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税制改革と個人消費

所得税・個人住民税の恒久減税

ジニ係数1.

ジニ係数2.

ジニ係数3.

所得格差

個人消費

税制調査会

経済財政諮問会議

経済戦略会議

パレトー最適

 

 小泉政権の政府が行っていた恒久減税と行おうとしていた税制改革の中で重要な意味を持つのではないかと思われるのが消費税率と所得税の分野です。法人税の減税はメガコンペテイション(大競争)と言われる世界情勢の中で日本の法人税が割高であると言うことにより日本の企業競争力をそがないようにするために行うという話は私にもある程度理解できます。しかし問題なのは所得税制だろうと思うのです。所得税の最高税率の引き下げによって減税の恩恵を受けられるのはかれこれ年収が八百万円以上の中所得者以上の階層であり消費性向が低い階層に減税が行われ消費性向が高い低所得の階層へは実質的な増税になってしまっていると言うことです。。年収三千万円の所得階層は日本では社長クラスの平均給与と言われそれは全勤労者の中では一%ほどでしかありません。日本の所得分布の状況はリンクのとおりです。また日本の個人貯蓄額は世帯平均でかれこれ一千万円と言われますが貯蓄額が四百万円からせいぜい五百万円でしかない世帯が全体の七割なのです。二千十二年時点では預貯金ゼロの世帯の割合が全体の三割と言われてもいます。また社会全体の最高額世帯の方から一割と最低所得額の方の一割との経済的な開きを日米で比較すると日本はアメリカに比べて比較的に経済格差が小さな社会だと言われてはいますが(日本の場合はその格差が三倍程度でアメリカは七倍とされます)この数字からすればかなりの格差があることは日本においても現実だと言っても良いと思います。能力主義を企業が導入して能力によって賃金の格差を付けて社員を評価することには私も賛成の立場ですが、税制がこのような格差をさらに補完し固定化することには反対する立場です。なぜかというと消費性向が高い低所得層に所得が再分配されないと日本全体の消費が低迷してしまうと思うからです。恒久減税が実施されてから九十九年末には徐々に経済が上向き企業収益が回復基調を見せ始めている部分はあるものの個人消費は依然低迷から脱してはいません。この時点で企業収益が改善してきた背景には企業のリストラすなわち人員整理と不要資産の売却収益で収益が回復している事、そして賃金のカットなどの面が大きく、個人消費すなわち企業の売上高が回復したが為に企業収益が回復しているわけではないと思われるからです。企業がリストラの一環として人員の整理をすればその人たちは消費を切りつめざるを得ません。またリストラなどで企業収益が一時的に回復したとしても、個人消費が本格的に回復してこない限りそれは長続きしません。そのような意味で、日本のこの恒久減税に見られる低所得者への増税と高額所得層への減税では、日本経済に占める割合がもっとも大きい個人消費の部分が立ち直ることの腰を折ってしまうやり方でしかないと思うのです。高額所得階層が減税されてもその減税分は消費に回るよりも貯蓄に回されてしまう可能性の方が高い所得階層への減税になっているからです。 以前、私は人に「リストラをして、残っている従業員にはサービス残業などの長時間労働を強いても給与は引き上げず、パートなどの安い労働力を使いそれで企業収益が回復したとして、それは経営陣の意志決定の成果だから企業の収益の上昇に伴う利益の配分は社長などの経営陣が受け取るべきでそれらの人の給与だけは上げると言われて、それでも社員は不満も言わずに黙っているのか・・」と伝えたことがありました。しかしこれは私の作り話でないことが二千七年度版の経済白書では、千九百九十五年時点での役員 給与・賞与は千五百万円だったものが二千五年には三千万円に倍増していますが、その間の従業員の給与は五百万円くらいでほとんど横ばいで推移してきています。 企業が人件費のコストを削減し中国などの安い労働力などとの競争力を高めるにしても、経営陣も給与面で中国の経営者達とコスト競争をするのかというとそうではないようです。企業収益が増えて企業の経営陣は自分たちの給与は増やしても従業員には利益が正当な形で還元されないのなら、利益の正当な4配分は企業の内部では行われないので政府が税制の面から再分配を行う以外にないことになって来ます。

  私は自分が低所得者だから高額所得者への減税をやっかんでいるわけではありませんし、貧乏人の味方面をして正義の味方を気取りたいわけでもありません。またもし私が何かの間違いで高額所得者などになってしまったにしても(その可能性は皆無ですが)このような私の言い分を変更するつもりもありません。日本の消費にまつわるデータが経済的な理論とは全く違う動きをし始めて、私の考えとは食い違った事実が生まれ出始めた時点では私も考えを変えなければならないでしょうが、そうでない限り考えを変える必要はないと思っています。すなわち私の考えは 所得税の累進課税率の段階をフラットにするのが世界的な潮流だと言ってみても、日本経済全体の個人消費が低迷してしまうことは問題だろうと言いたいのです。日本の勤労者の所得を合計した所得総額が同じであったとしても、その所得を所得税制で再配分し直すことで日本全体の消費に幾分弾みをつけることもあるいは逆に消費を冷やしてしまうこともやりようによってはできるのだと言いたいのです。あまりにもインフレが急速に進んでしまう社会であるなら今回の恒久減税の方式も妥当性があると言えます。すなわち消費があまりにも過度の水準にあって物価上昇が生まれ出ている原因であることが明らかなら、消費性向の低いそして貯蓄性向の高い高額所得者への減税を行って過剰消費を是正するという考えには根拠があります。ただその場合には低所得者はインフレの中で増税という二重のハンデを負ってしまうわけでもあります。しかしながらバブル経済崩壊以後の日本の経済的な不振の原因は個人消費が低迷してデフレの状態なのです。そのような状況の時にさらに消費を冷やす可能性のある税制を採用することは問題だと言っているのです。企業収益は改善の兆しが見えてきている部分がある時点でも卸売物価は依然低下傾向にあります。銀行の不良債権処理に一段落が付いたと思ったら、その後に企業倒産とさらなる地価下落が続き公的資金導入後にも銀行の不良債権が膨らむ状態にありますが、地価対策を行うだけでは地価の下落は止まらないと思います。全体の経済が上向いて経済活動が活発になった結果として地価は上昇すべきものであり、地価を動かすことで経済を動かそうとするのは本末転倒と言わなければなりません。日本経済全体を浮上させて行くには日本経済の六割にも及ぶ個人消費の水準を無視して語ることはもはやできないだろうと思うのです。そのような話の一環として私は所得税制を考えるているわけです。その私の意見はマルクス経済学から導き出しているわけではなく近代経済学の知的所産から考えているので日本共産党の考えのプロセスとは異なりまた私は私有財産制度を否定する共産主義者ではありませんが、結論としてはこの部分において日本共産党の意見と結果的にかなり近いものです。そして社会主義の経済理念に対する対抗的な政策として資本主義社会が生み出した 所得税の累進課税制度の考え方は重要であるとも思います。貧富の差があまりにも拡大してしまう社会はそれだけ不安定要因を抱えてしまう部分があり、しかもその社会全体にとって消費が伸びて行きにくい条件を作り出してしまうと考えられるからです。

 二千二年三月には、経済財政担当大臣の竹中平蔵氏が「公平・中立・簡素」というこれまでの税制の理念を「公平・活力・簡素」に変えて法人税と所得税の減税を議論する余地はあると述べています。税制が日本経済の活力をもっとも活発な形にするにはどのような税制の方法があるのかという議論であるなら、この理念に私は賛成するものですが、果たしてその結果の税制がどのような形になるのかはこれからの問題です。その税制が日本経済の活性化にとって最も有効と思われるものであるという理論的根拠を持ったものになるかどうかです。すなわちある税制をとると言うことにおいて、税制の理念を「公平・中立・簡素」から「公平・活力・簡素」にわざわざ変えてまで行うと言うのであれば、それが日本経済を最大限に活性化する上でなぜ有効であると考えられるのかについての経済学上の理論的根拠を述べるべきだと言うことです。ちらほら課税最低限度を引き下げるという意見もありますが、不況で賃金がのびずむしろ賃金が引き下がっている中では、これまでの課税最低限以下の所得の人が増えるので課税最低限を引き下げなければ税収が減るという事なのかも知れませんし、そのような状況の中での税制論議と言うことです。「広く薄く」という課税によって中・低所得者への増税になれば税の「公平性」という部分は実現できるかも知れませんが、「活力」を引き出す上では課税最低限の引き下げはマイナス要因になります。また税制において課税の段階区分を少なくするという税制の刻みを少なくすれば「簡素」という理念は実現できますが、高額所得者への課税が緩和されると言う結果になれば、やはり「活力」という理念は実現できないことになります。二千十八年十月三十一日の朝日新聞朝刊には、「金融所得増税見送りへ」との見出しで所得税の負担割合がグラフで示されています。それによれば租特税の負担割合は五千万円から一億円の階層の28%ほどをピークに五億円まで、十億円まで、五十億円まで、百億円までそして百億円以上にかけて負担率は徐々に下がってゆきます。百億円以上では15%ほどとされていますが、株式の配当や売却益への課税率は一律20%なので格差の拡大につながるという懸念が示されてはいたようですが、株式市場への影響を恐れて金融所得への課税は見送ったとされています。結局、「公平・活力・簡素」という税の三つの基本理念のうち、どれを最優先し最重要視するのかと言うことが問われてくるわけです。二千二年三月末には、二千一年度の東京都区部の消費者物価が調査を始めた七十一年以来戦後初めての三年連続でマイナスとなり、デフレが進んでいると報道されました。二千二年四月八日の読売新聞朝刊十五面には「データは語る」として、平均給与と消費者物価指数並びに生活者意識のグラフが載っています。平均給与は四百六十七万円ほどあった九十七年をピークに三年連続で下がり続け二千年では六万円ほど減少の四百六十一万円程度になっています。二千一年度は九月二十六日に新聞で報道され、民間給与の平均は四百五十四万円で前年に比べ七万円(1.5%)減と四年連続の低下で減少率も過去最大と報じられました。二千二年度の平均給与はこれからデータが出るのでしょうが、ワークシェアリングなどの導入によって失業をくい止める方策は打てても、賃金は低下すると考えられます。同日の午後のニュースでは日本の二千一年度の卸売物価が年度単位のものとして四年連続で下落したと報じています。また二千二年五月十日には日銀が卸売物価が一年七ヶ月連続で下落したと発表しました。二千二年五月九日には二千一年度の消費支出が六年連続でマイナスになったと報じられています。政府はデフレ対策を打って何とかしようともしていますが、消費にマイナスになるような税制ではデフレを加速させてしまいます。日本の消費の活性化にとってどのような所得税制が有効であるのかを考えるべきでしょう。消費が活性化しない限り、そうでなくても中国などの安い労働力の国々から低価格の製品や農作物が輸入される中では、日本の物価が上昇するはずもないからです。二千二年時点では中国の平均賃金は日本の二十分の一です。これでは日本は同じ品質の製品を作っているだけなら太刀打ちのしようがありません。そして民主主義の基本原理が「最大多数の最大幸福」であるとするなら、日本の世帯貯蓄額で七割を占める貯蓄額が四百万円〜五百万円以下の所得階層にとってもっとも恩恵が及ぶ税制にすべきはずのものでもあろうと思います。高額所得者への減税効果が大きい場合においては、その階層は貯蓄性向が高いので、ケインズの言う「所得・消費・貯蓄・投資」というものからすると、またもっと正確には所得から消費と税金などの社会的費用を差し引いた貯蓄は投資に向かい、それは株式などにも向かうといえるでしょう。株価と消費の間には相関関係があるので、株価が上昇することによって消費も増えると思われるかも知れませんが、税制が消費にブレーキをかけてしまう形になってもいるので企業収益はそれほど改善せず、企業収益があがらなければ株価だけが上昇して行く事は出来ないので一時的に上昇した株価もそれ以上上昇を続けられなくなると思えます。 また、二千二年十一月段階で出された主要企業の上期の九月中間決算では収益がかなり改善された数字が発表されていますが、それは売上高は1%減少している中で各企業がリストラや給与のカットなど企業にとってもっとも大きな固定費である人件費を削ったり輸出に依存することで可能になっています。このことも、結局は企業収益が改善したことは株価にプラスに作用 しその部分では消費にプラスに働くにしても、リストラや給与のカットは明らかに消費にとってはマイナスの要因になります。このプラスとマイナスの兼ね合いの中で現実の消費水準がどの程度のものに決まってくるかということになることでしょう。 そして人件費の削減など消費にマイナスな方策を採りながら企業収益を改善させて、そのために消費水準が前よりも悪化してしまったとして、その中でなをも収益を高水準に維持しようとするなら、企業はさらに人件費の削減などをしなければならなくなります。「何人も、他の誰かの状態を悪化させることなしにはもはや己の状態を改善し得ず (「パレトー最適」と呼ばれる状態)」(アマルテイア・セン『合理的な愚か者』より)という状況の中で、誰かの状態が悪化せざるを得ないにしても、それが全体の利益になる方法とある特定の社会階層の部分の利益にしかならない状態を作り出す税制というものはあり得ます。リンクしてあるページの中で小室直樹氏は「パレトー最適」を「すべての人を無差別曲線上より、選択が高い点に移すことができない点である」としています。誰かの状態を悪化させ誰かの状態が良くなるにしても、すなわち消費性向の低い高額所得者が減税され消費性向の高い低所得者が増税された場合には、消費をしめす無差別曲線である社会全体の需要曲線は下方にシフトしやはり無差別曲線である社会全体の供給曲線との均衡点も下方にシフトします。逆に高額所得者に増税し低所得者に減税すれば需要曲線は上方へシフトし、供給曲線との均衡点も上方へシフトします。誰かの状態を悪化させ誰かの状態を良くすると言っても、税制の組み方次第で需要曲線を上方へも下方へもシフトさせ得るのです。デフレに苦しむ経済状態においては、社会全体の需要曲線をいかに上方にシフトさせるかが最も重要になるはずです。なぜなら需要曲線と供給曲線の交点が価格であり、需要曲線が下方にシフトする事で交点も下方にシフトすることは、価格の下落すなわち物価の下落のデフレとなるからです。しかし二千二年四月六日には山崎自民党幹事長が設備投資減税と土地税制の改革を述べていますが、生産側に減税をして経済を引っ張ろうとしても、消費をそれで引き上げられるわけではありません。生産に対して消費がついてこなければどうにもならないのです。生産設備を増強して生産量を増やすことは社会全体の需要曲線に変化がないなら社会全体の供給曲線を右にシフトさせる、言い換えれば結果的には 供給曲線を下方にシフトさせることであり、やはり需要曲線との交点は下方にシフトして製品の価格は下落してしまいます。消費が低迷し社会全体の需要曲線が下方にシフトしている状況の中で設備投資を増やして生産を増強し社会全体の供給曲線をも下方にシフトさせてしまえば、デフレの進行をさらに加速させる結果にもなるでしょう。政府は設備投資減税などをデフレ対策の名目で行おうとしていますが、以上の理由によってそれはデフレ対策にはなり得ないと思われます。すなわちデフレ対策の経済政策がデフレをさらに進めるという皮肉な結果になると考えられるのです。当然、研究開発投資減税においても同じ事がいえます。結局、生産主導 ・消費無視ではもはや日本経済はデフレを回避できず、円滑に動いて行かないところに来ているからです。設備投資減税で設備を増やしたり刷新しても、その設備を使って生産したものが売れなければ生産過剰になって在庫ばかりが増えるだけです。消費が思わしくないところでは生産設備の増強よりも、在庫を減らし既存の生産設備の稼働率を上げることの方が先行事項でしょう。設備投資減税を行ってもその設備投資は中国などのアジア諸国で行われ日本国内に設備が作られるわけではないことすら考えられます。また研究開発投資減税で技術革新しても、消費に結びつかなければ意味がありません。 法人税の減税も所詮は生産サイドへのてこ入れにすぎず同じことです。同日の新聞各紙には二千二年二月の家計支出が前年同月に比べ二ヶ月ぶりに3.8%減少したとあります。二千二年の春闘の賃金交渉では、労働側にとっては非常に厳しい内容となりました。個々の家計はこれまでよりも消費を増やすであろうと予想できる条件にはありません。そのような中で設備投資して消費にまで結びつかないと言うのなら、せっかく投資した設備も遊んでしまうか最悪の場合には廃棄せざるを得なくなってしまいます。しかし政府のこのような方針に対して日本経団連などの産業界は何も疑義を唱えてもいません。また同日の読売新聞朝刊の記事では、サラリーマン世帯の専業主婦の割合が減少している様子を示すグラフが載っています。八十年には最高の三十八%ほどあった専業主婦が二千年時点では二十七%程度にまで低下しているのです。 八十年代後半のバブル経済時点で急速に高まった女性の社会進出の影響ばかりではなく、夫の収入だけを信頼して「奥様気取り」もしていられない経済状態をよく示していると言ったところです。シロガネーゼがパートに出ているみたいなものです。 そして専業主婦の割合は高額所得者に多く低所得の階層では共働きが多いのです。その意味では配偶者特別控除をなくすという政府の方針はうなずけることだといえます。なぜなら独身者などはもっとも不利な条件におかれているからです。 ただし家計の負担は大きくはなるので、少子化対策などの子育て減税である児童手当を拡充させるという公明党の提案は実施すべきでしょう。 不況下の日本においては、夫婦共働きでも二人ともが最低賃金では子供を育てて行くことはできないと言われています。低所得階層にはそれなりの対策を施すべきでしょう。また同日の毎日新聞にはリクルート編集部が行ったアンケートの結果として、自分の会社は大丈夫かという調査で「いつ倒産してもおかしくない」が12%、「なんとなく危ない」が17%、「絶対に倒産しない。リストラもない」が10%、残りの六割りは「倒産はないがリストラはあり得る」だそうで、サラリーマンの二割は夜間のアルバイトすなわち副業を持っているとあります。このような経済的な状況下での税制改革ですが、竹中平蔵大臣はこの税制改革を「シャープ税制以来の抜本的な改革にする。」と述べています。戦後の日本経済のスタートの時点で、財閥解体、農地解放と並んで、累進課税制度であるシャープ税制を日本は受け入れました。それまでの戦前、戦時中に日本の社会に存在していた大きな経済格差を平準化する事で戦後日本経済はスタートしたわけです。この戦後型日本経済は大成功でした。ただその成功は冷戦時代の中において大成功だったともいえます。経済格差を平準化することでスタートした戦後経済も、かれこれ五十年以上がすぎた頃にはまた経済的な格差がその間にできてきていたことは確かです。竹中大臣自身、「戦後の日本経済は経済格差が小さいのでは?」という質問に対し「戦後という時代にもジニ係数(不平等係数)は大きくなってきている」と答えています。はたしてシャープ税制以来の税制の大改革はどのような形の税制を目指すのでしょうか。戦前・戦時中のような経済格差を助長して貧富の格差を固定する経済構造を作り出すような税制改革では、また戦中から戦後へまで続いてきた総生産力の消費を無視した経済運営では戦後の成功にもおぼつかない日本経済が生まれ出るだけのことでしょう。日本経済にとって国内企業の育成を国策として行う時代は戦後五十年のうちに完了しています。すなわち「政府のご指導の下」で企業が活動する時代は終わっているのです。また戦後五十年の間にアメリカのキャッチアップをしている段階も終わったのです。キャッチアップするのは中国をはじめとするアジア諸国が取って代わろうとしています。現にアジア諸国はいくつもの分野ですでに日本を追い越してもいます。日本自身はより高度な産業レベルを自分で作り出さなければならない立場になりました。そして日本経済は消費を無視してはもはや経済が円滑に動いて行かない段階に入っています。戦後といわれる時代において成功した産業育成と生産重視というシナリオと同じシナリオでは日本経済は動いてゆけなくなったのです。ましてや戦前や戦時中の方式で日本経済が運営できようはずもありません。生産が間に合わないくらいに消費が旺盛だというのならばともかく、生産側へ減税して企業の生産を活発化させたところで、消費が旺盛になるような手だてを打たなければ生産側すなわち企業側や産業界だけの一人芝居に終わるのではないのでしょうか。そして国内需要がない状態で行った研究開発投資や設備投資の結果作り出される製品などは、結局輸出すなわち外需に依存せざるを得ないと思います。国内景気そのものを海外での需要や海外の景気を当てにした形のものだけに終わらせるわけです。吉本隆明氏は『共同幻想論』のなかで、「個幻想・対幻想は共同幻想に逆立する」と述べていますが、私の見方からすると政府のデフレ対策の打ち方は経済理論に逆立しているように思えます。すなわち経済政策自体が個や対と言った私的な範囲を優先するもので共同という普遍性を持ち得ていないかのように見えてくるのです。 経済は消費と生産すなわち需要と供給の双方があって初めて成立しているという共同性に対する考慮がなされていないように思えるからです。言ってみれば産業活性化策ではあっても経済活性化策になってはいないように思われるのです。二千二年七月二十六日には経済財政諮問会議が一兆円規模の法人税減税を打ち出したことが新聞紙上に載りました。これに対し同日には財務大臣の塩川さんがこれを批判し「減税は設備投資や相続税減税にすべきだ」と述べましたが、私からすればどちらも生産側へどのようにてこ入れするかの違いだけに見えてきます。財務省が経済財政諮問会議を批判してもあるいは逆にたとえ経済財政諮問会議が財務省を批判したとしても、どちらも似たもの同士が批判しあっているにすぎないことだと思います。生産サイド重視のスタンスであり消費サイドに軸足を於いた話し、すなわち消費に対してどのような手を打つのかではないからです。 産業界の都合にあわせた日本経済の運営方法ではもはや日本経済は動いてゆかないところにまできていると私は思います。このような状況の中で私の提示した考えには色々な意見があると思いますが、今低所得だからといってもその人は未来永劫低所得のままだとも言い切れるものではありません。低所得だった人が高額所得者へと飛躍することもあるでしょう。それと逆に、今高額所得者だからといってずっと高額所得者のままでいられるかどうかも保証の限りではありません。大手百貨店に勤務していた男性が親の介護のために早期退職し現在では自分自身が生活保護を受けるまでになっている人がテレビに出ていました。しかしその男性は百貨店勤務の時代には年収が一千万円以上あった方だそうです。「ここまで落ちるとは思っていなかった」とテレビで述べていました。すなわち人間は社会の中の所得階層を移行することが可能ですし事実所得階層を移行しているのです。したがって今の自分がどのような所得階層に属するかによってその時々のその人の所得税制に対する考え方や意見はあると思います。ですがそのような自己条件を超え た所得税制の視点を私は提示したいと思うのです。なぜならそうすることが日本経済の最大部門を形成している個人消費を活力あるものにすると思うからです。 七十%を超える中・低所得者へ所得移転を図っても、割合が大きいのでその部分の階層の世帯が受け取る所得の上昇分はわずかなので消費が目に見えて回復するとは言えないかも知れませんが、逆の政策を採るよりも遙かに個人消費にとってはプラスに働くことでしょう。すなわち十億円の年収がある高額所得者へ一億円の増税をしてその一億円を二千十一年時点では一千万人以上いると言われる年収二百万円以下の人たち(二千二十年時点では千百万人超とされる)に分け与えたとしても、それらの人たちにとって増える年収は一人あたりでは十円以下、月で割れば一円にも届かないというわけです。増えたと言っても年に十円以下では減るよりはましだと言うくらいの金額になってしまい「所得が増えたから消費を増やそう」と思えるわけでもないのです。ですが逆に言えば、十億円の年収のある人が一人で年に一億円分の消費支出を増やすことより一千万人以上いる年収二百万円以下の人たちが一人あたり月々一円だけ消費支出を増やしてくれる方が社会全体での消費支出総額は大きくなるわけです。ですから多数派である低所得者の人たちが幾分かでも消費を増やしてもいいと思えるような条件作りあるいは環境作りをするべきだと言えます。そして,二つの異なる税制を同時に一つの社会に対して施行することは出来ないのでそれら異なる税制の結果を比較検証して実証することは不可能ですが、データを元にして考える限り高額所得者から低所得者の方へ所得が再分配される方が低所得者から高額所得者へ富が移転するよりも消費にはプラスに働くといえるわけです。確かに所得がなければ消費は生まれないわけですし総所得が増えれば総消費もそれなりに増えるであろうことは誰にでもわかることですが、社会全体の総所得は同じでも、どの階層にどれだけ所得が配分されているかの所得の階層構造と所得配分のされ方の違い一つによって社会全体の消費総額は変わってもくると言うことです。当然のことながら社会全体の総所得が増加しているときに税制もこのような形にしておけば消費はもっとも活発になることでしょう。二千十三年一月に本格始動した第二次安倍内閣の旗印は「縮小均衡の再分配から、成長による富の創造へ」となりましたが、成長によって富を創造したとしてもそれを再分配した方が消費は活性化するだろうというわけです。それはデフレを脱却するために2%のインフレ目標を政府として日銀に求めた方針にも沿うはずのものです。また私が提示している考えはジニ係数を縮小する方向のものであり、それを大きくする方向のものではないことも確かなことです。社会科学分野あるいは経済学の分野では「社会を実験にかけて良いかどうか?」という命題があります。しかし実験するしないにかかわらず何らかの経済制度は存在するわけですし経済政策も立てなければならないわけです。その意味では社会はいつも実験にかけられていると言って良い訳なので、その結果も十分検証してみる必要が出てくるわけです。政府は全く何もせずに自由放任の経済にすることもできますが、それも一つの実験と言えるでしょう。政府が何もしないで市場の自由に任せたときどんな社会が生まれるのかという結果は出るからです。そして戦後の日本経済のスタート時点でアメリカ占領政策の下で行われた財閥解体・農地解放・シャープ税制の導入はどれもそれまでの日本経済の中で大きくなっていたジニ係数を縮小させる政策であったことを思い起こすべきでしょう。そのような政策が施された戦後日本経済は大成功といって良いものだったからです。 ジニ係数は0.5になったら速やかにその是正策を講ずるべき数値であるとされるものです。しかし二千二年九月二十七日時点で発表されているデータではジニ係数は0.47と 、少なくとも戦後といわれる時代の中ではもっとも大きな数値を示しています。 平成十四年版の『経済財政白書』では、千九百八十年の日本のジニ係数は0.35でしたが、それ以後は順次係数の値が大きくなって九十八年では0.47になってきています。 税による再分配後のジニ係数は八十年の0.33から九十八年の0.47へと再分配前の数字とほとんど変わりません。再分配の方法は所得税制によるものよりも 社会保障などによる再分配が大きい比重を占めているのが実状です。 事実租税による再分配係数は八十年の5.0から九十八年には1.3にまで低下しています。税以外の再分配後の係数は0.31から0.38への変化なので、まだ救いがあるとはいえます 。この再分配を行わず放置しておいたら日本の社会は治安などの面でも非常に不安定ものになってしまうことでしょう。一方民間の給与所得も二千一年度まで史上初めて四年連続で減少し、その減少幅は二千一年度は1.5%と過去最大の減少とされます。この数字だけからも消費がそれだけマイナスになってくるのは当然と思われる数字です。法人税減税をするにしても企業数で日本企業の九十九パーセント、従業員数で七十五パーセントを占める中小企業にもっとも恩恵が及ぶものにするのが民主主義的な経済政策というものではないのでしょうか。 ただ中小企業対策で行うにしても需要がなければ話が始まらないことは変わらぬ事実です。そして塩川財務大臣は二千二年八月三日に産業活性化のための一兆円を上回る減税を行うと発表しました。しかしいかなる形の生産サイドへの減税であれ、小泉首相の「改革なくして成長なし」 に合わせて言えば「消費なくして生産なし」という事実はいずれ明らかになってくるのではないでしょうか。 高額所得世帯の割合は小さく中低所得世帯の割合は大きいので、高額世帯に課税を強化すれば「かなり税金でもっていかれるようになった」と感じ、それに比べて中低所得世帯にとっては「減税といってもほんのちょっとでしかない」と感じられてそれほど大きな効果はないと思われるかもしれませんが、 それとは逆の政策を採ることよりも遙かに国内需要すなわち消費にとってはましな結果を導くことではあるでしょう。 しかし日本政府の経済政策は戦時中の国家総動員令下の国民総生産力理論以来ずっと戦後の時代にも引き継がれ来ている生産優位という発想は二十一世紀になっても変更されることなく継続されているように思えます。 そのことを変更することが重要になってきた時代に思えます。

付記: 二千十一年末には二千十五年からの増税路線に絡んで所得税の最高税率を年収五千万円以上の人からは四十五%に引き上げる方針を野田内閣の民主党が決めたと報じられました。その対象になるのは三万人ほどとのことです。二千十一年十二月三十一日の朝日新聞朝刊のその記事では、「所得税の最高税率は、千九百八十年代には課税所得八千万円超の人を対象に七十五%かかっていたが、消費税の導入などに伴い減税が繰り返された。収入が多い人にお金を使ってもらって景気をよくしようと言う考え方からだった。・・・所得税の税率構造は、今の六段階から七段階に増える。」となっており、相続税も富裕層に重点を置いた増税になるとされています。収入の多い人にお金を使ってもらって景気をよくしようと言う考えは、富裕層は自分の基礎的な生活は十分にまかなえている階層なので、マンションを購入するにも絵画などの美術品を買うにもあるいは金や宝飾品を購入するにしても将来的にそれらが値上がりすることを期待したりあるいはマンションの部屋を貸すことで収入をさらに増やすための投資としての消費に回ることだろうと思われます。金持ちはカネに大様かというとそうでもなく細かい場合が多いと言えるでしょう。「貧乏人が生活を切り詰めて作ったお金を他の貧乏人に貸しても利子は取らないが、金持ちが貧乏人にお金を貸すときにはちゃんと利子を取る」とでも言えばいいでしょうか。すなわち金持ちの消費は消費支出という一般的に受けとられるイメージとは異なる消費支出と言えるわけです。最終消費は低所得者の方が消費支出する割合が高いことを認めるのであれば、高額所得世帯への減税は必ずしも言葉通りの消費には結びつかないことでしょう。これまでの日本の所得税率の推移は政府のページで示されています。これによれば千九百七十四年時点では最高税率は七十五%で税の刻みは十九段階、千九百八十四年時点では最高税率は七十%で税の刻みは十五段階、千九百八十七年時点では最高税率は六十%で税の刻みは十二段階、千九百八十八年時点では最高税率は同じく六十%で税の刻みは六段階、千九百八十九年時点では最高税率は五十%で税の刻みは五段階、千九百九十五年時点では最高税率も税の刻みも同じで五十%と五段階、千九百九十九年時点では最高税率は三十七%で税の刻四段階、二千七年時点では最高税率は四十%で税の刻みは六段階となっています。これに二千十二年三月二十八日の朝日新聞朝刊に載っているグラフの所得税の税収の推移を重ねてみると、千九百九十年に所得税の税収はピークの二十七兆円程から順次低下して行みはき、二千十年には最低の十三兆円へと推移していっています。景気変動の影響によって所得税が変動した面があるとは言え、所得税の最高税率を引き下げ税の刻みを少なくして行って税収は落ち込んだ側面もあったといえます。では、所得税の最高税率を引き下げる際の名目であった高額所得者が所得税を減税されたことで消費を増やしてくれていたかと言うと、消費税による税収の伸びは九十年で四・五兆円ほどであった水準から九十七年にかけて六兆円程になり、消費税率が3%から5%へと引き上げられた九十七年にはそれが十兆円へと大きく伸びたとは言えその後の消費税収入はほぼ横ばいか微増という程度で推移し二千十一年度においても十一兆円ほどでしかなく、高額所得者への所得税の度重なる最高税率の引き下げによる減税で順次高額所得者が期待通りに消費を大幅に増やし、その結果消費税収入が際だって伸びたかというと、そのような様子は見受けられません。消費は活気づくどころかむしろ低調で日本経済は長引くデフレ状態を経験しています。すなわち、高額所得者に有利な税制になったとは言えそれで高額所得者が旺盛に消費をするようになっていたわけでもないのが事実のようです。税収全体で考えれば所得税の減収分は十四兆円なので税率の引き上げに伴う増収を除いた消費税の増収分である二〜三兆円では埋合わせられてはいなかったのが現実です。従って税収全体で見れば減収になります。半導体の権威の西澤潤一さんの『自分史』の中に「金持ちの家の電気は暗く」という言葉があります。これは東日本大震災後に起きた電力不足に伴う節電の話しではなく金持ちは平素から節約に心がけ無駄なお金の使い方はしないという意味ですが、まさに高額所得者に所得税の減税を行ったとしても、おいそれと金持ちはお金を使ってくれたりはしないものだと言うことがデータで示された格好です。また、そうでもなければ金持ちなどにはなれないとも言えるでしょう。東京暮らしの高額所得者でも「江戸っ子は宵越しの金は持たない」などという気っぷのよい生活スタイルではないわけです。しかも先にも述べたように高額所得者はモノの面でもサービスの面でも自分に必要なものは人並み以上に充当されているはずの階層である訳なので、「減税で手持ちのカネが増えても、だからといってこれ以上何を買えと・・・?」と言ったところなのかも知れません。とは言え日米で最高税率を比較すれば、百万ドル以上の年収の人に対しこれまでの最高税率を二倍以上に引き上げようと言っているオバマ政権ではあってもその税率は30%で日本よりも低く、しかもそれにすら共和党は反対の方針と伝えられるので、アメリカの若者を中心とした「We are the 99%」という格差に抗議するデモが起きるのも当然と言えそうです。アメリカではこの十年間で中間層の所得は減少してきていたのに上位1%の富裕層の所得は二倍になり、上位0.5%でみれば実に三倍になっているとのことです。オバマ大統領が大統領選に向けての言い分として高額所得者への課税強化を求めている中で二千十一年度の確定申告が行われましたが、オバマ大統領の年収は78万9674ドル(約6400万円)で所得税として16万2074ドルを納付。実効税率は20・5%であるのに対し、共和党のロムニー氏は推定年収2090万ドルで推定税率15・4%となり、高額所得者のロムニー氏の方が税率が低いという何とも納得のいかない状態が生まれています。二千十二年五月十二日の読売新聞朝刊にはアメリカで起きたデモの根拠とされた研究成果の共同研究者の一人トマ・ピケティ氏への取材記事が載っていますが、二千十年時点ではアメリカの高額所得者トップ一%の人がアメリカの国民総所得の十七%を得ており上位十%が国民総所得の五十%を得ているとされています。そこに示されているグラフでは戦前の日本はトップ一%が二十%を得ていたことが表されていますが、敗戦によってそれは六%程にまで低下しています。農地解放や財閥解体などが行われた結果だとも考えられます。上位一%が得ていた富はアメリカもフランスも戦前は日本と同じような水準であったのですが、どの国もが戦後はそれが大きく低下していたと言えます。しかし千九百八十五年程からアメリカでは格差が急拡大し始め、日本とフランスもアメリカほどではないにしても幾分格差が拡大し始め九%程になっている様子がうかがえます。アメリカでの高額所得者への優遇策などがこのグラフからは垣間見えてくるのですが日米間に見られるように高額所得者への所得税率などが国際間で大きく異なっていると、高額所得者は課税率の低い国に移住してしまうことが考えられるのも事実です。実際にフランスでは資産課税率が低いスイスに富裕層が移住しているので節税対策で移住したそれらの人に課税できるようにしようとフランス政府は考えているようですが、これにはスイス政府が反対するだろうと衛星放送のニュースで流されていました。ちなみにこの時点でフランスは最高税率を千九百七十年頃の日本と同じ七十五%にしようとしていましたが保守派の反対でそれは実現しませんでした。そのような中でフランスの俳優ドバルデュー氏が年収百万ユーロ(約一億千五百万円)を超える富裕層に最高税率七十五%を実施しようとしたことに抗議してベルギーに住居を移したりしていたとのことですが、税金逃れという批判を受けてフランス国籍を返上してロシアから国籍を付与されることになったと二千十三年一月四日の朝日新聞夕刊などで報じられています。ロシアの税率は一律十五%だそうで富裕層にとっては圧倒的に有利です。またアメリカの投資家のジム・ロジャーズ氏なども税率の面で高額所得者に優遇策のあるシンガポールへ移住しています。日本では「ユダヤの金持ちに日本に来てもらえるようにしよう」と麻生元首相が述べたこともありました。所得税をはじめとする税制は各国の国内事情で決められる場合が多いとは言え、国際化した時代においては国際間での人の移動も考慮せざるを得ない側面もあります。全ての富裕層は愛国心の持ち主ばかりだとは限らないからです。このようなことを考慮するなら、また二千十二年時点での税と社会保障の一体改革に際して「富裕層に増税するとそれらの人達が海外へ移住しかねない」という理由で慎重姿勢を示している自民党は、安倍首相が教育基本法を改定した時点で盛り込んだ愛国心との関連でいえば、日本で国が国民に国を愛する心を要求するのならそれは教育分野においてばかりでなく実社会の富裕層に対してこそ求めるべきことであって低所得者に対してではないことは明らかです。そして経済的なことだけで考えるなら富裕層はどの程度の税率までなら我慢でき、またどの水準以上になると税金のために働いていると思えて働く意欲がそがれるのか探り当てることが必要なのでしょう。どのような国においてでも、高額所得者は税制で優遇されているからと言って、それが理由で幾分は消費を増やすことがあったとしてもめいっぱい消費を増やそうなどとはしない性質を持っていることでしょう。それらの人たちは貯蓄性向の高い人たちだからです。また能力主義の時代になっているのだから所得の違いは能力の違いだとの言い分もあるでしょうが、先のトマ・ピケテイ氏の「貧富格差が5倍、10倍ならまだ正常だが、100倍以上は能力差とは言えまい」という言葉は印象的です。このような国家間で税率に違いがあることで低い税率の国に移動するのは何も個人ばかりでなく企業に於いても言えることのようです。国際展開しているグローバル企業は本社機能を低い法人税率の国に置くことで周辺国の支社の売り上げを本社に集めて納税することで節税を行おうともします。法人税率に於いても企業の活力をそがない程度にしながら課税するにはどの程度の税率が最適なのかも考えなければなりません。税だけに着目するなら累進税率を強化した高額所得層の人への増税分と低所得者層へ減税分とが総額で同じで財政にとってはプラスでもマイナスでもない増減税中立型であっても、増税になる高額所得者は増税によって可処分所得が減るのでそれに応じた消費支出の削減を行うでしょうが所得が目減りすることで高所得者の消費性向の値は上昇し、それとは逆に所得が増える低所得者の消費性向はそれによって数値が低下しますが、それでも低所得者の消費性向の数値は高額所得者のそれより大きいので高額所得者と低所得者双方を含めた全体の消費支出の面では消費税収入はプラスになると考えられます。財政にとって所得税での税収は変わらなかったとしても消費税率を引き上げなくても消費税の税収は増えることが期待できるのです。すなわち税の再分配を行うことで税収全体を減らすことも増やすこともできるので、税の再分配の仕方はよく考えたうえで行うべき事項だといえます。しかもその結果、社会に存在する経済格差を縮める効果があります。日本の場合二千万円以上の高額所得者の割合は全体の1.2%に過ぎませんが、それでも年収百億円以上の人は十数名存在するとのことです。日本では10%の富裕層が日本の富の40%を所有するといわれますが、この1.2%の高額所得者の所得は日本の総所得の何%くらいを占めているのかは知ってみたいところです。少なくとも日本では上位1%の人のが金融資産に占める割合は24.5%とされています。しかし世界全体では上位1%の人が閉まる世界全体の富に対する割合は30%台後半の数値です。そして格差が大きいとされる中国でさえ格差は二百四十倍程度なのに、日本では年収二百万円の低所得者と年収二千万円の高額所得者との所得格差は十倍だったとしても、高額所得者の間には二千万円と百億円超では五百倍以上の所得格差が存在しているといえるわけです。低所得層を百万円にとっても二千万円との所得格差は二十倍にすぎません。しかし高額所得者の中にある五百倍以上の所得格差はそれを一律の最高税率40%でひとくくりにしてよいものかどうかも問題だろうと思います。二千十九年時点での課税条件では千八百万円超四千万円以下が税率40%でそこまでの所得格差は二十倍で税率の刻みは六段階、四千万円超が税率四十五%となっていますが百億円以上の人も含まれるのでその所得格差は二百五十倍以上となります。低所得者にとって負担割合が大きい消費税の税率を引き上げるというのであれば、高額所得者への累進課税率も引き上げなければ全体のバランスが累進税率取れなくなると言えるでしょう。私としては高額所得層の部分のの刻みをもう少し増やしてもよいように思います。

 そして二千十二年八月十九日のNHK BS1「知の巨人 世界経済再生への提言」にノーベル経済学賞受賞のクルーグマン教授とともに登場した同じくノーベル経済学賞受賞者のコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は「低所得層の方が消費の割合が多く高額所得者は貯蓄してしまうから格差を是正し低所得者に重点を置いた政策を採った方がよい」との指摘をしていました。これまで私が述べてきたこととその部分は全く同じ事と言っていいようです。私は別に自分の権威付けをしようとしているわけではなく、またノーベル賞クラスの経済学者の論証は非常に高度なものになるであろうので、私の述べてきた論証方法などはノーベル賞の水準などからは遙かにほど遠いレベルであることは確かでしょうが、私が述べていたことと同じ意見の人がアメリカにもいたことは嬉しいことでした。アメリカには貧困層と呼ばれる人達が五千二百万人存在すると言われ、男女の賃金格差は男性が一ドル稼ぐとすると女性は七十七セントだとされます。アメリカに於いても格差是正は重要な課題とはなり得るものでしょう。オバマ大統領は民主党の党大会で中間所得層の底上げを打ち出して二期目の選挙戦に名乗りを上げましたが、貧困層への対策も行うべき状態と言えそうに思えます。しかし富裕層への増税を共和党はかたくなに拒否の態度なので、経済学的に見て合理的であると思われる政策でも実際に実現できるかどうかは不確実と言ってよいでしょう。オバマ大統領以後に大統領になったトランプ大統領の二期目になるかどうかの二千二十年のアメリカ大統領選の民主党候補者たちの中でさえ、富裕層に増税を唱えるウォーレン候補は「左派」というだけでなく国民皆保険制度などを持ち出したら「急進左派」と呼ばれるような情勢です。大統領選で共和党との論戦にでもなるようなことがあれば「社会主義者」との批判を受けるかもしれません。日本よりも大きな経済格差が存在しているアメリカであれば、アメリカ経済が苦境に陥った時などにはここで指摘したことを実行すればその効果は日本よりも大きいと思われるのですが皮肉なことです。

 

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重税感とはどこからやってくるか?


日本共産党