくしようと言う考え方からだった。・・・所得税の税率構造は、今の六段階から七段階に増える。」となっており、相続税も富裕層に重点を置いた増税になるとされています。収入の多い人にお金を使ってもらって景気をよくしようと言う考えは、富裕層は自分の基礎的な生活は十分にまかなえている階層なので、マンションを購入するにも絵画などの美術品を買うにもあるいは金や宝飾品を購入するにしても将来的にそれらが値上がりすることを期待したりあるいはマンションの部屋を貸すことで収入をさらに増やすための投資としての消費に回ることだろうと思われます。金持ちはカネに大様かというとそうでもなく細かい場合が多いと言えるでしょう。「貧乏人が生活を切り詰めて作ったお金を他の貧乏人に貸しても利子は取らないが、金持ちが貧乏人にお金を貸すときにはちゃんと利子を取る」とでも言えばいいでしょうか。すなわち金持ちの消費は消費支出という一般的に受けとられるイメージとは異なる消費支出と言えるわけです。最終消費は低所得者の方が消費支出する割合が高いことを認めるのであれば、高額所得世帯への減税は必ずしも言葉通りの消費には結びつかないことでしょう。すなわち外部からの強制力が働いたりしない限り、いわゆるトリクルダウンが起こるようなことを期待できる構造の作りには個人消費の部門は出来ていないと言うのが現実です。高額所得者は手持ちの資金を株や債券などの金融商品への投資などに向けて利益を上げたとしても、その利益の大半は消費に向けられるよりも再投資の方へあてられるので消費にはそれほど回ってこないともいえるでしょう。これまでの日本の所得税率の推移は政府のページで示されています。これによれば千九百七十四年時点では最高税率は七十五%で税の刻みは十九段階、千九百八十四年時点では最高税率は七十%で税の刻みは十五段階、千九百八十七年時点では最高税率は六十%で税の刻みは十二段階、千九百八十八年時点では最高税率は同じく六十%で税の刻みは六段階、千九百八十九年時点では最高税率は五十%で税の刻みは五段階、千九百九十五年時点では最高税率も税の刻みも同じで五十%と五段階、千九百九十九年時点では最高税率は三十七%で税の刻みは四段階、二千七年時点では最高税率は四十%で税の刻みは六段階となっています。これに二千十二年三月二十八日の朝日新聞朝刊に載っているグラフの所得税の税収の推移を重ねてみると、千九百九十年に所得税の税収はピークの二十七兆円程から順次低下して行き、二千十年には最低の十三兆円へと推移していっています。景気変動の影響によって所得税が変動した面があるとは言え、所得税の最高税率を引き下げ税の刻みを少なくしていって税収は落ち込んだ側面もあったといえます。では、所得税の最高税率を引き下げる際の名目であった高額所得者が所得税を減税されたことで消費を増やしてくれていたかと言うと、消費税による税収の伸びは九十年で四・五兆円ほどであった水準から九十七年にかけて六兆円程になり、消費税率が3%から5%へと引き上げられた九十七年にはそれが十兆円へと大きく伸びたとは言えその後の消費税収入はほぼ横ばいか微増という程度で推移し二千十一年度においても十一兆円ほどでしかなく、高額所得者への所得税の度重なる最高税率の引き下げによる減税で順次高額所得者が期待通りに消費を大幅に増やし、その結果消費税収入が際だって伸びたかというと、そのような様子は見受けられません。消費は活気づくどころかむしろ低調で日本経済は長引くデフレ状態を経験しています。すなわち、高額所得者に有利な税制になったとは言えそれで高額所得者が旺盛に消費をするようになっていたわけでもないのが事実のようです。税収全体で考えれば所得税の減収分は十四兆円なので税率の引き上げに伴う増収を除いた消費税の増収分である二〜三兆円では埋合わせられてはいなかったのが現実です。従って税収全体で見れば減収になります。半導体の権威の西澤潤一さんの『自分史』の中に「金持ちの家の電気は暗く」という言葉があります。これは東日本大震災後に起きた電力不足に伴う節電の話しではなく金持ちは平素から節約に心がけ無駄なお金の使い方はしないという意味ですが、まさに高額所得者に所得税の減税を行ったとしても、おいそれと金持ちはお金を使ってくれたりはしないものだと言うことがデータで示された格好です。また、そうでもなければ金持ちなどにはなれないとも言えるでしょう。しかも先にも述べたように高額所得者はモノの面でもサービスの面でも自分に必要なものは人並み以上に充当されているはずの階層である訳なので、「減税で手元のカネが増えても、だからといってこれ以上何を買えと・・・?」と言ったところなのかも知れません。とは言え日米で最高税率を比較すれば、百万ドル以上の年収の人に対しこれまでの最高税率を二倍以上に引き上げようと言っているオバマ政権ではあってもその税率は30%で日本よりも低く、しかもそれにすら共和党は反対の方針と伝えられるので、アメリカの若者を中心とした「We are the 99%」という格差に抗議するデモが起きるのも当然と言えそうです。オバマ大統領が大統領選に向けての言い分として高額所得者への課税強化を求めている中で二千十一年度の確定申告が行われましたが、オバマ大統領の年収は78万9674ドル(約6400万円)で所得税として16万2074ドルを納付。実効税率は20・5%であるのに対し、共和党のロムニー氏は推定年収2090万ドルで推定税率15・4%となり、高額所得者のロムニー氏の方が税率が低いという何とも納得のいかない状態が生まれているとも言われます。二千十二年五月十二日の読売新聞朝刊にはアメリカで起きたデモの根拠とされた研究成果の共同研究者の一人トマ・ピケティ氏への取材記事が載っていますが、二千十年時点ではアメリカの高額所得者トップ一%の人がアメリカの国民総所得の十七%を得ており上位十%が国民総所得の五十%を得ているとされています。そこに示されているグラフでは戦前の日本はトップ一%が二十%を得ていたことが表されていますが、敗戦によってそれは六%程にまで低下しています。農地解放や財閥解体などが行われた結果だとも考えられます。上位一%が得ていた富はアメリカもフランスも戦前は日本と同じような水準であったのですが、どの国もが戦後はそれが大きく低下していたと言えます。しかし千九百八十五年程からアメリカでは格差が急拡大し始め、日本とフランスもアメリカほどではないにしても幾分格差が拡大し始め九%程になっている様子がうかがえます。アメリカでの高額所得者への優遇策などがこのグラフからは垣間見えてくるのですが日米間に見られるように高額所得者への所得税率などが国際間で大きく異なっていると、高額所得者は課税率の低い国に移住してしまうことが考えられるのも事実です。実際にフランスでは資産課税率が低いスイスに富裕層が移住しているので節税対策で移住したそれらの人に課税できるようにしようとフランス政府は考えているようですが、これにはスイス政府が反対するだろうと衛星放送のニュースで流されていました。ちなみにこの時点でフランスは最高税率を千九百七十年頃の日本と同じ七十五%にしようとしていましたが保守派の反対でそれは実現しませんでした。そのような中でフランスの俳優ドバルデュー氏が年収百万ユーロ(約一億千五百万円)を超える富裕層に最高税率七十五%を実施しようとしたことに抗議してベルギーに住居を移したりしていたとのことですが、税金逃れという批判を受けてフランス国籍を返上してロシアから国籍を付与されることになったと二千十三年一月四日の朝日新聞夕刊などで報じられています。ロシアの税率は一律十五%だそうで富裕層にとっては圧倒的に有利です。日本では「ユダヤの金持ちに日本に来てもらえるようにしよう」と麻生元首相が述べたこともありました。所得税をはじめとする税制は各国の国内事情で決められる場合が多いとは言え、国際化した時代においては国際間での人の移動も考慮せざるを得ない側面もあります。全ての富裕層は愛国心の持ち主ばかりだとは限らないからです。富裕層には税金を余分に払ってもらうかそれともたっぷりと消費をしてもらうかしかありません。そうしないと全体の経済が回ってゆかないのです。このようなことを考慮するなら、また二千十二年時点での税と社会保障の一体改革に際して富裕層に増税するとそれらの人達が海外へ移住しかねないという理由で慎重姿勢を示している自民党は、安倍首相が教育基本法を改定した時点で盛り込んだ愛国心との関連でいえば、日本で国が国民に国を愛する心を要求するのならそれは海外へ移住もできる身の自由がきく富裕層に対してこそ求めるべきことであって海外移住などとうてい考えることすらできない縛られた身の低所得者に対してではないことは明らかです。富裕層はどちらかといえば国よりもオカネの方を愛する人たちだからです。そしてどのような国においてでも、高額所得者は税制で優遇されているからと言って、それが理由で幾分は消費を増やすことがあったとしてもめいっぱい消費を増やそうなどとはしない性質を持っていると言えるでしょう。それらの人たちは貯蓄性向の高い人たちだからです。また能力主義の時代になっているのだから所得の違いは能力の違いだとの言い分もあるでしょうが、先のトマ・ピケテイ氏の「貧富格差が5倍、10倍ならまだ正常だが、100倍以上は能力差とは言えまい」という言葉は印象的です。
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