勝福寺について

何事にも勝って福が授かる寺

開基:江戸初期寛文年間(1661~1672)
開山:祐圓上人
当山は、古来より祈願寺として知られております。それは寺名のごとく「何事にも勝って福が授かる寺」といわれ、一心にお参りすれば福が向いてくると云われているからです。

ご本尊

ご本尊は真言密教の教主であります大日如来です。大日如来には、金剛界大日如来と胎蔵界大日如来があります。当山ではその両方…つまり「両部大日如来」(室町時代の作:河内町指定文化財)をお祀りしております。

観音様の寺

当山は「観音さんの寺」としても知られ、二体の観音様をお祀りしています。一体は「心願観音」と申し、字のごとくこころの願いをよくかなえて下さるということで、信者さんたちの参拝が絶えません。
また、「まっくら観音」(千手観音=室町時代の作:河内町指定文化財)というユニークな御名のついた仏様は秘仏で、常に厨子の扉を閉じられており、お姿を拝することができないので、古来よりこの名で呼ばれております。

羽子騎の歴史とともに

「広報 かわち」 町の歴史あれこれ(66)より
町史編さん嘱託員 鈴木 久さん著

寺は高騎山(こうきさん)勝福寺といい真言宗智山派(ちさんは)の寺で、江戸初期、寛文年間(1661~1672)新利根川開削に伴う新田開発時、祐園(ゆうえん)の開山といわれています。本尊は両部大日如来坐像二躯で、千手観音像とともに室町期の作で、町指定文化財になっています。千手観音は「まっくら観音」の名で親しまれている安産・子育ての仏様で、8月9日の縁日の夜は年に一度のご開帳で多くの人で賑わいます。
寺には羽子騎の他古河林、手栗の領主であった旗本小笠原弥八郎の宝物殿があったとのこと、墓地には小笠原妾腹の子千代の墓があります。また集落開拓の歴史を伝える羽鳥太郎右衛門の墓もあります。羽子騎には伝えるべき歴史がまだまだ豊富にあります。